第13話 無差別的急襲

 賊に囲まれた森の中を走行する馬車。

 グレイはシュウが飛び降りたのを引き止められなかった。


 引き止めようとはした。だが、それでも引き止められなかったのは、彼に気圧されてしまったからである。

 優しいはずの青年が、血相を変えて浮かべた表情。怒り、焦燥、後悔。負の感情全てを煮詰めたような、万感をたたえた顔。


 たった二十歳程度の若い青年がしていい顔ではない。彼の過去に、何があったというのだ。


「私、シュウを追うわ!!」


「駄目ですミレナ様! イエギク様を追うなんて、そんなバカげたこと!!」


 敢然かんぜんと席から立ち上がり、シュウを追いかけようとするミレナ。その彼女の手を、クレイシアが掴んで引き止める。


「じゃあ、黙って見過ごせって言うの!? 私は絶対に嫌! 見捨てるなんて薄情なことは出来ない!!」


「いけません、ミレナ様!?」


 ミレナはクレイシアの手を振り払い、シュウを追いかける為に馬車から飛び降りた。彼女は動き辛い服装で、受け身を取って地面に着地。シュウの後を追っていった。

 二度の失敗。本来なら、守るべき対象であるミレナがシュウを追うのではなく、騎士である自分が追うのが道理だ。だのに、


「何を、何をしているんだ俺は!!」


 又しても、グレイは静観することしか出来なかった。煩悶はんもんした末の結果がこれだ。馬鹿を通り越して間抜けである。


「俺も降りる……クレイシアはニッケルと前にいるアン達と合流! ミレナ様とシュウは俺が必ず引き戻す!!」


 恥に恥を塗る愚行。三度目の恥を塗らないように、グレイは席から立ち上がる。


「わ、わかりました! お二人を頼みます! どうか、お気をつけて!!」


 クレイシア達に馬車の事を任せて、グレイも馬車から飛び降りた。

 受け身を取り、そのまま二人の後を追って森を走り抜ける。


 死の匂い。前方、右方向から死を感じ取ったグレイは、鞘に納めていた剣を引き抜いた。

 金属音が鳴り響き、月夜の光を反射する糸のような物体——斬撃が、グレイを襲う。彼は咄嗟に、右手に持った剣でその攻撃を打ち消した。


「この攻撃は、まさか……」


「二日ぶりですね。グレイ殿」


「お、お前は!!」


 目の前にいるのは、眼前にいる男は、考えたくもない。昔年のライバルであり、同じく高みを目指し合った親友でもある男。

 始まりも同じで、目指す場所も同じだったはずの仲間。今はその形はなくとも、兄弟の杯を交わした家族のような存在。

 現騎士団副団長で、グレイと同じでモワティ村を守る騎士の一人。


——リフ・ゲッケイジ。


「リフ! なぜここに……違う! 何故お前が俺たちを襲う!!」


「それはお答えできません。ですが特別に、私を倒すことが出来たら教えて差し上げましょう」


「ふざけ——!!」


「貴方も一人の騎士なら、剣のみで敵を圧制してみせよ!! そうでなくては、私は王に、強者に、貴方に報いる意味が、死んでいった者達の為に、闘う意味がない!」


「クソ! やむを得ぬか!!」  


 鞭をしならせたような斬撃。

 形を変え、湾曲しながら獲物を串刺しにしようとする武器は蛇腹剣じゃばらけんだ。変幻自在な攻撃は予測不可能。生きた蛇のように奇怪な動きをとる。


 常人なら身動きを取れずに肉を捌かれ、考える間もなくミンチになってしまう程の恐ろしい武器だ。

 だが、グレイはそのしなる攻撃を傷一つなく避けきった。


「俺がお前の闘い方を、忘れたとでも思ったか」


「流石です。ですが、それはこちらも同じこと……私とて、貴方の闘い方を熟知しています」


 ならば勝負の決着は、より多く相手を欺くこと。


「お前をここで止める。その後は洗いざらい話してもらうぞ……」


「出来るものなら、やってみよ!」


 視線が合い、散った木の葉が地面に落下したと同時——、


「「いざ、尋常に勝負!!」」


 二つの刃が交じり合う。


 

※ ※ ※ ※



 眼前で接近してくる左拳を右手で捌き、追い打ちの右拳を左手でさばく。続いて、胴体ががら空きになった相手の身体に、左膝でみぞおちを入れた。

 唾を吐いて嘔吐く男に、今度はシュウが追い打ちの右アッパー。ひるむ男に、更なる追撃を仕掛けにいく。

 右拳を敵の左わき腹へ、左ひじを相手の胸部に。最後に、顔面へ回し蹴りを繰り出そうとした。が、


「ギィィィィィィ!!」


 矢庭に、樹木の死角から、魔獣がシュウへと突進してきた。

 攻撃の直前、魔獣の気配を察知したシュウは体をのけ反らせて、鉤爪による攻撃を回避した。


「くそ! 魔獣も転移してやがったのか!」


 否。回避したつもりだったが、腹部に三つ、ナイフで切られたような傷を負ってしまった。幸い出血は少なく、傷は深くない。


「ギキャァァァ!!」


 避けきれなかったシュウに、魔獣が追い打ちを仕掛ける。

 攻撃速度は速くない。見える。注意すべきは鋭い鉤爪。


 シュウは颯然さつぜんと魔獣の攻撃を避け、身体を右回転。右後ろ回し蹴りを魔獣の顔面に打ち込む。血かどうかも分からない、赤黒い何かが飛び散り、魔獣が吹き飛ぶ。

 右足を地面に着け、シュウは森の奥へと走り出した。視線による牽制を挟みつつ、相手と一定の距離を保ちながら森の中を移動。


 追い打ちを掛けず、シュウが敵から距離を取るのは、頭の中で敵を倒すための計画を練るためだ。


 二対一。無策に近づけば、返り討ちにあうことは先の失態でわかった。

 防戦一方とまではいかないが、攻めきれずに相手のペースに呑まれているのが現状だ。


 戦いを重ねる中で気づいたことがある。それは、敵単体の力自体がそこまで高くないことだ。

 分かりやすく指標で例えると、男の力は七点で魔獣は五点といったところ。自分自身の力は、十点が関の山だ。


 互いが互いを把握——その実力を熟知し合っているからこそ、引き際、攻め際が分かっている。

 つまり、敵が攻撃か防御に力の全てを振れば、相手はこちらよりも一枚格上になる訳である。狡知こうちを極めた厄介な戦闘方法だ。


 しかし、そこが相手の最大の弱点でもある。

 敵は人であって機械ではない。常に、七足す五が十二になる訳ではないのだ。絶対な信頼を寄せているからこそ、虚を突くことが出来る。相手の特性を逆手に取るのだ。

 先ず、こちらが弱ったと悟らせ、そこから慢心を生む。


 狙うは男。主を先に倒せば、魔獣の機能を停止できるかもしれない。

 そう結論付けたシュウは、腹部の傷を抑えながら、走る速度を落としていく。あたかも傷口が深いかのように転がって、再び走り始める。


 対して男は、彼の急速な失速に頬を弛緩させた。畳み掛けると、魔獣に目配せで指示を出す。

 段々と近づいていく距離。頃合だと見たシュウは、小石を宙に投げた。転がった時に拾った小石である。


「なんだ!?」


 何をするのかと、怪訝な表情を浮かべる短髪の男。自然、目線は宙に舞う小石達に向く。

 小石を宙に投げたのは当然、注意を引くためである。シュウは足跡を残しながら急停止。次は、

 

「フンッ!」


 全力で拳を地面にたたきつけた。


 人智を越えた膂力りょりょくは固い地面をプリンのように砕き割り、抑えきれない力の流れは、土煙となって周囲の視界を包み込んでいく。

 目くらましだ。


「クソ!? 前が!」

 

 夜の暗い視界をさらに悪くする土煙。目は使えなくなるが、シュウの聴覚と気配を察知する第六感は獣のソレに引けを取らない。故に目を瞑っていても問題なく、男の居場所が手に取るようにわかる。


「そこだ!」


 振りかぶって、余っていた小石を気配のする方向に投擲とうてき。小石は急速回転しながら、弾丸にも引けをとらない速さで土煙の中を進んでいく。

 小石とはいっても、投手顔負けの弾速は当たればただの怪我では済まない。肉は抉れ、骨を砕くほどの威力だ。当たれば致命傷必須。


「ぐぅ! かぁはッ!!」


 もんどりうち、男が苦痛に叫ぶ。間を置かず、攻めようとした時、シュウは違和を感じた。肉と血が飛び散る音の後だ。

 耳を澄ませると、聴こえてくるのは土煙の中を飛び回るような旋回音。その音が、段々とシュウの元へと接近してくる。


 危機を感じて回避しようとしたが、時すでに遅し。気づいた時は既に、気配の存在はシュウの真横にあった。


「キシシシシシ!!!」


 魔獣はシュウの身体を鷲掴みして、そのまま空高くまで上昇していく。

 ここにきて、シュウは最大のピンチに陥ってしまった。


「こいつ! 片翼でも飛べるのか!? 先入観に囚われた! クソッ!!」


 数秒で、シュウと魔獣は百メートルを越える程にまで飛び上がった。

 シュウの首元に魔獣が噛みつく。このまま道連れにするつもりなのだ。


 そのまま重力に逆らうことなく、シュウと魔獣は垂直落下。

 

「畜生! ここで終われるかよ!! あぁぁぁぁぁぁ!!!」


 噛みつかれた痛みに藻掻きながらも、シュウは魔獣に肘を入れて反撃。緩んだところを振りほどいて、右手を刺突の構えに。躊躇いなく魔獣の胸部に突き刺し、


「ウィンドォォォ!!!」


 魔法の詠唱。魔獣の心臓を狙って風魔法を解き放った。

 放たれた風の刃は魔獣の心臓を切り裂き、内臓を風船のように破裂させる。そのまま、風の刃は肉を貫いて、背中から飛び出した。


『ぴしゃぁぁ』と赤黒い鮮血が魔獣から、噴水のように溢れ出す。生臭い血の匂いと返り血を浴びながら、シュウは躯になった魔獣を蹴り飛ばし、肩に刺さっている牙を引き抜いて地面を見た。


「流石にまずいか……一か八かだ」


 地面に衝突まで約数メートル。シュウは己の中にある僅少の魔力を捻出し、


「ゲイル!! くっそぉがぁぁぁ!!!」


 地面へと向かって最後の魔法を行使した。


 腕から発した風魔法は葉を揺らし、木々を揺らし、森を揺らす。

 魔力出力の強弱が拙いことと、苛烈な状況下の要因が相まって、想像以上のオドを捻出してしまう。地面とのディープキスを阻止するだけのつもりが、地面に陥没跡を作る風魔法の威力。

 身体が三、四メートル程飛び上がり、シュウは地面に投げ出された。


 「————ッ!?」


 擦り傷を付けながら、シュウは坂を滑落していく。辛うじて、身体に残っている力を振り絞り、間一髪で崖際の大木に捕まった。

 安堵のため息。十メートルほど下には大きい河が見える。見た所懐しょかいでは、流れは速そうだ。体力魔力共に消耗している今は避けたい。

 

「くそっ、身体全身いってぇぇ!」


——男の視点へ。


 左手に二か所。右腹部に二か所の被弾。出血は多く、満身創痍。だが、


「敵はそれ以上に消耗している。狙うは今」


 敵の青年は崖際の木に捕まって、休憩をしている真っ最中。眷属の牙に仕込まれた毒が、身体を蝕み始めている頃合いだ。

 身体はプロテクションを使えば、坂を飛び降りても心配はない。魔力消費や毒で、身体に力が入っていないと類推できる今がチャンスだ。


「俺の勝だ。眷属は殺され、こっちも残り僅かの魔力。良い闘いだったぞ蒼眼野郎。プロテクション!」


 下には河があるため最悪、受け身を取れなくても致命傷は避けられるだろう。

 青年を河に落とし、流れに呑まれて溺死するならよし。陸に上がって来るなら、そこで仕留める。最適なプランだ。


 坂の下にいる青年に向かって、短髪の男はその場から飛びかかった。


「終わりだ! 蒼眼野郎!!」


「なッ! 生きてやがったかッ!! クソが!!」


 愕然と声を荒げた青年は煩わしいと言いたげに、身体に力を入れて避けようとする。が、男は青年の対応よりも早く飛びつくことで、回避を許さない。

 青年の掴まっている木がなぎ倒され、二人一緒に崖下の河へと落下していく。


 男は水面に接する直前、青年の身体を足場にすることで跳躍。河に落ちることなく、陸へと飛び込むことに成功した。


「さて、どうくる?」


 数秒の沈黙——その後、青年は呼吸を乱しながらも、川から這い上がって来た。

 未だ萎えず、それどころか、爛々らんらんと燃え盛っている双眸。


 実に愉快だ。


「いいぞ、我が好敵手!!」


 言い表すなら、獲物を狙う飢えた獣。或いは、敵を目にした狂戦士。

 その青年の姿を見て、男は自身の身体に稲妻が走ったのを感じた。

 愉快、痛快、愉悦。


 ここまでの愉悦を感じたことは、久しく無い。

 男が殺しを生業としているのは、強者と戦う事が目的だったからだ。もっと正確に言えば、好敵手。拮抗きっこうした戦いを繰り広げられるような、己を高めてくれる存在だ。


 ある日のことだ。

 この世には、どうすることもできない超常な存在がいて、それに相対してしまった時、さとされたのだ。


『あぁ、自分が本当に求めていたのは、圧倒的な強者との闘いなのではなく、実力が近い敵との闘いを求めていたのだ』と。


 手も足も出ない強者と出会って芽生えたのは、絶対的な盲従だった。自身は井の中のかわずであり、強者の下でのみ行動が許される歯車なのだと。

 それを心の根底から諭された。大海を目指す必要などない。目指すべきは、自身にあった井なのだ。


 故に、追い求めるのは目の前にいる青年のような存在。

 この真実を諭してもらった畏敬の存在に、感謝しなければならない。


「俺の生はこのためにあり! ならばこの命、今ここで使い果たしてこそ、道理と言えよう!!」


 青年に休む暇を与えず、男は距離を詰めていく。

 満身創痍。相手の動きは遅鈍だ。青年の攻撃を避け、その後隙に力全てを込めた大ぶりの蹴り。

 青年があまりの痛楚つうそに吐血する。このまま追い込んでいけば、勝てる。


——今の俺なら、高まった俺なら確実に殺れる!


「ぐぁッ!!」


「死ね!!」


 吹き飛ぶ身体よりも早く駆け抜け、反撃の余裕すらも与えない追撃。殴り蹴り、殴り上げ蹴り飛ばし、追い込み追い詰めていく。


「ぁ、がぁぁぁぁ!!!」


「俺を高めてくれたこと、感謝するぞ!!」


 気を失う青年。力なく沈んでいく顔面に、男は渾身の大振りアッパー。


——入る!! 勝った!!


——だが、しかし!


「何だとッ!!」


「お前の敗因は、慢心だ」

 

 虚を突いたのは青年——シュウだった。


——視点は数秒前のシュウへと戻る。


 意識が飛びかけたが、それだけだ。勝つための下積みだと考えれば、苦ですらない。気を見計らい、相手の虚を、慢心を狙う。


 男のラッシュ攻撃を受けたシュウの胸中に、雑念はない。あるのはただ一つ。一点集中、虚を突くことだけだ。


——そして、その時が来た。


 顔面を狙った大振りの右アッパー。千載一遇のチャンスに意識が昂ぶり、身体全身に力がみなぎる。漲る力は身体全身を鼓舞させ、鼓舞された身体全身が時間間隔の矛盾を生む。

 見える。男の愉悦の表情が、馬鹿力を込めた身体が、慢心によって驕った攻撃が、相手の浅慮な選択が、見える。全て見える。


 ——愚か!!


 シュウは軸足に力を入れ、男の攻撃を左に飛んで避けた。


「何だとッ!!」


「お前の敗因は慢心だ」

 

 がら空きの胴体。狙うは今。全てをひり出せ。ここで確実に撃滅させる。

 体勢を元に戻し、両手の付け根と付け根を合わせ、空いた胴体にそれを押し当てる。

 苦鳴と共に血を吐く男は、身体をくの字にしながら、吹き飛んだ。


「——ガァッ、パ!?!?」


 大木に身体を衝突させ、悶絶する男。シュウは突貫して、考える暇も与えず、右拳を左胸部に。左拳を右腹部に打ち付ける。


 血液が急速に沸騰し、全身に迸るような感覚。


 腹を殴り、胸を殴り、顔を殴り、殴り殴り殴り殴り殴り——目にも止まらぬ速さでラッシュを繰り出す。

 その速さは、拳が数十にも増えたかのように錯覚してしまう程の速さだ。残像といってもいい。


 血が吹き飛び、男の支えになっている木が軋む。


 そして、ラッシュ攻撃の最後を飾る渾身の右ストレートが、肉と木がひしゃげるような轟音と共に、

 

「————ッ!!!」


——男の顔面へと直撃するのであった。


 余りの衝撃の強さに、大木が男を起点にへし折れた。


 この流麗りゅうれいたる逆転劇を一言で表現するなら、急転直下。血にまみれ、激痛を喫しても勝利を収めるその姿は、まさしく剛勇だ。


「負けられねぇんだよ、俺は……」


 シュウは唇から垂れる血を拭いながら、啖呵を切った。


「クソ、気持ちわりぃ……」


 格好つけた精神とは裏腹に、身体は限界が来ていた。


「魔力も、体力も、使いすぎ、た……身体を、休ませたら、向かわねぇと」


 身に余ったオドの行使だ。内腑が攪拌かくはんされたかのような嘔吐感に、頭をバットで殴られたような鈍痛。オドが枯渇している感覚は、極度の空腹と倦怠に苛まれる感覚に似ている。これ以上、魔力を行使すれば確実に過労死するだろう。


 シュウは湧き上ってくる胃液を喉元で抑え込み、呼吸を整え、昏倒するように、身体を地面に預けた。

 少し休まなければ。休み、た、い。


「……はぁ、あ? だれ、だ?」


 視線を感じ、シュウは落ちかけた意識を引き戻す。そして、接近してくる存在を見やった。


「ぁ~あ、幹部の一人が死んじゃったぁ~きゃはは! ねぇ、これってさぁ~やっぱペテロ様に伝えなきゃ駄目だよねぇ~どうしよ! どうしよ?」


「あのさぁ、そう思うんだったら、いちいち僕に話しかける必要ある? 君も幹部の一人なんだしさぁ、もうちょっと考えるってことしてよ」


 突如として現れたのは、バラ色のショートヘアの女に、司教服の老人だ。

 秘部を紐のような素材で隠しただけの、扇情的な服装の女。その女の背中から生える黒い羽に黒い尻尾のような物は、悪魔といわれる存在に似ている。

 一方、端厳たんげんな容姿とは対照的な、子供のような話し方をする奇異な老人だ。


 状況が全く読めない。


「はぁ? 訊いただけでしょ? なのになにキレてんの? きっしょ、萎えるわメルルちゃん」


「うっざ。意味のない質問ほどさ、相手にとって無駄な時間ってないよね。それをさぁ、君は全く理解してない。他人の大切な時間を奪ってるってことにさ、もっと呵責を覚えるべきだよね?」


 喧騒けんそう。目の前に仲間を殺した筈の敵が、虫の息で倒れているにもかかわらず、とどめを刺さないという愚挙。自らを幹部と称する男女を前に、シュウはチャンスだと体力回復に専念する。


「きゃは! これがサルダーを倒した敵? やば! すっごいイケメーン!! 私の好みかも!」


 女は倒れているシュウに視線を移すと、頬に手を当て、顔を恍恍惚惚こうこうこつこつとした表情にそめた。

 ばさばさと翼音を立てる羽と、ふりふりと左右に揺れ動く尻尾は、女の感情に感応しているようだ。


 思った通りだ。


 村を救う為にも、この二人を見過すわけにはいかない。敵が止めを刺しにこないのなら、この状況を利用しなければ。先ず、時間稼ぎだ。


「お前ら、誰だ……?」


「あほくさ、僕には君の美学が理解できないよ。従属させるなら、そんな男じゃなくて女でしょ? それもとびっきりの美人で慎ましい性格ね。というか、それより、僕は今すぐその男を殺した方がいいと思うよ……危険人物だ」


 手を伸ばして殺そうとしてくる老人に、シュウは胸裏で殺しを決意。反射で手がピクリと動く。だが、


「まじキモ。邪魔すんなし。萎えるわぁメルルちゃん……メルルの能力を知ったうえで言ってるの? てか、幹部は他の幹部に口出ししないって約束でしょ? まじ消えて欲しいんですけど」


 身を抱きかかえて慄く女に、シュウは助けられた。

 それを聞いて、老人は手を上げて諦観する。


 口出しはしない。どうやら、女の方は殺すことを躊躇っているようだ。虫の息の敵など、殺す必要もないということだろうか。裏に何か狙いがあるのは確かだ。

 それと、シュウの質問に一切答える気はないらしい。会話ができないとなると、言葉で時間を稼ぐのは厳しいと言える。

 癇癪を起しているところを鑑みて、下手に口を出すのはまずい。気分で殺される可能性は十分にある。穏便にいくのだ。


「知ってるよ。忠告って意味で言ったのに、君って奴はいちいち癇癪を起しすぎなんだよ。僕は子供みたいな女が大嫌いだ。もっと淑女らしく、聖母のように寛大に振舞えよ」


「忠告も口出しだろーがカス男。てかいい加減、姿変えるのやめたら? アンタの役目は終わったんだし、いつまでもその姿でいられると、頭おかしくなりそうになるんですけど……」


「はぁ、これだから男の顔にしか興味のない女は……ペテロ様の我儘で一つ仕事が増やされたっていうのに、こっちの気も知らず……」


 互いに罵り合う中、女からそう言われ、老人は煩わし気に嘆息。辟易と喉元を摩り、


「あぁ喉痛。ま、僕は寛大な男だから、大人らしく君の要望に応えるとするよ。ディスガイズ解除」


 老人が何かを唱えると、その身体が徐々に光り始める。そして、光は老人の全身を覆い、幾何学を描きながら収束。果たして、老人から白い服を着た金髪の少年へと変貌した。


——光屈折操作。


 リメアの言っていた言葉だ。それを成し得る人物が、目の前に存在していることに、シュウは胸中にある謀略を差し置いて、驚くことしか出来なかった。


 何故、張本人がここに。いや、百年前の事件だ。張本人が生きているはずがない。末裔か。クソ、疲労で頭が回りづらい。


 繋がり、リメア達のことが頭に浮かんでくる。


 無事息災だと信じ、考えないようにしていた。だが、目の前には、実際に光屈折操作を成し得ている人物がいる。

 リメア、フーナ、グーダ、ブーノ。どうしてか、四人がいる未来が見えない。勘ぐりだと思いたい。

 意識しないように努めているのに、頭から離れない暗鬱あんうつな想像。


「お前、リメアさんを、殺したんじゃ……?」


 シュウは体に寒気が走るのを感じながら、無意識に答えを求めていた。


「ん? リメア……あぁ、あの女みたいな男のことね? 答える必要はないけど、どうなったか、知りたくなるのが普通だよね。僕は優しいから、特別に教えてあげるよ……あいつは死んだ。因みに、僕は殺してないよ。他の奴が殺した。権力者は全員殺すって予定だったからね……」


 舌鋒ぜっぽうを鋭くして、シュウを嘲謔ちょうぎゃくするように説明する少年。その、自分には責任が無いと言いたげな口調は、吐き気を催すが、そんなことはどうでもいい。


 少年の言葉から現状を類推すると、シュウ達はおろか、中央都や地方に住む権力者全てを殺したということになる。


 シュウは、敵がモワティ村を襲うのは少なからず、百年前の真実に触れた事が原因だと考えていた。しかし、男は権力者全てを殺すと言った。そう『全てを』だ。

 権力者を全て殺して、何がしたいというのだ。


「権力者? 全員? どういう、ことだ……百年前の、事件の足跡を消すために、権力者から、雇われ、た、刺客じゃ……」


「刺客? まさか。僕は、そんなちゃちな事の為に動かないよ。僕は、もっと大きな目的の為に動いてるんだ。あぁ、流石にこれ以上は教えられないな……質問に答えないって権利も、尊重されなくちゃね」


 無差別的急襲だ。


 仮に襲われる原因が『百年前の真実に触れようとした』ということなら、シュウ達だけを襲えばそれで済むはずだ。


 だがそうせず、本当に権力者達全てを殺したというなら、敵にとって百年前の事件は些末なものということになる。

 要は、権力者を殺す——国そのものを壊滅させる過程で、邪魔な虫を払っただけなのだ。


「てめぇ、知ってて、泳がせて、やがった、のか」


「人聞きが悪いなぁ、別に泳がせようと思って放っておいた訳じゃないよ? それに、これは上からの指示でやったことに過ぎない。僕だって人の心は持ち合わせているからね。仕事に私情は待ちこむなって言うじゃん?」


 謀略のことなど胸中から消え、シュウは感情に任せて少年を睨み付ける。対し、少年はその生意気な目つきに青筋を浮かべて、殺意を放ってシュウに手を伸ばした。

 すると、女が少年の前に飛び出し、


「ねぇ、こんな奴相手にしてないでさぁ~メルルちゃんに従属しない? メルルね、お兄さんみたいなぁ勇ましい男の人が大好きなの。メルルに尽くしてくれたらぁ~待遇はよくするよ?」


 シュウの手を両手で握りしめた。


 女は女で奸悪を集約させたような、慮りのない自己中だ。周りの存在を、自分に付随する物としか見ていない。自身にしか憂慮を向けない自己愛者だ。

 どちらも、シュウが忌み嫌う存在である。


「ざっけんな! そんな言葉に乗ると思うか!!」


「つれないなぁ、でもしょうがないよねぇ~お兄さんだって、立場があるんだしぃ~じゃあさぁ……そんなこと考えられないように、メルル色に染めて、あ、げ、る。きゃは♪」


 憤怨ふんえんして、立ち上がろうとしたシュウの額に女の指が触れる。


 瞬間、限界で繋ぎ止めていた意識の細い糸が、シュウの頭の中でプツンと切り離された。

 そうして世界が黒色に染められ、


「男は皆、メルルの前じゃ無力なんだから」

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