第12話 急降下

「んで、どうだったよ。リメアさんと会って……」


「漠然としすぎだろ、質問。ま、知りたいことは知れた」


 リメアとの談話を終え、社交界が終わった彼らは中央都を出て、街道の中だ。往路の時に居たクウェルは中央都へ。復路は彼に替わってクレイシアが乗っている。

 グレイとシュウが前の席に、ミレナとクレイシアが後ろの席だ。


「なら良かったじゃない」


「そうだな。そっちはどうだったんだ?」


「上々! 社交ダンスも乗馬もバッチリ。歌は駄目駄目だったけど」


 ドレス姿のお嬢様から、すっかり町娘のような服装に戻ったミレナ。

 シュウの質問に対し、彼女は小気味よくサムズアップ。快哉とばかりに微笑んだ。是非とも、ミレナの下手くそな歌は聞いてみたいものだが、今は——、


『リメアさん。アンタが何故、迫害の問題を解決しようとしてるのか、聞かせてくれませんか?』


 リメアとの談話を整理整頓する事だろう。シュウは海に飛び込むように、追思ついしに耽る。


『原初は、ほんの同情でした。当時、私はごく普通の貴族学校に通う、お金持ちの家の子供でした。当時から、私は教育者になりたいなと思っていました。恩師の、人生の壺に最初に入れるべきものは、小さい物や細かい物ではなく、巨大な物。巨大な夢や目的を入れろ。という言葉が好きで、私も先生のような格言を残せる教育者になりたい! と思って教育者を目指そうと思ったんです』


 遡行すること数時間前、打って出たシュウに、リメアは郷愁きょうしゅうに浸るような、万感を乗せた顔で語り始めた。


『でも、私が教育者を志した理由はそれくらいしかなくて、まぁ平たく形容すると、浮ついていました。情動じょうどうのみで夢を見る。所謂いわゆる典型的な馬鹿だったんですよ、私、ハハハ』


 リメアは自身を卑下しながら、苦笑い。それから直ぐにその笑いを解き、


『そんな時に、初めて旅に出かけることになって、その道中で、スラム街にいる子供達を目にしたんです……最初、彼らを目にした時、それは凄まじい聳動しょうどうを受けました。幸せな家庭が築かれる大都市のすぐ傍で、飢えてゴミを漁る人々がいるんだって、これが現実なのかって……』


 前のめりになるリメアの身体。彼は瞑目して『激しい義憤が湧き上がってきました』と、続けた。

 その言は、未だに消沈しきらない余憤を、吐き出すかのような言だった。


 学校に通う学生。数年たった今でも残っている怒り。その感情の強さは、関りの少ないシュウでも理解できる。


 そう反芻していたシュウを置き去りにするように、リメアは『ですが』と目を開けて、


『そこからやる気も満ち溢れて来たんです。あの子供達を教育する施設が、どうにか作れないだろうかって……』


 その瞳には、先ほどの余憤が嘘だったと思える程の、溢れんばかりの希望が満ち満ちていた。

 きっとその時、ただの夢が、生涯を通して成し遂げたい目標、目的へと昇華したのだろう。


 ——シュウは達観した。


『そうして、そこから猛勉強して、免許も取って、やっとこれで教育者として胸を張れるようになった私は、スラム街にいる子供達に会いに行ったんです。その時に会ったのが、フーナ達です』


『最初、リメアを見た時は、金持ちが貧者を馬鹿にしに、物見遊山に来たぞ! 分からせてやれ! って思ったな!』


 リメアから手を向けられ、フーナはその時の感情を身体を大きく使って表現する。

 今の仲は見ての通りだが、昔はそうではなかったリメア達。シュウはその事実を不思議に感じつつも、当たり前の事だとも考えた。


『懐かしいですね。打ち解ける為に掛かった時間は、言わずもがなです』


『身ぐるみ全部剥いでいいから、話を聞いて欲しいって言った時は、すげぇびっくりしたぜ! こいつ本気の顔してやがるってな。それを見たグーダが、かっけぇって言って、話を聞いたんだぜ!』


 グーダと会って間もないが、彼がそういった類の言葉を口にするのは、何故か容易に想像できてしまう。

 第一印象と本人像がぴったりだからだろうか。


『それから、彼らを知るには彼らと同じ場所に立つしかないと、分かったんです。そこから深く関わるようになっていって、亜人の子供たちとも関わっていくようになりました。そこで、迫害を受ける彼らを、どうにか救いたいと思うようになったんです』


 リメアは慈しむような目で、外で遊んでいる子供達を見つめる。フーナも同様に、その姿を見て笑う。

 シュウが訪れたことは、もう蚊帳かやの外。遊んでいる子供達は、笑って、はしゃいで、楽しんで、悔しがって、今を全力で楽しんでいる。


 今、外で遊んでいる子供達が様々な感情を露わに出来ているのは、リメアが彼らを支えているからであろう。

 いいことだ。


『それで、亜人迫害の発端を調べるうちに、私は、自分の血縁者が深く関わっていることを知りました。何か、自宅に手掛かりはないかと調べていたんですが、私の祖父母が、私と父の為を思って、高祖父こうそふ曾祖母そうそぼに関するものを全て破棄していたんです。お前達は関わらなくていい、関わらせたくないって……父は、納得していました。ただ、私はどうしても知りたくて、何か手掛かりはないかと、父や祖父の意見に反対して、血眼になって探し回るようになりました』


 子を思うあまり、子のためにならないというジレンマ。

 ただ、リメアが現在進行形で亜人迫害問題に注力できているのは、彼の父や祖父母が、どんな形であれ認めたからだろう。

 最終的に、子供の意見を尊重したということだ。

 

 憶測だが、リメアはそのことに感謝しているだろう。リメアが「父や祖父」と言った時、彼の顔は温色おんしょくだった。


『そして、数か月後、冬でした。国史から一つの手がかりを見つけたんです。そこには、まるで、巨悪であると喧伝けんでんするかのような言葉が記されていました……英雄になる為に、姫を使って王を脅迫し、あまつさえ、その姫を虐殺した大罪人の最後の言葉、と……内容は『私達は濡れ衣を着せられている。信じてくれ、私達は何もやっていない。騙されたんだ。私達ではない偽物がやったに違いない。このままでは、この国は終わってしまう』これが、処刑前の大罪人エドリック・ブレンゼルク、亜人迫害の発端であり、高祖父の言葉。私が探しだせた、唯一の手掛かりでした』


 憤懣、やるせない。そんな感情が、リメアからは見て取れた。多くの者が、エドリックを大罪人だと認識しているのだろう。それを覆すような証拠もなく、エドリックを擁護した亜人が迫害を受ける結果になっている。


 だが、それを覆せる材料が一つも無い訳ではない。それは、


『クウェルから、それ、聞きました。あいつは言ってました、エドリックは奴隷解放運動の一翼を担った経歴がある……そんな人が、自分の名誉の為に、王を脅迫して、姫を虐殺するなんておかしい。あり得ないって』


 クウェルから聞いた、エドリックの過去の功績である。

 シュウの急き立てるような物言いに、リメアはこくっと頷いて、


『私も何かの間違いなんじゃないかって、色々思惟しました……そして、私は国史に残る高祖父の言葉、騙された。偽物がやった。これを元に、私は思考実験にて、ある仮説を立てました』


 思考実験から生まれた仮説。


『それは、光屈折操作……俗にいう、ファクティス。フェイク。呼び方は色々ありますが』


 「まさか」と、立ち上がって声を荒げたシュウに、リメアは諭すようにこう答えた。果たして、その答えとは、


『変装ってことですね……』


 ——変装だった。


『目で物を見る時、その物から反射した光を目が受容することで初めて、物を視認できますよね。その物から反射する光を操ることが出来れば、他人とそっくりな、偽物が出来上がると思いませんか? そして、もしその偽物が犯罪行為をすれば……』


『完全な偽装工作が出来る』


 エドリックが居ない間に彼と取って代わり、犯罪行為を働いたのなら、国史に載っていた『濡れ衣』という言葉とも符合する。


 青天の霹靂へきれきだ。

 大罪人であり、亜人迫害の発端。それを覆す材料が、新たに一つ手札に揃った。


『です。飽くまで憶測ですが、高位の光魔法の使い手……それが直接ではなくても、アルヒストの貴族、聖職者、領主、傑人員、或いは王家の中に関わっている者がいる可能性があります。共同、教唆きょうさ 或いは幇助犯ほうじょはんを特定できれば、もしかすると、百年前の不可解な事件、その尻尾を掴むことが出来るかもしれません』


 そうして、一通りの追思を終えたシュウは、意識を現実に戻した。


 要約すると、リメアは学生の時にスラム街に訪れ、その子供達と過ごすことになり、その過程で亜人迫害の問題を解決しようと思い至った。

 亜人迫害に触れることに祖父母や父から反対されたが、リメアはそれでも頓挫せずに探し回り、一つの手掛かりを見つけた。

 その手掛かりから出た仮説が、光を人為的に屈折させ、他人にすり替わる変装。


 現実的に言えば、そんな考えに至る事さえ叶わないだろう。何故なら、シュウには魔法そのものへの見識が浅いこと。ミレナ達などの魔法が日常である者には、それ自体が不可能だと考えていること。

 過程は違うが、その過程に伴う結果は『考えが浮かばなかった』に帰結する。


「歌は完全にミレナ様が練習を怠ったからです」


「怠ったって言っても、歌はやっぱり、絶対に無理だわ」


 ミレナとクレイシアの日常会話が飛び交う中、シュウは一人で葛藤する。


『このことは、内密にしていただけると助かります。仮に明かすとしても、信頼できる方だけでお願いします。公になれば騒動どころか国に大混乱を招く、そうすれば迫害の払拭云々以前の問題です。本末転倒ですからね』


 わかっている。そのことを赤裸々にして、張本人を裁きたいという義憤ぎふんはある。いや、義憤など聴こえがいいだけの言葉だ。本質はただの我儘、自慰行為以下の慮りもない思考である。

 ガキの癇癪で起こしていいことではない。なら選ぶのは一つだ。


「あぁ、わかってるよ」


「どうしたの?」


「あ、いや、独り言だ。気にすんな」


 ぽつりと呟いたシュウの顔を、ミレナが興味深げに覗き込む。難しい顔で床を見るシュウに、何かしら疑念を感じたのだ。

 シュウはその疑念を払拭させようと、頬を弛緩させ、右手を振って誤魔化す。


 彼の繕うような姿勢にミレナは微笑み返し、それ以上は詮索しようとしなかった。


「……もう、すっかり日も落ちたわね」


 ミレナのその言葉を境に、馬車は沈黙に包み込まれ——正確には馬車が地面を踏み荒らす音と、その時に揺れ動く振動音は常時響いているのだが、それは聴き慣れた環境音に変化したことで、結果的に沈黙に包み込まれていた。

 

 蝋燭ろうそくではなく、光魔法で室内を照らすランタンが振動で揺れる。


 シュウはその沈黙の中、リメアから聞いたことをミレナ達に言うべきか、言うべきでないか。言うなら、どう口伝するべきかと苦慮していた。

 この場でいきなり話すのもありだが、別段急いでいる訳ではなく、落ち着いた場所でもない。


 話すことは確定でいいだろう。なら誰に話すかだが、


「そろそろ、森に入ります。魔獣が出るかもなので、その時は頼みますね」


 シュウの思考は、三回のノック音と注意喚起——御者のニッケルによって遮られた。

 

「わかった。ニッケルはそのまま安心して馬車を進めてくれ」


 グレイが返事をすると、ニッケルは「ういっす」と会釈し、小窓を閉めて再び馬車の運転に戻った。


「魔獣が出たとしても、グレイとシュウが居るから大丈夫。一人は騎士団長……もう一人はグレートギメラを撃退してみせた男。魔獣なんていちころだわ」


 魔獣に水が向けられたことで、車内は静寂から会話へと変遷する。最初に口を開いたのは、沈黙は嫌いだと言いたげなミレナだ。

 長耳をプルプルと上下させ、ミレナはグレイとシュウの有望さを親のように誇示してみせる。


「身を守ってもらえるからといって、安心なわけではございませんよ」


 ふんすと鼻を鳴らし、胸を張ってみせるミレナに、クレイシアが慢侮まんぶは駄目だと忠告する。

 忠告されたミレナはというと、クレイシアを嘲弄ちょうろうするように、


「そうかしら? 言っておくけど、私だって自分の身は自分で守れるものよ。少なくとも、クレイシアよりは、ねぇ……」


 ニタァと、白い歯を見せて笑った。


「むむ、私とて、ミレナ様に引けを取らないよう、家政婦兼護衛として、日々訓練は怠ってはいませんよ」


 クレイシアは汚名挽回しようと、ミレナの挑発に不機嫌そうな顔で釈明する。「えぇ……」と、疑うミレナと「本当です!」と、怒るクレイシア。


 車内の減衰気味だった雰囲気が、ミレナとクレイシアの精彩な会話によって修復されていく。綺麗な花が愛でられるように、佳麗かれいな女性が嫣然と笑い合うだけで、空気は良くなるものだ。


 シュウはリメアから聞いたことを話すなら、先ずこの三人が良いと思い、


「ちょっといいか? 少し話しておきたいことがあって、リメアさんから聞いたことだ。今日の夜、領地に付いたら三人とも俺の部屋に来てくれ、今話さないのは、あんまり知られ——」


「い、イエギク様…………?」


「悪いクレイシアさん。ちょっと、静かにしてもらっていいか?」


 どうしたのか。そう返すクレイシアを抑圧して、シュウは外を見た。


「ちょっと、自分で話吹っ掛けておいて、静かにしてって、言い方がきついんじゃない?」


 自分で話を振っておいて、相手を抑圧するという慮外な行為。しものミレナでも、それは無いと長耳を逆立たせ、シュウを睨み付けた。クレイシアは、何かまずい事をしたのではないかと、慚愧するように頭を下げる。

 誰もが蛮行だと思うだろう。だがそれでも、シュウは、


「いや、そういうことじゃない」


 顔を慍色うんしょくに染めて怒るミレナをも、抑圧した。


 何故そこまでする必要があるのか。理由は単純である。

 そのことなど気にする暇もない存在が、悪辣あくらつを体現したような悪意が、殺気が、すぐ傍にまで迫ってきているからに他ならない。


「え? ならどういうことよ」


「どうもこうも、最悪だが今、俺たちは囲まれてる……」


 シュウは搔い摘み、忌憚きたんなく率直に答えた。

 それまで、シュウを叱責しようとしたミレナ、落ち込んでいたクレイシア、難しい表情のまま沈黙を選んでいたグレイも、彼の猖獗しょうけつを極めたような答えに顔色を変える。


「な!? シュウ、それは本当か!?」


「あぁ、間違いないと思うぜグレイさん。数までは分かんねぇが、確実に囲まれてる」


 グレイは額から汗を垂らし、日除け用のカーテンを持ち上げ、車窓から森の中を睥睨へいげいする。

 視認できる物がないことに気付くと、彼は今度は車内に居るミレナに目配せをする。


「そうね。私が今、植物や動物の子達から聞くわ……」


 耳元に手を当て、ミレナが精神統一を図ると、沈黙が車内を包み込んだ。

 時間にして約十秒。彼女は沈黙を消し飛ばすように、長耳を大きく反応させて、


「シュウの言っていることは本当! でも、これは……魔獣じゃない!? 人? まさか!?」


「賊か!? ニッケル!! 今すぐ前の馬車にも知らせろ!! 賊だ!! 馬車は出来るだけ早く走らせろ! 逃げきれなくても、包囲されている中を切り抜けられれば対応が楽になる!」


 ミレナの言葉を引き継ぎ、グレイが答えを導き出す。

 賊——いや、違う。そんな生易しい存在などではない。賊ならば、もっと猥雑な欲望を向けてくるはずだ。これは殺意の塊。純粋な殺意だ。

 生前、暗殺業を生業にしていたシュウだからこそわかる事実。


——敵は殺し屋だ!


「どうしてこんな時に、違う……俺のせいか?」 


 敵は百年間も犯罪の足跡を揉み消してきた人物だ。そしてこの百年間、リメアのように真実を知ろうとする者が存在しなかったとは考え難い。

 それでもなお、未だに浮き彫りになることのない不可解な事件。もし仮に、真実に触れようとする者を消し、足跡を無くしてきたとなれば——、


——今、自分たちを囲っている殺し屋は、国からの刺客!?


 悪辣な犯罪を目論み、その事件を巻き起こした首魁——その存在の手先が証拠隠滅の為に、殺しにかかって来たということだ。


「リメアさん……」


 その名を呼んだ後、勘ぐりと思いたい程の陰鬱な想像が、シュウの頭を過った。だがシュウは、


「いや、そうじゃねぇ……」


 翻然と考えを切り替えた。今すべきことは、分かりもしない他人の安否を考えることではない。無事息災だと信じ、この状況を打破することだ。


「俺が出て、囮になる」


「どうする?」と、提案の言葉を発する前に、飛び出た言葉がソレだった。

 己が発した言葉ながら、潔い選択だったと思う。自分自身でも、その選択肢を選んだことが驚きだった。


「な、馬鹿言うなお前! そんなの認められるか!!」


「そうよ! 囮なんて駄目! 危険だわ! 絶対に行っちゃ駄目!!」


「誰かが囮になれば、ミレナやグレイさんらの危険が分散される! それに、てめぇの強さはてめぇが一番理解できてる!! 大丈夫だ!!」


 無謀な行動を取ろうとしたシュウに、グレイとミレナが糾弾きゅうだん。だが、シュウはそれを気にも留めず、扉に手を掛けた。


 死ぬかもしれない。だが、ここは異世界だ。創造主が交渉の為だけに、創り上げた仮想の世界。そして、シュウはこの世界の住人ではなく、交渉を成功させて元の世界に帰るという目的がある。


 それに、ミレナの持っていた手紙が未来を予言していたのなら、村を襲う者と今ここに居る殺し屋が関係ないと考えるのは不自然だ。

 ここで退けて、死んででも村を救う。


 扉を開けて、飛び出そうとしたその瞬刻、


「絶対に行かせないわよ」


 席から立ち上がって、ミレナが手を掴んできた。

 堅牢けんろうたる瞳と、力強く掴んでくる手。それだけで、彼女が自分のことを思ってくれているのだと、骨の髄まで染み渡った。

 仮初の世界だとしても——否、仮初だからこそ、優しく仲間思いの彼女らを救わなければ。


『そ、そんな!? 駄目です! 私はまだ大丈夫です!!』


 似ていた。憂えるミレナと、銀髪の少女。あの時と似ている。似ているはずなのに、何故か、何処かが、致命的な何かが抜け落ちているような感覚。


 飛び出そうとしていた手足が止まる。

 

——何を迷っている?


 考えるな。今先決なのは、ミレナを守ること。グレイたちの荷を、少しでも軽くすること。それ以外にない。ここで囮になるのがベストだ。

 ここに居る敵が、村を襲う敵なら尚更だ。自らの命を顧みるな。己は世界の異物。外来の存在。目的は元の世界に帰ること。ならば、死してでも目的を遂行させるのが筋だ。


——自分の本心に従え!


「森の子達が怖いって言ってるの、シュウ! ただの賊じゃないわ!! 貴方だって立派な村の……」


「ミレナ……お前は皆と一緒に生きろ」


 ミレナの目を見る。行かせないと、堅牢たる意思が変わらずに宿っている瞳。シュウは彼女の手を取り、


「グレイさん……頼んだぞ」


 無理矢理離した。


「ま、お前!?」


「イエギク様!?」


 グレイとクレイシアの引き止める声を無視して、馬車から飛び降りた。


「だめぇぇぇ!!」


 ミレナの手が引き止めようと、シュウの服を掠める。その刹那せつなが、一瞬が、泡沫の後悔が、カメラで切り取られた静止画のように長く感じられたのは、気のせいではなかった。


 馬車から飛び降りたシュウは、受け身を取りながら着地。車輪の跡が残る地面を勢いよく踏みつけ、気配がある方へと走り抜ける。

 後ろから呼びかけてくる声を無視してだ。


「気付かれたか……それにしても、一人で立ち向かってくるとはな。情報がほとんどなかった奴だ。指示か、それとも囮役を買ってでたか。どちらにせよ、生半可な覚悟じゃあできないな。面白い」


 接近してくるシュウに気付いた黒いマントを被る男。男は顎を触って、シュウを品定めするように笑う。


「お前らは前の馬車を狙え。女二人、大柄の男一人は殺すな。それ以外は、好きにしていいぞ。目の前の奴には手を出すな……そいつの覚悟がどれほどのものか、俺が見極めてやる」


 そう言って、男は周囲の仲間達に指示を送った。指示を受けた他の黒マント達は、警戒態勢を解き、即四散する。

 一人だけ残った男は、フードによって覆い隠されていた顔を怡然いぜんと晒した。


 男の右頬には白色の蛇の刺青が入っている。シュウは、殺し屋組織の象徴だろうと推断し、


「てめぇが頭目か! 周りの奴諸とも殺す!」


「応よ! 全力で殺しに来い!! 俺も全力で殺しに行く!! その目! その表情! 久しい好敵手だ!」


 右頬の刺青に触れながら、男は随喜ずいきの声を上げる。地盤が抉れるほどの脚力で飛び込み、シュウは男に突貫した。

 

「————ッ!!」


「いい力だ!!」


 シュウは勢いのまま男に接触し、そのまま男の身体を数メートル吹き飛ばした。

 力は自分の方がやや優勢。そう悟ったシュウは、地面に右脚を抉りこみ、スコップの要領でひっくり返す。次に、ひっくり返した土塊を蹴り飛ばし、追い打ちを掛けた。


 男は直撃寸前に身を翻して一回転。地面に摩擦跡を残しながら回避した。


「お前、それ程の力、どこで手に入れた? ただの人間が至れる領域ではないぞ」


「答える義理はねぇ。黙って死にやがれ」


 肌を切り裂くような殺意の波動が、シュウを中心に席巻せっけんする。男はその殺意を滋味するように、悦に浸った表情で、


「そうか……無粋だった! 許せ! 心置きなく殺し合おう! 闘争本能のままに!! ウォール!」


 男が詠唱すると同時、その足元から前方に向けて地面が隆起りゅうき

 地震のような轟音が鳴り、地面から尖石とがりいしの塊が、急成長した植物のように飛び出してくる。


 未知数の攻撃。とはいえ、速度事態は速くない。闘牛士が牛の突進を当たり前に避けるかのように、シュウも男の攻撃を簡単に避ける。


「逃がすかよ! ストーン!!」


 今度は忽然と、男の眼前に大小無数の石が出現。攻撃を避けたシュウに向かって射出される。


「ウィンド!」


 魔法を相手に放つのではなく、軌道変化の為の魔法発動。石群がシュウの服を掠め、直進方向にあった大木に風穴を開けた。


「ほぅ、避けるか! ならば、避ける選択肢を与えぬ! 併合魔法ストーンブラスト! 肉塊に帰せ!」


 先程、魔法によって出現させた巨大な尖石を宙に浮かせ、男は無数の石を放った時と同じ要領でそれを射出。ひゅんひゅんと風を切る音が森の中を木霊し、シュウを撃滅せんと猛威を振るう。

 人一人には過ぎた破壊の奔流ほんりゅうだが、シュウにはそれを防ぐ術があった。


 砲弾のような巨大な尖石を、シュウは片足で受け止めて勢いを無くす。そのまま尖石を跳ね返し、後から飛んでくる尖石にぶつけて相殺。それを数回続け、最後の尖石は右腕の力のみで弾き飛ばした。


「まだまだぁ!」


「————ッ!!」


 防御に徹していたが故の盲点。相手の次の攻撃を、予測していなかったが故の油断。

 男は尖石によってできた死角を使い、シュウに接近してきたのだ。シュウはわき腹に向かってくる右拳を、左腕を盾にすることによって攻撃を防いだ。


 轟然ごうぜんたる音が響き渡り、地面が、木々が揺れ、土煙が舞い上がる。

 男とシュウを中心にほとばしった衝撃波——円は最早芸術だ。


「ック!!」


 宙を舞い、シュウの身体が風船のように吹き飛んでいく。

 その勢いは樹木にぶつかっても簡単に無くなることはなく、結果、シュウの身体は数メートルほど飛ばされた。

 着地寸前に受け身を取って、シュウは態勢を立て直す。


 痺れを訴える左手。検めた限りでは、骨は折れていないようだ。男が何処から攻めて来るのか、周りを見渡すと、


「な!? ミレナ!!」


「シュウ!? ここに居たのね!」


 ミレナが馬車を降りて追いかけて来た。何故、どうして、ミレナが、ここに。


「何でお前!? どうしてここに居るんだ!!」


 心配げに駆け寄ってくるミレナの手を、シュウは払う。

 何故逃げなかったのか。その疑問だけが胸中を去来する。


「何でって、当たり前じゃない! 知り合いを、大切な仲間を犠牲にするなんてできない!」


「馬鹿か! お前は高位な存在で、お前の盾となって守るのが俺たちのしご——」


「そんなの関係ない!! 高位だとかなんだとか、私はうんざりなの! 私は、私はもう、あの時みたいに! 赤いあの日みたいに! 大切な人が失われるのは……う、ぅぅぅ……」


 突如、激昂げきこうしていたミレナが額に手を当てて屈みこみ、憔悴しょうすいを露わにした。


「どうした、おいミレナ! 大丈夫か!?」


 シュウはのべつ幕無しな展開に頭を冷やすと、憔悴した彼女の身体を手で支える。

 何が理由であれ、ミレナが自分を追ってここまで来てしまったのは厳然げんぜんたる事実だ。なら、ここは命を懸けても守り抜かなければならない。

 幸い、馬車を追って行った敵は、ミレナがここに居ることに気付いていない。故に、このまま彼女を連れて馬車に戻るのは危険だ。


 安全な場所まで、逃げるしかない。


「ミレナ、動けるか!?」


「ぱ、ぱ……ま、ま……行か、ないで」


「意識が……」


 声を掛けても、返事をしないミレナ。彼女はそのまま意識を失ってしまった。


「背負って行くしか——クソッ。もう追いつきやがったか」


「マジかよ! おいおい!」


 苦虫を嚙み潰したような顔でぼやくシュウ。後を追ってきた男は、その光景を見て驚喜きょうきした。


「一番のお目当てが、気絶して迎えに来てくれるなんて冗談か! 男が囮になったっていうのに、間抜けにも程があるぞ!!」


 男は僥倖ぎょうこうだと、ミレナを指さして哄笑こうしょうする。


 一番のお目当て。その疑念について考えないまま、シュウは彼女を背負う。


「これで戦うのは無理だな」


 そうぼやき、シュウは態勢を立て直すために男から逃走した。


——男の視点へ。


「逃げるか。まぁそうなるわな……」


 男は逃走するシュウを見て、ふとことから謎の黒い球を取り出した。男がその球を地面に落すと、落ちた玉は黒い水たまりとなって徐々に広がっていく。そして、そこには半径一メートル程の黒い水たまりが出来上がった。


「開門。出でよ我が眷属けんぞくよ。お前の力、俺に貸せ」


 男が何やら詠唱すると、黒い水たまりが波を打ち始める。


 果たして、その中から赤黒い人型の魔獣が、這いずるようにして出てきた。


 角と翼を生やし、四肢は異形な生き物のソレだ。身体から噴きだす黒いマナは、その妖異よういを如実にしている。


 男は魔獣の頭部に振れ、風の魔刻石を吸収させて魔力を流し込んだ。直後、魔獣はロボットのように目を見開き、主である男にひざまずく。


「お前は上空から、逃げた男と女を追え。女は生け捕り、男は殺す。油断はするな、男の方は、俺の渾身の一撃を受けても、ピンピンしてやがったからな」


 男の指示に異を唱えることなく、魔獣は土煙を立たせながら空を飛んだ。

 生きた人形といった方がいいだろう。忠を尽くすための肉人形。そのしるしに、魔獣の額に白い髑髏どくろの印紋が付与されている。


「悔しいが、俺だけではあいつに勝てない。だからこそのダメ押しだ」


 魔獣は上空から、男は陸からシュウ達を追う。


——転じて、視点はミレナを担ぎながら、森の中を走り抜けるシュウへ。


 人一人を担いでの移動。予断が許されない状況だ。

 速度は車と同じ程度だろうか。細心の注意を払いつつ、ミレナに怪我を負わせることなく止まれる移動速度だ。

 だが、


「翼音!! 空か!? クソ! 通りで早いわけだ!!」


 上空から謎の怪異——魔獣がシュウに襲い掛かる。


 樹木を避けながら移動するシュウと、空を滑空する魔獣とでは、魔獣の方が幾許いくばくか俊敏であったのだ。


「キシャァァァ!!」


 魔獣は、鳥が水面下の獲物を狙い定めるが如く、洗練された攻撃でシュウを襲う。それを避けようとして、シュウは思わず足を踏み外してしまい、担いでいたミレナを手放してしまった。


「ナッ!? ミレナ!!」


 極力、速度を落とさずに走っていたシュウの失態を狙ったのだろうか。森の中を飛び回る魔獣に、ミレナを容易く奪われてしまった。


「させるか!! テメェの翼、削ぎ落してやるよ!! ゲイル!!」


 掌から射出される魔法の波動は、鮮やかな風の刃となって加速していく。空気、

葉っぱ、木の枝を両断しながら、風の刃は飛んで逃げていく魔獣に接近。

 ここにきて、村で練習していた風魔法の制御が功を奏するわけだ。


「地道な研鑽ってな」


 風の刃は魔獣の右翼を切り裂く。片翼となった魔獣は、ミレナを手放して失速していく。


「——ッ!!」


 垂直落下するミレナ。シュウは滑り込みながら身体で受けとめ、大木を背にして彼女を守った。


 今の一連で、敵の狙いがミレナの身柄を確保することだと、シュウは完全に理解した。彼女を殺さず、連れ去ろうとしたのがよい証拠となっている。逃げにてっするか防御に徹するか。選択肢は有るようで無いようなものだ。

 シュウはミレナを抱え直し、再び逃げようとした時、


「逃がすか!」


 引き離したつもりだったが、男に追い付かれてしまった。

 シュウはミレナを背後に置いて、男を退けようと構えた。


「チッ!!」


 今度はシュウが、男の攻撃を正面から受ける。

 しかし弱い突貫だ。受け流すまでもない。弾き飛ばすまでだ。


「ッ!」


 弾き返した瞬刻、世界に白が訪れる。

 眩暈めまいかと思ったが、そこには見過すことのできない、重大な差異があった。その差異とは、


「なッ!?」


 背後に置いたミレナが消えてしまったのだ。


「ミレナを何処にやりやがった!!」


「何処にやった? 違うね。お前が移動したんだよ。見たら分かるだろ? 注視すりゃあ、ここが全く別の場所ってのがよ」


 見れば、シュウが背にしていたのは、ただ似ているだけの樹木だ。高さは倍以上に。太さも少し違う。果たせるかな、


「…………? まさか、モワティ村の転移地点!!」


 転移した場所は二日前。森の案内をしてもらった時、ミレナから教えてもらった第三転移地点だった。

 前方には川があり、ミレナが『こわーい人面岩』と言っていた岩が鎮座している。


「ご名答! 転移魔法……移動したのはお前で、俺とお前がぶつかった時、同時に転移させた。させた理由はお前を殺すため! 安心しろ、エルフの女は殺しはしない」


「て、てめぇ……上等だ。お前らの計画全部潰して、何もかも終いにしてやるよ……」


 確定だ。男は村を襲う敵の一人。この男を斃し、ミレナ達を——村を救う。


「いい眼だ! だからこそ、殺し甲斐がある!!」


 殺める事だけを集約した純粋なる殺意。


——火蓋が切られる!

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