第11話 スラム街にて

 翌朝、町もすっかり活気づき始めた時間帯。

 馬車が行き交う交通路は人の声や足音、支度音などの雑然とした音が入り乱れていた。それは現在、シュウが宿しゅくしているフェイド家も例外ではない。


 既に、机の上で突っ伏せるように寝ていたグレイの姿はなく、シュウは両目を擦りながら目を覚ました。自身に掛けられた夏用の布団を畳み、傍にあったソファの上に置いた。


「ぁぁ……酒なんか飲むんじゃなかった」


 思い出せるのは酩酊状態のグレイに酒を勧められ、悪乗りした挙句に酔いつぶれてしまったことだ。

 人に得意不得意があるのと同じで、シュウは酒に滅法弱い。アルコール度数が高い酒を飲んでしまえば瞬殺だ。へべれけなど夢のまた夢であろう。


「師匠が見ればヘタレとか言われちまうな……さて、と」


 そうやってぼやきながら、部屋を出て洗面台を目指すシュウ。辿り着き、鏡に映った自身の顔を見ると、思った以上に悄然としていた。


 シュウは蛇口ならぬ、水垂らし石に手を近づけ、魔力を込めた。

 水垂らし石というのは所謂、水の魔刻石といわれるものだ。水属性の魔法を行使できる者が、特殊な鉱石に魔力を刻むことで出来る石である。


 その石がオド——魔力に反応することによって、水道のように水を出すことができるのだ。


 ちょろちょろと流れ出てくる水を見て、シュウは「お……」と感動の声を漏らす。そして、手で水を汲んで顔を洗った。


 シュウは水を止めようと、もう一度魔刻石に手を近づけ、


「ふぅ……止めるにはえぇっと、ッ! あぁ、クソ」


 水が勢いよく噴き出し、上半身にかかってしまった。

 何が起きたかというと、水を止めようと魔力を込めたのだが、水は止まるどころか却って奔出してしまったのだ。

 これは、どうしたものか。


 確か、水の止め方は、


「そういえば、聞いてなかったな……」


 正直に言うと、かなり要領が得られていないのが現実だ。有体に言えば、蛇口を捻る力加減が分からない。そういった感じだ。


 因みに、水は止まった。


「おはようさん、っておま、どした?」


「おう、おはようグレイさん。ちょっと排水調整にミスってな。今何時くらいだ?」


 壁に掛けてあったタオルで濡れた部分を拭いていると、廊下を歩いていたグレイに声を掛けられる。

 シュウは一驚するグレイに嘘の顛末を伝えて、恥ずかしい目に合うのを回避した。


「そうか……今は陽刻の二時前だ。一時間程度の寝坊ってとこか」


「マジかよ……やっぱ酒はやめとこう」


 シュウは愚痴るように自省。濡れた部分を拭き終わると、使ったタオルを洗濯籠の中に入れ、グレイを見た。


「ふゅー、決まってるな」


 口笛を吹きながら嘲弄してくるグレイに、シュウは「うっせ」と、洒然しゃぜんと答える。


「んでさ、本当に任せてもいいのかよ。社交界だろ? 何するかはいまいちわからねぇが」


「いいんだよ。もともと、お前が居ない前提で話は進んでたんだ。気にせず、スラム街に向かえよ」


 グレイはシュウに「ほい、これ」と、折り畳まれた羊皮紙を渡した。

 広げて、中を見てみると、


「これは、スラム街の地図か?」


 書かれてあったのは、スラム街の簡易地図だった。


「朝、使いの者が来てな。ミレナ様からだとさ」


 「そうか」と一言返し、シュウはグレイから受け取った簡易地図を一瞥いちべつ。シュウにも分かるように、ヒラ文字で『ここは危険』『ゴミの山』『盗人の家』『リメアと子供達の家』と書いてあった。

 後でミレナに感謝を伝えておかなければ。


「リメアと子供達の家……?」


「そりゃお前、傑人員の一人、リメア・ニュートラル殿のことだろうが」


「なんたって、国のお偉いさんがそんなとこに?」


「ん? あれ、お前、リメア殿に会いに行くから、スラム街に向かうんじゃ……」


「ん……?」


 互いが互いを見つめ、世界が写真で切り取られたように固まる。


 妙な静寂。そのばつの悪さは半端ではない。その間、シュウは脳内で思索の海に飛び込みダイブした。


 推測だがグレイとクウェル、ミレナの三人は、そのリメアという人物に会いに行くために、シュウがスラム街に向かうものだと思っていたのだろう。

 それもそうだ。ミレナ達にとって、シュウの行動理念はリメアに会いに行く以外にないのだから。


 何故なら、


 ——そのリメアが亜人迫害問題。その解決のカギを握っているから……


 だからこそ、ミレナ達はシュウがスラム街に行くことを拒否しなかったし、追求することもしなかった。


「その、グレイさん。リメアって人は、何でスラム街に住んでいるのか訊いていいか?」


「んー、てっきり知ってるからこそ、お前がスラム街に行くものだと……」


 釈然としない顔つきで頭を掻くグレイは、数秒だけ考え込む。彼の中で分かり易くかみ砕き終わったのか「まぁ、いいか」と、頭から手を下ろして、


「リメア殿がスラム街で住んでいるのは、あれだ。貧者を見ていられないからだ……あの方は二十歳の若さにも関わらず、傑人員にまで上り詰め、私腹を貧しい者たちに分け与えている善人だ。それも人間、獣人、亜人。人種に隔たりなくな……文字通りの傑人だよ……」


 転瞬てんしゅん、シュウは達観した。

 人種に分け隔たりなく、貧者を救っている。それはまさしく、シュウが求めていたもの。必ず、亜人迫害問題を解決するための策を知っている存在だ。


「それと、クウェルや俺たちが問題視している亜人迫害問題の解決に、率先して取り掛かってくれている方でもある」


 グレイの真意を突いた言葉に、シュウは呆気にとられ「マジか……」と呟いた。


「そしてな、あの人は……エドリック・ブレンゼルク。その子孫だ」


「そ、そりゃどういうことだ? 家名はニュートラルじゃ……養子、か?」


 少しだけ考えが行き詰ったが、シュウは直ぐに切り替えを挟み、答えを導き出す。その言葉にグレイは「あぁ」と、相槌を打って返した。


「正確にはエドリックの娘が養子として、人間の血を引くニュートラル家に受け入れられ、その娘とニュートラル家の息子の間で生まれた子供の孫だがな」


「ややっこいな、玄孫やしゃごってことか」


 玄孫となれば血の濃さは16分の1だ。エドリックの血も薄く、獣人としての血も薄いのだろう。


 その複雑さにシュウは聳動と詠嘆の感情を抱いた。

 言い方は野卑ではあるが、エドリックは亜人迫害発端の張本人だ。その子孫が百年に渡って、亜人迫害の問題を解決しようと奔走している。


 数奇な話だ。


「世間一般には知られてねぇーが、あの方自身がそう語っているし、獣人特有の大きな犬歯もあるしな」


「そうか……複雑だな」


 シュウも迫害問題を解決させる気持ちは強くはあった。それでも、リメアという人物の哀憐な過去を聞かされた今——薄志であったと思えてしまう。

 忸怩じくじたる気持ちが湧いてくる。


 シュウにとっては異世界の知らない住人だ。私腹を誰かの為に削り、憎いはずの祖先の傷跡を無くそうとしている。その場所に踏み込もうとしている自分は、我欲にまみれたカスであることを、シュウは改めて理解した。


「怖気づいたか?」


 だが、結局は今更の話であった。慮りの欠片もないクズであることは、過去に痛いほど知らされたのだ。故に結果は、原点回帰に収まるほかない。


 なに、ここで引いたところで何になるというのだ。逃げたら楽にはなる。それは火を見るよりも明らか。だが、楽になるのはほんの少しだけ。

 その後は逃げる前よりも苦しくなって、そしてその苦しさを忘れようと偽り続ける。


 ——クソくらえだ。


「——いいや、寧ろ、そのリメアって人に会いたくなったよ」


「さっすが、そう言ってくれると思ったぜ、色男」


「うっせーよ。おっさん」


 自分のように逃げず、立ち向かっているリメアに会ってみたい。その覚悟の強さを見てみたい。それが今の答えだ。

 感情でも、理屈でも答えが同じなら、それに従おう。


 シュウは瞑目し、グレイの揶揄やゆを鼻で笑って跳ねのける。彼もシュウのその豪胆な態度を見て、小さく笑ってみせた。

 当然シュウにではなく、己の愚問をわらうようにだ。


「早速、出掛けるわ」


「あ、おい。朝飯はどうすんだ?」


 急ぎ足で部屋から飛び出すシュウを、グレイは朝食の有無を問うことで足を止めさせた。

 考えが浮かばなかった。リメアに会うことだけを考えていた所為で、朝食のことを忘れていたのだ。

 とはいっても、シュウの心情は今すぐにでもスラム街に向かいたいのが本音だ。


「生憎ゆっくり朝食をとってられる程、今の俺は待ってられねぇんだ。すまねぇが、飯は町の店で買い食いして済ませるわ」


「——そう言うと思って、実は包袋にパンと干し肉を入れておいた、昼食は金渡すから、それ使え」


「……アンタには俺の考えがスケスケだな。何から何まで助かるよ、グレイさん」


「気にすんな、扉の前に包袋と金の入った袋、置いておいたからな」


 今度こそ駆け足で部屋を出て、シュウは「助かる」と振り返りながら廊下を走る。それをグレイは暖かな表情で見守り「おう」と一度だけ返し、彼を送り出した。


 

 ※ ※ ※ ※ ※ 



「都から流れる大川に沿って、家が立ち並んでやがるな」


 グレイの家を飛び出し、シュウがいる場所は壁の外にあるスラム街だ。現在時刻は体感で陽刻の十時程度だろう。

 時間にして約二時間の移動。アルヒスト中央都は思った以上に広大で、移動時間に多くの時間を食われてしまったのだ。


 「さてと」と声を出し、シュウはミレナに描いてもらった地図を取り出す。

 地図の場所と景色を逐次符合させながら歩みを進めていった。


 底が抜けた小さい橋を渡り、ゴミ山を抜け、辿り着いたのは巨大な石碑跡——その近くに並ぶ三件の簡素な家だ。


「間違いないみたいだな」


 中心の家がリメアの家で左右の家は、差し詰め護衛の者の家だろう。治安の概念すらも存在しているかわからないスラム街だ。弱き者の味方といっても、対策はしているはずだ。

 

 それに、その根拠を後押しするかのように感じられる、敵愾心てきがいしん剝き出しの視線。

 場所は、左右の屋根に二人ずつ。左右の家の窓に一人ずつ。左右の家の影に一人ずつ。後方の障害物に二人。計十二人がシュウを囲っている。

 右の屋根から分かり易く頭をひょっこりと出し、こちらの動向を窺っている子供がリーダーだろう。


 ——というか、それで隠れてるつもりなのか。柑子色こうじいろの髪が丸見えだぞ……


 右の屋根上を睥睨し、両手をあげてシュウは殊更ことさらに戦意がないことを示唆する。

 泥濘を踏み均し、シュウは緊迫した空気の中、相手の応対を待ち続けた。そして、


「フラマ!」


 右側の屋根から、シュウに目掛けて火球が放たれた。

 フラマ——炎属性の魔法の一つ、下位に当たる魔法だ。

 シュウは火球から身体を逸らし、余裕を持って回避してみせる。それに対し、左側の家の窓から、


「ジエロ!」


 頭の大きさ程度の氷塊が、避けた態勢でいるシュウに向かって放たれた。

 ジエロ——水属性魔法の応用、氷属性の魔法だ。等級は下位である。

 シュウはその攻撃を、今度は避けることなく砕き割ることで防いだ。


「ッ! 構うな!! 気絶させてでも金を奪い取れ! 変質者に容赦はいらねぇ!! 痛めつけろ!!」


 配置に付いていた子供達は少年の合図を聞くと、雲霞の如くシュウに襲い掛かっていく。相対するシュウは、その稚拙ともいえる穴ぼこ戦闘隊形に警戒を緩めた。


 火球、氷塊、石つぶて、風の攻撃を颯然さつぜんと躱す。

 そのシュウを見て『好機!』と、少年は屋根から跳躍。刃物を持って飛び込んでいく。


「オラァ!? って! クソ!」


 ナイフが接触する寸前、シュウは攻撃を横に避けて、少年の腕をはたく。そのまま刃物を落とす少年の首根っこを掴み、拘束してみせた。


「手を止めてくれ、話がしたい」


「ッてぇな!! 離しやがれ!!」


 シュウは暴れる少年を押さえつけ、周囲の子供達に見せびらかしながら、停戦を要求した。


「話を聞いてくれるのなら、拘束を解いてもいいがな」


 子供といえど、事の重大さに気付いたようだ。事実、お互いがお互いの顔色を疑っている。

 ざわざわとする雰囲気の中、少年と同じ髪色の少女が前に出てきて、


「わかった、話を聞こう。ブーノを離してくれ」


「わかった……」


 シュウは少女の指示通り、少年を離そうとしたその時——力が緩むと同時、少年はシュウの腹部に向けて蹴りを入れて飛んだ。そのまま落ちたナイフを右手に持ち、


「おい馬鹿ブーノ!! そいつには勝てねぇぞ!」


「フーナは黙ってろ!」


 フーナと呼ばれる少女が飛び出して、少年の行動を窘める。が、ブーノと呼ばれる少年は、その言葉を意にも介さずに突貫。再びシュウに刺しにかかった。

 それを軽く躱したシュウは、少年——ブーノを転ばせようと足を掛ける。勢いのまま突っ込んだブーノに、避けられる訳もなく。体中を泥濘で泥だらけにしながら倒れ込んだ。


「畜生! なめんな!!」


 シュウはもう一度、刺そうとしてくるブーノを転ばす。負けじと彼も果敢に立ち向かい続ける。だが、シュウは執拗が過ぎると、ブーノが持ったナイフを掌でへし折ってみせた。


「なッ!? クソ!!」


 ようやっと力量の差を悟ったブーノは、怒りを露わに地面に拳を叩きつけた。

 感情の表し方まで、絵にかいたような少年である。


「あちゃーボロボロだよ……」


 ブーノの姿を見て、少女——フーナは憮然と呟いた。周りの子供達も、その無様さにため息を吐く始末。


「何か、外がうるせぇな……」


 シュウが子供達に囲まれる中、正面の家から一人。背丈の高い少年が出てくる。ブーノとフーナと同じ髪色をした少年だ。


「何やってんだ、おめぇら!」


 周囲の子供達は、背丈が高い少年の言葉に振り向くが、それも少しの間だけ。直ぐにシュウとブーノの方ヘ目を戻した。

 その態度に、背丈が高い少年も何事かと見やった。


「く、クソ……ぁ、はぁ、何で一発も当たらねぇんだ……」


「単調すぎるからだ。猪突猛進で、目線は俺の腹一直線。学習もないから、受け流しも簡単だ」


 そこでは、ブーノが蛮勇ともいえる戦いをシュウに挑んでいた。

 その奮戦に子供達は「一回も当たってないぞ」や「めっちゃ強いじゃん。あいつ」と、ヤジを飛ばす。その中、背丈の高い少年は割って入り「お前らやめろ!」と制止の声を出して、


「オラァ——ッ!? ってグーダ! 何で邪魔するんだよ!!」


「たりめぇだろうが、ボケ!」


「アイタッ!」


 ブーノからグーダと呼ばれる背丈の高い少年は、ブーノの首根っこを掴んで頭を叩いた。


「アンタ。何もんだ?」


「イエギク・シュウだ。リメア・ニュートラルさんに話があって、ここに来た。だが、子供達に急に襲われたんで抵抗した。ま、こんな感じだ」


 背丈の高い少年——グーダに目的と事の顛末を加えて答え、シュウは言外にリメアとの面談を頼み込んだ。

 その間、ブーノが「離せよ!」と言って暴れるが、グーダはいない者として無視。彼は思慮するように目を瞑って、


「分かった。来な」


「助かる……」 



※ ※ ※ ※ ※ ※



 グーダから「ここで待っててくれ」と言われたシュウは、屋内の内装を見て待機していた。雰囲気はスラム街に建ちながら、中流家庭と遜色ない内装だ。


 実際問題、弱者の仲間とはいえ、貧相が過ぎると傑人員の威厳が瓦解してしまうのだろう。

 やはり、そこは最低限の身嗜みということなのだろうか。驕らない美しさ、華やかさ。清貧というイメージが持てる。


 そうして待つこと数分が経ち、


「こっちだ。来てくれ……」


 そう言って戻ってきたグーダに案内され、シュウは廊下を進んでいく。そして、スラム街とは真逆ともいえる典麗な客室に入った。


 シュウの目に映ったのは、ソファに座る少し体格の良い少女だ。丁子色ちょうじいろの髪に茶色の双眸。服装は黒いズボンと白のカッターシャツと男っぽい服装だが、容姿は完全に女性のソレだ。

 少女はシュウに気付くと、ソファから立ち上がった。


「初めまして。俺の名前はイエギク・シュウです。リメア・ニュートラルさんに用があって、ここに来ました」


「こちらこそ、初めましてイエギク・シュウさん。このような辺鄙へんぴな場所まで、御足労感謝です。私はリメア・ニュートラルと申します。こちらの、子供達が手を出してしまったことは申し訳ございません。ですが、どうかご容赦ください。ここはスラム街。子供達が、私の身を案じて取った行動なのです。ご理解いただけると幸いです」


 リメアは恭しく頭を下げる。

 言葉の端々から感じられる知性に、シュウは直ぐ彼女がリメア・ニュートラルであると理解した。


「いえいえ、大丈夫です。それと、ご丁寧にどうも……失礼なこといいますが、傑人員の一人が、まさかここまで若い女性とは思いませんでした」


「あ……」


 唐突にグーダが惚けた声を上げ、シュウも釣られて疑問符を浮かべる。


「私は、私は男だァァァァ!!」


 視界の右端に影が動いたことに気づいた時、世界が反転していた。

 乙女仕草のビンタだ。気持ちがいいほどの甲高い音が鳴り、シュウはタンスにぶつかって倒れる。重ねて、崩れ落ちてくる木屑と木片を全身に浴びて撃沈した。

 そして、シュウは揺れる視界の中で気付く。自分がひっぱたかれ、思いっきり吹っ飛ばされたのだと。


「しまった!? あぁ……勢いでやってしまった」


「ぷぷぷ! すんげぇ勢いで飛んでいきやがったぜ、あの黒髪の兄ちゃん……リメアに女って言うのは禁句だからな。ニシシ!」


 口元に手を当て、自身の犯した行動を慚愧するリメア。その光景を扉の隙間から覗いていたフーナが、声を潜めて微笑する。


「い、テテ。スゲー馬鹿力……」


 激突した後頭部を撫でつけ、シュウはおもむろに立ち上がった。

 この力は、確かに女ではなく男の力だ。


「お、へぇー黒髪兄ちゃん結構タフじゃん。ニシシ!」


「生き、てる……」


「タフガイ、だぜ……」


 フーナは静かに笑い、馬鹿力のリメアは目をぱちぱちとさせ、グーダは呆然とした顔だ。

 三人とも、シュウが気を失わずにいたことに驚きを隠せないのだ。過去に誰かを気絶させてしまったのだろうか。

 シュウはリメアの容姿に対して、言及するのは厳禁だと留意した。これからは気を付けなければ。


 シュウは埃りを払って、


「性別を間違えたこと、申し訳ないっす」


「あの! 本当に申し訳ございません!!」


 頭を下げるシュウに、少女——訂正して美少年のリメアも慚愧したように頭を下げる。だが彼は、


「何分、まだ二十の年故、己の感情をおさ、え……?」


「だから、謝ります。申し訳ないですリメアさん」


 何度も下げていた頭を止め、顔色を変えてシュウを見つめた。


 それもそのはず。殴って吹き飛ばしてしまえば、傑人の名折れだ。相手が憤慨してしまえば最悪の場合、障害沙汰になってしまう。

 だが、それでも淡然としていたシュウに、リメアは呆気に取られてしまったのだ。流石の傑人でも、これには素っ頓狂な顔にもなってしまう。


「あの、怪我とかは……」


「無いです。リメアさん。話、聞いてもらってもいいっすか?」


「は、はひ!」


 どこか掴みどころのないシュウに、グーダが「すげぇ、肝が据わってるぜ」と、感嘆を口にする。

 とはいっても、シュウ自身の中には確固たる目標があるだけだ。ただ、その目標に向かって奮励しているだけなのだ。


 シュウはリメアの「どうぞ、こちらへ」という手の動きに促されるまま、奥の席へと座った。


「グーダ、席を外してもらえますか?」


「あ、でも万が一……いや、分かった」


 拒否しようとしたグーダだが、リメアの怜悧な顔を見た途端、彼は顔色を変えて部屋を出て行った。

 もしかすれば、という可能性を危惧していたのだろう。子供達はシュウを変質者と呼称していたのだ。用心棒として、待機していたいのが心情だったはずだ。


「子供達に用心棒をさせているんすね」


「はい。どのような場所でも、そこに住んでいる住民同士には、仲間意識が存在します。そして、その者と仲間になる為には、彼らと同じ世界に立たなければいけません。だから、用心棒、護衛は近衛騎士ではなく、子供達に任せているのです」


「だから、こうやって一緒に暮らしている訳っすか……」


「とはいっても、緊急事態の時は近衛騎士の方が駆けつけてくれますがね……」


 微笑しながら、リメアは現実の話をする。

 確かに、用心棒というには余りにも稚拙が過ぎた。近衛騎士という存在を護衛にしない理由は分からないが、何か事情があるのだろう。

 シュウはそう結論付けた。


「それで、話というのは?」


「そうっすね。単刀直入に訊きますが、亜人迫害の問題……その解決策を聞かしてもらえないですかね?」


 繕いや偽りといった着飾る術を持っていないシュウは、開口一番に振ってみせた。

 その直情的な質問にリメアは愕然と瞳を見開いたが、彼は直ぐにその驚きを箕帚きそう。すぐさま脳内で反芻するように、瞑目した。


「因みにですが、私が迫害問題に関わっていることは誰から?」


「俺の知り合いです。名前はクウェル・フェイド」


「ふぅ、彼でしたか……私はてっきり情報が漏洩してしまったのではないかと……それよりも、クウェル君の知り合いの方でしたか。もう一度、深いお詫びと謝罪を……」


 胸に手を当てて安堵を示すと、リメアは机に額が接触する勢いで頭を下げる。シュウはその彼に「いいですよ」と、世辞を世辞でとんぼ返りさせた。


「その、解決策について、言いづらいのですが……率直に言えば、お金さえあれば可能なんです」


 率直過ぎる言葉にシュウが「お金……?」と訊き直すと、リメアは「ええ」と頷き、


「現実問題として、金銭不足が一番の壁になっています。お金さえあれば、学校に行けなかった人々を集め、教育施設を作り、教育を施すことが出来ます。教育を施すことが出来れば、それに伴って亜人の方が世間で活躍できる確率が上がります。活躍できる確率が上がれば、亜人の方々の功績が認められるようになります。認められれば、亜人に対する意識が変わります。そうやって、亜人に対する劣等を少しずつ塗り替えていければ、迫害の問題は確実に解消できるでしょう。当然、直ぐに成果は出ません。ですが、未来を見据えれば確実に解決できるでしょう。出来るはずです……」


 無謀すぎると、自分自身に言い聞かせるような吐露だった。

 なるほど、理にかなった考え方である。でも、それは机上の空論だった。例え現実を見据え、策を練ることが出来ても、行動に移せなければ理想を語っただけになる。


 完璧な理屈をもってしても、行動に移せないでいるのだ。即ち、行きあたる壁が——お金の問題がそれほどまでに強大ということだ。


「へ、どうせなら、魔女様はアタシたちに切手をくれたらよかったのにな。リメア……」


「フーナ! 盗み聞きとは感心しませんね」


 背中で扉を開け、格好つけながら入室してきたのは、先ほど子供の集団の中に居たフーナだ。


 シュウは彼女の出現に驚きはしたが、それよりも耳に残った『魔女様の切手』という言葉が気になった。

 フーナの口振りでは、その魔女の切手という代物が、金銭に何か関係があるような言い方だ。


「そう、かてぇこと言うなよ。アタシは盗み聞きすんなって言われてねぇし、それに退室命令も入室禁止もされてねぇぞ」


「またそんな屁理屈を、とにかく今はここから——」


「その魔女様ってのは、何なのか訊いていいか?」


 気が気で仕方なかったシュウはリメアの言葉を遮り、フーナに話しかけた。

 思わぬ投げかけに、彼女は判然としない顔つきになる。


「は? 何言ってんだよ黒髪の兄ちゃん。魔女様って言ったら決まってんだろ! 魔獣を生み出した挙句、飼いならして、世界を危険に晒した災厄! その象徴の一人に決まってるだろ!」


「魔女様ってのはわかった。なら、切手ってのは何なんだ?」


「は…………?」


 食いつくシュウに追い打ちを掛けられたフーナは、辟易するように頭を掻きむしる。


「あぁ、田舎者にも程があるぞ黒髪の兄ちゃん!! ええっと、魔女様が死んだ後、数百年に一度だけ罪滅ぼしの為に魔女様の魂が蘇んだよ。それで、その魔女様の魂と出会った奴は未来の啓示と、魔女の切手が与えられるんだ。未来の啓示は百発百中! 魔女様の言葉通り動けば、絶対にその通りに事が動くんだぜ! そんで、その魔女の切手ってのがすげぇー高値で売れんだ! 噂によっちゃ領地一つ、くらい? 買収できるらしいぜ!」


 てらうような仕草で魔女の切手について語るフーナに、シュウは一つの疑念を抱いた。それは贋作による詐欺だ。


 貨幣を複製する贋金と同じで、大金が動く代物となれば贋作を作ろうと思う者が出てくるはずだ。切手となれば紙製と推測できるし、紙ならば量産可能だ。

 それを魔女の切手だと嘯き、相手に格安で売りつける。そういった手法で金儲けをする者など、腐るほどいるだろうに。


「切手詐欺とかはねぇのかよ」


「無理に決まってんじゃん。本当に田舎者だな黒髪の兄ちゃん。切手はな、魔女様の魔力によって編まれた代物だぜ? それをいくら真似ようったって、本人じゃねぇからぼろが出んだよ。騙せるなら、黒髪の兄ちゃんみたいな田舎者くらいだな……まぁ、金持ってない田舎者に詐欺吹っ掛ける馬鹿なんざいねぇけど! ニシシ!」


 管見なシュウを、フーナは大きな犬歯を見せながら嘲笑した。

 これまた新発見。魔力で物を作れることもそうだが、魔力で作られた物が緻密で繊細であること。贋作だと見抜ける慧眼な技術力に脱帽だ。


 元の世界では高級品の贋作など、数えるのが億劫になるほど存在していた。だがこの異世界では、それが許されないとは。

 さぞかし、経済被害は激減していることだろう。


 シュウが元の世界と異世界を鑑みていると、リメアはとみに席から立ち上がる。それから、彼は本棚に仕舞ってあった一冊の本を取り出し、


「曰く、魔女は小さな少女である」


 教養の欠けるシュウを諭すように指を一本立てて、ページをめくるとそう言った。


「曰く、魔女はエルフである」


 次は二本目の指を立て、リメアは手に持った本をシュウに見せるために突き出した。


 ——エルフ……


 特別、エルフに関して知識は深いわけではないが、グレイから虐殺されたとは聞いている。そのエルフ族の生き残りであるミレナ。グレイ曰く、当時は幼くて記憶に薄いとミレナは言ったらしい。


 その魔女がエルフというのなら、邂逅できれば虐殺事件について、何か聞けるのかもしれない。

 とはいっても、少女の話を信じるなら数百年後になってしまう訳だが。

 

「曰く、魔女は慈悲深く、全ての生物に平等である」


 最後に三本目の指を立て、リメアは持っていた本をシュウに渡した。


 ヒラ文字しか読めないシュウにとっては、半分以上の文字が理解不能だ。

 そうとなれば、ミレナから貰ったメモの使い時である。


 シュウはズボンのポケットからくしゃくしゃになったメモ用紙を取り出し、逐次メモの文字と本の文字を符合させていく。


「魔女が全ての生物に平等なのは、人間や獣人。亜人などの人類だけではなく、動物や昆虫、魔獣などにも平等だと言われている……へぇ、大したこった……」


 他にも、魔女が死去したのは『千年以上も前』や『神位の魔法が使えたと思われる』などの憶測が書かれている。その中で確定している史実は、飼いならしていた魔獣が暴走し、人々を苦しめたことだけだった。


 真面目にメモと本を見て読み進めるシュウの姿に、それを傍観していたフーナとリメアは互いに顔を合わせて苦笑いする。

 シュウの田舎者具合に心底、諦観したようだ。


「黒髪の兄ちゃん、その年になってメモがなきゃ文字が読めねぇとか、今までどうやって生きて来たんだ?」


「フーナも一年前まで読めなかったでしょうが……」


「でも、今は読めるぜ!」


「はぁ……論点はそこではないです」


 何故か喜びを湛えるフーナに、首を左右に振って落胆の意を示すリメア。

 その二人に怪しまれないように、適切な言い訳を思索したシュウは、


「遠い小さな島で、細々と生きて来た。文字が読めねぇのは、その弊害さ」


「文字が読めないのに、アルヒストに入国できたのは不思議ですね」


「そこはまぁ、色々と複雑でして」


 二人の疑問に対し、シュウは仄めかす塩梅で返す。『異世界から来ました』と、正直に答えたところで、事を複雑にさせてしまうだけだろう。

 何より、シュウには元の世界に戻る為の確固たる意志が存在している。目的を果たし、帰還したのなら二度と会うこともない。そうなれば、シュウのことは記憶の片隅にすら残らないだろう。


 ——存在自体が、創造主によって消されてしまうかもしれないが。


 ともかく、仄めかす塩梅でいいのだ。


「んでだ……つい最近、その魔女様が現れたらしいんだ。ええっとぉ、確かいつだっけリメア?」


「魔女様が現れたのは二日前です。場所はリーカル領跡地……スナッチという浮浪者が昨日、魔女様から啓示を受けたと言って、ギアスファイエット商業組合長のギノア・ギアスファイエットさんと共に中央都へ来訪したそうです」


 自分で話題を作っておいて、フーナは最終的にリメアへと託す。リメアはその雑さに喟然とため息を吐きながら、そう話し始めた。


「本来、中央都は許可が無ければ入都できませんから。彼が入都できたのはギノア・ギアスファイエットさんの癒着でしょう。商人の情報網は、匂いを嗅ぎ分け獲物を狩る狼のように、繊細で正確です。勉学だけで成り上がった私には、雨夜の月ですね……よりにもよって、貿易業に携わり、通関士のルキウスさんの息子でもある、あの人の元に行くとは、本当に羨ましい限りです……」


 言葉を紡いでいくリメア。特に最後のため息を混じらせた部分は、やるせない感情が湛えていた。

 シュウに正確な数値など言えるはずもないが、商業組合長であり貿易業にも携わっているかつ、通関士の息子でもあるなら富貴な家庭であろう。

 リメアがぼやく気持ちも多少は理解できる。


「全くよぉ、金持ちが更に金持ちになっても仕方ねぇじゃんな。黒髪の兄ちゃんもそう思うだろ?」


 世の中の不条理さに、フーナは憤懣やるかたないと嘆きながら、シュウに是非を問う。

 彼女に対しシュウは、


「現実なんて、みんなそういうもんだろ。聴こえがよくなっただけで、強者が弱者を搾取する弱肉強食な現実は変わらねぇよ」


 冷徹に、思う事をぶつけた。


 要は、肉の部分が金に差し変わっただけだ。その世界に順応できないものから、淘汰とうたされていく。根本は変わっていない。


「だろ? 綺麗事ばっかのお偉いさんには反吐が出るぜ。上の奴らはほんと、舌先三寸なだけで、アタシたち貧民や孤児のことなんざ、全然考えちゃいねぇ。何が国のためぇ~何が貧しい民衆のためぇ~だ。実際、やってんのリメアだけじゃん。協力したり、何か施してくれてもいいじゃんか!」


 後半のほとんどが悪態だったが、彼女の考えも一国民の考えだ。

 だからこそなのだろうか。強者でありながらも弱者の立場に立ち、触れあい、知り合い、彼らから多くの指示を受けるリメア。

 それが、最も慕われる方法だと理解できる。ただ、それでもリメア以外の者が行動に出ていないのが現実だ。

 

 理想論に過ぎないというのだろうか。否。恐らく、そこにすらも到達していないだろう。

 リメアも権力者といえど、結局は一人の人間の価値観に過ぎない。私腹を肥やすことしか頭にない狭量な者などには協力、ましてや施しなど、遠すぎて霞むような話だ。


「だが、国民の大勢がその上の奴らを支持してるのも事実だろ。そして、支持されてる奴が支持してる奴を導く……そうして知名度が上がって、市場が拡大化される。その繰り返しだろ」


「むっつかしいこと言うな兄ちゃん……まぁでもいいよなぁ。アタシも金持ちになって、楽な生活を送りたいぜ」


「危険の少ない用心棒は、私からすればかなりの好待遇だと思いますがね」


 楽観的過ぎるフーナにリメアが、彼女の置かれている現状を突き付ける。フーナはうざったいと言いたげに、唇を尖らせて、


「は! これだから、舌しか回らねぇお上の方は……」


 ぷんぷんとそっぽを向いた。その揶揄にリメアは「へぇ~」と、卑しく目を細め、


「フーナ。言っておきますが、私は別にあなたを切ることだってできるんですよぉ?」


「グギ!」


「そうなったら、貴方はどうやって生きていくんですかぁ? また前みたいにゴミを漁る生活に、戻るんですかぁ?」


「グギギ!! 卑怯だぁぁ!!」


 リメアが顔を怖くして、両手の指をくねくねと動かしながら、フーナに言葉の暴力を振るう。弄られるフーナはというと、顔を引きつらせながら黙り込んだ。


 堅気かと思っていたが、どうやらリメアは歳相応の精神も持ち合わせているらしい。


「ま、グーダとブーノが居るのにフーナだけ解雇するのは、あり得ませんがね……」


 本音を漏らし、リメアは「ということで」と前置きを置いて、話の軸を元に戻す。


「イエギクさん。貴方が亜人迫害問題の解決に協力しようとしてくださっていること、感謝します。ですが、根本的な金銭不足が問題なので、現状は何も出来ないと、言わざるを得ませんね」


「そうか、わかりました……じゃあ、こっからは俺の我儘です」


 深呼吸をし、翻意ほんいしてみせるシュウにリメアは疑問符を浮かべた。


 シュウは知った。小さい体ながらに、貧者を護ろうとするリメアの堅実さを。覚悟と信念が頑健なのを。

 

 ならば、引き下がる必要はない。


「リメアさん。アンタが何故迫害の問題を解決しようとしてるのか、聞かせてくれませんか?」


 ——都合、打って出た。 

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