第9話 迫害の真実
「先ずは訂正を、国が別れたのは二つではなく、三つです。アルヒストは、人間、獣人、亜人の三つの人種で構成されています。元々は国側と反国側の二つだったのですが、とある事件によって三つに別れることになったんです」
「その事件が、さっき言った亜人の王族暗殺と関わってくるのか」
「そうです。邪知暴虐な王族を暗殺したのが、亜人で猛虎と呼ばれていた男、エドリック・ブレンゼルクです」
仮に国の象徴たる王族を暗殺したとしても、反国側からすれば自分たちを苦しめる邪知暴虐な暴君であったことに変わりない。
賛否両論、
即ち、その英断をも塗り替えるような事件があったとしか考えられない。
「反国側で非難する者もいたようですが、それでも賞賛する者の方が遥かに上回っていたそうです。ですが、ある事件をきっかけに、その賞賛が非難に転変します」
シュウのその考えを読んでいたかのように、クウェルは言葉を紡いだ。
彼の顔に浮かぶ怒りの気配は、亜人の男に対してか、亜人を迫害する他種族にたいしてか。
その事件を、まだ知らないシュウには判りかねる。
「噂が始まりでした。エドリックに姫を攫われ、脅迫された王は仕方なく横暴を働いたと。根も葉もない噂。流言飛語。国側に付いていた者の罵詈雑言。そう思われていたんです。ですが、火のない所に煙は立たない。というのも、実際に王が横暴を働いたのは、姫様が失踪してかららしくて……」
クウェルの『失踪』という言葉に室内が重く、暗鬱な方へと変遷するのが分かった。
「その事実が赤裸々となり、疑問に思った人々は彼の家を、彼の仲間の家を、彼の仕事先を、調べて回ったそうなんです」
「そのどこかで、姫が見つかったのか?」
クウェルの話の流れから、姫が拉致監禁されているのではないかと推測。
王への脅迫材料となる姫——人質を生かして、脅迫する。或いは、人質は既に死んでいるが、生きていると嘯いて脅迫するか。
恐らくこの二択だろう。
拉致側の目的が果たされれば、人質は不要になる。
生殺与奪の権は向こうにあり、人質を取るような悪辣な存在が生かす選択肢を選ぶだろうか。否、その考えは身勝手な願望といえるであろう。
第三者であり、当事者でないシュウだからこそ割り切れた考え方ではあるが。
「そうなんですが、正確にはどこかではなく、全ての現場で、です。エドリックの家に頭部。仲間の家に胴体。エドリック達の仕事先に足が発見されました……」
シュウはクウェルの言葉に息を呑んだ。
二択の内、真実だったのは考えていた通りの後者。それも、凄惨さに拍車をかける惨殺だ。
「終始、彼らは罪を否認していましたが、苦し紛れの言い訳と切り伏せられ、彼らは大罪人として収監されました」
中途、説明口調のクウェルの言に熱が帯び始めていく。その熱さを悟らせたくなかったのか、彼は車窓越しに草原を見つめた。
クウェルの瞳に映る景色——夕日によって小麦色に彩られた草木は、車内の雰囲気とは違う意味での黄昏だ。情景と雰囲気——二つの要素が加味され、感情が一層に減衰していくのが分かった。
「当時の彼の言、国史に書いてあったのが……『私達は濡れ衣を着せられている。信じてくれ、私達は何もやっていない。騙されたんだ。私達ではない偽物がやったに違いない。このままでは、この国は終わってしまう』……これが収監前の彼の言でした」
クウェルの激情が、義憤が、記憶を克明に呼び覚ますように、はっきりと車内を蚕食していく。横に居るミレナの長耳がぴくりと反応し、彼女の瞳に憂いが浮かんでいるのをシュウは見た。
エルフである彼女は薄っすらとではあるが、生物の感情や心の声が読み取れるらしい。
眠気を訴えていたミレナとは思えないソワソワした仕草、憂いた瞳。それらから、シュウはクウェルが激情を抱いていることが、勘違いではないのだと実感した。
「その後、逆上したエドリック達は処刑される前に脱獄。狂人となった彼らは反国側、国側構わず人々を虐殺。大罪人として、ベルナークが彼らを斬罪しました……」
「それが偏見として、亜人迫害に繋がっている……」
「それもありますが、彼を擁護したことが一番大きいと俺は思っています。悪人を
クウェルは草原から車内に視線を戻し、前かがみになった。
「亜人の人々は、ただエドリックが同種だからという理由で彼を擁護したわけではないです。エドリックは過去に、奴隷解放運動の一躍を担った経歴があります。中央都に住む人々の中にも、彼の手によって救われた人は多いです。特に亜人の方々は……」
憤懣を抑えているような握り拳。クウェルのその
彼が胸中で腹をくくったのだと。
「俺は思うんです。エドリックは、彼は……本当に嵌められたのではないかと。だって、おかしいじゃないですか!」
今まで理性と威厳を持った論理的な口調とは反対の荒々しい口調。それは、抑えきれない感情の発露ともいえた。彼の瞳の奥にある激情を見れば、その思いの強さも、その重篤さも理解できてしまう。
感情的になってしまうのが、当たり前なのだと納得がいくほどに。
「弱い人々を、善意で助けるような人が、子供を拉致して脅迫だなんて! 惨殺だって、濡れ衣を着せられた可能性だってあります! 彼の過去を知っておいて! なのに彼の抗弁に耳を傾けようとしないなんて! おかしい! ひどすぎる! 俺は彼を騙した奴が、見限った奴らがどうしようもなく許せない!!」
力む握りこぶしを、クウェルは自身の太ももに打ち付けた。
クウェルの言葉は、もうどうすることもできない事実に、ただ嘆くだけの
仮に、最後の言葉だけを聞いていたなら、シュウは感情論だと切り伏せていただろう。でも、シュウが現実としてそうしないのは、クウェルの事を知ったせいだ。
理性的な彼だからこそ、理性の殻を脱ぎ捨てる意味合いが重く、強く押し寄せる。
「すみません。少し感情的になりすぎました。俺も、まだまだ子供ですね」
目を伏せ、頭を下げるクウェル。
彼は自身の感情論に呵責を覚えない訳ではないのだ。理性的な彼だからこそ、自身への呵責は大きいのだろう。
「いや、お前の思いは決して子供だからではない。俺も、お前と同じように怒りを覚えている。問題は謂われもない不評を鵜呑みにして、亜人の迫害をしている国や民衆側にある」
「兄さま……」
クウェルの肩に手を置き、宥めの言葉を掛けるグレイ。その言葉に、クウェルは薄弱とした瞳で彼を見据えた。
その時、シュウはグレイがモワティ村に駐在している真の理由が何となくだが理解できた。
グレイもクウェルと同じように、百年前の歴史を知り、仕込まれたかもしれない亜人迫害の
ならば尚更、村の為にも、グレイやクウェルの為にも、亜人迫害の世の中を塗り替えなければならない。
「でも、どうすりゃ……」
ただ『変えたい』だけでは理想論を掲げるだけの馬鹿だ。その理想論を信憑性のある現実論に昇華させるためには、起きている事象以上の出来事——功績で上書きするしかない。
そして、そのヒントが、
『スラム街に訪れるといい……そこに打開策があるよ』
「もしかしたら、俺の知りたいこと全部の答えがスラム街にあるのか……」
有るとも言え、無いとも言える。曖昧で希薄な希望。
創造主の言葉。根拠も理屈も何もない考え方だ。それでも、微かな光明を辿って歩むことしか、今のシュウにはできない。
それに亜人迫害の問題解決も、村の救済の一歩として必要なことでもある。危険な亜人を匿っているエルフ。そう勘ぐってミレナを襲うことも、可能性としてあり得るのだ。
「パーティーが終わった後は、時間はあるよな?」
「うん、あるわよ。今日と明日、一泊二日だから、明日なら時間が空くと思うわよ。で、空いた時間にどうするつもり?」
全く目敏いお嬢様だ。
エルフとしての性質ではなく、他者を慈しむことができるからこその才気だ。エルフだけの性質で、相手の気持ちを察したのなら彼女の温かみは説明できない。
「——隠し切れないか……スラム街に行きたい。場所は何処か知らないけど、行かなきゃならないんだ」
「そう、わかったわ……シュウに考えがあるのは、さっきの思案顔を見れば分かるし、きっと村の皆や、私たちを思っての行動なんでしょ」
「皆を思ってか……」
思い上がってはいけない。己の行動理念は村を助けることではない。
身勝手な『恩師の意思を継ぎたい』それが全てなのだから。それ以外は付随しただけの出来事であり、浅ましい承認欲求を満たすだけの下劣な行為に過ぎない。
そのことを、さも聖人かのように捉え、正義の味方などと豪語し、そんな自分自身に酔うことなど、気色の悪い冗談だ。
自分を一番知っているのは自分自身。だから、
「違う、俺は——」
「違わない! そんな嫌そうな顔しながら言われても説得力なんてないわ。さて! スラム街の位置は壁の外側にあるから、中央都に入ってから教えるわね。取り敢えず、今は……昨日できなかった、文字の読みか……書くのは時間的にきつそうだから、読めるように特訓よ!」
シュウのネガティブ発言を未然に防ぎ、ミレナは険悪な空気を一刀両断してみせる。それも、精彩な空気を呼び覚ます程の豪快さを持っての切り込みだ。
下がり切ったのなら上がるしかないと、ミレナはそう言いたげに、長耳を上下に震わせる。後ろのに置いてある荷物から一冊の羊皮紙と本を取り出し、羊皮紙を自分に、本をグレイとクウェルの二人に渡した。
そうして、彼女は陰鬱な空気を払拭しようと率先してムードメーカーを買って出た。
小さく舌をペロッと出し、ミレナはシュウの方を見ると、
「わかった? シュウ」
「はい、わかりました」
「うん! 他の二人も、辛気臭い顔してないで、シュウの勉強を手伝って!」
「「は、はい!!」」
ミレナの可否にシュウは変哲の無い返事。グレイとクウェルは畏まったように敬礼した。
険悪な空気は嫌だ。皆で笑っていた方が楽しいし、嫌なことがあればそれよりも強い気持ちで振り払えばいい。悲しいことがあれば、周りの皆で慰めてあげて、その後はまた楽しく語り、笑い合えばいい。
「嫌を嫌で、最悪を最悪のままで終わらせちゃいけないのよ?」
「…………?」
「どうしたの?」
「あ、いや……何でもない。勉強頼んだ」
「おけ!」
——夢の中で聞いた言葉に似ていた。
文字読みお勉強会が始まってから、二時間の時間が経過した。
「はい、これは……」
ミレナが手に持った羊皮紙。そこに書かれている文字を、シュウは見て、
「ス、だな……」
「せいかーい! よくできました!! 一通りは読めるようになったわね」
手をパンっと鳴らし、ミレナはシュウの文字の読み練習に一区切りを入れた。
それに
「では」とクウェルの声と、ドアの開閉音を片耳で聞く。
日がもう少しで沈む薄暗い時間帯。こちら側の時間表記であれば、陰刻の0時三十分だ。元の世界では午後6時半といったところ。
シュウ達が乗る馬車の前には開かれた巨大な門と、それを囲う石造りの壁が見える。
田舎者が『でけぇ』と都会の高層ビルを見上げるのと同様、シュウも馬車内から壁を見上げ「おぉ」と感嘆符をあげた。
高さだけではない。その三十メートル近くはある高さに見劣りしない、地平線の先まで伸びる幕壁と側防塔。そして壁の厚さ。都内に入る為に空けられた穴は、先の景色が見えないトンネルを彷彿とさせる。
元の世界の人類では到達しうることは出来ないであろう、その建設技術の高さには
ただ一つ、気になった点としては狭間が存在していないことだ。城壁をよじ登ろうとする敵兵を、撃ち落とす狭間は無くてはならないはずなのだが。
やはり、魔法という概念が存在しているために必要ないのだろうか。そこは、現地人ではないシュウには判りかねる要因があった。
「光の玉……」
前方、光の玉を掌の上で漂わせた男が、クレイシアとアンポンタン三人組が乗る馬車に近寄った。
入都審査の番が回って来たのだ。当然ではあるが、入都審査官であるクウェルは既に馬車を降りて同伴している。
その様子を馬車の車窓から見ていたシュウは、門番であろう白と青の服を着た男達の休憩所に目を移した。
「ガハハハ!!」「デハハハ!!」「クハハハ!!」「フゥーハハハ!!」
壁の中身をくり抜いたように設置されている休憩所から、他の門番の壮健な話し声が聞こえてくる。
「何か、悪徳商人みたいな笑い方の奴がいるわね」
「それは、俺も思った」
そうしてミレナと中身の無い会話をしていると、グレイが「お、前が動き始めたな」と前を見て呟く。その言葉に釣られ、シュウとミレナは前方を目視。クウェルと御者がこちらに向かって走って来るのが見えた。
「シュウ、やることは忘れてないな」
「名前の記入と身体検査だろ? グレイさん」
グレイは、気を取られ忘れてはいないかとシュウに問う。それに対し、シュウは右手を力なく振って応答。
「そうだ。滞在期間、目的、荷物とかの情報はクウェルが申告してくれてるから大丈夫だ」
基本のヒラ文字を習得することが出来たシュウに敵はいない。いないと信じたい。『あれ、読みだけで書くのはできないんでしょ?』『読めるって言っても、ヒラ文字だけでしょ?』とは言わないでほしい。これでも頑張った方である。
アル文字とスウ文字にも挑戦はしたのだが思った以上に難しいのだ。ただアル文字スウ文字の区別がつくようになっただけでもマシといえた。
「シュウは即席だけど、これ……見て名前の記入をしてね」
「メモか?」
「うん、念のためにメモがあった方がいいかなって」
ミレナから一枚の羊皮紙を受け取り、シュウは書かれている内容を確認。
アル文字とスウ文字がヒラ文字で読みやすくされている。聡明な頭脳があれば、と思いが堆積していく。
「すまん、重宝するよ」
馬車の左側のドアを開け、「お待たせしました」と言って足掛けに足を乗せくるクウェル。際したグレイは右奥に席を詰め、その彼の行動にクウェルは「兄さますいません」と、言って席に着いた。
馬車が前に動き出す。
「俺とイオンさんは審査済ませておいたので、後は兄さま達だけです」
「サンキューなクウェル!」
手取り足取りして手続きしてもらったクウェルに、グレイは彼の肩に手を置いて感謝を伝える。シュウとミレナも「助かる」「ありがとう」と言って感謝を述べた。
シュウ達の乗る馬車は審査官の横まで移動。右側のドアが三度叩かれる音が鳴ると、グレイが扉を開けた。
「どうも、ええっと、クウェル様の確認は先ほど終わったので、残りの方は……グレイ・フェイド様にミレナ様。そして、イエギク・シュウ様で、よろしいですね?」
「問題ないわ」
審査官の男は光の玉で書類を確認。可否にミレナが応対すると、男は「では、ここに署名を」と一枚の紙を前に。グレイが受け取る。
「その後は馬車から一度降りてもらって、もう一人の審査官が持ち物検査をするので、両手を肩から水平になるように横へ広げて下さい。その他の事項の記入はクウェル様から既に伺っていますので、必要ありません」
審査官の男が言葉通り、両手が肩から水平になるように実践する中、グレイとミレナは署名を終え、最後にシュウが。メモを見ながら自身の名前を書き連ね、署名完了だ。
署名した順番で馬車を降り、審査官の男から言われた通りに両手を広げる。もう一人——女性の審査官から簡単な身体チェックを済ませ、問題なしと了承を得た。
「通ってよろしいです。ようこそ、アルヒスト中央都へ」
三人は馬車に戻ると、ガクッと馬車が蠢動。厚さ約十メートルの壁の中を通過していく。
後方を見ると、もう一つ後ろに控えていた馬車が審査官たちから審査を受けていた。その後ろに一つ、二つ目の馬車が最後列である。
「割と少ないんだな……」
「本来なら、入都審査にはもっと待ち時間が必要なんだけど……」
「霧のせいか……」
「だと思う、半年前は行列だったもん。他人事じゃないって、実感したわ」
森に発生した危殆な霧。そこを通過できないだけで、馬車の数が目に見えて少なくなるとなれば、運搬に遅延が生じるのは然りだろう。
「まぁ、それは神将様が何とかしてくれるんだろ? 考えたって不安になるだけだ」
「そう、よね……うん! パーティー前から気落ちしてちゃ! 楽しめるものも楽しめないしね!!」
不安気味のミレナだが、シュウの言を受け止めて催し物を楽しむことを宣言。その双眸を喜色に煌めかせた。
そうだ。今起きている深刻な問題は神将と敬重される存在が解決してくれる。
またモワティ村に集中したいシュウにとって、他はなるべく外したい項目だ。ここは任せるに限る。
「二人とも、見えて来たぞ……」
グレイの言葉を聞き、シュウとミレナは窓を開けて街並みを覗いた。
すらっと吹き抜ける風が二人の髪を靡かせる。そして、見えてくるのは、
「…………」
「いつ見ても綺麗だわ」
光り輝く街並みだった。
爛然と光る街灯。がやがやざわざわと騒がしい店に、喧々囂々——所狭しと聴こえてくる声音。賑やかで綺麗な街だ。
走り回る子供達に、店で食料を見たり買ったりする大人達。食店に入店するに人々。悪戯っ子を窘める白と青の服を着た青年。
全身が体毛で覆われているのは獣人なのだろう。人間と相対数は変わらない感じだ。亜人はやはり見かけない。
街の中心に
「見とれるのはいいが、俺たちの行き先はもっと奥にある王城だ。こことは違って、静かで綺麗な場所だぞ……」
窓から顔を戻したシュウにグレイは情趣を語る。
静謐なテラスから、薄く暗い庭園や明るく賑やかな城下街を見渡すことが出来るのかもしれない。あわよくば、その場所で読書の一つでもしてみたいものだ。
そんな妄想がシュウの胸中を去来する。が、
「ん、まてよ……俺が来た目的って護衛だよな」
一度上がったテンションが何かによって下げられる最悪なシチュエーション。この世界に来てから二度目のデジャヴだ。
「ま、言っておくが、お前はパーティーに参加できない……参加するのはミレナ様と、専属のクレイシアだけだ。因みに、そのパーティー中俺たちは張り込みで護衛だぞ」
「だよなぁ……」
見事、グレイの意地の悪い手法で、シュウのバカンスは軽挙妄動だと頓挫させられるのであった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ほ、本当に大丈夫なんでしょうね!?」
「あぁ、アンタは俺の指示に従っていればいいだけだ。そしたら、命だけは助けてやる」
白と青の司教服を着た老人に、赤髪の男が冷笑を浮かべながらそう言った。
立場は火を見るよりも明らかであるはずなのに、その場を牛耳っているのは赤髪の男だ。
故にこそ、異常な状況だ。
「ぐ、具体的になにをすれば!?」
「言っただろうが、忘れたのか?」
「へ? あ、ぁぁ……いや、本当に、あ、えぁ、そそ、そのののぉ……」
豪華な装飾を施した馬車。赤茶色を基本とした塗装に金メッキの枠。その馬車と同色の馬は、赤兎馬と似つかわしい風貌だ。扉の中心に施してある紋様は、アルヒストの国紋——水魔法の創造神であり、アルヒストを代表する神の形を模した紋様だ。
老人の服にも、同じ国紋が刺繍されてある。
その国紋の刻まれた馬車は入都時の審査を飛ばし、本人確認だけで入都することが出来る。
門に馬車が近づくと、審査官の男は御者に停車を促した。御者は手綱を使って馬を停止させ、男に向かって会釈。
「あ!! 忘れたって言うのか!?」
ドンっと馬車を蹴る振動に司教杖が倒れる。怒声は外にまで響き渡り、怪訝に思った審査官の男が、ドアを三度叩いた。
室内にいた老人は音に「ひ!?」と慄然な声を上げ、赤髪を男の顔を窺う。男は顎だけを動かして指示を送る。老人は唾を飲み込み、窓を開け、
「な、なんだ?」
「いえ、あぁ! カルト氏でございましたか。車内が随分とお騒がしいご様子だったので、つい……」
「き、気にするな。それよりも、通してくれ」
「承知いたしました。長旅、お疲れ様です」
男は司教服の老人に敬礼。馬車が進み始める。
司教服の老人はというと、傑人員との関りが深い王側近の聖職者だ。またアルヒストの民を教え導く、教会の大司教としての一面もある。要は国では高位の存在だ。神が史実として残っているこの世界に於いて、大司教の存在は極めて地位が高い。
王から癒着がないわけではないが、地位の高い存在の司教になるためにも、それ相応の努力と実力が必要なのは間違いない。その司教より高位な大司教となれば、それこそ辿り着けなかった者は数知れない。
大司教は空いた窓を閉めると、赤髪の男の機嫌を窺うように何度も頭を下げた。
「ち……言っただろうが、俺の指示に従うだけでいいってな。前回は神将と騎士団の出立を明日にすること。今回は俺を中央都に入れること。そして最後は……」
「さ、最後は……?」
「それはぁ、ひひひひ! 俺をお前の命の恩人として、王城下内に招き入れることだ。それで解放してやる」
「ほ、本当でしょうね!?」
赤髪の男は座席に背中を預け、背もたれに両手を大きく広げて乗せる。足を組んだ姿は上層者が下層者を見下し、嘲弄する姿に似つかわしい佇まいだ。
いや、事実として赤髪の男は大司教を見下している。
それも、即刻切り伏せられてもおかしくない程の見下しに徹した慢侮だ。なら何故、赤髪の男が切り伏せられないのか。それは、至極単純な理由だった。
——赤髪の男が強者であるから、ただそれだけだ。
赤髪の男は大司教の近衛騎士を壊滅させたのだ。それも、たった一人で。
大司教はそれをずっと眺め続けていた。逃げたくても言うことを利かない身体は、畏怖によって機能が停止。記憶に焼き付く阿鼻叫喚たる惨劇は、彼の考え全てを覆すほどだった。
この男に逆らってはいけない。逆らっては殺される。そう考えさせられる程に、赤髪の男は人智を越えた存在であったのだ。
「あぁ、約束するぜ。神に誓ってな」
「そういえば、カルト氏の近衛騎士は何処に……」
ふと、審査官の男がそう呟いた。彼は、その近衛騎士が壊滅していることを知らない。
——悪魔が中央都内に侵入した。
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