第8話 中継地点

 取り敢えず、騎士として違和感がないように謹厳実直きんげんじっちょくであれ。というのがグレイがシュウに掛けた最初の言葉だった。


 騎士には『忠誠』『勇気』『武勇』『礼節』『寛容』『慈愛』『奉仕』『公正』などが徳とされているとのこと。

 昨日今日まで騎士の何たるかを知らなかったシュウにとって、それら全てを完璧に熟すのは無理がある。故にこそ、謹厳実直であれということだ。


 元来、騎士として名乗る為には、国で年に一度だけ開かれる騎士叙勲きしじょくんに参加しなければならない。

 そこで国王の娘である姫様から叙勲の儀式を受け、命と誓いの言葉を捧げる。そうした流れで、正式な騎士になれるらしい。

 

「それを、権利者の癒着でスキップだなんて、我ながら、ゆとり過ぎるな」


「まぁ、いいじゃないか。元々、お前の職は騎士団の仕事を手伝うって仕事だからな。形がない、よくわからない奴を都内に入れるとなると、入都の手続きも面倒だし、妥当といったほうがいい」


 そもそも論として、面倒の塊の自分を何故中央都に連れて行くのか問い質したい気持ちはある。信頼しているなら、村に残す選択肢もあった筈だ。

 とはいえ、スラム街に向かう目的があるシュウにとって、その疑問は目的の頓挫に繋がる為に断念。


 シュウは配分での運が良かったのだと、そう思うことで落としどころを作った。


「騎士叙勲っていつ頃に開催されるんだ?」


「お、もしかしてシュウさんは叙勲に興味ありですか? あ、因みに叙勲式は秋、二か月後の収穫祭が終わった後に行われます」


「収穫祭。秋。ってことはここらへん四季あるのか。雪は?」


「雪も降るわよ。中央都の南の方はぼちぼち降って、ちょっと足元に積もるくらいかな。モワティ村は南の方だから、冬は割と大雪よ」


 何気ない叙勲への質問にクウェルが返答。シュウの意思を通り越して、彼は詳細まで講釈してくれた。

 続いて、四季があることを知ったシュウは雪が降るかどうかの可否を問う。その質問には、ミレナが『イエス』と答える。またもや、知識の蓄積だ。


「冬を超える為の収穫祭ってところか」


「まぁな。中央都は山に囲まれている所為で、雨が少ない。人口が多いことも相まって、冬越えは毎年厳しいんだ……富裕層だけならまだしも、大多数の一般層にまで回すと備蓄が冬を超える前に尽きちまうからな……そうならない為にも、収穫祭とテレボウから輸入で冬を越えるのさ……」


 腕を組みながら説明するグレイに、シュウは「ふーん」と力の抜けた相槌を打つ。


 降水量が比較的に少ない盆地なのだろう。加えて人口が集中しているとなると、確かに冬越えは厳しそうだ。


「百年以上も前の、まだ貿易が盛んじゃない時代は、食料の奪い合いが当たり前だったんです……それで死人が出るのも不思議ではなかったようです」


「その時代、一部の貴族の間で闇賭博が流行っていたらしい……飢餓で飢え死ぬ民の横じゃあ、金や食い物に溺れる貴族たちが闊歩してたそうだ。ま、今の時代はそういうのは厳罰化されてるから大丈夫だがな……」


 クウェルが膝の上に握り拳を置いて、義憤を抱くように言及。続いてグレイがマメ知識を披露する。

 食料不足による食べ物の奪い合い。奪い取って空腹を満たしたとしても、根本的な問題解決にはなっていない。断続的な空腹に苛まれ、その都度に奪い合う。悪循環極まれりだ。

 それに対し現在は、かなり社会的になっているのだとシュウは思った。


「それで、収穫祭の後に騎士叙勲を行うのは、収穫祭後の国民達の活気を、新たなる騎士たちの激励として浴びせるためだ。二次派生で、華々しい騎士たちを見た国民達が更に活気づくってのもある。そうやって長い冬を越え、春を迎えるために意気軒昂いきけんこうを促す。そういった魂胆さ」


 人の心理を活用した二大行事。そして印象操作。

 考案した者はさぞかし聡明な人物なのだろう。理にかなった考え方だ。


「あ、あの! 促すと言えば、実は騎士叙勲にもそういった要素がありまして!」


 クウェルが切り出す時機は今しかないと、天井に頭を打つ勢いで腰を上げた。

 どうやら、相当騎士叙勲の話をしたかったらしい。彼の快然とした双眸は、子供が周囲の者に自慢話をするソレと似ている。


「座って話せよ。危ねぇし行儀悪いぞ、クウェル……」


「あぁ、申し訳ないです兄上……」


 グレイに背中を叩かれ、窘められたクウェルは軽く会釈。腰を落とし、


「では……騎士叙勲を受ける順番には決まりがありまして……それは最初と中間、最後の叙勲を受ける候補生は、その年で最も優秀とされる三人から選ばれる、というものです。当然ですが、同じ騎士でも優劣が生まれます。その優劣を民衆になるべく悟られないように、優秀な者が最初、中間、最後を務めるってことですね。叙勲の流れが成績の昇順、降順になると優劣がはっきりとしてしまう。そうなると領地に配属される騎士の優劣が数字として分かりやすく出てきてしまって、民衆から反感をくらってしまうんです……要は反感の抑止ってことですね」


 長々と論説したクウェルは自身の博識さに胸を張ってみせた。


 クウェルの快は置いておくとして、考案した者は賢人なのだろう。

 印象操作を駆使し、起きるであろう事態を未然に防ぐ。これまた、理にかなっている考え方だ。

 元の世界でも異世界でも、発展した国にはその発展に見合った賢人がいるということだ。


「馬鹿な俺には、賢人の考えることが偉大過ぎて、話について行けねぇな」


「それ、私も同感だわ……普段こういう仏頂面で考え事してそう。『それは合理的ではないぞ、きみぃ~』みたいに」


 シュウの意見に賛同のミレナは仏頂面を自身の顔で演技。声を低くしながら、誰ともわからない人物のモノマネを披露した。

 盛装し、普段より鷹揚おうようとしているミレナとのミスマッチが絶妙に面白い。


 微笑したシュウは「てか」と前置きを置き、


「中央都に着くまで時間あるだろ。昼飯はどうするんだ? まさか無し、或いは不格好で中の具が奇想天外のおにぎりとか……」


 おにぎりに砂糖が合わないのと同じで、具に甘い木の実が入ってあった時は、仰天して木の実を吹き出してしまったものだ。

 さかのぼれば昨日の朝。


『ぶぅぅ!!』


『うわっ!? 汚な!!』


『確かに、じゃなくて何で具に甘い木の実が!?』


『え!? もしかして木の実嫌いだった?』


『いや、多分というか確実におにぎりの中に入ってたからだと思う』


 というのが過去にあったミレナの奇想天外おにぎりのシーンだ。


 その後、おにぎりから木の実を取り出して、分けて食べたのは苦い思い出である。

 そのまたその後、彼女のへっぽこさに飽き飽きとしているクレイシアと頭を抱えるミレナのやり取りは見物であった。

 村一番の年長者は喜劇にも長けているらしい。


「ちょっと、今馬鹿にしたでしょシュウ。私を怒らせると怖いわよ」


「自称する時点で、何故か怖くない気がしてきた……」


 ガオーとライオンのポーズを取るミレナ。


 当たり前だが、ミレナの怒るというのは比喩表現なわけで、実際に憤慨ふんがいすることはない。だから、彼女が怒ったところで身内同士の痴話喧嘩に帰結するわけだ。


「流石の俺も、おにぎりの中身が奇想天外なのは……」


「ちょっと!? グレイまで!!」


 長耳がピーンと逆立ち、「むぅ……」と唸っているミレナに、クウェルが両手を前に出して「まぁまぁ」と牽制。それから、彼は右手の指を立てて、


「昼食に関ては、もうすぐ着く中継地点のジェスパー領で問題解決です。事前に俺から店に注文しておきました。中央都の英名店にも負けず劣らずの、美味しい料理がすぐに食べられますよ」



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「そんな、ば・か・な!?」


 開口一番、唖然と口を開いたのは、自信満々に大口を叩いてみせたクウェルだった。


 テーブルの上に置かれた料理は穀物スープに白いパン。サラダにミルクと申し訳程度の干し肉。昼食には役不足の料理だ。

 自分どころか、他人を巻き込んでの失態。果たして、その失態を侵してしまったクウェルの信頼は瓦解がかいの一途を辿ったのであった。

 

 実際はそのような幕引きにはならなかったのだが、失態を侵した張本人のクウェルは両手で頭を抱え、「嘘だ」と嘆いている。


 現在、シュウ達がいる場所はジェスパー領で一番とされる食店だ。


 テーブルの中心には花の造形が置かれ、白いシートが敷かれている。床は茶色のマットが敷かれてあり、部屋の端には大きめの花瓶が。趣のあるレストランといっても差し支えない。

 気取りすぎない雅さを肌で感じられる内装だ。

 

 入り口の手前にシュウとグレイ。その横に騎士団のアンポン。一つ奥にクウェルとタン。その横に御者のニッケルとイオン。一番奥にミレナとクレイシアだ。

 十人が二人ペアで座って、店内の五分の一程度が埋まる広さ。凡そ、国からの王族や貴族用の枠だろうとシュウは達観。


 領地自体はそこまで広くはなく、現実世界で言う町程度の広さだ。


 豪族や野盗が攻めてきた時の拠点として用いられるため、当然といえば当然なのだが。そのこともあって形式は町なのだが、どちらかというと城壁に囲まれている駐屯地の印象が強い。

 

「ま、そう落ち込むなクウェル。特別、お前を責める者はここにはいない」


「兄さま、それはフォローのようでフォローになってないです。事の重きは、このような失態を今後大きな催しの時に、それもその催しの重大なところで失態を侵してしまう。その可能性です」


 頭を抱え、テーブルに肘を付けて落ち込んでいるクウェル。

 彼の苦慮にはフォローにかかったグレイすらも、声を切らして言葉選びを放棄するほどだ。どうやら、彼の仕事は日々艱難辛苦かんなんしんくであるらしい。


「申し訳ございませんクウェル殿」


「あの、謝罪よりも、用意できなかった理由をお聞きしたいのですが」


 クウェルに深々と頭を下げるのはシェフの服装からも溢れ出す好色漢——店の店主と、紫のスーツに金髪で立派な顎髭を蓄えている男——町の領主である伯爵のウィリアム・ジェスパーだ。

 

「誠に、申し上げにくいのですが、三日前に届く予定であった香辛料が未だに届いておらず、今日に至った次第で……」


「せっかく仕入れた名物のシカ肉も、香辛料が無ければ味も付けられないし、干し肉にしなきゃ長持ちもしない。これじゃ形無しですよ」


 ウィリアムの言に追随ついずいするように、シェフは首と脱力させた手を無造作に振った。

 時代背景のこと、グレイやミレナから聞いた村を襲う野盗のことから類推するに、香辛料を運ぶ荷馬車が襲われたのだろうとシュウは思った。


 法の届かない森や街道を通る行商人を狙い、物を奪い殺す。そうやって生計を立てる存在がいるのは、周知の事実であろう。


「事情は把握しました。全く厄介ですね、野盗は……」


 シュウの考えを裏付けるように、クウェルは内なる激情を押し殺しながら独り言ちた。

 

 盗賊や海賊、闇の組織など人身災害が多く見受けられる国は、得てして衰退していく。国の為にも中継となる領地や拠点、駐屯地などが必要になるのだ。そして、それらを守る騎士団の存在もだ。

 しかし、その全てを防ぐことが出来ないのも事実。要するに、敵たる存在が一枚上手だったということ。


「それが実は、今回の件は野盗ではないらしんです」


「ん? それはどういう? 人身ではない、という事ですか?」


 ——青天の霹靂へきれきだ。


 人身ではないことに、会話をしていたクウェル、同じ結論に至っていたシュウが顔色を変える。シュウが知らないだけで、異世界にだけある魔物や厄災があるのだろうか。


「えぇ、もうご存知だと思いますが、ソグ―ムドが封印されているジッゲルの森に霧が発生したのはご存知ですよね?」


「はい、知っています」


「噂の方もご存知で?」


「はい、そのことも……」


 会話の中心から離れているシュウは、新しい情報に懊悩おうのう

 理解が追い付かなくなり、同じテーブルに座るグレイに助け舟を出す。シュウの救いを求めるような視線に彼は納得顔で、


「ソグームドってのは大昔、一万年以上も前……まだ神の神核の効力が強く根付いていた時代に、実際存在した大犯罪者だ。史実によれば、『数々の悪行を重ねたソグームドと、その一派は神の怒りを買い、容姿を醜悪な悪魔に返られ、人としての尊厳を剥奪された……しかし、醜い悪魔となっても彼らは悪行を止めることはなかった。そして、彼らは神だけでなく、人々からも怒りを買い、処刑され、深い深い森の中で、その魂と肉体を封印された』ってのがアルヒストでの共通認識になってる。子供たち用の童話にも載ってるな」


 言い切り、コップの水を飲むグレイ。


 歴史的に残る大偉業。それとは逆ベクトルの大犯罪。その在り方は諸説紛々としているが、後世に傷跡として語り継がれる程には猖獗しょうけつを極めていたのだろう。


 それも一万年以上前だ。


 この世界でも、元の世界でも人々の記憶に印象強く残る事には変わりない。何故なら、人という根本的な性質は変わらないからだ。


「待てよ、封印されるってのも、その大犯罪者を封印する森ってのも、今聞いた限りじゃ」


「あぁ、それ含め事実だ。だから史実って言っただろ? 今は衰退してるが、神代は封印が当たり前の時代だったからな。死んだ後、汚れた魂を縛り、逃がさないために封印する。そうしないと、妄執による死後に強まった怨念が、人々を苦しめる羽目になるんだ」


 変わらない。変わらないはずなのだが、やはり神なる者が史実として存在していたからだろうか。

 魔法や封印などといった、本来なら空想上として唾棄だきされる概念すらも、現実として存在している。


 元の世界では魔法は言うまでもなく、善人悪人関係なく人は死に、死後の封印など必要はない。墳墓や墓石などは存在するが、それは決して封印などとは無関係な『弔い』である。


 この世界でそうならないのは恐らく、そういった因果が付随ふずいしているからであろう。


「神代に封印されたソグームド。その祠があるジッゲルの森に霧が発生したのが、十日ほど前。んで、噂ってのが、その森に入って霧に飲み込まれたら二度と帰ってこれないってのが中央都周辺で跋扈ばっこしてる」


 ソグームドなる存在の封印が弱まってきている。

 シュウは胸中で、そう勘ぐりを付けた。説明できる程の根拠はないが、そう考えるのは様々な本をシュウが読んでいたからに違いない。

 目線一転、会話は元のクウェルに戻り、


「それが、三日前に中央都からフェアラードに向かおうと、国を飛び出した商人がいたらしく、どうやらその商人、中継としてギルウェンスで宿を予約していたらしいのです。それが今日になっても、その商人は村に訪れていないらしくて……」


「それは確かに不自然ですね。森は街道が敷かれているので馬車を走らせれば、一日も経たずに抜けられますし、旅の疲れから考えると、ギルウェンスに訪れないというのは考え難い……」


「はい、それから昨日、その商人の仕事仲間を名乗る者が後を追い、森に入っていったようで、その後、連絡が途絶えたと……傑人員の方々は、民が霧の中に入らぬように厳戒態勢を取らせる、とのことです」


 段々と他人事では済まない、惨憺になっていく会話の内容。

 霧自体に危険な成分が含まれているのか。霧の中に危険な存在が潜んでいるのか。どちらにせよ、霧に近づくことが危険であることに変わりはない。

 ふと、シュウの胸中に一つの疑問がわき上がる。


 それは商人の連絡が途絶えた、というものだ。


 実際に連絡手段として使われているのは、ミレナに送られていた手紙のことから吟味ぎんみするに物理的な輸送か、異世界特有の転移魔法だけだろう。

 少なからず、シュウが過ごしている中で電化製品はなく、そも創造主が念を押して『電化製品はない』と言っていた。


 音を電気に変えて流す電話、などという便利な代物はない。


 だのに、たった一日程度で連絡が途絶えると判断するのは早すぎるのではないか。


 転移魔法がどれほどの精度かシュウは知らないが、もう少しの間手紙を待ってもよい気がしてしまう。仲間を救出するのに手間がかかり、連絡を返せない状況にいる可能性もある訳だ。

 だから、シュウにはその判断が早とちりにしか思えないのだ。


「ちょっと、気になることがあるんだが」


「なんだ……?」


 シュウはクウェルたちの方を見据えながら、グレイにもう一度質問。彼はテーブルに置かれてあるお代わり用のお冷から水をコップに注ぎ、ちびりと飲んで呟いた。


「いや、連絡が途絶えたってのをどうやって判断したのかと思ってな」


「それは、アレだ。魔刻石を使った、声と声を交わす連絡手段があるらしくてな……ここ二、三か月ぐらい前から、中央都で研究が進められてる魔声石なんて呼ばれてるやつだ。原理は転移魔法を用いているらしい。それも、声だけだと魔力消費も少ないから、情報伝達の革命だとかなんとか……まぁ、作るにはそれなり技術と時間が必要なのと、会話する者同士の距離が長いと、音声がまばらになっちまうって欠点付きだがな」


 元の世界でいう電話に近しい。もっとも、グレイの話を聞く限りは欠陥も欠陥で、お世辞にも電話とはいえない。いや、ここでは魔話と呼称するべきか。


「国王と傑人員の方々は、これを厄災の一つだと推定し、神将であるローレン・アメニアを明日、モワティ村に滞在する騎士を除いた中央都騎士団の精鋭を派遣部隊として、ライラットを兵站拠点にし、件のジッゲルの森に送り出すと……先日、中央都から私に知らせがありました。このことをクウェル様やグレイ様にも伝えておけとも……」


「ライラットをですか。確かにあそこなら、森にも近く、中央都からも遠くない。わかりました。社交界とカナリー様のお誕生日パーティーは予定通り、神将が騎士団の精鋭とジッゲルの森に明日赴く……」


「ひとまずは、そういうことで」


 そう言ってクウェルは領主のウィリアムに会話は不要だと示唆する。それから、「ふぅー」と一息吐き、


「では、話はこれくらいにして、冷めてしまっては勿体ないですし、昼食をいただきましょうか」


「さんせーい!」


 クウェルの催促にミレナが椅子から腰を上げ、天井に手を翳す。そんなミレナを横で見ていたクレイシアは、ウィリアムの苦笑を見て憮然と嘆息した。

 ミレナが天真爛漫なキャラで通っていること、容姿が少女そのものであることが、せめてもの救いだろう。


 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 昼食を終えた一行は今朝のように、ジェスパー領の領民から手を振られて見送られ、馬車の中だ。シュウの横にミレナ。その二人に対面するようにグレイとクウェルが座っている。


 唯一違った点としては、霧に対する恐怖心と緊張感が馬車内を去来していることだ。

 そして、それらの感情が馬車内全員の舌を鈍らせるには十分であった。静寂の中に響く振動音は黄昏を思わせる。


 カーテンに手を当て、車窓から外を眺めれば、見渡す限りの草原と遠くに見える高い山。ぽつりと立つ木々に小さな白い雲。

 ちらりと車内に視線を帰せば、グレイは安心感のある微笑を向け、クウェルはうやうやしく頭を下げる。ミレナは昼食の後が原因か、壁に身体を預け、眠たそうに目じりを擦っていた。


 正直に言えば、シュウはこういった雰囲気は嫌いではない。普段なら、静かな部屋で読書をして時間をつぶすことがシュウのセオリーだ。だが、今のシュウは静寂を蔑ろにしてまで、知っておきたいことがあった。


 それは、


「ちょっと、訊きたいことがあるんだが……アルヒストってのはどういう国なんだ?」


 アルヒストの歴史や現在の世情。政治に経済など、それらすべてを網羅した概要だ。

 理由は、これから中央都に向かう身としての戒めでもあるが、それ以上に昨日の創造主の言葉が気になっていたからである。『スラム街』が存在する。即ち、身分や富の差が、貴賤きせんが分かりやすく分断されているということ。


 貴賤が大きければ、治安も自然と悪くなる。モワティ村の住民の中に、苛斂かれんによって居場所を追われた者もいると聞いた。

 この二つを符合させた今、関係が無いと考える方がよっぽどおかしいだろう。そんな事を見抜けない程、馬鹿ではない。


 それに村を守ることが目的であるシュウにとって、見逃せない内容だ。


「と、言いますと?」


 シュウの質問に答えたのは、現メンバーで一番造詣が深そうなクウェルだ。彼自身に、その自覚があるのは上機嫌な顔を見れば分かった。


「あ、何つーか、成り立ちだとか。他国間とのやり取りだとか。王国なのか、帝国なのか、連邦国なのか……あとなんで、亜人が迫害されているのかも、できるなら知りたいな」


 クウェルの上機嫌だった顔が一瞬だけ固まる。しかし彼は、咄嗟な笑みでそれを覆い隠し「そうですね」と一言挟んだ。


「アルヒストは記述上、他国と比べて歴史は浅いです。アルヒストが再建したのが、約百年前……内乱が内戦にまで発展し、二つの勢力に別れていたのが、それから更に十年前です。それを収め、一つの国へとまとめ上げたのが現国王の祖父。アルヒストから独立していた公国の公爵ベルナーク・ルベルダです」


 クウェルは右手の指を二本立て、密着していた指を一本ずつに分ける。それから、左手の指を一本立て、右手に接触。そのまま混ぜるように両手を合わせ、一つの塊へと変えた。


「彼が内戦を収めた理由は、内戦による武力低下、それによる他国家からの侵略を恐れたからです……事実、内戦中や内戦が収まった直後は、小国や豪族が中央都を攻め落とそうと、侵略してきましたからね」


 合わせた両手を崩して、淡々と言葉を紡いでいくクウェル。


 歴史の知識は齧った程度のシュウだ。そのシュウでさえ、知識の多寡たかなど関係なく理解できる内戦の二次災害。

 内戦の発端は様々だが、その多くが他国によって荒らされ、凄惨な結末を迎えている。

 その真実を悟り、被害を最小限に抑えたベルナークという男は優秀なのだろう。


「元々、彼がアルヒストから独立したのは、国が絶対君主の基に成り立っていたからです。必然、民衆から反感を買い、国は二つに別れ、内戦中に王族は亜人によって暗殺。反乱を収め、侵略を防いだ彼は賞賛され王になりました。亜人が迫害されるのは、亜人が王族を暗殺したためです。成り立ちと、亜人が迫害される理由を要約すればこんな感じですね」


 自身の簡潔した起承転結に心なしか、クウェルの眉毛がつり上がっている。誇らしげな表情だ。


 そうなると王国というよりは封建制の連邦国と言うべきなのだろうか。『中央政府』創造主の言っていたことが眉唾ではなくなってきた。


 創造主の心象は底が深すぎるために、理解できない部分が多い。

 真偽が分かっただけでも、彼彼女の言の真実に拘泥こうでいする必要がなくなったわけだ。プラスと捉えるべきだろう。


 ジェスパー領で聞いたソグームドなる存在が、モワティ村を襲う敵の可能性もある。

 兎にも角にも、中央都のスラム街にて確固たる証拠が見つかるはずだ。そう思いたい。


 ——すべてに目を通せ、だが驕るな。


「…………?」


 未知の敵へと一歩近づけたことでよかったよかった、と思考を止めようとしたシュウ。だがここで、彼は一つの引っ掛かりを覚えた。


 それは、


「亜人が迫害される理由が、ちょっと引っ掛かるな……」


 絶対君主の王が民衆から怒りを買って、内戦に発展。国が二つに分かれる。亜人が王族を暗殺。反乱を収めたのが公国。その公国は絶対君主が基になっている王国を忌避したから独立した。亜人が王族を暗殺したから迫害されている。


 やはり亜人が迫害される理由が引っ掛かる。


「そう簡単に民衆達の判断がコロッと変わるもんなのか。反国側と公国側ともに、絶対君主を忌避してたんだろ?」


 クウェルの簡潔な説明に、シュウは下がりかけていた溜飲を元に戻す。肩透かしを食らった気分のシュウは、クウェルに注釈を促した。


「いやはや……敵いませんね。試してしまったことに深いお詫びを……兄さまやミレナ様にも、深いお詫びを……何癖、入都審査官の身。職業柄人を疑ってしまうんです。申し訳ありません」


 クウェルは対角線上に座るシュウ。次に横に居たグレイ。最後に対面しているミレナの順番で頭を下げる。

 そして、彼はあぐむことなく疑っていたことを暴露。自身の非を認めた。


「いいや、別にいいさ。筋を通したアンタを責めるのは、間違ってるってもんだ」


 例え、敬愛している兄がシュウのことを信じているとはいえ、彼は入都審査官だ。思考停止をせずに、自身の役割を遂行した結果である。

 仮に相手が悪漢だったとしても、彼は自身の責務を全うしたであろう。


 それほどまでに、クウェルの表情には強い意志が見られた。


「許してもらえたようで、幸いです」


 覚悟の上での試し。一つ筋を通した男が謝り、頭を下げたのだ。それに対して癇癪かんしゃくを起し、責めることなどできるはずもない。


「俺はお前が、シュウを信用してくれただけで充分だよ……」


「クウェルは謝ったんだし、シュウもいいって言ってるし、そもそも私、眠くて半分聞いてなかったし……私からは何もないわ」


 クウェルに対し、馬車内にいる各々が意思表明。「ふふ」とミレナが小さく笑うと、それにつられてグレイが「ハハハ」と声高に笑う。シュウは小さく吐息し、クウェルの方を見た。彼は三人の反応を滋味するように瞑目。頬を綻ばせ、


「そういってもらえると助かります。それと、シュウ殿、これからは俺の事を、どうかクウェルと呼んで下さい」


 真っすぐな目でシュウを見た。


 その言葉は入都審査官としての殻を、男としての殻を脱ぎ去った、純粋な希求の言葉だった。クウェルの姿は、年の近い初対面の相手に話しかける少年のように、僅少きんしょうの羞恥とそれを覆いかぶす好意があった。


 貴方との親交を深めたい。

 それ以外の解釈が、この場にいる者にできるだろうか。いや、できるはずがない。


 ばつが悪いのを苦笑で誤魔化しているクウェル。シュウは「わかった」と一言返し、クウェルの希求を受け取った。


「ありがとうございます。では、なぜ亜人が迫害されているのか、遺漏いろうなく話させていただきます」


 クウェルは泡沫の素を元の殻の中に押し込め、怜悧な表情でそう言った。

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