第7話 昏倒はもう勘弁

 目を覚ますと、そこは見知らぬ天井だった。いや、正確には見栄えの変わらない天井の為、見た目はほぼ同じなのだが。


「もう朝か……」


 周囲を見回し、シュウはグレイの家ではないことを確認した。目線は自身の手元へと遷移せんいし、覆いかぶさっている掛け布団を退かす。肩を軽くもみ、身体を弛緩。支障がないかあらためる。


 こうして気を失うのは何度目だろうか。


 感覚としては、ここ数日間は昏倒こんとうのオンパレードだった。

 まぁ聴こえは温柔おんじゅうではないが、身体的には全くもって異常はないため、何の問題もない。


 それよりも吟味すべきは、創造主から開示されたヒントの内容と、そこから導き出される因果関係や相関関係であろう。


『条件が今、満たされた。中央政府に向かった時、近くにあるスラム街に訪れるといい……そこに打開策があるよ……さぁ、可能性の一つ、その結末を見給え』


 まず一つ目の条件というのは、皆目見当がつかない。こちらの世界で何かをしたことがトリガーなのだろうが、条件など聞かされていない。


 先決なのは——、


「中央政府に向かった時、スラム街に訪れるといい。そこに打開策がある」


 中央政府は十中八九アルヒストの中枢ちゅうすうであろう。

 村を守るという名目で、自分は異世界に送られたのだ。その打開策を中央政府のスラム街で知ることができる、と考えるのが普通だ。


「嫌がらせ、も、多分ないな……」


 創造主は己に制限を掛け、盤上遊戯のように楽しむ狂人だ。嫌がらせをしたいがために悦に浸るというのは、少し奴の理念とズレている気がする。


「可能性の一つ、その結末」

 

 次に、自身と思わしき青年と、薄緑色の髪の少女——ミレナ似の少女との惨憺さんたんな悪夢。そして、誰か分からない少女の凄惨な記憶。

 

「記憶? だとしたら誰の……」


 生前での昏倒——創造主からの呼びかけは少なからず、千差万別ではあるが自分自身に関することだけであった。

 だが、今回は違った。前後ともに、端から端まで要領が得られない——いや、そうだと結論を出すのは早計だ。


 可能性。もしかすると前者の悪夢は——、


「まさか、未来に起こり得る惨劇!?」


 シュウは額に手を当てて、恟然きょうぜんとぼやいた。


 もしそうだとしたら、背筋に寒気が走るほどのことだ。創造主の言った『可能性の一つ、その結末を見給え』という言葉のニュアンスとも合っている。


「なら、何でそんなことを……」


 未来に起こり得る惨劇だから気を付けろ。創造主にそう言われて信じ切れるほど、単純ではない自負はある。

 単純な嫌がらせをする奴でもなければ、単純な厚意だけで教えてくれる奴だとも思えない。


「嫌がらせ、厚意以外の理由が、創造主にある……つっても机上の空論だな」


 シュウはため息交じりにぼやいた。


 情報が少なすぎる。結論を出すには尚早で、考えれば考える程、沼に呑み込まれていく現状。このままではらちが明かない。

 知りて知らずとするは上なり。煩雑滅却。


 村を救ってからでも考えられることなのだ。無駄なものに時間を割いて、足元をすくわれるのは愚行だ。

 今は考え過ぎず、心の片隅に置いておくのがベストだろう。

 

 後者の少女の凄惨な記憶。これに関しても同じだ。

 よって今すべきことは、思索の海から浮上して、ミレナに無事を告げることであろう。


「さてと……」


 思索に耽っていたシュウなどふつに知らず、世界は勝手に回っている。

 寝室に聴こえてくる炊事の音を耳にすると、焦燥しょうそうする心が癒されていって心地が良い。

 心配を掛けて悪かったと、ミレナに早く伝えよう。


 「よし」と自身を鼓舞こぶ。自責の念に駆られるシュウは、ベットの下に置かれた靴を履いて部屋を後に。


——賑やかなこった……


 どたどたと、走る足がリビングに近づくにつれて大きくなっていく。

 その音が、心を温めてくれる。


「今日は王のご令孫れいそんである、カナリー様の誕生パーティーの日。そして明日は、半年に一度、ドミニク王や傑人員の方々との社交界の日でございます。お召し物は、ちゃんとお選びになってくださいね」


「わかってるわよ! あぁ、そうだ! シュウをそろそろ起こさないといけないから、起こしてくるね!!」


「あ、ミレナ様お待ちを! またそんな薄着で!!」


 廊下の壁越しに聴こえてくる少し焦った声と快活かいかつな声。クレイシアとミレナだ。特にミレナの声は廊下からリビングに繋がるドアに近い。

 シュウは丁度リビングからミレナが出てくると思い、ドアノブに掛けようとした手を離した。


 案の定、


「むきゅん! てっ、シュウ!? 起きてたのね!!」


 次の瞬間、ミレナが勢いよくドアを開いてきた。ミレナは目の前に件の相手がいると気付かず、シュウの胸に顔をぶつける。

 それから、ミレナは目をくらませながらも、シュウが目を覚ましたことに驚喜きょうきを露わにした。


「大丈夫? 身体に支障は? 昨日、急に倒れたのすっごく心配したんだからね!」


 少し怒りながら心配してくれているミレナを見て、シュウは悪夢の話をするのはやめておこうと考えた。

 可能性の一つなら、吐露して彼女を不安にさせるのではなく、村を救うことに奔走するのが一番良い。よいに決まっている。


「……シュウ?」


「あ、いや……大丈夫だ。心配かけてごめん」


 返事がなくてどうしたのかと疑問符を浮かべるミレナに、シュウは思考を中断して答えた。


「朝から忙しいようだが、今日は何かあるのか?」


「昨日、話すつもりだったんだけど、今日は中央都に訪問する日なのよ。でも私、昨日のことですっかり忘れててさ、朝から着ていくドレスを選ぶ破目になっちゃったの」


「そうか……心配かけちまったことといい、悪い」


「いいわよ……別に」


 頭の後ろを掻き、シュウは慚愧ざんきの念で胸中がいっぱいになる。それに対し、腰に両手を添え、ミレナは上半身を前かがみ。シュウの目を見て、顔を横に少しだけ傾け、


「シュウに悪気があった訳じゃないでしょ?」


 優しく微笑む。


「故意に気絶するほど、道化じゃねーよ」


 シュウは笑い返して、冗談交じりにそう返す。


「そうでしょー。なら、シュウが悔やむことなんて何もないわ。でも、体調が悪いなら、今度はちゃんと言ってね?」


 ミレナは突き出した指を、シュウの腹にツンッと当てて言う。彼女にシュウは「分かった」と頷き、反省を示した。

 ミレナは「うん」と頷き、身体をくるっと180度回転。シュウの手を掴み、リビングの中へと引っ張る。


 すると、食欲をそそるようなチーズと香辛料の匂いが鼻孔に入って来た。

 芳香ほうこうだ。腹が減った——、


「あ……」


 と考えるや否や。早速、腹の虫がぎゅるると空腹を主張してきた。

 その音に長耳をピクリと反応させたミレナが、


「昨日、何も食べてないからお腹減ったんでしょ?」


 ニンマリとした顔で振り返ってきた。

 シュウは「かなり空いてますね」と、苦笑い。


「ふふ! なら丁度良かった! 朝ごはん出来てるから、今日は私の家で食べていきなさい!」


 昨日の握り飯弁当とは打って変わって、本日の朝食はしっかりとした食事がとれるようだ。因みに、握り飯弁当はミレナの手作りだそうだ。

 果たして、それは手作り弁当というのか論争は勃発せずに済んだ。


「ミ! レ! ナ! さぁぁぁまぁぁぁぁ!」


 リビングの奥で持ち物の整理をしていたクレイシアは、激怒しながらミレナに一歩一歩近づいていく。

 その鬼の形相を見て、ミレナは「ゲッ!」と、シュウから手を放して固まった。目はまずいと泳いでいる。


「ゲッ! じゃありません! もう少し淑女としての自覚を持って下さい! イエギク様が鈍いからよいものの、殿方にそのような姿を見せるのは看過できません!」


「う、うっさい! 私、ところかまわず薄着姿で男の前に出るほど、痴女じゃないわよ!! そう、こんな姿を見せるのはシュウだけだもん!!」


「え……まさか、イエギク様……」


 衝撃の言葉。


——何言ってんだこのバカは!!

 

 両手で口元を抑え、血相を青くしたクレイシアは軽蔑どころか、嫌悪の目でこちらを見てくる。そして、一歩二歩と後方に後ずさり。

 出所後の前科者を見るような眼。或いは、不祥事を起こした著名人を見る眼。といえば分かり易いだろうか。これは非常にまずい。


「おい」


「むぎゅ!?」


 怒りを乗せた折檻——分からせチョップが、ミレナの頭部に直撃。骨と骨がぶつかったような音が鳴り、彼女は頭を抱えて小さく呻きながら屈みこんだ。


「打つことは無いでしょ!?」


 涙目のミレナは頭を抱えながら、シュウを睨み付ける。


「いいや、打たれて当然の発言だよ、今のは……誤解を招くような言い方はするな……」


 猫を追うより皿を引け、という感じだ。


 われのない酷評ほど最悪なものはない。自身の過ちならまだしも、根源が他人なら尚更。早急に元を絶たなければならない。

 今回の根源は目前にいたため、即断即決だ。


「クレイシアさん。俺は何もしてませんし、さっきのはミレナのおふざけですから。流してください……」


「嘘じゃないわよ!」


「はぁ、よかった……私はてっきり、昨日の間にイエギク様がミレナ様を口説き、特別な関係になったとばかりに……申し訳ございません」


「いいんです。勘違いはありますから……」


「ねぇ、本当に嘘じゃないってば! 私は痴女じゃない!!」


 何やら主張してくるミレナを、シュウとクレイシアは完全に無視して会話を続ける。


 滑ったボケに突っ込みが無いように、まだ諦観ていかんの意を向けられた方がマシというものだ。

 お馬鹿なミレナはいない者として、適切な処罰をうけましたとさ。めでたしめでたし。というのは流石にかわいそうなので、シュウはミレナを見やる。


「事実はどうであれ、年長者を誇示するなら、もう少し発言には気を付けるべきですよ……お嬢様」


「うぅ……その言い方うざい! でも、肝に銘じます」


 ミレナの心情を表現するように、彼女の長耳は悄然しょうぜんと垂れ下がっている。そうやってしょんぼりと反省しているミレナの姿は、何処か愛嬌があり、子供っぽくて可愛らしい。


「それよりも、俺を起こそうとしたってことは、俺もそのドミニク王ってのに、会いに行ったりしなかったり?」


「正確には、ドミニク王に会いに行く中途。村からアルヒスト中央都までの往復区間の護衛として、同行するです」


 ミレナを見て、唐突に質問するシュウ。ただ答えたのはミレナではなく、クレイシアだ。

 村からアルヒスト中央都までの護衛となると、盗賊といった危険因子を危惧きぐしてのことだろう。

 自分が護衛役に選ばれている理由はともかく、今回のイベントは村民から信頼を得るに至って最高のシチュエーションだ。粉骨砕身というやつである。


「護衛が必要ってなると、村から中央都までの距離は結構ありますよね?」


「はい。ここから、北西方向に中央都があります。馬車で移動になりますので、時間にすれば約十時間ですね。社交界の開催時間は陰刻の一時からです」


「ってなると、七時八……陽刻の一時二時くらいに出ないと駄目か。てか、今何時だ?」


 呟きながら、シュウは未だに読むことが出来ない時計に目を移した。

 柘榴色ざくろいろの宝石の中心に、造詣ぞうけいの無いシュウでは理解できない象形文字が浮かび上がっている。


「わっかんねぇ……」


「数字も読めないなんて、一人旅した時に算術で詰むわよ、シュウ。あ、実際詰んでたわね……」


「だな。勉強しねぇと」


 口に手を当ててあざけって来るミレナを、シュウは素直に受け止めて言い返さない。

 寡聞かぶんで文盲。無知蒙昧むちもうまいへの呵責があるからこそ、自省し反論しない。そして、部を弁え己を磨き上げる為に研鑽けんさんを積む。


 これがシュウの性格だ。


 その彼にミレナは、不服そうにムッと唇を尖らせた。肩透かしを食らって、機嫌を悪くしたのだ。


「因みに今は陽刻の一時前、陽刻の時は魔刻石が赤色に、陰刻の時は魔刻石が青色になるわ」


「なるほど、日が出ている時間帯が陽刻。その逆が陰刻ってことか」


 顎に手を添え、納得顔のシュウにミレナが「もう、やっとわかったのね。全く」と言って、腕を組んで外方を向く。重ねて、外方を向いたまま横目でちらりとシュウを見て、殊更ことさらにニヤリと笑った。

 今度こそは、何か言い返してみなさいよ。と言いたげな顔だ。長耳がピンっと逆立っている。


 シュウは仕方ない奴だと小さく嘆息。


「ミレナ、その顔はなん——」


 言い返してやろうとしたのだが。


「ミレナ様、食事の後に盛装せいそうが残っているので、駄弁だべるのはここまでです。今から馬車に乗るまでは一切、自由時間はないと心得てください」


 シュウを遮って、クレイシアがミレナの首根っこを掴む。そして、そのまま食事が用意された机に連行していく。


 靴底と床が摩擦したことによって奏でられる不協和音の中、ミレナが「助けてシュウ~」と、両手を伸ばして助けを乞うてくる。

 が、シュウは引きずられる彼女と共に苦笑いしながら机へ。


「ドレス、動きにくい……化粧、肌荒れ……保湿、めんどくさい……アロレグ、臭い、嫌い」


「はぁ、そうやってぐちぐちと……」


 椅子に座り、朝食を食べながらぼやくミレナに、クレイシアは憮然とため息を吐く。


「じゃあ何です。ドミニク王や他の傑人員の方に、すっぴんのままでお会いになられるのですか!? そんな粗相をしてしまったら、親睦を深める気はないのだと落胆されてしまいます。あぁ、そうなってしまえば国から見放され、騎士団の皆さんからの助力も得られなくなってしまいます!! そうなれば、もうこの村は……」


 言葉の途中から、両手を組んで持たざる者を演技するクレイシア。もし彼女の立っている場所が舞台上で、スポットライトに当てられていたら、俳優が嫉妬するレベルだろう。


 それぐらいクレイシアの演技は上手だった。切実な正論と相まって、諫められているミレナからすれば、ぐうの音も出せず辛いだろう。


「うぅ……正論嫌い!! あとわざとらしい!」


 事実、ミレナは反論できない。クレイシアが上手に演技をしたことが、唯一の救いか。


「質問ばっかりで申し訳ないんすけど、護衛は俺以外に誰が?」


 シュウはクレイシアを見て質問する。

 流石に自分だけというのはないだろう。誰が一緒に同行するのかは、事前に知っておきたい。


「イエギク様以外では、護衛役にグレイ様。ポン様にタン様、アン様の三人です」


「護衛以外の人は?」


「入都審査官として村に訪れていらっしゃる、グレイ様の弟君、クウェル様。御者役のイオン様とニッケル様。最後に私と、ミレナ様です」


 続けざまに質問するシュウに、クレイシアは机の上に置いてあった羊皮紙の端切はしきれを見て答える。


「御者が二人ってことは、馬車は二つか。どっちの馬車に誰が乗るってのは決まってます?」


「前を進む馬車にクレイシアとアンポンタン。後ろの馬車に私とシュウ。グレイとクウェルね」


 今度はミレナがシュウの質問に対して復答してくれる。


——それにしても、アンポンタンって……


 随分とおかしな名前の三人が集まったものだ。偶然にしても出来過ぎだろう。


——いや、待てよ……


 ここは異世界だ。もしかすると、アンポンタンというのは存外、おかしな名前ではないのかもしれない。

 あるいは、いい意味で稀有な名前なのかもしれない。異世界と元の世界との常識は違うのだ。きっと杞憂きゆうで間違い——、


「面白いわよね、アンポンタンって! 偶然にしても出来すぎだわ!! あはは! あー可笑しい!! アンポンタン!! ぷぷぷ!!」


「…………」


 シュウの心配は揺籃期ようらんきを迎えるどころか、一瞬にして切り伏せられた。当たって砕けるのではなく、最初からボロボロに砕けていた事実。

 まともに顔を合わせたことはないが、騎士団の男三人を幻視し、シュウは両手を添える。

 お悔やみ申し上げます、アンポンタン。


「アンポンタン様も……ぷッ、ポン様もタン様もアン様も、私達を護衛してくださっているお方です。馬鹿にしては恩を仇で——」


「ぷって言った! それに、アンポンタンって繋げていってるし! やっぱりクレイシアもあの三人の名前、おかしいって思ってるんじゃない!!」


 笑いを必死に抑止しながら喋るクレイシアに、ミレナは指を差して指摘する。それに対し、クレイシアは「な!? 違います!」と切っ刃を回すが。


「何が違うのよ? こっちには確固たる証拠があるんだから! 認めなさい!」


 ミレナは先ほどの正論と演技の意趣返しをしてやろうと、席を立って彼女に近づく。クレイシアは目をそらし、身体を固めてしまう。


「朝から、賑やかですね。ミレナ様にクレイシアも……見た通りだと、どうやらまだ準備は疎か、食事も終わっていないご様子」


 囂然ごうぜんと行き交う女性の高い声。そこに分不相応なハスキー声が響き渡った。

 軽装の鎧に、扉の奥から差し込んでくる朝日が反射する。


 割って入って来たのはグレイだ。

 支度の準備が整ったのか、彼は動きやすさを重視した軽装の鎧を着込んでいる。


 どうやら、出立の準備が終わっていないのは自分達三人だけらしい。


「あ、ごめんなさいグレイ! はしゃいじゃってたわ」


「いいですよ。そうだと思って早めに来たんです。クレイシアも、ミレナ様に流されすぎだぞ」


「申し訳ございませんグレイ様。家政婦として、もう一度自覚を持たなくては……とほほ」


 グレイの登場に、ミレナはクレイシアの後ろに。クレイシアは獣耳を垂れさせて返事をする。

 男の前に薄着で出るのは、やはり恥ずかしいらしい。


——ならなんで俺の前では……ん?


「…………」


 各々がグレイに対して、柔らかな受け答えをする中。グレイは一度だけ、憂いた瞳でこちらを一瞥いちべつしてきた。

 自分が家に帰っていないということは、少なくともグレイは昏倒してしまったことを認知しているはずだ。昨日の昏倒で、グレイにも心配を掛けてしまったのだろう。


 ただどうしてか、シュウの胸間には小さなしこりが生まれた。

 何故なら、グレイの瞳には憂いだけでなく、冷めきっていない怒りの熱が混在していたように思えたからだ。


「シュウ……馬車ではお前がミレナ様の横に座れ。ミレナ様もお前が横に座れば、安心なされるだろう」


「お、おう」


 シュウはぎこちなくそう返す。

 いや、考えすぎか。


「ん……しょ、しょうがないわね。特別に、シュウを私の横に座らせてあげるわ」


「それはそれは、恐悦至極でございます。お嬢様」


 きっと勘ぐりの類だと思い、シュウはミレナに滑稽味こっけいみあふれた返しをする。


「う、そのクレイシアみたいな演技はやめて。馬鹿にされてるみたいで、何か嫌……」


 プクリと頬に空気を貯めて、ミレナはご機嫌斜めに言う。


 シュウとミレナのやり取りを見ていたグレイは、他愛のない会話に頬を緩ませる。クレイシアも「ふふ」と微笑する。


「出立は早めの方がいい。シュウもクレイシアも、ミレナ様も早めに頼みますよ」


「りょうかい~」


 ミレナの力の抜けた声と共に、中央都出立への準備が潤滑に進む。



 ※ ※ ※ ※ ※ 



 朝食と出立の準備を終えたシュウ達は馬車に乗り、今まさに中央都へ向かおうとしていた。

 馬車と聞いて、荷台に乗せられると思っていたが、用意されていたのは客車用の風雅ふうがな装飾が施された馬車だった。


 内装は深い茶色——栗色で統一され、ワックスで塗料されたように光沢がある。陽光を遮る白いカーテンは上品さを加速している。

 椅子はクッション材が使われていて、座り心地は良好だ。


 エルフであり神子でもあり、国王の孫を救ったミレナが乗る馬車は、絢爛豪華でなければならないのだろう。


「どうかお気を付けて!」「楽しんできてください!」「何もないことを願っています!」

 

 シュウの双眸は、村民達から手を振られ、見送りの言葉を当てられているミレナを捉えていた。


 ここ数日ミレナと過ごしてきて、それなりではあるが、彼女が村民達に慕われているのをこの目で観てきた。

 ただ、中央都出立の時となった今は、村民達全員が見送りに参加していることもあり、彼女の人望の高さが改めて認識させられる。


 それら全て、ミレナが長い時間を費やして得た信頼の賜物たまものというわけだ。小さい身体とは真逆の懐の深さと、優しさ溢れた慮りには感嘆しかない。遜色などなく、名実を兼ね備えた傑物だ。


「皆ってば心配症なんだから……さ、行ってきますの挨拶も終わったし、早速行きましょう!!」


 ミレナはその華麗な服装とは不釣り合いの、快活然とした立ち振る舞いで馬車へと乗車。

 

 白を基調としたドレスに、彼女のトレードマークの緑色の装飾が施された花。白いレースのストッキングに白のヒール。今のミレナは、どこからどう見ても令嬢だ。

 彼女らしからぬ華麗な雰囲気が、シュウの心に違和を覚えさせる。


 盛装を施すだけで人のイメージが変わるとは。見た目の重要さが垣間見えてくる。


「慣れてないからって、ドレスの裾に足引っ掛けて転けるなよ」


「心配しなくても大丈夫。私、結構器用なのよ。この服でダンスだって踊れちゃうんだから」


 その踊る姿を実際に見たわけではないが、こうしてミレナが国から招聘しょうへいを受けるのは、問題を起こさずにやってきたという証左でもある。

 となれば、憂慮が向けられるのは自分自身なのでは。


「というか、私からすれば、シュウの方がちゃんとした騎士の行動ができるか不安だわ」


 そう思った矢先、同じ考えをしていたミレナに、シュウはグサッと刺されてしまった。


「——痛い所を突かれたな」


 騎士としての立ち振る舞いを知っているならまだしも、知っていない以上想像の域でしかわからない。

 そこを突かれてしまったら、非を認めざるを得ない。


「そこは大丈夫でしょう。時間は半日近くありますし、騎士としての知識は俺が叩き込みます」


 寡聞で文盲。そんな惨めな自分に辟易としているシュウに、グレイは助け船を出す。彼はシュウから向けられる謝恩の双眸に、誇らしげに微笑。気にするなと言いたげに手を振った。


「すまねぇグレイさん。すげぇありがたいよ」


「なに、要領のいいお前なら、直ぐに身に着くさ」


「兄さまは教え上手なので、是非教えられちゃってください」


 グレイの場を纏める言葉に続くのは、彼の弟であるらしいクウェルだ。らしいという表現の仕方は、シュウがクウェルをグレイの弟だと純粋に受け止められなかったのが理由である。

 血のつながっている兄弟なのだろうか。そう疑問を抱かざるを得なかったというか、そうにしか思えないのだ。


 髪色は近しくはあるが、グレイは赤みがかった黒なのに対し、クウェルは青みがかった黒だ。瞳はグレイが茶色。クウェルは黒色だ。ここだけなら、父型と母型に容姿が別れたと指摘されれば、確かに納得はいく。


 だが、その疑念を確かな疑問に昇華させたのは、決定的な体格差だ。190程度の巨漢のグレイと、170程度の普通なクウェル。

 厳然たる差異だ。これを父型と母型に分かれたからだと言われても、少し無理がある。

 それに、そうだと鵜呑うのみにできるほど、シュウは無頓着でもなければ純粋でもない。


「こうして対比してみると、やっぱ兄弟に思えないな」


 シュウはその真意がどうなのかを問うた。

 彼の狐疑こぎにグレイは両膝に両肘を乗せ、身体を前のめりにさせながら思案顔。一拍の間の静寂の後、姿勢を正し、


「溜飲は下がらないか。いや、騙そうとしたこっちが悪いか」


「兄さま、わざわざ俺の心配をして……自分の問題なのに不甲斐ないです」


「いや、お前だけの問題ではないさ」


 欺瞞ぎまんを自白したグレイに、クウェルは悔悟するように頭を下げる。


 二人の会話に超然と付いて行けているミレナに、シュウは視線を送った。

 場の空気を乱さないように、ミレナは盛装によって整えられた自身の髪先を、指先でクルクルと弄っていた。

 彼女はシュウから向けられる視線に気づくと、


「ん、シュウは知らないだろうけど……って、私が言うべきじゃないわね」


 ミレナは誇らしげに話そうとしたが、本人らが語ったほうがよいと自省を露わに。シュウの視線は一転、対面するグレイとクウェルに向く。


 グレイが泰然たいぜんとした顔つきで、こちらを見てくる。

 シュウは重要な話をされるのだと、唾を嚥下した。

 

「二日前、俺には弟のクウェルがいるって言ったよな。実は、正確には違ってな……俺とクウェルは血のつながった兄弟ではないんだ。母君のルネ・フェイドは体が弱くてな」


 ガクッと馬車が揺れ動き、発車の合図が車内の全員に知らされる。

 車窓から目視できる景色の移り変わりは徐々に速さが増し、一定の早さまで到達。それ以降は定期的な移動速度と振動で、馬車は森を駆け抜けていく。


「子を身ごもり、出産したまではいいものの、生誕した子供——クウェルは母と同様に身体が弱く、運動が苦手でな……父君のジーク・フェイドは、代々受け継がれる騎士家計の子供が、騎士を継げるほどの体力を持ち合わせていないとなっては、王や国に示しが付かないと言って、俺を養子として引き取ったんだ」


 淡々と、機械が作業工程をこなしていくように、グレイは抑揚なく語っていく。

 しかし、その機械的な述懐じゅっかいには奥底からほとばしる炎があった。やるせない思いが込められていた。その生い立ちが、決して良いものではなかったと言いたげに。


 彼が感情の起伏を意識的にコントロールし、泰然を装っているのがシュウにはわかった。いや、シュウだけでなく、横で座るミレナ。自身の話を開示させられているクウェルもだ。

 それ程までに、グレイの言には万感が音となっていたのだ。

 

 普通の家庭に生まれ育ったシュウには、王族や貴族などの跡取り事情への理解は薄い。それこそ、本や小説などの紙面上でしか見たことがない。


 この世界は正に『本場』だ。

 世襲制で事が収まらなくても、おかしくはないという事である。


 富が肥えているからといって、その者達全てが幸福であるとは限らない。そういった意味では、普通の家庭で愛を受けて育った自分は、面倒事が無いだけ幸せといえるだろう。


「当然、表沙汰にするわけにもいかず、俺がクウェルの兄としてフェイド家を継ぐことになった。現状の表面は俺、内面はクウェルだな」


 シュウはグレイの「表沙汰」という言葉を思惟しゆいする。世の中、事実を開示したことによって、事が荒れるなんてことは多々ある。

 赤裸々が決して良いことではないのだ。


 読んだ本の受け売りだが、人は非道徳を本能的に非難するものだ。

 それが俗人の域ならまだしも、国民から羨望と敬仰けいぎょうの目で観られる有名人となれば、知名も相まって大荒れだろう。


「そいつはまた、複雑だな……で、なんで吐露した? 断わられても、俺は仕方のない事だと割り切るつもりだった」


 だからこそシュウは、彼が自分に重要なことを吐露したのが腑に落ちなかった。


 当然、自分がその話題に水を向けたのが事の発端ではあるが、言いたくなければ言わなくていいのだ。事ここに至っては、黙秘をしたところでグレイをとがめられるものはいない。


「何となくで、確証はないが……俺が村民や騎士団のやつらに疑われてるってのは、視線や表情から察してる。俺を泳がせてるってなら納得はいくが、それにしては粗末が過ぎる。氏素性うじすじょうもはっきりとしてなくて、信頼に見合った対価を払うどころか、施されてる側の俺に、真剣な顔で吐露するってのが、どうにも腑に落ちない」


 養子の話を聞いたシュウがグレイの心の弱さに付け込み、その不意に村を売る。なんて考えられる訳だ。

 詐欺師の常套手段じょうとうしゅだんだ。そのことを知らない彼らではない。


 故に泳がせているなら、シュウがグレイから養子の話を聞いた、という事実を白日の下に晒すべきだ。弾劾だんがいするなら証言人が多い方がいいのは当然。法の届きにくい辺境の村なら、尚更だ。

 

 逆に信頼し合おうとしているならどうだろうか。もっと機を見て打ち明けるはずだ。

 要は何もかもにいて、中途半端で、杜撰ずさんで、短慮で、愚行であるのだ。道化るような人物のイメージもない。喉に餅を詰まらせてしまった感覚だ。


「ちょっと、その言い方はないでしょ。グレイはシュウを信じて言ったに決まってるじゃない」


「…………?」


 そんな憤懣ふんまんやるかたないシュウに向かって、ミレナが発した言葉はどちらでもない、『信用しているから』であった。

 シュウは彼女の言葉が理解できなくて、一瞬だけ表情を固まらせてしまう。そんな彼を見たミレナは子供を諭すように、彼の横腹をグリッと指で抓り、


「シュウは考え過ぎ。人ってのはね、起きた物事に対して、これはこうだから、こうだって……そう考えられるほど機械的にはなれないの。そう考えられる人もいるだろうけど、みんながみんなそうなったら、世界はきっと……寂しくて、冷たくて、愛がない。酷薄な世界になるわ」


「それは、感情論だろ……」


 子供が狡知こうちを効かせた詭弁で言い訳をするように、シュウはぼそりと呟いた。


 昔のシュウなら、ここで無意識的に目を逸らしていた。しかし、今のシュウはミレナから目を逸らすことなく、彼女の瞳の奥を——そこにある篤実とくじつ疎斥そせきせず、そしてにげることなく見据えていた。


 そのことが唯一の救いではあった。

 

 ミレナはシュウを見て「確かに、そうかも」と頷いた。


「それこそ、私の考えすぎで、機械的になった方が素敵な世界になるのかもしれないわ」


 自分で否定しておいて、シュウはそれは違うと思ってしまった。


 固まった氷が解けるように、強張った筋肉が弛緩するように、シュウの考えが覆される。

 多分、シュウをそう思わせたのは、ミレナの瞳にけがれがなかったからだ。純粋で、篤実で、偽りが無い言葉だったからだ。

 彼女の真っすぐな精神のそれは、紛れもない慈愛の現われだった。


「でもねシュウ。私たちは人よ……人は機械的にはなれないでしょ? 私はそこが、人のいい所だと思うわ……親が子供を愛せるのは、なんでだと思う?」


 シュウの手を取り、ミレナは暖かい手で握りしめる。まるで、親が子供を愛する理由を体現するように、優しさと慈しみに溢れた手だった。


「可愛いから、愛おしいから、守ってあげたいから。色々だわ……シュウの言う、氏素性のこととか、見合った対価のこととか、関係ない……弱い部分も、良い部分も含めて、信じたいから信じる。信じてもらいたいから信じる。信じられてるから信じる。そうじゃない……?」


 生前の事を思い出した。師匠に殴られ、怒られた理想郷での出来事。

 シュウも彼を信じたいから、信じていた。彼に信じてもらいたいから、信じていた。今でこそ言える、信じられているから信じていた。

 あの時は、そんなことすらもわからない馬鹿で、愚鈍な奴だった。でも今は違う。


 だからここでの言葉は、


「そう、だな……ありがとうミレナ」


 真摯に訓諭くんゆしてくれたミレナに感謝だ。そして、


「グレイさん、悪い……当たり前のことも、気づけない俺で」


 酷い事を言ってしまったグレイに謝罪だ。

 シュウは頭を下げた。


「……いいさ、ミレナ様の雄弁さに魅せられていたところだ」


「俺もです。可憐で素晴らしい至言しげんでした。感涙です」


 グレイやクウェルも、ミレナの華麗で女神のような慈愛溢れる雅言に、酩酊めいていしていたらしい。

 

 グレイは既に味わい終わった放心状態。クウェルは感涙のあまり、鼻を摘まみながらむせび泣いている。

 件のミレナは自覚がないのか「え? そこまで?」と、双眸をパチパチさせながら当惑してしまっている。それから、


「ま、まぁ……私は、皆を纏める年長者だし、これくらい、ふ、普通だってことだわ……」


 自身の発言を振り返ったのか、シュウから手を放し、長耳の先端を紅潮させた。

 どうやら、自分を客観視したことで恥ずかしくなってしまったらしい。


「今のを、どもらずに言えたら満点だったな」


「うっひゃい!!」


 訥々と口ごもるミレナの倒錯とうさく具合は、それはそれは眼福であった。

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