第5話 魔法の練習

「だぁ、はぁ……駄目だ。スタミナには自信あったけど……ぁ、思った以上に、ぅ……全然動けねぇ……」


 村の外にある小さな土広場で、シュウは吐き出すようにぼやいた。

 広さは縦十メートル、横十五メートルを掛けた、凡そ百五十平方メートル。魔法の基礎能力を鍛え上げる訓練所だ。基本属性に分類される『火』『水』『風』『土』の訓練を行うことが出来る。


 攻撃特化の魔法を鍛える、岩壁を使った的当て。土属性の防御特化の魔法を鍛える、藁人形を使った硬化。水属性の攻撃と防御の魔法を鍛える、樽を使った水の放出と凍結。


 なるほど、基礎練習によって魔法の精度を上げるというのは理にかなっている。

 

「そりゃそうよ。体内から生成されるオドを絞り出して魔法を行使するんだから……動くのに体力を使うのと同じで、魔法を使えば体力は消耗するの。シュウは未熟なんだし、使えてもゲイルが一回。ウィンドが三回程度かな。だから、過度な魔法使用は禁止ね」


 上からのぞき込まれながら、ミレナに淡々と評されるシュウ。オドの消費も、エネルギー消費の一環という事なのだろう。


 魔法という人生にいて、怠るという選択肢を強制選択させられていたシュウは、正真正銘の初心者だ。そんな奴が、頂上的な才能を発揮するなど、幻想もはなはだしいということだろう。

 『異世界なら才能を発揮できる』など、現実から逃げているだけで過程を見ず、結果という栄光を妄想している軟弱者の勘違いだ。


「事実は小説よりも奇なり。努力に勝る才能なし……あぁ、今の俺には耳が痛い。才人になるには努力あるのみか……」


「研鑽に研鑽。努力に努力。精励せいれいに精励。何事にも時間をかけないといけないわ。当然のことね」


 様々な要因が重なることで、弱者が強者に勝ることはあるが、決してその偶然が何度も起こり得るわけではない。

 それは、ファンタジーな世界にも当て嵌まり、魔法を扱えず敗北など怠慢たいまんの一言に尽きる。


「経験者は語る、か……」


 シュウはミレナの含蓄がんちくのある言葉を脳内で反芻はんすうする。

 エルフであるミレナは常命のシュウよりも何倍、何十倍の時間を過ごしている訳だ。だからこそ、自然と彼女の言葉に重みが生じる。


「そういえば、無くなったオドはどうすれば回復できるんだ?」


 シュウは寝転びながら、ミレナにふと思ったことを訊いた。

 体力を回復するにはエネルギー摂取が必要だが、オドを回復する為にはどうすればよいのだろうか。


「そうね、オドの回復方法はエネルギー摂取だわ。体力を回復するのに、食べるのと同じで、栄養の高い物を食べれば多く回復できるわ。一応、大気中にあるマナからも摂魔せつまできるけど、大概の人はその摂魔器官が未熟だから、自然ってのは無理に等しいわね」


「ミレナはどうなんだ?」


「私はぼちぼちってところかな」


 オドも体力と同じでエネルギーを摂取しなければ、回復しないようだ。そしてもう一つ、大気中にあるマナから摂取ならぬ摂魔でも回復できる。

 ただミレナが言った通り、こちらは選ばれし者だけのようだ。自分には出来ないと考えていいだろう。うらやましい限りだ。


「水あるか?」


「ちょっと待ってて、すぐ水出すから」


「水を出すって、今朝みたくか?」


「そうよ、魔法でね」


 ミレナは疲労で消沈しているシュウにそう言うと、自身の体格と等しい樽に手をかざし、水を放出。数秒経つと、樽の中身は水で満たされた。

 その樽から木製のコップで水をみ、ミレナは上体を起こしたシュウに「はい水」と手渡す。


「助かる」


 シュウは水を一気に飲み干す。喉が渇いた時の水は、どうしてか美味しい。

 そこにミレナが、重さ数十キロもありそうな樽を軽々と持ち上げ、シュウに向かってかたむけた。


 ザバーと降り注がれる冷たい水は、シュウの全身に覆いかぶさり、汗を流し、疲れを流し、心身をリフレッシュしていく。悶々とした暑き日には、最高のご褒美だ。


 雑草すらもない、荒涼こうりょうな地面に出来た水たまり。そこからシュウは上体を起こし、全身を犬のように振って水を振り払った。

 水を振り払う時、ミレナが「やっ、冷たい」と反応するが、楽しそうなのでスルー。


「しっかし、すげぇ便利だな。水が無くなった時は、ミレナを頼ってもいいか?」


「いいけど、他の子はそう何回も使えないわよ……私以外には、あんまり頼まないように」


 ミレナは空になった樽を地面に置くと、指を立ててシュウに返す。シュウは「了解」と返答した。


 魔法で出した水を飲める。元の世界なら、水道会社が涙目になっているだろう。というか確実に倒産するだろう。南無三。


「そしてぇーじゃじゃーん! 摂魔に一番有効と言われる魔吸虫の大好物!! パーシモの木に実るタケの実!! すっごく甘くて、栽培も簡単で、何より摂魔にもってこいの食べ物! 体内にある魔力核に干渉して、何とかかんとかってなって、確かそのはず……」


「不安が残るような説明だな、おい……」


「とにかく! はい、これ食べてもう一度訓練開始よ!!」


 不安な表情で返すシュウに、ミレナは乾燥した実を誤魔化すように手渡した。渡されたシュウは、それを珍重ちんちょうに観察し始める。


 プニプニとした感触で、少し甘い香りが漂う実だ。どことなく、干し柿に似ている。

 ミレナはそんなシュウを見て笑いながら「あーん」と、小さく開けた口に指を入れて閉じ、食べるように促す。釣られて、シュウは乾物かんぶつを口に放り込んだ。


「うん、美味い。結構甘いな」


「でしょでしょ! 腐っちゃうともったいないから、そうやって乾物にして長期保存するの。どう? ちょっと、元気湧いてきたでしょ?」


 事実、腹の内側に炎で温められたような感覚が訪れる。

 胃液が蒸発したかのような熱さ。身体から汗がにじみ出てくるかのような感覚。

 熱はみるみるうちに体中へと伝播し、全身に活力をみなぎらせてくれた。


 シュウは重い腰を上げると、


「これならいけそうだ!」


 右手を前方に突き出す。

 胸の中心からオドを練り上げ、手元に集めるイメージだ。

 体中を循環する血液の如く、素早く無駄のない動きでオドを一気に放つ。


「ッ! ウィンド!!」


 腕に集めるオドの量が多すぎた所為で、構えていた腕が少し右上にずれる。

 風も的から右上に逸れ、壁に直撃。外した。


「もう一度!」


——約五分後。


「まだ、だ……俺は、まだやれ、る……」


——さらに約五分後。 


 結果、全て外してしまった。


 意気揚々と鍛錬に励めたのは、最初の約三分。その後は急降下し、勢いのあった風も、後半はしおれた花のように力がなくなった。


「もう無理。気持ち悪い……有体に言うと吐く」


「だらしないわね。さっきまでの威勢は何処へ行ったのやら……はい水」


 身体を大の字で地面に預けるシュウに、ミレナが水の入ったコップを手渡す。シュウはグッと一飲みし、


「あ、ありがとう……」


 コップを返した。


 魔法の制御は想像以上に難儀であった。身体の奥からオドを練り上げるための忍耐力。正確に的に当てるための集中力。この二つを同時にこなさなければならないのだ。


 先ず、オドを掌に集めるのが難儀だ。そして集められたとしても、放出する多寡たか——量の調整にまた難儀する。


 失敗する度——撃てば撃つほど、的に当てようとすればするほど、体力は消耗。さらにイライラと倦労けんろう堆積たいせきして、集中力は減衰していくのだ。


 何だか無理難題を押し付けられているようで、如何ともし難い。

 経験できたことと、イライラできるほど熱中できたことが収穫だと思いたい。


「精が出ますね」


 唐突、抑揚よくようのある女性の声がシュウの耳に入った。

 大の字で地面に倒れているシュウは、身体を起こして座り込み、声の主の方向に視線を動かす。ミレナも視線を女性へと遷移させ、


「今日はどうしたのクレイシア?」


「あぁ、いえ、昼食の用意ができましたので、ご報告にと」


「あら、もうそんな時間なのね。太陽の位置はっと……」


 ミレナは手を翳しながら空を仰ぐと、


「真上よりもちょっと西側にあるから、ざっと陽刻の六時過ぎかな?」


 太陽の位置を目視。時間の確認をした。

 六時過ぎという判断基準は理解しかねるが、元の世界で言えば午後一時といったところだろうか。定かではないが。


「何時なのかすらわからない。これは一度、赤ん坊からやり直した方が良くないか……ん?」


「イエギク様でしたか? 間違っていたのなら申し訳ございません。直接、名前をお伺いしていなかったので……」


「大丈夫です。名前あってますよ」


 そこに居たのは、つややかな灰色の髪を腰まで延ばした女性だ。長い前髪は邪魔にならないようにと、青色の髪留めが付けてある。背丈は女性にしては少し大きめで、その体躯たいくに見合った肉付きをしている。

 それだけを見れば尖った特徴の無い女性なのだが、彼女には特徴がないという特徴を払拭する要素があった。


 それは、頭の上にある耳と尻にある尻尾だ。


 この世界の人間からは半人と呼ばれ、獣人からは半獣と呼ばれ迫害される亜人である。

 彼女らが何故、半人半獣と迫害されているのか、シュウは詳しく知らない。差し詰め、元の世界の人種差別が落としどころなのだろうが、その人種差別さえシュウにとっては遠い話だ。


 迫害の理由は、これから知っていくことになるだろう。

 

「クレイシアさん、ですよね? 俺はイエギク・シュウです」


「はい。私はクレイシア・ベルモンドと申します。よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 クレイシアが差し出して来た手を、シュウはぎこちなく掴んだ。

 他の村民達と同様、第一印象は最悪だろう。それにも関わらず、自ら手を差し出してきてくれた。

 

 私情と礼節は弁えられる、誠実な人なのだろう。


「あの、クレイシアさんも、人間の俺を恐れているんですか?」


「はい……人間のイエギク様を、私はまだ信用できていません。理屈では人間の方の中にも、優しい方がいらっしゃるのは理解できています。でも気持ちの部分では、こうやって言葉を交えることさえ、忌避感きひかんが拭えないのは事実です」


 クレイシアはシュウから手を放すと、風によって靡く髪を片手で抑え、森の景色を見つめた。その瞳には憂いが。

 見ず知らずの人間であるシュウが、モワティ村に加わったことを憂いているのだろうか。


 迫害といっても、その内容に一貫性はなく区々くくだ。シュウが彼女の過去を考えたところで憶測——それも断片的な予想にしかならない。

 なぐさめは傷跡を抉るだけだろう。


 突然、彼女の中で変化があったのだろうか。クレイシアは座り込むシュウに「ですが」と言って、


「私たちが信頼し、尊敬しているミレナ様が、貴方を善人だと看破し、信用してほしいと、そうおっしゃったのです。この村の中で、ミレナ様と一番長い時を過ごしている私が、ミレナ様を信じないのは、恩を仇で返すようなもの……」


 鋭い目付きを、和みのある柔らかな笑顔に変えた。そして「ですから」と、彼女は言葉のしおりを挟み、


「イエギク様には、どうか村の皆様が信用できるような行いをしていただけると、有難いです」


「——はい。わかりました……期待に応えられるように精進します」


 謹厳実直きんげんじっちょくに答えるつもりであったが、クレイシア自身はそこまで辟易へきえきしていないようだ。

 少しだけ安心できた。


 だからといって、気を抜いて粗相そそうを起こすつもりは毛頭ない。

 ミレナが村民達に啖呵を切ってくれた以上、全力で信用を買う事に挑まなければ、面目の躍如やくじょは果たせない。


「やっぱシュウって敬語下手よね。ぎくしゃくしてるから、見てて面白いわ」


「うるせぇ、と言いたいところだが……事実だから言い返すだけ無駄だな」


「すっごい素直。正直者は馬鹿を見るってことかしら」


「お前はいちいち一言多いんだよ!」


 おふざけの過ぎるお嬢様に、シュウは軽い折檻せっかんとして両頬をグリグリとつねった。ミレナは「ふにゅー!」と痛みに声を荒げ、


「ごめんなさい! 嘘です!」


 と涙目で謝罪。

 その掛け合いを見たクレイシアは、頬を緩め、


「ふ、ふふふ……どうやら、約束が果たされる日はじきに来そうですね」


 クレイシアの言に判然としないシュウとミレナは、顔を見合わせて「ん?」と疑問符をあげる。『嗚呼、長閑だ』と言いたげな彼女は、その表情に喜色を見せ、


「スープが冷めてしまう前に、昼食を済ませましょう」


 歩き出す。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




 マメのスープとライ麦パンを食べ終え、一息ついたシュウ達の現在地はミレナ宅だ。

 家政婦であるクレイシアが食器を洗う音——水の音と、からんからんと重なり合う食器の音が食室に伝播する。


 ただ座っているだけでは、手持無沙汰に尽きるな。そう思ったシュウは、気分転換に小さな質問をしてみることにした。


「そういえば、クレイシアさんの魔法は何属性に分類されるんだ?」


「クレイシアはシュウと同じ、風属性の魔法師よ、ね?」


 シュウの質問に答えるのは、食後の口直しに水を飲むミレナだ。長い横髪を暇そうに弄っていた彼女は、机で頬杖を付いてクレイシアを見やる。


「はい。一度だけですが、私は上位のトルネードなら行使可能ですね」


「あ! そうだ! クレイシアから魔法の訓練を受けたらどう? 他属性魔法師の私が見るより、効率的だろうし」


「流石にそれは、ミレナは暇だからともかく、クレイシアさんは——」


「あぁいえ、実は午後からは用事がないので、イエギク様さえよろしければ、お付き合いできますよ」


 食器を洗う手を止めたクレイシアに、シュウは「え?」と、呆けた声を出してしまう。


 そこは「申し訳ございません」と、否定されると思っていたのだ。

 思わずクレイシアの顔をじっくりと眺めてしまう。その注視に彼女は、ばつが悪そうに目をぱちぱちさせる。

 

 家政婦であるから、午後からも家事で追われると思っていたのだが、そうでもないらしい。或いは、クレイシアが気遣ってくれたのだろうか。

 どちらにせよ、断る意味もなければ、厚意を無下むげにする必要もない。


 よって、答えは、


「すいません。じゃあ、頼めますか?」


「はい! お任せください!」


 胸元に手を当てて、クレイシアは自身の有用さを誇示するように胸を張る。そして、その彼女の心情を現すように、灰色の尻尾は左右にプルプルと揺れている。

 頼られるのは嫌ではないようだ。


「私は食器の洗浄を終え次第、向かいますので」


「そうと決まれば、行くわよシュウ! 貴方は村を守る騎士団の一人として、強くならなきゃいけないんだから! 巻きで行くわよ!!」


「おう、そうだな」


 ミレナは立ち上がる勢いで椅子をドンッと押し退け、颯爽と扉から外へ出ていく。シュウは彼女が荒らしたままの椅子を元の位置に戻し、机に残るコップをクレイシアに渡して外に出た。


 他人のことなのに、他人以上に他人に真摯しんしになれるミレナには、姿勢が正されるばかりだ。


「しっかりしろよ、俺」


 村を襲わんとする謎の存在を、シュウは幻視する。

 その決戦日がいつ訪れるかも分かっていない今、こちらに時間はあって無いようなもの。だからこそ、一分一秒たりとも時間は無駄にはできない。


 当然、研鑽以外のことも熟さなければならない。村民からの信頼も、敵の存在を知り、対策を練ることにも当てはまることだ。


——気を抜くことなど出来ない。


「こちとら、理不尽ってのを一回振り払ってるんだ。覆してやるよ」




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 




 ある程度、シュウの魔法が的に当たるようになると、次の段階——動く的に魔法を当てる訓練へと、移行することとなった。

 クレイシアが提案した訓練は、飛ぶ矢を風魔法で撃ち落とすというものだ。


 一本落とすことができれば二本三本と増やし、難易度を上げていく。そうして地道に磨き上げるのだ。


 現在、二本目の矢まで安定して撃ち落せるように成長。三本目に挑んでいる。


 矢の一本一本の速度や高度は異なっている。

 オドを大いに使って魔法を放てば、確かに一つの的に当てることは可能だ。しかし、それでは第二、第三と続く的に対処することができない。

 かといって、魔法を放つタイミングと威力が全く同じでは、全ての矢を捕えることはできない。


 一つ一つ、冷静に見極め対処しなくてはならないのだ。


 その理屈を身体で理解し、胸の中心から捻出するオドの量を調節。手に集中させ、動く的へと狙いを定めて射出。


——これを逡巡せず、迅速に行う!!


「イエギク様! 今度は三本同時に行きます!!」


 げんきしむ音が鳴り、弓から三本の矢が放たれる。


「了解! ウィンド! ウィンド! ゲイル!!」


 詠唱と共に放たれた風の刃は、空を滑空している三本の矢に特攻する。


 先行する一本目の矢、低く飛ぶ二本目の矢に風の刃が直撃し、矢を両断。続けて、高く奥方向に飛んでいく矢には、風の中位魔法『ゲイル』で、無理矢理撃ち落とした。


「お見事です! 素晴らしい呑み込みです! イエギク様!!」


 両手をパチンと合して、クレイシアは感嘆符かんたんふをあげた。

 やっとこさ成功だ。


 体力と集中力を酷使したシュウは、息を切らしながら地面に腰を落とした。硬直した筋肉を揉みほぐし、達成感と疲労感によって体を脱力させる。


「昔、やっていたことが……上手くいったって、感じですね」


「昔って、何をやっていたのよ」


 ミレナは疲労困憊のシュウに水を渡し、『昔』という単語に興味を示す。

 受け取った容器を逆さまに引っ繰り返し、シュウは水をむさぼるように飲み干す。それから、ミレナの言葉を音ではなく、言語として理解し、


「石ころで、動く的に当てるっていう、訓練を師から受けてな」


 本当は拳銃を使って、射出される的に弾丸を当てるという射撃訓練だ。

 オド管理が加わり、難易度は上がるが原理は似ている。昔の訓練が単純に実っただけだ。謙遜けんそんなどではなく事実。

 

「シュウの師匠ねぇ……すっごく偏屈そうな子の気がするわね」


「と、思うだろうが、実は偏屈とは真逆の性質、豪胆ごうたんな人だ。仲間のために怒れて、でも、感情に身を任せすぎない人でもある……俺にとっては目指すべき男の中の男だ……」


「情に厚く、冷静沈着である。イエギク様のお師匠様に、少し会ってみたいです」


「そうっすね。もう一度会えるなら、俺も会ってみたいです……」


「「ぁ…………」」


 故人だと言外に言っているシュウに、ミレナとクレイシアは改悛かいしゅんの情を顔に宿した。


 もう一度逢いたいかと訊かれれば、シュウは『はい』と迷わず即答するだろう。

 別にいいと言える程、自分が強くないことを自覚しているし、恰好を付けるために気取って強がるつもりもない。


 寂しいと思う。辛く悲しくもある。でも、それでもだ。彼に胸を張って『ありがとう』と言ったのだ。それ以上は渇望しない。今のままでいいと思う。それを彼も望んでいると思うから。


「大丈夫。気にしてないです。というか、気にしてたら怒られそうですから。拳骨げんこつはもうこりごりなんで」


「信頼し合っているのですね。羨ましいです。私も、あの方と信頼し合える仲になれれば、いいのですが……」


 北西の方向を黄昏たそがれるように見つめているクレイシア。

 羨望せんぼうと混ざり合う寂寥と憂いは、彼女の心情の複雑さを物語っていた。

 何か大切な存在が、彼女の見つめる先に居るのであろうか。


 彼女は「すみません」と一言謝罪をすると、


「もう陽刻の十一時ですし、私は夕餉ゆうげとお風呂の支度をしてまいります。訓練お疲れ様ですイエギク様、ミレナ様。では……」


 クレイシアはぺこりと首を垂れ、ミレナの家に戻っていった。

 彼女の姿が見えなくなると、ミレナは座っているシュウの耳元に口を近づけ、


「実わね。クレイシアって、今代の神将『ローレン』の第一夫人なのよ……」


「神将……」


 神将という言葉から察するに至って、敬重けいちょうされている人物であろうことはわかる。が、世情に寡聞かぶんなシュウにとって、神将という存在の壮大さは正確に判断できない。

 物語でいう、大英雄や勇者といった立ち位置なのだろうか。


 そんな釈然しゃくぜんとしていないシュウの胸間を知ってか知らずか。ミレナは察したように「あ……」と、声を漏らして、


「神将っていうのは、国の軍事力として誇示する騎士団とかとは違って、神に選出された、厄災から世界を守る守護者のことよ。それぞれ六か国に一人配属される、抑止力みたいな存在だわ」


 そう続けた。

 シュウは如何いかにもという感じで「抑止力ねぇ……」と、呟いた。


「てか、そんな凄い存在の夫人に選ばれるなんて、クレイシアさんはどんな功績を残したんだ?」


「それが、実は……」


 ミレナはシュウの耳から口を退け、


「亜人の生きやすい世界にする為に、クレイシアは代表として神将の夫人に選ばれたの。クレイシア自体は皆の為になれるならって、強く言っていたけど……多分、怖いんだと思うわ」


「受け入れられるかわからない。だから怖いってことか?」


 シュウの質問に、ミレナは小さな声で肯定の意を露わにした。


 受け入れられるかわからない。だから怖い。

 その気持ちは理解できる。痛い程に、痛痒つうようで胸の奥がえぐられる程に分かってしまう。


——何故ならシュウもかつて、そうだったからだ。

 

 比較することは間違っているが、恐らく、クレイシアは亜人として否定され、受け入れられない可能性におののいているのだろう。

 そして、受け入れられたとしても、それは希薄きはく憐憫れんびんで、結果的に変わらないのではないか。そう憂いているのかもしれない。


 変わることは大事だが、そのことに集中するあまり、足元がおろそかになってしまえば元も子もない。長所と短所は表裏一体なのだ。


「権力者の考えることは大層なことだな。会ったことないが、その神将ってのは、正義って大義名分を振りかざしてる自分に、酔ってる奴にしか思えないな。周りが見えてない」


「結構、辛辣なのね……まぁ、周りが見えてないってのは私も同意見だわ。正義のためにって言っても、限度があるもの」

 

 偏見だが、そのことを指摘したら逆ギレしてきそうだ。


 自分は間違っていないと、気持ちに保険を掛けることは誰にでもできる。が、自分が間違っていたと否定することは、簡単なようで酷く難しい。

 それは、怖いからだ。


 自分を否定してしまえば、今までの行動や考えは何だったのか。志していた思想や在り方を、陳腐ちんぷなものだったと認めるようなもの。

 聖者としての矜持きょうじが高い者ほど、その反動は大きいだろう。


 だが、自分を否定できる者。自分を脆弱で、馬鹿で無能だと認めることができた者の視野は、顕著けんちょに一変する。当然いい方にだ。

 

「それを、わかってない奴が多すぎる……」


「シュウってさ、意外と慧眼なところあるわよね。なんていうか、普通の人と見ているモノは同じなのに、感じ方や見方が違うっていうか、なんというか」


「意外ってのは一言多い気がするが、賞賛は素直に受け止めておくよ」


 シュウは流すように手をふらふらと振って応答した。


「今のを謙遜しないってところは、好印象ね。それじゃあ、すっかり日も暮れちゃったし、私たちは本日最後のイベント、言葉の読み書きに取り掛かりましょう!」


 ミレナは人差し指を立て、顔を小さく横に傾けて悪戯いたずらっぽくウィンク。その長耳を嬉々として震わせる。だが「と、その前に……」と、言葉の栞を挟み、


「シュウ汗臭いから、先にお風呂ね」


 ミレナは鼻を摘まみながら、もくもくと煙が上がる風呂場の方を向いて指を差した。


「休み……」


 シュウは休憩が一度挟まれることに、少しだけ頬を緩めるのであった。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ 




「ええっと、何で風呂場が別れてんだ……」


 シュウは何故か二つに分かれている男湯に、辟易としていた。


 女湯との違いは火を見るよりも明らかなのだが、男湯が二つに分かれているのはどういうことなのだろうか。双方をかんがみても、男が風呂場に入っていく。

 唯一の違いは、木製の看板に書かれてある象形文字だ。だが、異世界文字が読めないシュウにとっては意味をなさない。


 もうどっちでもいいや。


「まぁ、どっちでも変わりは——」


「おう、シュウ! お前もこれから風呂か?」


 シュウの肩に手を乗せ、話しかけてくるのはグレイだ。いい所に来た、とシュウは内心にガッツポーズ。彼は快然としているシュウの背中を叩きながら、


「何してんだ。お前はこっちだぞ」


「何で男風呂が、二つに分かれてるんだ?」


「それはお前、村民達を配慮してのことだ。気兼ねなく風呂に入る為のな」


 そういうことか、と息を漏らす。


 人間を恐れる村民。またそのことで騎士団の者達に、無駄な意識をさせないためなのだろう。


 なるほど。


 村民だけでなく、村を守る騎士団のことも諒察りょうさつしたわけだ。

 騎士 (仮)のシュウにとっても、人間としてのシュウにとっても、その慮りに足を向けることは出来ない。


 シュウはグレイの後を追い、黒い暖簾のれんを潜る。

 内装は石造りで、床には転倒防止の板が敷いてある。


 中では数人の男たちが衣服の着脱を行っていて、互いの苦労話を交わらせていた。

 普段、平和であるとはいっても山の中を見回るだけで体力は使うのだ。彼らにとって、そしてこれから、シュウにとっても憩いの場所となるだろう。


「相変わらず、むさい男ばっかりの浴場だな。久々に、かみさんと一緒に風呂に入りたい」


「やっぱ、騎士団長にもなると、家に風呂はあるものなのか?」


「まぁな。それ行くぞ」


 棚の上に衣服を置き、いざ奥に。


 元の世界では一般市民であったシュウでも、一世帯に一つの風呂があった。そのシュウからすれば、公衆浴場というのは無縁の場だ。

 実物を見たこともなく、知っている知識は本から得た知識のみ。そのことが、シュウにとっては新鮮味があり、き出る好奇心は、


「風呂場ってのは、もっと種類があるんじゃないかと思ってた」


 ——一瞬にして消沈した。


 シャワーならぬ、お湯垂れ流し石——火と水の魔刻石から噴き出すお湯を使って身体を洗い終えると、シュウはグレイと一緒にお湯に浸かっていた。


 何故、シュウは好奇心を湧き上がらせたのか。


 それは生前、単純温泉や硫黄温泉などが宣伝された、公衆浴場のパンフレットを見たのが原因だ。一度は行ってみたかった色んな温泉がある公衆浴場に、異世界でやっと行けると、見当違いなことを考えてしまった訳だ。


 ただ、中世後半から近世ほどの時代の、してや辺鄙へんぴな村の公衆浴場に、そんな豪華なものが用意されている筈がない。

 要は、勝手に湧き上がって勝手に沈下したということだ。


「はは! 気にすることは無い! 汚ねぇ温水は、そこの水と火の魔刻石から入れ替えられるから、いつでも焚きたての風呂だぞ」


「いや、そうじゃない。硫黄温泉やら塩化物温泉って感じで、種類ごとに分けられてるもんだと思ってたんだ……それが、一種類だけで、ただのお湯だなんて拍子抜けだ」


「イ何たらやエンカ何たらが何かはわからんが、風呂は一種類だけだぞ。あぁでも、北西にある仙境には、湧き出る温水があるって話は聞いたことがある」


「それってマジ話?」


「マジで本当の話だ」


 それは夢がある話だ。

 仙境となれば、山奥で涼気りょうきな空気と美麗びれいな景色を眺めながら、温泉を嗜むことができるということだ。


 この世界で楽しみが一つ増えた。

 行けるかどうかは分からないが。


「今すぐ行ってみたいが、今の俺には金がないし、信用も信頼も何もかもがない。夢の話だな」


「ダハハ!! まさしく背水の陣ってやつだな! ま、俺はお前を信用したいと思っている。しっかり、俺の期待に応えてくれよ色男!」


「了解。ものにしてみせるよ、グレイさん」


 グレイの諧謔かいぎゃくを軽く流し、シュウは握りこぶしを胸に当てた後、彼に向けて指を差した。

 この手を使ったジェスチャーは、自身の心——オドを相手に差し出す動作で『捧げる』『尽くす』という意味を持つらしい。

 貴賤のない間柄では『頑張る』という意味としても使われる。


 ここでは後者として使った。


 シュウは雌伏しふくすることを言外に示した。それを見た彼は、フューと口笛を吹いて、シュウの肩を叩き、


「……そういや、この一日の暮らしはどうだった?」


「そうだな……ミレナやクレイシアさんとは仲良くやっていけてるよ。他の村の人とは……まだ、話すらもまともに出来てないのが現状だな」


「そうか。村の奴らは、俺やミレナ様たちと同じように接すれば、何の問題もないさ」


「おう、頑張ってみるよ」


 シュウはそう答え、合わせた手を天井に向けて突き出す。それからふぅと深いため息を零し、身体を弛緩させた。


「ちょっと、質問していいか?」


「何だ?」


「神将ってのについて訊きたいんだが、どういう存在なんだ?」


「神将か……国の軍事力とは別で、世界を厄災から守る守護者。抑止力の存在っていうのは知っているか?」


「そこは一応な、ミレナから聞いたよ」


「お、もしかしてお前……クレイシア関連で、ミレナ様から神将のこと聞いたんだろ?」


 顎に手を当てがり、ニタリと笑ってシュウを見据えるグレイ。

 ねっとりとした視線は腹が立つが、それはそれとして何と目敏いおっさんなのだろうか。

 上に立つものとなれば、周囲の人間関係にも過敏になるのか。気配りが出来るおっさん。名実ともに騎士団長の称号は伊達ではないらしい。


「図星だったか? タハハ!」


「何でわかったんだよ。魔法使いか? あ、いや、この世界で魔法使いは普通か」


「何を言っているかいまいちピンとこないが、変に思われたってのは、何となくだが理解できた……」


 シュウの弄りをそうやって流しつつ、グレイは「んでだ」と続け、


「神将ってのは、アルヒスト王家代々に伝わっている神剣『デュランダーナ』を使役できる者に、与えられる称号だ。神剣を使役できる者は、神から人智を越えた力を与えられる、っていうのは実際にそうで、あれは正しく最高の抑止だな」


 ——最高の抑止。


 意外も意外。魔法という概念を全人類が行使できる割には、異世界は思った以上に危殆きたいとしておらず、平和であった。

 全世界を見たわけではないが、少なくとも村に物資補給者が訪れているあたり、アルヒストは平和だと思える。


 ミレナの言った抑止力のような存在。

 強さといい人物像といい、シュウは益々ますますその神将と対面したくなった。


「ま、神人を除いた、人間って枠内での話だがな……」


「ん? 何だって?」


「独り言だ、気にすんな。あぁ、もしかしたら、神将と近いうちに会えるかもしれん……それと、明日から忙しくなるから、睡眠は多くとれよ」


 グレイはシュウの言を遮り、翌日にイベントがあるのを示唆。

 シュウは「へいへい」と言って、風呂から上がる彼の背中を見送ると、湯船に肩まで浸かった。

 

 一日の疲れを癒すシュウと変わって、グレイはドアの方向へ。


「やっぱりお前は善人だよ、シュウ。必ず、お前を他の奴らにも信じさせてやる……」


 浴場から出ていくグレイの背中が、泡沫ほうまつの怒りを孕んでいたことに、シュウは気づきもしないのであった。

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