第4話 エルフさんの日常

  朝の起き方によって、その日一日の機嫌が左右されるといっても過言ではない。気持ちの良い朝は、機嫌の良い最高の一日になる。逆に気持ちの良くない朝は、その一日が機嫌の良くない、最悪な一日になってしまうものだ。


 果たして、今日はどちらの朝かと言えば後者。その諸悪の根源は、双眸と顔を欣欣きんきんと輝かせるエルフの少女であった。


「シュウ! 起きなさい!! 今日は私が直々に森の案内と読み書き、おまけに魔法の練習も手伝ってあげるわ!!」


 彼女は長耳を上下に振るわせ、寝室の窓を勢いよく開けた。

 眩しい。というか五月蠅うるさいし、人の部屋に勝手に入って来るのは素直にやめてほしい。

 シュウは目を擦りながら体を起こし、


「まだ、朝早いだろ? 日も上がったばっかりだし、もう少しだけ寝かせてくれ……」


「うっそ……もしかして、夜更かししたの? それは感心しないわよ」


「夜更かしっつっても、勉学にふけった故の夜更かしだ。名誉ある夜更かしってやつさ」


 正直なことを言うと、勉学に耽ったのはたったの三十分程度。夜更かしをしてしまった原因は、グレイとの対話だ。


 ミレナの護衛役の一人——騎士団長のグレイの家に寝泊まりすることになったシュウは、昨晩の間、彼から魔法とミレナについていろいろ訊いたのだ。

 初対面での印象は最悪であったために、話を訊きだすのは至難に思えたが、そこはシュウのおっさん特攻のコミュ力が功を奏した。


 結果は、ため口を利ける程度まで、仲を深めることに成功した。


「何よそれ……そんなこと理路整然と言われても、夜更かしは夜更かしよ……どんな理由であれ、いけないことだわ」


「まぁ、起きない理由もないか……わかった。支度するから、外で待っててくれ」


 ミレナは布団を軽快に取り上げた。そのままベットで寝ているシュウの上にまたがり、眼前に右手をかざすと、


「なら手伝ってあげるわ! 目覚めのアクア!!」


 魔法の詠唱と共に、忽然こつぜんとミレナの掌から球状の水の塊が出現。表現するならば、掌からエネルギーを捻出ねんしゅつさせた、といったところだろう。

 果たして、空中で生み出された水の塊は、重力に逆らえずに垂直落下。見事、シュウの顔面にクリティカルヒット。その後、水はベットと床に飛び散った。


「わぁっぷ!! 何しやがる!?」


「どう? 目覚めの一撃として、結構効いたでしょ……?」


「お前なぁ……」


「ヒッ!? あぁ、ええっと! 外で、私の家の前で待ってるから……その、ごめんなさい!!」


 シュウの青筋の浮かんだ顔を見たミレナは、その怖さに冷や汗をかきながら震撼しんかん。逃げるようにジャンプをしてベットを降り、部屋のドアを無造作に閉めて出て行った。


「あの野郎……」


 シュウはミレナの天真爛漫さに嘆息たんそく。小タンスからタオルを取り出すと、濡れた顔と髪を拭きとる。水魔法の下位に当たる『アクア』によって、顔面どころか上半身までもが水浸しになってしまったシュウは、ベットから降りて、


「まぁ、夏だし直ぐに乾くか……」


 窓から空を見上げた。


 爛然らんぜんと室内を照りつける太陽。空には雲が一つも無く、快晴だ。

 最悪の寝起きではあるが、偶には早起きをするのも悪くない。外に出て、日光を直接浴びながら仕事に励むのも、一興ではある。


「そう思えば、こんな日があっても悪くないか……」


 シュウは濡れたシーツをベットから離して、手に持った。それから、生命の活力ともいえる日光を浴びながら、身体を大きく広げて全身の筋肉を弛緩。

 

「忙しい朝だな。シュウ」


「あぁ、グレイさん。全くだよ……お節介というか、何というか……元気なお嬢様だ」


 低いハスキー声の方に振り向くと、そこに立っていたのは、右頬にあざがある筋骨隆々の男——グレイだ。昨日に着ていた軽装の鎧姿ではなく、短パンにタンクトップ姿と、かなりラフな姿だ。

シュウと同じく、彼もミレナの大きな声の所為で目が覚めてしまったのだろう。


「見た限り、かなりミレナ様に気に入られたんじゃないか……?」


「そうか? 俺のイメージでは、誰とでもあんな感じがするが」


「そうでもないさ。ミレナ様は人の善性を、直感的に判断なされるからな。お前は、そのお眼鏡に適ったというわけだ」


「直感か……そうだとありがたいな……」


 シュウはグレイの誇大な言葉に対し、胡乱うろんげに頭を掻いた。


 確かに、ミレナは『信用する』とはいった。だが、それは飽くまで彼女の気持ちであり、シュウ自身の納得とは別である。

 正確には、彼女がこちらを信用する理由が理解できないから、納得がいかないわけではない。彼女を騙しているようだから、納得がいかないのだ。


 シュウがこのモワティ村を守ると決めたのは、目的があったからだ。

 それは高潔な決意とは程遠い、我欲にまみれた利己心によるもの。師匠の目的を遂げるための通過点に過ぎず、全ては自分の為にというものに収束する。


 その欲望に満ちた考えを持つ自分が、善人と判断されるのは何とも出来過ぎであり、騙しているようで気持ちが悪い。


——善人とは自分の為ではなく、他人のために全てを投げ出せる者のことだ。


 自分には、人生の一生を掛けても得られない称号だろう。


「納得がいかない、そんな顔だな……」


「まぁな」


「だから、ミレナ様はお前を、善人だと認めたんだろう」


「……?」


 シュウの悔悟かいごをグレイは悟ったのか、うつむきながら頬を緩めた。


 善人でありたいと思うシュウには、彼の浮かべる笑みを理解することは出来ない。

 生前、命を助けるために、命を奪う事もあった。分かり易く言うと、人殺しだ。

 

——その自分が善人など、あり得ない。


「まぁ、とにかく認められたんだ。考えても仕方がない……部屋の水履きは、家主の俺が済ませておく。お前は早く、お嬢様のご機嫌取りに行ってこい!」


「へいへい、お言葉に甘えるよ」


 シュウは濡れたシーツを持ったまま外へ。物干しざおにシーツを干し、濡れたシャツとズボンを搾り取る。仕上げに、騎士団が身に着ける徽章きしょうを首に掛けて、ミレナの待つ家に赴いた。


 徽章はお古だ。


「その、さっきはごめん」


 家の壁を背もたれにしながら待っていたミレナは、シュウが来たことに気付くと壁から背を放した。


 彼女の垂れ下がった長耳は、動物が尻尾で感情表現する様——慚愧ざんきしているのが見て取れた。

 どうやら彼女の耳の挙動は、喜怒哀楽を見抜くのに最適らしい。といっても、彼女の表情をみれば一目瞭然ではあるが。


「反省してるってのは、その顔と耳を見てわかった。てかお前、俺以外にもこんなことやってないだろうな?」


「や、やってないです」


 慄然りつぜんとミレナは敬語で返す。


 ミレナが何故、そのような反応をしたのかというと、それはシュウが怖い顔をしていたからだ。そして、その怖い顔に寝起きのテンションの低い声が被されば、効果は抜群。

 因みに、本人であるシュウは全く気付いていない。 


「じゃあいいか……それで、お嬢様。今日はどこに行き、何をなされるのですか?」


「あ、今馬鹿にしたでしょ?」


「とんでもない」


 外方そっぽを向いてしらを切るシュウに、ミレナはムッと顔をしかめて小さくうなる。それから長耳をぴくっと立たせ、


「それじゃあ、今日の予定について……先ず、陽刻ようこくはシュウに森の案内をした後、訓練所で魔法の練習。陰刻いんこくは、私の部屋で読み書きの練習よ!」


 ミレナは背中で手を組み、足を大きく振りながら左右に往復移動。それから、すっとシュウの前まで足を運び、背伸び。右手の人差し指で、シュウの鼻をツンッと突っついた。


「ん、陽刻と陰刻ってのが、いまいちピンとこねぇが、今の言葉で今日一日、多忙ってのが理解できたよ」


 もう一つ分かったことは、今日一日がミレナの護衛にもなるという事だ。

 ミレナが融通を利かしてくれた為に、シュウは村を守る騎士団に入団できたわけだ。村を守ることが目下の課題である彼にとって、これほど合致がっちした役目はない。


「ミレナ様を守護する騎士 (かり) として、本日から精進致します! ってな」


 想像上の騎士を思い浮かべ、シュウは敬礼のポーズ。精励せいれいを露にした。


 そもそも、獣人と人間のハーフだと忌み嫌われている者達が住むモワティ村に、人間の騎士団が滞在していることはおかしい事なのだ。だが、その『おかしい』を『正しい』に昇華しょうかさせてしまう存在が、ミレナだ。


 シュウは最初、彼女をエルフのお姫様だと思っていた。創作上に出てくるように、エルフのミレナが森の中に住んでいることからも、そのようなものだと解釈していたのだが、実際はもっと複雑なものだった。


 ミレナは虐殺されたエルフ族の生き残りの一人らしく、瀕死状態のところを水魔法の創造神である『アルヒ』の神核が宿ることによって一命を取り止め、今に至るとのことだ。

 そして治癒魔法師として、世界最高峰の実力を得たらしい。


 ミレナの治癒魔法師としての実力は、切り落とされた腕や足を繋げ治すことはおろか、なくなった部位すらも再生することができるらしい。

 事実、ミレナの治癒魔法によって、アルヒスト国国王の孫の命が救われたのだそうだ。


 以上のことを踏まえ、ミレナは保護対象として、国の最高戦力である騎士団から保護されることになったのだ。

 時代を越えて語り継がれるほどの功績を得た人物、と言っても遜色そんしょくない。

 

「どうしたの? ぼーっとしちゃって」


「あ、いや、少し考え事だ……何でもないから気にするな」


 シュウは自身の胸中に、大きな痛痒つうようを感じた。


 先日、ミレナが島を出た理由の開示。それを惜しんだのは、同族が虐殺にあったからだろう。その陰惨な過去を思い出すだけで、彼女は毎度、激情にさいなまれているはずだ。

 何も知らなかったとはいえ、神を宿すミレナにしてしまったことは、慮外りょがいなことだ。

 ミレナが寛仁かんじんでなければ、今頃首が飛んでいてもおかしくなかった。

 

「本当に、本当の本当に、何でもない?」


 顎に手を当て、俯きながら思案するシュウに、ミレナは身体を傾けて覗き込む。翠の髪から垣間見かいまみえる彼女の翠眼は、何処か憂いをはらんでいた。


「……いや、すまん、何でもないのは嘘だ。その、昨日は悪かった……ミレナの事情も知らずに、不謹慎なことを、俺は……」


「あぁ、そのことね……ホントバカね、シュウは。気にしてないわよ……グレイから聞いたの?」


 シュウは「そうだ」と、頷く。


「そう……ありがとね。ちょっとだけ、気が楽になったわ」


 シュウの気遣いは、稚拙ちせつ愚直ぐちょくであるからこそ、ミレナに大きな安心を訪れさせた。


 パンパンと頬を叩き、ミレナは鬱屈うっくつとした感情、その余韻よいんを残すことなく、嫣然えんぜん破顔はがん。いつも通りの天真爛漫な少女に戻った。


「じゃあ、行きましょ! 村の為にも、教養の欠けてるシュウには、色々と知ってもらわないといけないからね!」


「助かるよ……」


 長耳を上下に揺らしながらニコッと微笑み、ミレナの朗々ろうろうとした声が村に広がる。そのまま彼女はシュウの手を取って走り出した。




 ※ ※ ※ ※ ※ 




「ここが第三転移地点よ。覚え方は『崩れた崖』に、川にある偶然できた『こわーい人面岩』そこから右にある大きなアズナシの木から、さらに右に村が移動するわ」


「こわーいって部分はどうでもいいとして、人面岩は覚えやすいな……」


 現在、シュウとミレナがいる場所は崖下にある川。その横にある、直径一メートル程度の岩のそばだ。


 人面岩というのは真実で、岩の細かい模様が老人の顔の様になっている。怖いかどうかは別として、覚えやすいという観点では上々といえよう。

 第一の『森が騒がしい所のカガの木』と第二の『ミララン鹿が多く出る、ヌマの木』よりは、幾倍いくばいもシンプルで分かりやすい。


——ここで講釈こうしゃく


 村が移動というのは光魔法の一種——転移魔法を用いて、村と転移場所の位置を入れ替える仕組みのことだ。

 転移魔法は、光魔法の創造神である『へダル』の血が濃い者が扱えるとのこと。


 それに当たるのが、シュウが先日にあった陰の薄い男——リフ・ゲッケイジである。リフは高位の光魔法師であり『魔刻石まこくせき』に魔力を刻む『魔刻主まこくしゅ』という存在らしい。


 転移物と転移場所に、転移魔法を行使できる『魔充石』を設置することで、転移できると、グレイが言っていた。

 

 転移させる理由としては、村 (ミレナ) の居場所を盗賊や闇組織に悟らせないためらしい。これだけでも、充分刺客を撹乱かくらんしているのだが、更にこの防衛策に拍車をかけるのが、村にとって害ある存在を退ける護石だ。


 昆虫から動物、魔獣に人間まで、害あるありとあらゆる生物を寄せ付けない守護結界とのことだ。

 念には念を、という姿勢には感嘆かんたんしかない。


 グレイ曰く、仮に村の位置を把握されたとしても、転移と護石があるから大丈夫であるそうだ。


 ただ元来、転移魔法で転移させる物は小規模なものらしい。村ほどの規模を転移させるとなると、莫大な魔力が必要になるのだと。あとお金も。


 それほど大掛かりな仕掛けを使った隠蔽いんぺい。それ故、ミレナの存在が大きいことがわかる。国王の恩人であり、水魔法を想像した主神アルヒの神核を宿す、数少ないエルフ族の生き残り。


——ミレナの存在、デカすぎでは。


「ちょっと、こわーいがどうでもいいって、どういう事よ?」


「いや、主観はいらないって意味で言っただけだ。まぁ人面岩、って言うよりも、こわーいって言葉を加えた方が、フレーズとしては覚えやすいが……」


 子供の様に不服を露わにするミレナ。その彼女に対し、シュウは至って淡々とした口調で返す。

 ここだけを見れば、大袈裟おおげさに発言した子供を窘める、意地悪な大人と見られるかもしれない。


「ここでも理屈? 客観ばっかで話すシュウには、理屈屋って称号を与えてあげるわ……」


「ありがたいな……それと客観視しようとすることは大事だ。まぁ、主観視の方が、大事な時もあるがな」


「む……嫌味も通じないとか、私が子供みたいじゃない」


 事実、ミレナは子供であるとシュウは思う。だが、ただの子供ではない。子供のように純粋でありながら、大人以上に物事の先を見ている。亜人と人間、獣人が一緒に暮らせるという未来を。


 昨夜のグレイのやり取りを、シュウは思い出す。


『ミレナ様は、モワティ村の村民が、いや、亜人への迫害がなくなる未来を望み、目指していらっしゃる……俺たちが、モワティ村に赴任し始めた時は、シュウ以上に、村民達に忌避されたものだ』


 蝋燭ろうそくが置いてあるダイニングテーブル。少しうす暗い部屋が、グレイが話すことと妙にマッチしていた記憶だ。


『そうなんすね……』


『わざと無視されたり、子供に足を蹴られたり、そんなこともあったな』


『立場が逆転してません。それ……』


 苦笑いするシュウ。彼の言い分にグレイは『その通りだ』と、頷いて、


『でも、ミレナ様がそんな村民達の行動を見かねて、こう言ったんだ。『それじゃあ、余計に軋轢あつれきを生むだけだわ。私達が本当に目指すべきは、互いが壁を厚くし合って、同じ人種で結託けったくする、目先の保守的な未来じゃなく、互いに寄り添い、助け合う革新的な未来よ!! そうに決まってる!! 今貴方達がやっていることは、亜人迫害の問題を悪化させるだけの行為だわ!!』ってな……』


 ミレナのセリフを言う時のグレイの表情は、躍然やくぜんと輝いていた。そして、握り拳を固め、


『俺はあの言葉を聞いた時、本気でモワティ村と、彼女を守りたいと思った』


 まるで、その時の感情を再現するかのように、敬慕けいぼを口にした。作った握り拳を毅然きぜんたる双眸で見る様は、敬慕の現われだろう。

 ミレナに敬語は使わなくていいと言われた筈なのに、それでもグレイが敬語を使い続ける理由は、そこが起源なのだと、シュウは思った。


『凄いっすね。ミレナは……』


『そうだ、ミレナ様は最っ高にすげぇぜ』


 村民たちは変化を恐れている。人間や獣人と関わっていくという変化を。


 変化しないことで、停滞したことで良い方向に動くこともある。それは否定できない。

 だから、変化を訪れさせようとしているミレナを、子供の考えだとののしる者もいるだろう。余計なお世話だと、激憤する者もいるだろう。

 だがそれでも、ミレナは彼らの気持ちを理解したうえで、村を良い方向へと変えようとしている。


 いつの時代でも、周囲の者の意見を気にせず、変えようと、変えたいと思う、大人になり切れない子供のような存在が、先の分からない恐怖を振り払い、畏怖いふを乗り越え、周囲や世界に変化を訪れさせるものだ。


 それも、大きく良い変化をだ。

 それで救われた者の数は、計り知れない。


 ミレナは子供であることを、怖れていない。嫌がってもいない。


——それはミレナの美徳だ。


 慕われている理由が充分に理解できる。もしかしたら、彼女が子供でありながら大人以上でもあるのは、長生きしているからなのかもしれない。


「何? なんか考え込むようなポーズとって……」


「え? あぁ……」


 どうやら、考えている時の癖——顎に手を当て考えポーズを取っていたらしい。

 シュウは顎から手を放し、


「グレイさんから、過去、ミレナが村民を叱ったって聞いてな……子供らしくありながら、大人以上に未来を見据えた、村一の年長者様だ、と思ったんだ」 


 ミレナに敬服けいふくを伝えた。


「え!? そ、そうなんだ。ま、まぁ……年長者の私が、皆を率いるのは当たり前だし、シュウもわかってる、じゃない……うんうん」


 急に褒められた所為か、ミレナは視線をきょろきょろさせながら返す。


「声が震えてなかったら、百点だったな」


 その反応がどうしようもなく面白くて、シュウはミレナを嘲弄ちょうろうした。

 嘲弄されたミレナは怫然ふつぜんと頬を膨らませ、長耳を逆立たせて、


「ちょっと!? 馬鹿にしないで——ッ」


 ——刹那、木の枝が折れるような音が、シュウとミレナの耳に入った。


 ミレナの長耳がぴくんと跳ねるように動く。

 緊張感が森の中を席巻せっけんする。唾を嚥下えんげした喉が、不安を煽るように顫動せんどうしている。


 この感覚は、強敵。強敵と接敵した時に感じる危機感だ。

 

 もしかすると、先日に会ったグレートギメラが、村の近くまで接近してきた可能性もある。そうなれば、ミレナを守りぬかなければならない。

 彼女は多少なりとも、戦闘の心得はあると言っていたが、だからといって慢侮まんぶする要因にはならない。退けられるなら退け、無理だと感じたのならミレナを抱えて逃げる。


 役目重大だ。


 シュウは音の発生源を睥睨へいげい。肌を刺すような気配が、大岩の裏から感じられる。

 シュウは数歩動き、そこに居る存在が何者であるかを確かめ——、


「これは、これは……ミレナ様にイエギク殿でしたか。驚かせてしまったこと、深くお詫び申し上げます」


 その存在は見つかってしまったことを、まるで開き直ったかのように姿を現した。肌を刺すような気配、緊張感は、幻覚であったかのように消失する。


 大岩の後ろに居たのは、鈍色の髪を肩程度までに延ばした影の薄い、やせ細ったリフだった。


「リフじゃない! よかった。魔獣じゃないかって、ヒヤヒヤしたわ……」


「申し訳ございません。私も、てっきり魔獣と会敵してしまったのかと……今、魔充石の確認をしていまして、つい警戒し過ぎてしまいました。本当に申し訳ない」


 殊更ことさらにそう言って、愛想笑いをするリフ。

 シュウはその仕草と、普段着である容姿に違和感を覚えた。


「そっか、今日の魔充石の確認はリフだったもんね。お疲れ様……そういえば、今日はいつも着ている鎧じゃないんだ? 護石は村にしかないんだし、ちょっと危ないんじゃないの?」


「それは……ミレナ様にご心配をかけてしまうとは、一生の不覚です。ですが心配はご無用。このリフ・ゲッケイジ、魔獣程度に引けを取らないと、断言いたしましょう」


 確かに、森を席巻していた緊張感はリフから放たれていた。ミレナも長耳をぴくぴくさせていたことから、先ほどの感覚は確かなものになる。

 何か怪しいことをしている最中で、タイミングよく自分とミレナと遭遇。怪しまれない為に、敢えて自ら姿を現した。


 そうすれば、訊かれた時の釈明しゃくめいに役立つから。


 村が襲われることは確定している。その敵の一人が、モワティ村の内部にいる可能性は否定できない。

 それとも、考えすぎか。


 熟慮じゅくりょするシュウの耳から、二人の会話が段々と遠くなっていく。


「——ギク——、イエギ——の、イエギク殿……」


「あ、はい!」


「ミレナ様の護衛、頼みましたよ……」


 シュウはリフの声と視線に、思慮を中断。右手を差し出して握手を示唆するリフに、シュウも「はい」と、右手を出して答える。


「任せて下さい……」


 昨日、握手した時と同じ普通の手だ。リフが内通者という線は、護石が否定しているはずだ。やはり、考えすぎかもしれない。


 細いまなじりから、こちらを覗いてくる透徹とうてつとしたリフの瞳は、ミレナに遷移。彼はうやうやしくお辞儀をすると「それでは」と一言だけ言い残し、森の奥へと歩いて行った。


「もう、畏まっちゃって、一応リフにも、敬語はいいって言ってるんだけど……あ、シュウってば、またぼーっとしてる。今日で三度目よ」


「…………?」


 リフの背中を見据えていたシュウ。その彼の身体に一瞬、ラグのようなものが発生したのを、シュウは見逃さなかった。見た目は人間の——生物の色艶いろつやのある肌なのに、投影機で映し出されたように、彼の身体が薄弱になったのだ。


——寝不足による、見間違えか?


「ねぇ、シュウってば、ねぇ! 聴こえてないの? ねぇってば!!」


「え、あぁ……なんだ?」


 シュウは思慮しりょを解いて、呼んでくるミレナを見た。


「なんだ? じゃないわよ。リフのこと見たまま、ぼーっとして……そんなにリフの事が気になるの? あ、もしかして同性あ——」


 両手を腰に据えて、ご立腹ポーズのミレナ。彼女は無視したシュウに意趣返いしゅがえしをするように、われもないことを言い募らせる。

 その少しおふざけが過ぎるお嬢様の耳を、シュウはグニっと引っ張り、


「それは絶対にない」


 こねくり回すようにグリグリする。


「ごめん! 嘘だから! 痛いから! 耳を引っ張らないで!」


「反省しているならいい。それよりも、訊いていいか?」


 シュウはミレナの耳から手を放す。ミレナは「うぅ、ひりひりするぅ……なによ」と涙目で、赤くなった耳をおさえながら聞き返す。


「リフさんは、どんな人だ?」


 シュウはリフについて問うた。

 この内にある違和感は、知らなければ払拭ふっしょくされない。ここでリフのことを訊かなければ、二度と彼について知ることが出来ないような、そんな気がしたのだ。


「そうね……」


 ミレナは「ぅん」と、腰に手を当てて考え込む。そして、彼女なりに噛み砕いたのか、リフが歩いて行った方向を見て、


「真面目で優しい子、かな……真面目過ぎて、自己犠牲を選んじゃうくらいの、いい子よ……」


 少しだけ、悲し気に評した。


「真面目で優しい、か」


 零したシュウ。その怜悧れいりな表情に思うところがあったのか、ミレナは「まさか」とシュウを見て、


「リフのことを、疑っているの?」


「わからねぇ。ただ、少し気になってな」


 シュウは首を左右に少し振って、尽言じんげんした。


「第一印象で、判断し切るのはよくないことよ。あと、リフにその気があったのなら、護石に引っ掛かってるはずよ。だから考えすぎ……」


「そうだな、その通りだ」


 正論の中の正論だ。この違和が、疑いが、根拠のない邪推じゃすいであることは事実。

 それ以上の詮索は雲を掴むことと等しいと思い、シュウは胸中にある違和を無理矢理に引っ込めた。


「わかったのなら、次の転移地点に向かうわよ。次はもっと覚えやすい場所だから、ええっと、確かメジロオオカミが生息する、ウラジロフジの木だったかしら」


「いや、覚えてないのかよ……」


 そんな他愛のない会話をしつつ、二人は森の奥へと歩いて行った。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 薄みがかった己の身体を見やりながら、リフは鈍色の髪をかき上げる。そして、取り替えた魔充石を砕き割り、


「弱者救済……この大義を成し得る為なら、私は……」


 もはや、見ることもできない青年と少女に向かって、そうこぼすのであった。

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