第3話 手紙

「ちょっと付いてきて、シュウ」


 ミレナの短い演説が終わった後、彼女に手招きされたシュウは、疑問符を浮かべながら近づいた。口元に手を当てて内緒話アピールのミレナに、シュウは耳を傾ける。


「一時間後に私の家……聖堂の横にあるちょっと大きい家。あそこに来てちょうだい。話がしたいの」


「わかった」


「話す事なんだけど、シュウは、この村に訪れようとした理由を話して。私はなんで、あなたを受け入れたかを話すわ。因みにこの話は内緒だから、絶対公言しちゃだめ」


 ミレナは一度、シュウの耳から口を離し、腕をクロスさせてバッテンポーズ。シュウは「おう」と答える。再度、ミレナはシュウの耳元に口を戻し、


「それと、一時間の間に、あそこにいるグレイと、もうすぐ騎士団の子達が戻って来るから、その子達と自己紹介を済ませておいて……明日から、シュウには騎士団の一員として、この村で働いてもらう事にするから。グレートギメラを一人で退けたんだし、あなたも力仕事の方が楽でいいでしょ? ただ食いは、メッ! だからね」


 ミレナはシュウの耳から顔を遠ざけると、ぴょんぴょんとウサギの様に後ろへと飛び退いた。 

 慧眼けいがんなことこの上ない。要は、恩を売れるように仕事を斡旋してくれたわけだ。

 村を守る騎士団、それに加われば嫌でも目立つことになる。例え、忌避きひされている存在だったとしても、直接的な恩を売れば相手の対応も変わるということだ。


 また彼女は、会ったばかりの余所者を悠々と受け入れた理由。それを明かそうとしている。村民達の不安だけでなく、こちらの不安さえも取り除こうとしているのだ。


 これを慧眼と言わず何と言う。


「それじゃあ、私は今からやる事があるから……すっぽかすんじゃないわよ!」


 愛らしく笑い、ミレナは聖堂の方へと走っていった。

 元気のよいお嬢様だ。それにしても、騎士団というのが存在しているとは、本を読んでいるシュウにとっては、聞き馴染みがある単語だ。

 主にファンタジー小説に出てきそうな設定である。まぁ、実際ファンタジーな世界ではあるが。


「騎士団ねぇ……時代的には中世後半から近世か」


 シュウは振り返り、グレイを見た。

 創作物にありそうな、騎士然とした風貌と見た目の持ち主だ。


 シュウは彼女に言われた通り、自己紹介を済ませようとグレイに近づいた。

 

「グレイさんでしたか、先ずは同じ人間同士、自己紹介を済ませておこうと思いまして……」


「あぁ、そうか……」


 呼びかけられたグレイは、合点がいったように顎に手を当て、顔を愉色ゆしょくに染める。それから、自身の腰に番えていた剣に手を置き、


「俺はグレイ・フェイド。アルヒストに代々伝わる由緒正しき騎士家計、17代目フェイド家の長男であり、現騎士団長だ。まぁ、今のフェイド家は弟のクウェルに任せきりだがな」


「忙しいんですね。俺はイエギク・シュウです。よろしくお願いします」


 グレイに右手を差し出し、シュウは握手を示唆する。彼は手を握り、


「これから、よろしく頼むぞ、シュウ……頼りにしているからな」


 握手を交わした。

 ミレナとの内緒話を盗み聞きしたのか、或いは達観したのかは定かではないが、自身に白羽の矢が立つことは分かっていたらしい。


「はい、よろしくお願いします、グレイさん。そういえば、他の騎士団の方は何処に……?」


「リフ達は今、森の見回りに、転移魔充石と護石整備に向かって……いや、帰ってきたようだ」


 グレイは言葉を紡ぐことを途中でやめ、何やら騒がしい村の入り口方面に目を送った。シュウも彼の目に釣られるように視線を遷移せんい

 村民達の中心。彼らに謝恩の目を向けられている軽装の鎧を着た男たちが、シュウの目に映った。


「…………」


 騎士団の中心にいる男に、シュウの意識が集中する。

 鈍色の髪を肩付近まで伸ばしていて、他の騎士団の男たちよりもやせ細っている男だ。群衆に交じれば見失ってしまいそうな、影の薄い男。

 その存在が、騎士団という武闘派集団の中に混じっていることに、シュウは違和感を覚えた。


「あぁ、あれはリフ、騎士団の副団長だ。一見弱そうな男だが、剣は俺に負けずとも劣らずの才能を持っている。奴は、自身の外見的特徴を利用して、相手を翻弄させる賢い男だ」


 戦闘に於いて自身と同等か、それ以上の相手に対し勝利を収めるのに必要なもの。それは如何に、相手の『虚』を突くかだ。

 意識的に侮らないと考えていても、無意識的な思い込みが介在してしまうのが戦闘。もし仮に、今の情報を知らずに彼と戦っていたなら。ぞっとする話だ。


 男——リフはシュウとグレイの視線に気づくと、二人の元に歩いていく。止まり、社交辞令のような笑顔を装って、一度だけお辞儀をした。


「いつも、すまないなリフ。俺も、お前の様に光魔法師の才能が高ければ、転移魔充石の手伝いをできるんだが、神は、俺にそこまでの才を与えてくださらなかったようだ……お前には助けられてばかりだな」


「滅相もございません、グレイ殿。転移魔法は光の神『へダル』様の血が濃い者にしか与えられない、稀有けうな魔法です。私は、ただその血の濃い家系に生まれさせられただけのこと……グレイ殿のような、研鑽けんさんで得た才ではございません」


「「ハハハハハ!!」」


 これが本場の謙遜けんそんと社交辞令なのだと、シュウは思った。

 お互いが口元を弛緩させ、笑いあっているはずなのだが、何故か仲が一向に深まり合っていないような雰囲気。


 グレイはリフの才能だけを褒め、リフはグレイの努力だけを褒める。

 聞き様によっては、嫌味だと捉えられそうだ。というか、嫌味では。


「ところで、そちらの方は?」


「どうも、イエギク・シュウです。この森で迷ってしまって、先ほどミレナに迎え入れられたんです。よろしくお願いします」


 話の中心に立たされたシュウは手を出して、リフに握手を示唆する。が、


「ミレナ様直々に……そうですか」


 何か考え込むように、表情を固めた。


「————?」

 

 疑問符を浮かべるシュウに気付いたリフは、その思案顔を笑顔によって塗り替え、非礼を詫びるようにお辞儀をした。


「いえ、何でもございません。イエギクさんですね。私はリフ・ゲッケイジです。こう見えて、れっきとした騎士団の副団長です。以後、お見知りおきを……」


 妙なイメージのリフはシュウと握手を交わし、礼儀正しく振舞った。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 騎士団の男たちと軽く自己紹介を済ませたシュウは、予定よりも十分程度早く、ミレナの家に赴いていた。


「ちょっと早かったな……」


 手持無沙汰に村を見渡し、聖堂に視線が合わさる。


『聖堂の横にあるちょっと大きい家。あそこに来てちょうだい』


「聖堂か……」


——ちょいと、中を見てみたいな……


 ミレナの言葉を振り返り、シュウは未知への好奇心に駆り立てられる。異世界なのも相まって、シュウは自然と足を聖堂に運ばせていた。


「これは……」


 シュウは聖堂内の光景に唖然あぜんと口を開けた。

 他の木造の建物とは違う石造りの建物。ただそれだけで異彩を放っている聖堂だが、その中は見た目以上だった。

 別世界に迷い込んだのではないかと、そう錯覚させられる程に聖堂内は神秘的であったのだ。


「銅像か?」


 窓から差し込める太陽光が、ステンドグラスによって様々な色に変わる。そして、その光は聖堂内の中心にある銅像を彩っていた。大きさは約3メートル。青い髪に、青い瞳。見た者を扇情させるような美貌の女性の像だ。

 

 何故だろうか。その像の女性は初めて見るはずなのに、シュウは既視感に似た感慨を覚えていた。どこか、どこかが誰かに似ているのだ。

 筆舌に尽くしがたい淡い記憶のように、薄くありながらも厳然と——、


「あ! シュウってば聖堂内に入ってきちゃったの!? まぁ、でもいいかぁ……話すタイミングが早くなっちゃっただけだし……」


 思い耽ているシュウの集中を解いたのは、銅像の前で腰を落とし、仰いでいたミレナだ。彼女はやむなしというように立ち上がって、シュウに近づく。


「ミレナ……」


「何……?」


 シュウの双眸はミレナの瞳を捉えていた。


 彼女の瞳が女性の像の瞳と似て——いや、似ていない。だが、ミレナの瞳と女性の像の瞳が、確かに似ていたのだ。そう『似ていた』だ。

 確か、ミレナの瞳が翠から青に変わったあの時だ。別人になったかのように、雰囲気が変化した時だ。


「お前、もしかして……この像のモチーフになったりしてないか? いや、そんなわけないか。体型とか全然似てないし。やっぱ気のせいか?」


「なんか、すっごい不当な扱いを受けた感じが否めないけど、シュウの言う通り、私はこの像のモチーフになってないわ。でも、関係がないわけではないの。そうね、この話は私の家の中で……村の皆に聞かれたくないことだから、付いて来て」


 真剣な表情で歩いていくミレナを追い、シュウは彼女の家に入った。小さな廊下を通り、リビングの椅子に座っていてと言われるがまま、彼女を待つことに。


 座して待っている期間。シュウは部屋の中を眺めていた。一見何もない部屋なのだが、その実違う。これが面白いのだ。


 机の上には蝋燭。壁には六人の男女が映った絵画。棚には冠を被り、秀麗な服を纏った老人——その模様が描かれた大皿と、羊皮紙の本が数冊置いてある。本の中心には何かを象徴した紋様が施されていて、かなり値が張りそうだ。

 台所には果物や野菜、肉などを調味料で浸した瓶詰や、酒樽が並べてある。食器棚の中には、木製食器と白いティーカップ。他には、暖房として用いるであろう暖炉と様々だ。

 

 聖堂と家屋の内装、そして巨躯のグレートギメラ。

 どれもがシュウの見たことがない世界だ。本当に異世界なのだと、実感させられる。

 

 数分の後、ミレナは右手に手紙を持ってリビングに戻ってきた。ミレナは机を挟み、反対方向の椅子に座ると、


「お待たせ……先ずはシュウがここに来た理由について、聞かせてもらっていい?」


「わかった。率直に言うと……この村を救いに来た」


「——やっぱり、そうなんだ!」


「やっぱりって、お前知ってたのか?」


 パンっと手を叩いて、納得するミレナ。

 こちらの率直過ぎる物言いに、ミレナが驚愕する未来を予想していたのだが。そうならなかったことに、しっぺ返しを食らった気分だ。


「うん。これ、この手紙。これってシュウが書いたんでしょ? それとも、シュウの知り合い?」


 ミレナは泰然な顔つきで、要領が得られないことを言ってきた。

 異世界に転生してから一日も経っていないシュウに、手紙を書く暇など寸毫すんごうもないし、知り合いと呼べる者はモワティ村の村民たちしかいない。


 『どちらでもない』と即答しようとしたが、ミレナはそれよりも早く手紙を開き、シュウに見えるように突き出した。

 彼女の強引な行動に仕方ないと思ったシュウは、渋々、手紙を読むことに決めたのだが、


「これは……まて、なんて書いてあるかわからねぇ……」


「は? どういうこと?」


「いや、すまないが全く読めん……」


「嘘でしょ!? シュウ、もしかして文字読めないの!? 文盲もんもう!?」


 憤懣ふんまんやるかたないシュウ。その胸中に浮かび上がって来るのは、創造主の姿だ。彼彼女は確かに、言語は母国語にするとは言った。しかし、文字までは母国語にするとは言っていないのだ。

 十中八九そういった意味に落ち着くだろう。質の悪いことである。


 ミレナの言う通り、文盲です、はい。


「あぁ……悪いがそういう事になる。くそ、あの野郎」


 愚痴を口の中で零すと、シュウは「読んでくれないか?」と、ミレナに音読を提案。「もう、訳が分からないわ」と言いつつも、彼女は手紙の向きを自身の方向に戻した。


「じゃあ、読むわね『謹啓、十年後の貴方へ。ますますご健勝のこととおよろこび申し上げます。さて、この度手紙を書かせてもらったのは他でもありません。吉報でございます。夏の終り、貴方の元にとある男が訪れます。その男は黒髪に青い目。背丈は六尺以上でございます。どのような形であれ、彼は一年後、貴方を救済するでしょう。故に排斥せず、彼を受け入れてください。それでは、どうかお体をご自愛ください。敬白』これで終わり。それでこの手紙に書かれてある『男、黒髪に青い目。背丈は六尺以上』これって、貴方にすごく似ていると思うの」


「————?」


 寝耳に水であった。


 自身が黒髪で青い眼のことや、背丈が六尺以上であることに対する驚きではない。いや、もしかしたら自身の見た目すらも転生した時に、変えられているのではないか。という考えが過ったが、そうではない。


 異世界で、それも十年以上も前に書かれた手紙に、自身のことが記述されていることへの驚きだ。


 自分とよく似ているだけで、実は全くの別人物という考えが頭に浮上しなかったわけではない。そうだと決めつけなかったのは、ひとえに創造主の存在があったからだ。


 シュウを異世界に送り、ハーフの村を救えと言った創造主。実際に、シュウは異世界に送られ、そのハーフの村の近くに飛ばされたわけだ。

 十年前に手紙を書き、創造主がその手紙をミレナに送り付けたという可能性は、否定しきれない。


「手紙を書いたのは俺じゃない。でも恐らく、その手紙に書かれているのは俺だろうと思う。さっきも言ったように、俺は、この村が危険に晒されることを知っていたからこそ、モワティ村に訪れたんだ……何故襲われるか、誰が襲うか、それはわからない……ただ、襲われることだけは知っている」


 創造主に言われたハーフ村の救済。村を救済しなければならないということは、村が襲われるという証左だ。

 といっても、シュウが創造主に聞かされたのはそれだけで、どのようにして村を救済すればよいのかは、聞かされていない。そこに関しては、シュウ自身のやり方に任せるという事だろう。

 

「……そう、ならこの手紙はやっぱり悪戯いたずらじゃないのね」


「疑わないのか? 俺は村が襲われるのを知っているのに、それ以外の理由を、黙秘しているんだぞ? 敵の刺客って可能性もない訳じゃない。俺が今ここでお前を襲わないって、根拠が何処にあるって——」


「今のシュウの発言で、その可能性も潰えたわ。それに、私がシュウをこの村に迎え入れた理由は、確かに手紙のこともある。でも、それは理屈で気持ちの部分は違うの」


 襲撃されることを知っているのに、その理由を話さないとなれば、自らを刺客と自己紹介しているのも同然。

 それでもミレナは、黙秘を加味したうえでシュウの発言を切り伏せた。


 整然とした表情。


 無根拠ではない。彼女の表情は第一印象の時のソレとは違う、整然とした表情だ。

 天真爛漫から整然とした印象に変化——全く逆なものに変化したからこそ、より一層、彼女の本気を如実にしていた。


「村の皆にも、王族の人にも話していないことがあるの……私の中に眠っている水魔法の創造神、アルヒ様……本当はもう目を覚まされているの。目を覚まされた理由をアルヒ様は黙秘なされているけど、きっと貴方が切っ掛けだと思うわ。シュウも薄々感づいていたんでしょう? 私と、私の身体を借りたアルヒ様の違いを……」


「そのアルヒ様ってのはわからねぇが、あぁ……俺が違いを感じたのは、事実だな」


 ミレナと謎の存在との相違点——それは彼女の瞳の色が、翠眼から蒼眼に変化したときだ。

 まさか本当の意味で、人が変わっていたとは。


「ミレナの目の色が変わった時。翠から蒼に変化した時だ。聖堂内にある女性の像と、ミレナの雰囲気が、俺の中では酷似してたな……」


「やっぱり、感づいていたのね……だったら話が早いわ。最初、私と会った時、シュウの手に触れたでしょう? あの時ね、アルヒ様に、シュウの心の色と、シュウの魔法の適性属性を調べてもらったの。それでアルヒ様は、貴方を危険人物ではないと、看破されたわけなのよ」


「そりゃまた凄いことだな……」


 相手に触れるだけで、対象者の性質が見抜けてしまうとは。生前の世界なら、スパイや詐欺師の天敵である。その仕事だけで、一生分の生活費をまかなえそうだ。妄言虚言だと、顰蹙を買いそうではあるが


「シュウはモワティ村を救うために訪れた。私は村の為、気持ちの部分でもシュウを受け入れたかった。それで次は、村の皆にこのことを、明かさないことについてなんだけど……なんでか分かる?」


「村が襲われるのを明かしてしまえば、村民達が混乱してしまうから……ってところか?」


「うん! 正解!!」


 シュウの顔に人差し指を向けて、机に乗り出す勢いで身体を突き出すミレナ。その後は興奮を抑えるように椅子へと腰を落とした。


 混乱防止の策だ。


 村が襲われるのは未来の出来事。それを事前に知り得ていたとしても、証明できるものが存在しない。例え証明できたとしても、襲撃の期日までは分からない。

 人の多い町に移住させるにしても、村民は迫害を受けて辺境に居るのだ。身も蓋もない。


 また、これは創造主のことを考慮にいれての考えなのだが、シュウは移住させても逆効果だと考えている。


 創造主は感情の共有を目的にしている。移住して問題解決となっては、それが叶わない。想定しているはずだ。


「襲われるのは一年後なんだし、このことは言えても、クレイシアやグレイ。それとリフぐらいかな。それ以外の皆には、気が引けるけど、黙っておいた方が安全だわ」


 シュウの場合は創造主が大きく絡んでいる為。ミレナの場合は手紙が大きな要因だ。

 村が襲撃されるのは確実。村民を町に避難させてしまえば、被害が拡大してしまう。ミレナはそのような手段を絶対に選ばないだろう。

 それに、村が襲われることを村民に開示すれば、シュウが内通者だと疑われてしまう。そうなると、更なる混乱を招く羽目になる訳だ。


 ミレナはそれらを危惧きぐしたうえで、内緒にしたのだ。


 要約すると、村民に襲撃のことを明かしても焼け石に水。そういうことだ。


 シュウがモワティ村に訪れたいと言ったあの瞬間に、ミレナは先のことを予想して内緒にしたのだ。彼女の中では確定事項ではあるが、理由の開示は予想を確実なモノへと昇華——90%を100%にさせるためであろう。


「ん? まて、今、一年後だって言ったか?」


「うん。それがどうかしたの?」


「……今夏の終りとかじゃなくて、か」


 顎に手を当て疑問符を浮かべているシュウに、ミレナは「うんうん」と首を横に振り、


「だって、手紙にシュウが来てから一年後って」


「そうか……」


 きょとんとしているミレナに、シュウは「悪い、気にするな」と、言葉を挟み込んだ。


 どう転んでも、こちらの勘違いということに落ち着く事実。そこは受け止めるとして、次なる疑惑は、一年以上の猶予を、創造主が本当に設けてくれたかどうかだ。

 長時間を設ければ、設けた時間だけ楽になってしまう。

 創造主は他者の葛藤を見て、愉悦を抱く狂人だ。リミットは短いと、留意しておいてもいいだろう。


 この事実をどうやって伝えるべきか、シュウは愚鈍で硬質な脳みそに意識を集中。こねくり回し、軟体まで解せたのなら、


「まぁ、でも、手紙の全てが真実かどうかは分からねぇし、不測の事態についても、考えておいた方がいいだろ……」


「そう、ね……了解」


 机に肘を付きながら呟くシュウに、ミレナは納得顔で頷いた。


 まとめると、


——現戦力で襲撃に備え、村を救う。


 これで方針は決まりだ。


「ミレナ。少し気になってんだが……」


 談話の機軸を話し終え、シュウはミレナの発言を振り返る。

 彼女の言葉に注釈を求めるなら、先ず『魔法』であろう。


「魔法の適性属性ってなんだ? 俺、魔法なんて使えねぇんだけど」


「え!? それも知らないの!?」


 シュウの疑問にミレナは目を見開き、愕然がくぜんと口に手を当てた。文字の時と同様、彼女の想像以上の反応を見て、シュウは汗顔。自身の顔を隠すように俯く。

 生前、魔術なるものをシュウは体感したが、魔術は特定の人物しか知らない知識で、俗人には知れ渡っていなかった。


 事実、シュウ以外の仲間達は魔術を知っていなかったし、空想上の概念だと思われていた程だ。それがこの異世界では魔法というのが存在していて、尚且つ常識として蔓延はびこっている。


 常識の齟齬が、これほどまでに恐ろしいとは。争いや戦争が起きる理由に、納得がいった気分だ。


「でも、アルヒ様はシュウの適性属性は、風魔法って言ってたわよ!? それに魔法は素養が高いか低いかは別として、全人類が行使できるはずよ!」


「マジかよ。騎士団長さんも言ってたが、本当に魔法なんて使えねぇぞ、俺」


 またもや新情報の開示に、脳の情報処理速度が追い付かなくなる。錯綜さくそうする情報によって、頭が機能停止してしまいそうだ。

 流石異世界。恐るべしファンタジー世界である。


 シュウのポンコツ具合に、ミレナはコップの中にあった水をちびちびと飲み、頬杖を付いて嘆息たんそくした。

 異世界事情に寡聞かぶんなシュウには、適切な反応だろう。


 彼女らにとって、シュウは成人した青年で、常識や知識を多少なりとも熟知している存在、と捉えるのが当然だ。

 非があるならこちらの方である。


「そういえばさ、ずっと気になってたんだけど、貴方って何処から来たの? 文字も読めないし、魔法のことも知らないし……」


「そいつは……」


 頭に手を当てて悲嘆しているシュウに、ミレナは正鵠を射る。


 痛い所を突かれてしまった。シュウが一番返答に困っていた質問である。

 当然、森に迷ってしまう者に出身地を訊くのはおかしくはない。更に、世界常識に疎いとなれば尚のことだ。

 避けられない質問とはいえ、考えることから逃げていたことに、シュウは煩慮はんりょする。


 異世界人であるミレナに、こちらの出自を説いたところで、無駄骨というのは分かりきっている。

 ふざけるなと、窘められて終了だ。だからこそ、この場で一番必要とされる答えは、ありきたりな答え。 


 シュウは「それはだな」と、こめかみを掻きながら前置きをして、


「……小さい島で生まれて、そこを飛び出して来たんだ。でも、外の世界は常識も違って、文字も読めなくて、困ったもんだ」


 シュウは田舎者を演じてみせた。この理由なら、杜撰ではない。それらしい筋も通っている。そして嘘ではない。


「シュウって島出身なんだ! 私と一緒じゃん! そうよねぇ、私も外の世界で暮らす時は、常識に違いがあって苦労したわ……わかる、凄いわかるわ」


 『そうかぁ』と腕を組みながら、ミレナはこくこくと首を縦に動かして、共感顔だ。どうやらミレナも島出身らしい。違和感払拭という第一関門、突破成功だ。

 シュウは椅子の背もたれに右腕を置き、天井を仰ぎながら、


「同じ島出身か……俺は自分の目的を、師の目的を継ぐために島を出た。ミレナは、なんで島を出たんだ?」


「……ん、ごめんなさい。それは、今は話すことは出来ないわ」


 ミレナは先の愛嬌のあった反応から一転、シュウから目線を逸らし、精彩せいさいさに欠けた反応を取った。その様は、誰もが見ても分かる憂愁ゆうしゅうを湛える少女の姿。

 まるで、過去のトラウマから逃げていた、シュウにそっくりであった。


 禁忌の扉に触れてしまったらしい。気の利いた言い回しや、上手い表現が出来ないシュウは、彼女に素直に謝罪をすることを決意。


「そうか……気に病んだのなら謝る。悪い……」 


「うんうん、別にいいの! 話の流れを作っちゃったのは私だし……それに全部、私の問題だもの」


 首を横に振って、ミレナはシュウの謝罪を否定してみせた。彼女の顔は、恐怖や義憤ぎふんといった万感で鬱々うつうつとしている。

 その万感は相手に向けての感情ではなく、ミレナ自身に向けての感情のように、シュウは思えた。

 言葉通り、彼女自身に何らかの問題があるのかもしれない。


 しかし、自身の配慮が足らない情けなさには、如何ともし難いものがある。

 師匠ならば、この場の悪い空気を払拭するような男らしさがあるのだが、シュウにはその益荒男としての才能は皆無だ。

 もっと、師匠から『おとこ』を学んでおくべきであった。

 

 少しの寂寞せきばく


「手紙についてなんだが、誰が書いたんだ? まさか、創造主なんて書いてないよな?」


 シュウは手紙の送り主に触れておきたいと思い、口を開いた。


「えっと、それなんだけど、実は最後に書かれている部分だけが読めなくて……恐らく署名者なんだろうけど……」


「ちょっと手紙、借りていいか?」


「読めないのにいいの?」


「あぁ、確かめたいのはミレナが言った、読めない部分だ」


 本当に創造主が用意した手紙ならば、自分だけが分かるように、何かヒントを残しているのではないか。そう思ったのだ。

 根拠の無い希望。深読みかもしれない。でも、パズルの最後のピースが、偶然揃ったような気分であった。


 ミレナから手紙を受け取り、シュウは手紙の右端を見やる。そこに書いてあったのは——、


「——マジかよ……」


「何? なんて書いてあるか、わかったの?」


 ——ENDの筆記体のサインであった


「何故この世界に、ENDが……」


 ENDというのはシュウが生前、好き好んで読んでいた本の著者だ。最初に読んだのは『善悪の齟齬』という本で、その本をよんでからシュウの価値観が大きく変わった。

 世界の複雑さを知り、理不尽を知り、不条理を知り、人間の怖さを知った。

 ENDとシュウは直接的な関りはないが、彼の本にシュウは感化されたのだ。シュウにとっては、母親のツグハや師匠に連なる教育者の一人。そう言っても過言ではない。


 そのENDがこの異世界にいるというのは、どうしたものなのか。創造主の仕業だということは、想像がつくが。

 かといって、創造主が合理的な理由で、異世界にENDを呼ぶというのはないだろう。

 彼彼女がシュウを異世界に転生させた理由が『感情の共感』という非合理的過ぎるものだ。それに、無秩序に能力は使わないと言っていた。本人の意思とは関係なく、勝手に転生させることは無いだろう。


 そも、END本人であるかわからない。ENDは異国人であり、『尺』という単位を知っているとは考え難い。


 創造主がENDの手紙を餌に、自分を騙そうとしているのかもしれない。

 或いは、手紙に注意を引かせて、主軸である村救済の邪魔をしようとしているのかもしれない。そう思わせておいて、手紙は——、


「ねぇ、なんて書いてあったの?」


「え? あ、あぁ……」


 興味ありげに、机に身体を乗り出したミレナが、シュウの思惟を解いた。

 考えても無駄という事だ。


 結局、END本人なのかどうかも分からなければ、手紙の内容が真実なのかどうかも分からない。


 元の木阿弥もくあみだ。


「ENDだと思う」


「えんど?」


「あぁ、ENDって書かれてある。それも、俺の母国の言葉でな……」


「シュウの母国……でも、ヒラ、アル、スウ文字は、世界六か国共通の言葉のはずなんだけど……私の中でシュウの信頼度が暴落していくんだけど、どうしよう……」


「それは、否定できない事実だ……くっそ、何でよりにもよって異世界なんだよ!! もっと他にあっただろ!! 他国とか! あぁ、でも他国だと言葉の壁がぁぁ!」


「ぷっ、ははは! 嘘よ、嘘!!」


 改めて八方塞がりな状態だと認識したシュウは、頭を抱えてお手上げポーズ。その彼を見て、ミレナはお腹を抱えて大笑い。

 何だろうか、凄く腹が立つ。


「シュウにだって、隠したいことがあるもんね。それは私も同じだし、そのことを棚に上げて、信用できないなんて言うつもりはないわ……」


 この瞬間、異世界で初めてシュウに仲間が出来たのだろう。

 ミレナは謎が多くても、シュウの人間性を信じて受け入れてくれた。シュウは自身の目的のためとはいえ、彼女の優しさに触れた。


 その彼女が住むこの村に危険が襲ってくる。

 正真正銘の余所者が、守りたいというのは思い上がりも甚だしいだろう。だが同情上等、偽善上等。それでもいいと教わったから。もう迷う事はない。


「それに、私はそのことを含めて、貴方を信用するって決めたから! 改めて、これからよろしくね! シュウ!!」


「お手柔らかに頼む」


——本当の意味で、シュウはモワティ村の村民となった。

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