第2話 目的地に着きました

 時間にすれば約二時間の移動に、シュウの喉は乾ききっていた。代り映えのしない森の景色。日陰である森の中を歩いているのに、体感では30度は越えていそうだ。

 歩くたびに、蝶のような虫が体に纏わりついてくるのは、元の世界の蚊に匹敵する鬱陶うっとうしさである。せめてもの、風の音だけが癒しだ。

 

 幸い、周囲にはシュウより何倍もの高さを誇る樹木で溢れている。下れば小川もみつかるはずだ。不幸なことは、この地が何処かすら分からず、どの方向に向かって移動しているか分からない点だ。


 下山方向が間違っていて、実は巨大な谷を降りただけで山奥に突き進んでいた。

 などと、そのような考えが頭に過るだけで気持ちは鬱屈となる。


 ともかく、嘆くよりも行動を優先しなければならないのは事実。

 シュウは愚痴を唾と共に嚥下えんげし、人里よりも先に小川を探る方針に切り替えた。


「二時間下山し続けても、辺りを見渡す限りは森か……この音は」


 ふと、ちゃぽんと水に何かが落ちるような音がした。ストレスによって研ぎ澄まされた五感。その場所を探し出すのは、容易だった。


 そうそうと流れる自然の川のせせらぎや滴る水の音とは違う、不規則な水音。

 池でもあるのだろう。それに、生物の類もだ。


 シュウは音の方向へ走っていく。人間であれば話を、そうでなければ隠れ潜み、生物が去った後に水分を補給。どちらにせよ、憔悴しているシュウには向かうメリットしかなかった。


「ここは、溜池か……?」


 窮屈だった森から、反転したような爽涼な世界。

 シュウの目が捉えたのは、白い雲が広がる空。それを鏡の様に映し続けている水面。そして、奥の場所で水浴びをしている人間だった。


 容姿から察するに少女だ。処女雪を彷彿とさせるような白い肌に、薄緑色の髪をお腹の辺りまで伸ばしていて、体つきは十代半ばか、それ以下だ。

 それよりも、シュウが一番気になったのは長い耳だ。髪の間から横に伸びる耳は、つけ耳を疑ってしまうほどに長い。だが、時折揺れ動く耳は、本物だという事実を突き付けてくる。


 創作上の生物の『エルフ』と呼ばれる存在に似ている。この異世界に於いて、実際にエルフと呼ばれるのかは定かではないが。


「…………」


 そうやって思考を巡らせていたシュウは、背後に何者かがいることに遅れて気付いた。眼前の少女と溜池に集中していた所為で、一瞬気付くのが遅れてしまったのだ。


「何者だ」


 じりじりと肌に伝わってくる獰猛どうもうな殺気から、獣の類だと思ったが、言葉を発するという点で却下。

 恐る恐る手を挙げて、シュウは白旗を言外に示唆した。


「森で迷った者だ……それで、水が欲しくなって、ここを見つけた」


 異世界に来てから、シュウにとっては第一村人だ。どのような世界なのか、時代背景や世界の歴史を何一つ知らないシュウにとって、情報は欠かせないものになる。

 それに、村人との交流を深めれば、食事や寝床を共有してもらえる可能性が高い。


 ここは嘘偽りのない本心で、穏便に済ませるのが得策だろう。


「信用できないな。転移魔法によって居住地が変化するこの村は、余所者を寄せ付けない……」


「転移魔法? 待ってくれ、魔法ってのは分からねぇし、俺は使えねぇぞ」


「魔法が分からず、使えない? それはあり得ないな。魔法は神から生まれた、この世全ての生物が行使できる。世界共通認識だ。墓穴を掘ったな……賊」


 だが、シュウの希求ききゅうは見事に空振り。逆に相手の逆鱗に触れてしまったと言えた。

 とはいえ、本当に道に迷ったのは事実だ。異世界に転生し、いきなり森に出たと思えば季節は夏。挙句の果てにはキマイラとの戦闘を強いられ、体力は減衰。おまけに喉も渇いていく。


 強烈なダブルパンチを食らった気分だ。


 それに水分を渇望し、村の敷地内に侵入してしまったのは故意ではない。

 シュウは言葉だけでは足りないと思い、後ろを振り向き、


「ま、待ってくれ、本当に迷ったんだ! 危害を加えるつもりはないし、何ならすぐにここを去る!」


 言行で敵意がない事を表現した。


「それは駄目だ。貴様が金目当てで村に訪れたとも限らん。村に訪れた奴が盗賊に情報を売り、ミレナ様を狙っている輩が、この地に攻めて来るなんて、分かり切った筋書が前にもあったのだ」


「ミレナ……?」


 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの男が、シュウに向かって剣を構えた。上は鋼の鎧を着込み、下は動きやすさ重視の皮鎧だ。海老色えびいろの髪。もみあげから顎下まで延びた髭に、右頬にある傷は、さながら重戦士のようだ。


 男の黒い双眸はシュウのことを完全に敵視している。温柔とは程遠く、今にも殴って来そうな感じだ。


「待ちなさいグレイ」


 シュウと筋骨隆々の男——グレイと呼ばれる男との不穏な空気を両断したのは、シュウが先程木々の間から窺っていた少女だった。


 長い後ろ髪を一束に纏めたポニーテール。翠眼すいがんにエルフ特有の美妙みみょう容貌ようぼう。子供の体格とは相反する、その美しい容貌は筆舌に尽くしがたいものがある。


 それにしても、急ぎ足できた所為か、汗を掻いたように服がびしょ濡れだ。身体のラインが見え見えである。


「ミレナ様!? お清めの所、非礼をお許しください」


「そういうのはいいわ……私、かたっ苦しいの嫌いなの。それよりも、その子、迷ったんだって?」


「はい。ミレナ様を突け狙う賊かと思いまして、今この男を問い詰めていた次第でございます」


 薄緑色の髪の少女——ミレナと呼ばれる少女は、「ふーん」と興味ありげに長耳を揺らし、シュウの全身を見まわす。それから「似てるわね、よし!」と言って手を叩くと、


「私はミレナ=アルヒ。ミレナって呼んでいいわ。貴方、名前は?」


 するっと男の視線を掻い潜るように、シュウの元へと近づいた。翠眼を好奇心で爛々らんらんと光らせ、ミレナはシュウの手に優しく触れる。

 直後、彼女の瞳の中心から青い波が生まれ、見る見るうちに翠が青に併呑へいどんされていくではないか。

 表現するなら、水だけが入った色の無い型に、青の絵の具を流し込んだというべきだろうか。


「ミレナ様!? 危険で——」


「グレイ……黙ってて。貴方の名前は?」


 天真爛漫な少女のイメージから一転、大人の艶やかな雰囲気。

 人も見た目も、何一つ変わっていないはずなのに、目の前にいるミレナが別人になったかのような錯覚。

 その印象の変化は、二重人格と言われても信じてしまう程だ。


 演技ならば、主演女優賞を勝ち取ってもおかしくはない。


「呆然自失とするのも無理はないわ……それで名前は?」


 彼女はシュウの怪訝けげんな顔を見かねたように、こちらが驚くことを予測していたかのように、そう言った。


「——え、あぁ……シュウです」


「家名は無いの?」


 生前、シュウは家名を名乗ることを躊躇っていた。

 それは、シュウの母親である『ツグハ』が大きく関係している。ツグハとシュウの別れは、惨憺さんたんたるものだった。

 その原因を、シュウは自身の責任だと思い込んでいたのだ。


「いえ、ちゃんとあります。ただ……」


「————?」


 ツグハの思いを汚し、蔑ろにした自分には彼女の家名を名乗る資格はない。そう考えていた。

 しかし、今は違う。ツグハに思いを告げ、力を受け取ったシュウには家名を名乗る資格がある。あるはずだと、信じたい。


「いや……イエギク・シュウ。これが俺の名前です」


 首を横に振り、シュウは負感情という濁りを一切なくして断言した。

 胸を張れ。お前は母さんの子供だ。そうやって誇るように少女を見た。


「じゃあ、シュウ。貴方は本当に迷ったの? 私を狙う、賊じゃない?」


「——迷いました。賊じゃないと誓います」


 シュウは胸に拳を当てて、不惑ふわくの精神と声で否定した。

 そんなシュウの真剣な眼差しを見て、ミレナは少しだけ瞳を曇らせる。だが、その曇りも直ぐに喜色に切り替わり「うんうん」と、納得がいったように頷いた。


「その子の言っていることは本当よ。このエルフの沽券こけんに掛けて、それは保証するわ! それに、村には賊対策で作った厄除けの護石があるんだし、大丈夫よ。シュウを信用する……わかった?」


「承知しました、ミレナ様」


 ミレナは男に指を差し、整粛せいしゅくな目で彼を見る。男は膝を付き、主に忠誠を誓うように瞑目めいもく。深々と頭を下げた。


 二人のやり取りは、シュウから見れば姫とその従者の騎士だ。その二人が、森の中にいるのは違和感が払拭できない。

 賊に狙われているのに、森という狙い勝手が良い場所に住んでいるというのは、何ともおかしな話である。会話の中にあった『厄除けの護石』というのが重役を担っているのだろうか。

 とはいえ、人の多い街にでも住めば厄除けの必要すらないのだが。


 どちらにしても、シュウはこの世界に対して管見だ。何かしら事情があるのかもしれないし、憶測の域を逸しないのは確かだ。

 今はミレナの懐の大きさに感謝しよう。


「勢いで名前で呼んじゃったけど、シュウって呼んでいいかしら?」


「え? あぁ、別に構わないっす」


「あ、もしかして敬語慣れてないでしょ?」


 腰に手を当て、ミレナはニタァと嘲弄ちょうろうするようにシュウを見やる。

 少しだけ苛立ちを覚えたシュウだが、その感情はミレナの顔を見た途端に消えてなくなった。

 理由はこちらを見つめる彼女の瞳が、いつの間にか翠眼に戻っていたからだ。更に言及するなら、大人びた雰囲気から無邪気なミレナに戻っている。


 何かあったのだろうか。


「なんで、わかったんですか……?」


「片言だし、わかるわよ……あと私、かたっ苦しいの嫌いなの。だから敬語はいいわ。賑やかに、楽しく行きましょ!」


「はい」


「はい、じゃなくて?」


「え? あぁ……わかった」


「それでよし!」


 森に賑やかな会話が響き渡る。

 斯くして、シュウは自身のコミュ力を使って、第一村人と仲良くなるのでした。と、考えるのは自意識過剰の曲解ナルシストになってしまうので、シュウは自分がミレナから怪訝に思われていない理由を、客観的に考える。

 シュウに対するミレナと、男の評価の差が大きすぎるのだ。


 一つ、似ていると言われたこと。

 二つ、少女の瞳の色が変わったこと。

 三つ、エルフの沽券に掛けるという言葉。


 一つ目は情報の少なさに断念。二つ目も、一つ目と同様だ。では三つ目。これは他の二つより推察がしやすい。

 シュウの頭からひり出せた考えは、エルフという種族がこの異世界では、相手の心や考えなどを見抜く能力がある、という説だ。


 シュウは胸中でそう結論付けると、


「あの、ミレナさん。エルフっていうのは、他人の考えが分かったりするんです……いや、分かるのか?」


 発言途中、勃然ぼつぜんと睨み付けてくるミレナに、シュウは敬語からため口へと変化させる。が、努力は虚しく消沈。ミレナはかなり不機嫌そうな顔だ。


「さん付けはいらないし、敬語が抜けきってない!!」


「悪い……」


「はぁ……ま、それはすぐに慣れないと思うし、いいわ。じゃあ、シュウの質問に対する答え。率直に言えば、私の力じゃない」


「ミレナ様!」


「いいの!!」


 ミレナの素直を越えた愚直な返答に、近衛の男は看過できないと激昂しながら割って入る。しかし、筋骨隆々の男が怒りの形相で詰め寄って来ても、彼女は少女とは思えない反応——怒りで彼を跳ねのけた。


「この子、森に迷ったって答えるわりには、そんな質問してくるのよ? 考えなしじゃない訳だし、賊ならもっとうそぶいたり、怪しまれないように沈静になる筈よ。土地勘がないって考えるのが自然だわ。第一……悪手が過ぎる」


「それは……俺の、私の思慮の浅さによる失態です。申し訳ございません」


「はい、かたっ苦しい。俺って言ってるし、格好つけて私って言い繕ってるってバレバレ」


「————」


 正鵠せいこくを射るミレナの指摘に、男は無言になる。

 完全に言い負かされてしまったようだ。そこで反論せず受け入れたことが、せめてもの敬意の表れであろう。

 

「詳細な答えは言えないわ。そこは理解して……」


「わかった」


「——それじゃあ、私から質問ね。その背中にぶら下げてる物、見せてくれる?」


 こくりと首を縦に振ると、シュウはウィンドブレイカーで包んだ蛇頭を取り出した。通気性の無いウィンドブレイカーで包んでいた所為か、生臭さと粘着質な液体が、一気に外へムワッと溢れ出た。


「うげぇ、キモ」


 それを見たミレナは鼻を摘まみながら呟く。それから、確かめるように顔を近づけると、


「ん、待って、これって……グレートギメラの尾頭」


「そうですね。お前……これを何処で?」


「山を下りてるときに遭遇して、噛みつかれたから腕で切り落としたんです」


「「か!? 噛みつかれた!?」」


「え? えぇ、そうです」


 愕然とする二人に、墓穴を掘ってしまったのではないかと、シュウは顔に焦燥を浮かべる。

 嘘偽りのない真実を伝えようとしたのが、逆に裏目に出てしまったかもしれない。

 というかそうだろう。何故ならシュウはたった一人で、獰猛を体現したような巨躯のキマイラと戦い、それを撃退せしめたのだから。常識外れもいい所である。


「そんな、噛まれたのなら、傷跡は……?」


 呆然としているミレナの質問に対し、シュウは「あぁ」と言いながら、シャツをまくって傷の塞がった腹部をさらしだす。

 多少血はにじんではいるが、傷跡が小さく残っているだけで、それ以外は突出する部分はない。というか、傷の治る速さにシュウ自身も驚いている。


「ちょっと、尾頭借りるわね」


 ミレナは自身の胴体よりも大きい蛇頭を持って、牙の位置とシュウの腹部にある傷跡の位置を照らし合わせる。そして、全く同じであることに気付き、


「嘘……傷跡と尾頭の牙の大きさ、全く同じだわ」


 酷く打ちのめされたように、ミレナは狼狽を湛えた。


「でも、おかしいわね。グレートギメラの尾頭の牙には、即効性の猛毒が含んであるのよ? 傷が浅くても、噛まれたら即死してもおかしくないのに……んーでも噛まれているのは確かだし……もーわかんない!!」


 即効性の猛毒とは聞くだに恐ろしいが、死んでいないものは死んでいない。そこは実体験しているシュウですら、理解の範疇にない。

 実は、牙に猛毒は含まれていなかった、という線はないのだろうか。


「お前……グレートギメラはその後どこに行った?」


「えと、山奥に逃げていきましたね」


「そ、そうか……」


 ミレナは頭を抱え、男は顎髭を摩りながら思索に耽っている。


 どうやら、シュウの考えは合っていたようだ。キマイラならぬ、グレートギメラは凶悪な原生生物で間違いない。二人の反応が答えだ。

これなら蛇頭を交渉材料として、モワティ村の場所を聞き出すことが現実的になった。不幸中の幸いといえよう。


「なんか、少しだけ森がうるさいなって思ったら、そういうことだったのね……」


 ミレナは下を向いて、小さな声でそう囁く。

 その声は、男とシュウには聞こえていない。


「ねぇ、シュウ?」


「なんです?」


「なんです? じゃなくて」


「あぁ、なんだ?」


「それでよろしい」


 敬語をタメ口に直したシュウに、ミレナは指を立てて褒め、


「見たところお金とか、持ってないよね?」


 立てた指を降ろし、シュウに質問を投げつける。


「そうだな」


 シュウがイエスと答えると、ミレナは背中で両手を組み、


「じゃあ、今は無一文で森に迷ちゃってる可哀想な遭難者ってこと?」


「まぁ、そうなるな」


「酷い状況ね。じゃあ、何処に向かおうとしてるの? お金なら渡してあげれるし、道案内もできるわよ?」


「本当か!?」


 勿怪の幸いとはこのこと。

 シュウはミレナに一歩詰め寄った。


「うん! 嘘は吐かないわ!」


「そりゃありがたい!」


 シュウは嬉しさに心を躍らせながら、詰め寄った一歩を元に戻し、


「ちょっと待ってくれ、今思い出すから……」


 死後の世界で、創造主が言った言葉を思い返す。

 ハーフが住む村で、名前はモワティ村と言ったか。ミレナが知っているかは不明だが、目的地を明かさない理由は特にない。ここは素直に頼ることにしよう。


「モワティ村、ハーフが住んでいる村だ」


「まって、今なんて?」


 シュウが行ったことが聞き取れなかったのか、ミレナは判然としない面持ちで訊き返してくる。シュウも自身の声が小さかったのだと反省を込めて、


「モワティ村だ」


 今度は、はっきりと大きな声でそう言った。


「…………それって、ええとつまり、私たちの住んでる村じゃない!?」


「え……?」

 

 こうして、シュウは慮外な邂逅かいこうを果たすのであった。 




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 いや、よくよく考えてみれば当然のことであった。創造主が考えている真意は分かりたくもなければ知りたくもないが、村の救済をこちらに求めるなら、村付近に転移させられるのは当たり前のことなのだ。


 なら何故、グレートギメラが近くに居る場所に転移させたのかだが。

 これはきっと、嫌がらせだろう。傍迷惑なことである。


「さぁ、付いたわよ! ここが私たちが住んでる場所、モワティ村だわ!」


 両足両腕を広げ、大の字になって村を紹介するミレナ。

 シュウが辿り着いたのは、森に囲まれる小さな村だった。石造りの聖堂と思わしき建物を中心に、木製の家が数十程度建てられている。

 森にある小さな村。そこに住むエルフのお嬢様と騎士の男。いかにもファンタジーっぽいシチュエーションだ。


「ここで起きた出来事を文字に起こせば、軽い小説が書けそうだよ」


 と、冗談が言える程にはシュウの心は興奮していなかった。


 ここで嬉しさの余り、踊るのは時期尚早じきしょうそう


 先ずは、村を誰が襲ってくるのか調べなければならない。

 創造主のことだ。異世界に転生してから敵が村を襲ってくるまでの時間は、決して長くないだろう


「ミレナ様! 急にお傍を離れられては困ります。 それに、下着を着用もせずに男性の前に出られてはいけません! その男性が、邪な考えを持った者であるかもしれないのですよ!」


 村に訪れ、シュウの耳に入った第一声は折檻せっかんだった。

 

 折檻されたのはミレナ。そして、その彼女を折檻するのは一人の女性。

 容姿は灰色の長髪に、またも、つけ耳を疑いたくなる獣耳が頭の上に乗っている。それと尻の部分には、ふっさりとした尻尾があった。


 怒気を表現しているのか、彼女の耳と尻尾の毛並みが逆立つように立っている。女性の気持ちに感応するように動いていることから、つけ耳つけ尻尾の疑いは瓦解がかい

 これまた、獣人と呼ばれる存在が確立されてしまった。


 流石、異世界ファンタジー。


「大丈夫! 私ってば結構強いのよ! もし襲われても、金的した後、捕まえて、顔面を地面へ叩きつけてやるわ!」


「そういった問題ではございません! ミレナ様は貴重なエルフの末裔で、アルヒ様の神核の素養を持つ、類稀ない存在なのです! しっかり自覚を持ち、厳威な行動をとってください!」


「うーるーさーいぃ!! 別に私はなりたくて神子になった訳じゃないの! それに毎回毎回、聞かされる説教は聞き飽きたわ!!」


「その子供のような口調も変える必要があります! これでは、ミレナ様の中で眠っていらっしゃる——」


「すまないクレイシア……」


 ミレナと獣人と思わしき女性が、喧然けんぜんと言い争う中、それを見かねた男——グレイが二人の間に割り込んだ。


「ミレナ様、先ずはこの男の説明を、村の者にする必要があるかと……」


 グレイはミレナの耳元に顔を近づけ、そう進言した。


 こちらも、早めに説明してもらえると助かる。急に村に訪れた男を、村民が怪しい目で見るのは普通のことだ。というか、実際怪しい目で見られている。

 そんな自分が、孤軍奮闘こぐんふんとうとばかりに村民に自己紹介をたれても、肩透かしを食らうのは自明の理。村民となじみ深いミレナに説明してもらわなければ、今後この村に住む者として、まずい状況になってしまう。


「あぁ、そうね。そうよね。わかったわ……それじゃあ、皆注目!!」


 深呼吸の後、ミレナは右手を空に掲げ、声高に主張。家事をしている村人に、走り回って遊んでいる子供。一服している老人など、老若男女の視線が彼女に集まる。


「この子の名前はシュウ!! 森で迷ったらしくて、可哀想だから連れて来たわ!」


「どうも、イエギク……え?」


 そうだ。馴染みのあるミレナが説明してくれるのは、ありがたいことではある。

 しかしだ。もう少し、判然とした説明の仕方はなかったのか。シュウは思わず、ため息を零してしまう。


 まぁ嘘はついていないし、悪気もない言葉だ。ここは大目に見よう。


「ミレナ様……それだけでは村の者が納得いきませぬぞ」


 言葉足らずのミレナに、グレイは憮然ぶぜんと顔に手を当てながらそう言った。

 彼もミレナの発言を静観せいかんすることは出来なかったようだ。


 グレイの言に、彼女は口元に指を当てて思案顔。それから判然としない顔で、


「……でも私、嘘は吐いてないわよ」


 そう言った。

 いやまぁ、嘘は吐いていないのだが。そうではない


「そうではなく、私が言いたいのは男の説明をしてほしいという事です」


 ミレナは「うーん」と、腕を組んで、


「でも、可哀想だからっていうのは本当だし、そうね……」


 ミレナは思い付いたように、指を鳴らした。

 どうやら、やっと理解できたようだ。よしよし、これでようやく自己紹介ができ——、


「シュウはこれから、このモワティ村の仲間よ!!」


「んんんんんん!???」


 ミレナの雑すぎる説明に、その場にいた全員が呆れて肩を落とした。そんな周囲の反応を見て、彼女は「何よ!」と、頬をプクリと膨らませる。


「シュウはいい子よ! エルフの私が森の声を聴くことが出来るのは知ってるでしょ? 森の皆は彼を安心って言ったし、私自身、シュウの心の色を観て大丈夫だって思ったの!」


 そうやって、ミレナが名誉挽回とばかりに村民を説得する中、そこに、


「ミレナ様……」


 一人のハーフの老父が、神妙な面持ちで前に出てきた。


「取り敢えずは、その男が危険な輩ではないという事は分かりました……しかし、獣人と人間のハーフである我々は人間を恐れております。迫害された者。苛斂かれんに耐え切れず、領地を追放された者。差別によるいじめを被った子供、色々ですじゃ……ここに住むもの全てが、人間から迫害ないし、酷遇こくぐうを受けてきました。それを、ミレナ様は理解したうえで、人間の者を仲間にするというのですね……?」


 実際、老父が言っていることに間違いはなく、村民の全員がハーフでその頭と尻に獣耳と尻尾が付いている。虚言ではないことも、村民達の顔色を観れば嫌でもわかった。


 事の深刻さに、ミレナは口をつぐんでしまう。グレイを見ると、人間である彼の表情は鬱々うつうつとしていた。


 実際、こうして村に定住しているのだから、彼らを迫害した件の人間ではないはずだ。とはいっても同じ人間。その陰惨いんさんな出来事に、少しも責任を感じていないわけではないのだろう。


「それは、重々理解しているわ」


 そう言って、暗い沈黙に切り込んだのはミレナだ。彼女は重い空気の中、毅然きぜんとした立ち振る舞いで前に出る。


 そして、


「私だって子供じゃないし、この村で一番の年長者だもん……でも、目の前で困っている子を見捨てられる程、私の心は強くないの。それに、彼は悪くないのに、人間っていう理由だけで、この村を追放したら、それこそ、酷い事をした奴らと同じだわ。やられたから、やりかえしただけ。立場が逆転しただけ。結局、憎しみしか生まない自慰行為よ。だから皆、私を信じて」


 ミレナは村民たちの万感を包み込み、癒すような雄弁ゆうべんを話した。その一歩たりとも怖気ずに引かなかった姿は、彼女の言う年長者のソレと遜色はない。

 自己紹介の出鼻を二度もくじかれたが、今度こそは名乗り出す時機だと、シュウはミレナよりも前に出て、


「——どうも、俺はイエギク・シュウっていいます。森に迷い、お金もなく、右も左もわからない俺を、彼女はこの村に招いてくださいました。怪しまれて当然だと思います。さらに、俺は俗世にもうといです」


 精神面や肉体面で一人前と言えるかは別だが、見た目は成人した男だ。俗世の知識が無いわけがない。そう思われて当然だ。だからといって、愚直に異世界人などど言っても、彼らには通じないだろう。


「それでも、皆さんの……いや、ミレナに恩返しをする為に、村の皆さんの役に立ちたいです! 立たせてください! どうか、お願いします!!」


——ならば正直に、ただ真摯に、汚れ一つもない白紙のように、純粋たる懇願を表明するしかない。


 異世界で通じるかも分からない土下座。誠意だけで、それ以外は人任せだ。杜撰ずさんで稚拙で、子供の方がまだ他人をおもんぱかれるだろう。

 知恵の捻出ねんしゅつが下手な自分には、今は懇願するしかできない。全てにいて力不足だ。


「恩返しの為って、正直すぎよ。馬鹿ね……ほら、顔上げなさい」


 馬鹿正直な言葉に感化されたように、ミレナはシュウの肩を叩く。彼女は「ほら早く」と、急かすように腕を引っ張り、


「見なさい。貴方の気持ち、きっと皆に伝わったわ。ナイスファイト!」


 親指を立てて、そう言った。

 シュウの中で、ミレナは天真爛漫なお嬢様といった印象が深かったが、どうやらそれだけではないらしい。それこそ、彼女の言った『一番の年長者』という言葉が真意であるかのように。


 村長と思わしき老父は村民たちに視線を送り、言外にシュウを迎え入れるかどうかの可否を問う。納得がいかないという者も村民の中には複数いたが、多数決により満場一致で全員が首を縦に振った。


「ミレナ様の、そして、その青年の覚悟を、しかと受け取りました。私たちは、彼を村の一員として迎え入れます……ですが、その青年がもし、悪事を働こうものなら、適切な処置をとらせてもらいます……そこは理解していただきたい」


「わかっているわ。それも見越したうえよ!」


 毅然と、ミレナは逡巡しゅんじゅんせずに啖呵たんかを切ってみせた。彼女の功績により、シュウが村のお世話になることが決まったようだ。

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