第12話

 浅い呼吸を静かに繰り返すコイル神官長はギルド内にある医務室のベッドで横になっている。シスとクリスの二人で運んだ。あの部屋に居続けるのは良くない気がした。加えて、コイル神官長を一人にするのも。だから、ギルドの職員が交代で見張るようにロイマンへ頼んだ。


「一体何があったんです」


 満を持してクリスが問う。一段落がつくまで、クリスは何も聞かないでくれていた。


「わたしにも、よく分かりません……けど、あの部屋には、わたしとコイル神官長だけじゃなかった。何かがいました」

「何か……?」

「人の形をした影のような、何かです」


 あれを形容する言葉が見つからない。強いて言うなら影だった。でもそれは、見た者にしか伝わりそうにない形容の仕方かもしれない。影みたいな、と言われても想像はつかないだろう。


「それは……祈物ファティマが、そんな……」


 シスも不味いとは思った。それでいて、助けてもらったのかもしれないとも思う。シスの手の平には黒く変色し、ひび割れた六芒星のペンダントがある。クノース神官から授かった祈物ファティマが破損したとでも言えばいいのか。


 いつの時点でこうなったのか。正確なところは分からない。でもあの時、祈物ファティマは異様な熱を持った。


「その影というのは邪悪な者かもしれません」


 破損した祈物ファティマに向かってクリスは六芒を描き、祈りを捧げる。それだけじゃない。クリスは涙を流している。表には出さないけど、驚かずにはいられない。両目からぼろぼろと涙をこぼしているのだ。驚かざる負えない。


 しばらくの間、クリスは涙を流しながら祈りを捧げ続けた。シスは黙ってそれを見届け、クリスは祈りをやめると同時に流していた涙まで止まった。一体、どういう仕組みになっているのか。またまた驚かされる。


「それとですね。冒険者から興味深い話を聞きました」


 さっきまで泣いていたとは思えないほどの切り替え具合だ。


「レルム戦野の亡霊騒ぎ」

「亡霊騒ぎ……?」

「最初は噂に過ぎなかったらしいんですが、どうやら本当に亡霊が出ると。多くの冒険者が目撃して、亡霊に襲われたと言う冒険者もいる」

「待って。そもそも亡霊って何ですか」

「何なのでしょうかね。私にも詳しいことは分かりませんが、亡霊と動く死体には共通しているところがあると思いませんか?今回の異常事態と関りがあるかもしれません」


 ベッドで横になるコイル神官長は死人のような顔色をしている。もしかしたら既に死んでいて、遺物レリックの力で動いているだけなのではないか。考え過ぎか。クリスが脈を測っていたし、光魔法で治癒を受けている。コイル神官長は生きている。死んでいない。それなのに顔色の悪さが拭えない。


「彼については少し様子を見ましょう」

「目を覚ますと思います?」

「何とも言えません。ただ、状態は至って健康のはずなんですが……」


 目を覚ました途端、自傷行為に及ぶ可能性も捨てきれない。だから、コイル神官長の両腕と両足は縄でベッドに結び付けてある。身動きは取れないだろうが、窮屈過ぎない程度の拘束だ。


「私たちは明日、レルム戦野に向かうつもりです。今日は亡霊騒ぎについて、情報を集めてみようと思っています。よろしければご一緒しますか?」


 そんなクリスの提案に逡巡するが、シスは頷いた。噂とは言え、全くの出鱈目というわけではないはずだ。信ぴょう性の無い噂をあてにして調査を行うほど、クリスも馬鹿じゃないはずだ。それにロイマンを詰めていた冒険者の一人が「レルムの狩場を何とかしろ」と言っていた。


 同行することになり、クリスはレルム戦野について教えてくれた。


 レーヴェから真東に進んだところに荒野が広がっている。その一帯がレルム戦野と呼ばれている。戦野とあるように過去、人間とゴブリンとの争いの主戦場だった。今では争いの前線はもっと北部の方へと移り、レルム戦野に残されたのは争いの痕だけだ。


 冒険者がレルム戦野を狩場と称すのは都落ちしたゴブリンが生息しているからだ。レルム戦野では、人間とゴブリンの遺骸が数多く眠っている。そんな遺骸を漁るために都落ちしたゴブリンがレルム戦野に集まる。まさしく死者への冒涜とも取れるゴブリンだが、そんなゴブリンを狙って狩る冒険者たちも大概だ。


「亡霊がゴブリンを連れていることもあるようです」

「亡霊は人というか、人型なんですよね」

「はい。もしかしたら、シス調査官が見た人の形をした影かもしれませんね」


 やはり、あの影が全ての原因なのか。そうだとしたら、真っ先に思い付くものがある。百年前の異常事態が発覚するに至った要因。あの影と神の救いギュスターヴとの関係についてだ。二つがイコールであっても不思議じゃない。もとより、神の救いギュスターヴが人間だとは思っていない。


「神の救い《ギュスターヴ》、ですよ。その存在の調査も必要です」


 わたしの考えを見透かすように力強くクリスは言った。

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