第11話

 ギルド職員専用口は鍵が掛けられていた。ロイマンに開けさせ、中へ入った。冒険者の溢れるロビーで話す気にはなれない。羽織っていた外套を脱ぐと「シス調査官……」とロイマンが呟いた。


「おはようございます」

「おっおはよう、ございます。シス調査官」


 どうして冒険者に詰め寄られていたのか気にはなるけど、ギルドへ来た理由は他にある。その目的を口にしようとして、ばつの悪そうな顔を浮かべるロイマンが先だった。


「神官長への面会、ですよね……?」

「ええ。何か問題でも?」

「それが……神官長に面会を拒絶されまして」


 昨日、神殿からギルドへ戻ったロイマンは調査官の到着と話を伺いたいとの旨をコイル・ダグナー神官長へ伝えた。神殿で起こった異常事態以来、ギルドの一室に引き籠っている神官長は、ロイマン曰く祝詞を唱え続けていると言う。部屋の外から日がな一日、神官長が祝詞を唱える声が聴こえるらしく、人が変わったようだとも。


 シスはギルドの調査官と言えど、エリアス教会からの命で派遣され、原因の究明を任されている。神官長ほどの人が教会の意向を跳ね除けるような行動に出るとは誰も思わないだろう。だから、ロイマンも困惑している様子だ。


 とは言っても「はい、そうですか」と頷けはしない。強行突破するなりしてでも話は伺わないといけない。今回は百年前と異なる。発見者がいて、その発見者が生きている。重要な手掛かりになるかもしれないのだ。教会の威光を笠に着てでも話は伺う。


 クリスを伴おうかどうか迷い、職員専用口の扉からロビー内のクリスを見た。どうやら、まだ冒険者の相手をしているようだ。


「コイル神官長のいる部屋を教えてください。わたし一人で伺ってみます」

「申し訳ございません………」


 なぜ、ロイマンがわたしに謝罪するのか。必要のない謝罪だ。


「謝る必要はないですよ。あなたが原因でコイル神官長が面会を拒絶したのであれば別ですが、そうではないでしょう。平身低頭なのは美徳でもありますが、へりくだる相手は見極めるべきです」


 シスは思ったことを何でも口にしてしまう人間では決してない。自分の考えを言うべき場面であれば相手を指摘することになっても躊躇わずに言ってしまえる。人の生死が関わっていれば尚更。


 ただ、タイミングが揃うと口をついて出てしまう。ロイマンへ言ったことに間違いがあるとは思わない。正しいとさえ思っている。それでも、失礼だったことに変わりはない。


「すみません。失礼を詫びます」

「い、いえっ!シス調査官の仰る通りですから……わたくしも自覚しているつもりなのですが………」

「性格な部分である以上、そう簡単に改善は出来ません。少しずつ改めていけばいいと思います」

「そう、ですね、はい」


 ロイマンへの説教みたいになってしまったが、コイル・ダグナー神官長はギルドの三階にいるとロイマンは教えてくれた。三階は社宅のようなギルド職員専用の宿舎になっており、その一〇五室にコイル神官長は籠っている。角部屋でもあるので部屋はすぐに見つけられた。


 ギルド三階に人の気配はしない。頻繁に使わるれわけではないのだろう。静寂が三階を包み込むため、一〇五と表記されている角部屋から祝詞が小さく聴こえる。つらつらと紡がれる祝詞だが、本当に一日中唱えているというのか。


 しかし、扉をノックすると祝詞は途切れた。


「コイル・ダグナー神官長。調査官のシス・アールヴです。教会の命を受けて参りました」


 反応はない。物音もしない。誰もいないかのように感じるが、さっきまで確かに祝詞は聴こえていた。


「お話を伺いたいのですが」

「あの神殿は神に見放された。調査の意味はない」


 耳元で囁かれたかのような感じがして一歩後ずさってしまった。実際はそんなことない。扉越しからの声だ。扉に密着して、声を発したら今のように聞こえるかもしれない。


「……それは、どういう意味ですか」

「エリアスよ……原罪を贖いし光の加護を、矮小なるこの身に御国のしるべをお与えください」


 声が遠ざかって行く。コイル神官長の名前を何度か呼ぶが、聴こえてくる祝詞が途切れることはなかった。シスがいくら声を掛けてもコイル神官長が扉を開けることはないだろう。こうなることも想定内ではあったため、部屋の親鍵マスターキーをもらっている。


 無理矢理入ってしまうことは可能だ。出来る事なら穏便に事を運ばせたかった。しかし、コイル神官長は聞く耳を持ちそうにない。無理矢理にでも話を伺う他なくなった。シスは扉の鍵穴に親鍵マスターキーを差し込む。捻ると開錠された。


「入りますね」


 一声掛けてから部屋へ入った。

 真っ先に感じたのは臭いだ。死臭に似た、胃の中を掻きまわすような臭いにシスは思わず鼻に手を当ててしまう。こんなことで臭いが緩和するわけがないと分かっていても、鼻を押さえずにはいられない。


「コイル神官長………!」


 部屋にはコイル神官長の姿がある。でも、コイル神官長だけじゃない。全身に真っ黒な影を纏ったような人型の何かがいる。一切の明かりが灯されていない部屋で、コイル神官長は得体の知れない何かに向かって跪き、祝詞を唱えていた。


 名前を叫んでも、コイル神官長は祝詞を唱え続ける。人智の及ばない事象は確実に存在する。今まさに、目の前に広がっている。二の句が継げないでいると首元に熱さを覚えた。首に掛けていた六芒のペンダント―――祈物ファティマが熱を持っている。首に掛けていられないほど熱くなり、シスは首紐を千切る勢いで外した。


 手の中に納まる祈物ファティマに目を落としたのは一瞬だった。でも、その一瞬で影を纏った何かが消えていた。


「神よ神よ神よ神よ神よ神よ神よ神よ神よ神よ神よ神よ神よ神よ神よ神よ」

「何をっ………!?」


 コイル神官長が狂ったように叫び、床へ頭を打ちつけ始めた。消えた影を探すよりも先に、シスは止めに走った。両肩を掴んで床に打ち据える頭を止めようとするが止まらない。シスの力が弱すぎるわけじゃない。床へ頭を振りかぶる力が異常なほど強いのだ。


「ダメっやめてっ………!!!」


 腕だけでなく身体全身で止めようとするも止まらない。既に床は血まみれだ。割れた額から大量の血を流し、コイル神官長の顔は真っ赤に染まっている。そんな状態なのに頭を打ち据える勢いは増していく。自分で頭を振るというより、背後から後頭部を掴まれ、床へ何度も押し付けられているみたいだ。


 コイル神官長の身に何が起こっているのかなんて分からない。それでも、あの影が影響を及ぼしていることは容易に想像がついた。しかし、力ずくではコイル神官長の自傷を止められない。


「エリアスよ、光の加護のもとに」


 光魔法の祈りが聞こえた。クリスだ。シスを引き離し、コイル神官長の額に手を当てた。


神眠ヒュプノス


 額に当てられた手から白い光が瞬く。暗かった部屋が明るくなる。コイル神官長を包み込む白い光は神の奇跡———光魔法の特徴だ。深い眠りにつかせると同時に傷を癒した。


 ぐったりと倒れかけたコイル神官長をクリスは受け止め、ゆっくりと床に寝かせる。シスは尻もちをついたまま、血まみれになった両手に目を落とし、安堵のため息を吐いた。


「大丈夫ですか?」

「えぇ………」


 シス一人では止められなかった。

 クリスのおかげで、コイル神官長は一命を取りとめた。

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