第4話

 旬雲亭じゅんうんていとは簡単に言えば高級店だ。旬に合わせた料理を提供するため、メニューがその時々で変化するのが特徴のお店で、シスも何度かギルドの役員と来たことがある。


 役員との付き合いで来るより、シンリたちとの方が気楽でいい。彼らと食事をすることに抵抗はないけど、近づきすぎない距離感ではいたいと思う。


「はぁ食った食った。人の金で食う高級飯は格別だぜ」

「そう言われると、イスカの分を奢る気が失せる」

「なぁっ!?シス、ジャンケンは絶対だぞ!それに俺、今持ち合わせないし。どうせ払えん」

「あんた、最初から奢られるつもりなんて良い度胸ね。アタシだったらぶん殴ってる」

「セリーナおまえ魔法使いだろ?暴力を振るう女は嫌われるぞ」

「あんたみたいな男は殴ってもいいって昔から決まってるの」

「んな話聞いたことねーよっ!?」


 旬雲亭じゅんうんていは全席個室になっている。六人が余裕を持って入れるだけの広さがある個室の壁は色取りどりの華で飾り付けされている。ガラス状の照明器具が天井から吊るされ、室内を温かみのある光で照らす。十人が十人とも豪奢だと感じるはずで、提供される料理に負けないくらい雰囲気作りにも凝っている。


 そんな個室から忍ぶように出て行ったシンリにシスは気付いた。パーティーの斥候を担う盗賊なだけあって、誰にも気づかれないよう動くことに慣れている。しかし、シスはシンリに注意を払っていた。だから、気付くのも容易だった。


 お酒が入ったせいか、スイカとセリーナがくだらない言い争いをしている。そのおかげでシスが個室を出ても呼び止められることはなかった。ハジットとフリィとは出て行く際に目があったが、既に個室から姿を消しているシンリに気付けば事情は察するだろう。


 個室を出て、すぐのところにシンリはいた。店の人も一緒で、何をしているのかは明白だった。


「わたしが奢るはずじゃないの」


 シスがシンリの背中に声を飛ばすと両肩をビクッと震わせた。


「そ、そうだっけ……?」


 意味の無いとぼけを見せるシンリにため息を吐くと慌てたように言い訳し始める。


「いやっ流石に旬雲亭だし、高級店だし、とんでもない額だったし、シスだけに払わせるのはリーダーとして許せない、的な……あれで」


 シスはもう一度ため息を吐く。


「あなた達、お金があるわけじゃないでしょ。わたしの方があなた達の何十倍もお金はある。わたしが何年生きてると思ってるの」


 会計を済ませようとしていたシンリをどけて、シスが支払いを済ませた。彼らは一介の冒険者に過ぎない。冒険者の中には傑出した才能を持つ人たちもいて、そのレベルに至れば冒険者でもお金持ちになれるだろう。しかし、そんな人たちは一握りだ。


 シスの調査任務に公国軍の代わりとなって同行するシンリたちは、ギルドから報酬を受け取っている。その報酬は結構な額だ。五人で山分けしても、それなりの額になる。


 しかし、調査任務中に掛かる費用をシスはギルドの経費として落とすことが出来るが、彼らは違う。調査任務で掛かる費用は全て実費負担になる。報酬とは別に支払われるなんてことはない。


 彼らの場合、調査が長引けば長引くほど赤字になる可能性が高まる。今回は二週間と早くに終わり、掛かった費用も抑えられた。その上でギルドからの報酬を受け取った。浮かれたのかどうかは知らないけど、昼食場所を旬雲亭にしたのも懐に余裕が出来たからだろう。


「自分のために使って。あなた達に何かあったら、わたしの仕事にも影響が出るの」


 こんなことを言うつもりはなかった。けど、言葉にしないと伝わらないこともある。泣きそうな顔をするシンリは一言で言えば情けない。でも、だからって嫌いにはなれない。彼は彼なりに、出会った時から私へ気を遣ってくれている。


 人間の血が混ざるわたしはエルフから同族として見られない。人間の世界でもエルフを嫌う人間は少なくない。


「シスの笑顔を毎日見れたら、おれは今より強くなれそう」

「精神論的な話はしてない。強くなりたいなら武器を新調して、新しい技術でも学んで」


 早く戻らないと個室から出た行ったことに気付かれてしまう。特にイスカは「二人で何をしてたんだ」とか面倒くさい追求をしてきそうだ。踵を返そうとしたところで、旬雲亭に男が入店してきた。シスと同じ制服姿の男だ。


「問題を起こしておいて良い身分だな」


 向こうもシスに気付き、互いに無視すれば済むはずなのに声を掛けてきた。だから、反射的に嫌な顔を浮かべてしまった。


「お前のクビを切れないのは役員連中に上手く取り入ってるからか?半種ハイフのその容姿で接待でもっ———」

半種ハイフなんて、古臭い言葉使いますね」


 シスと室長の間にシンリが割って入った。腰に携えたダガーの柄に手を当てている。シンリに限って、ダガーを人に向けるなんてことはしないだろうが。


「その手は何だ。ギルドから任務を受けているからと言って、つけ上がるなよ冒険者。お前らの代わりはいくらでもいる」


 シンリの鼻先に指突き付け、鼻で笑って言い放つ。続けて旬雲亭に神官服の老人が姿を見せると、既に室長の身体は店の出入口へ向いていた。


「予約は取ってあります、クノース大神官様」

「そうかい。段取りが良いの」

「いえ、当然のことですよ」


 打って変わって恭しい態度を見せる相手はクノース・アベリッジだ。エリアス教会に五人いる大神官の内の一人であり、ギルドの役員でもある。シスがクビを切られない理由はクノース神官の計らいがあるからだ。


 シンリの背に隠れるようにして立っていたシスにクノース神官が気付く。


「そこにいるのはシスか」


 振り向いたシンリが「知り合いなのか?」と問うような目を向けて来る。室長も驚くような目を向けている。眉根を寄せ、おこがましいとばかりの表情からは、さっきまでの恭しさは感じられない。


 そして、無視は到底出来そうにない。


「お久しぶりです、クノース神官」

「二十年振りか。君は変わらない」

「クノース神官もお元気そうで何よりです」

「足を痛めてな。今じゃ、杖がないと歩くこともままならないがね」


 年相応の皺を湛えた口元に自虐的な笑みを浮かべる。シスは愛想笑いを浮かべ、この場を去る言葉を告げようとしたが、どうやら無理らしい。


「ラッセル室長。要件について何だが、シスに関するものでな。本人へ直接話すことにしてもいいかい」

「……もちろん。そちらの方がよろしいかと、わたしも思います。どうぞ、個室をお使いください」

「申し訳ないの」


 内心は相当怒りに満ちていそうだが、室長の表情には一切現れていない。培ってきた処世術とでも言うのだろうか。睨むような目をシスに向けてはいるけど。


「君はシスの調査に同伴する冒険者だね。名前は?」

「シンリ、です」

「これからもシスをよろしく頼むよ」

「は、はい……それは、任せてください」


 大神官の名はシンリも聞いたことはあるだろうし、公国貴族にも負けないくらいの地位がある。クノース神官にシスがついて行くと、何故だがシンリまでついて来ようとしたので止めた。


「大丈夫なの?」

「平気よ」


 そこまで心配しなくても、クノース神官は齢九十の老人だ。会うのは二十年振りだが、顔見知りではある。


 店の人に連れられ、クノース神官とシスは個室へと案内された。

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