#51 「東横線一日耐久」後編
特に降りる用もなかったので、また折り返しで渋谷に戻った。時刻は十時四十五分になっていた。とりあえず、乗ってきた8000系を撮影することにする。
この世代の東急の車両はステンレスの無塗装のものが多く、この8000系も、正面に赤帯がある以外は何も塗られていない。何だか無機質な感じがするが、それがかっこいいという人もいるのだろう。まあ、僕はあまり好きではないが。
先頭、そして側面に掲げられている「特急 桜木町」の幕を撮り、車内の様子も撮ってから、駅をぶらついた。急行の走行音を録って、特急の走行音を録って……、流れ的に、次に走行音を録るべきなのは各駅停車だろう。一番線のホームを見ると、8090系の各駅停車桜木町行きが発車を待っていた。一瞬この電車で録ろうと決めかけたが、加減速の機会が多い各駅停車は、やはりいい音の9000系で録りたい。
(8090系の走行音はまた後で録ればいっか)
そう思ったので、9000系が来るのをしばし待つことにした。東横線の各駅停車は一時間に八本走っている。9000系の本数はそんなに少なくなかったと思うので、四本くらい待っていれば9000系に出会えるはずだ。
待っている間は暇なので、駅や車両の写真を撮ってまわることにした。
まず、停まっている8090系の顔や車体を撮影し、そのあと、「各駅停車 桜木町」の幕を回収した。ホームには路線図が掲載されていて、そこには高島町と桜木町の二駅もあった。この路線図ももうすぐで見納めだと思うので、写真に収めておいた。
その後も写真を撮り歩いて暇をつぶし、三本目の各駅停車が9000系だったので、その電車で走行音を録ることにした。
録音の準備をして、発車を待つ。さっきまでの急行や特急とは違い、発車直前まで車内は空いていた。大手私鉄の各駅停車は、大体そんなもんだろう。単純に、いい収録環境で走行音を録りたいのなら、どの路線も各駅停車で収録するのがおすすめだと思う。
電車は渋谷駅を定刻通りに発車した。空いているので、VVVFの音が身に染み込むかのようによく聞こえる。始発駅ならではの高揚感も感じられた。
電車は加速したかと思うと、すぐに次の駅に着いてしまう。この駅間の短さこそが、私鉄の特徴だと思う。JRでも、山手線なんかだと駅間が短いのだが、なんだかそれよりも短く感じてしまう。やはり、加速の速さやブレーキの掛け方などのせいもあるのだろうか。
自由が丘で、特急の待ち合わせをするらしい。途中、いろいろな駅で優等種別に抜かされていくのが、私鉄の各駅停車の醍醐味だと思う。前に京王線に乗った時、同じ駅で三本の電車の通過待ちをしたことがあった。こんなダイヤは、JRにはまずないだろう。東横線は、まだそんなに優等種別の本数が多いわけではないらしく、どの駅でもこの電車を抜かしていくのは一本のみで、通過待ちをするのも自由が丘と菊名だけらしい。ずいぶん「平和」なほうだと思った。
特急が発車していくと、電車はその後を追うように走り始めた。駅間が短いので、日立GTO‐VVVFの音が本当に聴き放題だ。JRでは聞けない音だと、やはりテンションが上がる。
菊名で今度は急行に道を譲る。ここまで乗っていた人が、みんなして急行に乗り換えていく。これも私鉄に多い光景だと思う。
菊名を出ると、電車は妙蓮寺、白楽、東白楽と停まり、反町に着いた。座席を立って、窓から駅名標を撮っておく。
さあ、本日五度目の横浜だ。同じ区間を三回も通っているので、さすがに飽きてきた。一往復ごとに違う種別に乗ってもこれなのだから、ずっと同じ種別、それもずっと同じ型式に乗っていたら、どうなってしまうのだろうか。
横浜を出ると、高島町に停車した。乗降はほとんどなく、すぐにドアが閉まった。終着駅の一つ手前の駅は、大体こんな感じな気がする。駅に停車している間に、横を209系が通過していった。
そして桜木町に到着した。急行は三十四分、急行は三十一分の所要時間だったが、各駅停車はというと、なんと五十分もかかった。二十分も差があるのだ。確かに、さっきまでの二往復は「もう横浜か~」という感じだったのに、今回は「意外とかかるな……」と思った。僕みたいに渋谷~桜木町間を各駅停車で乗り通す人は、おそらく鉄道マニア以外いないだろう。
一通り、乗ってきた車両の写真を撮ってから、改札を出た。もう今日で三回も桜木町に来ているのに、改札を出たのは今が初めてだ。お腹が空いてきたので、腹ごしらえをしようと思う。
駅を出てうろうろとしていたら、牛丼屋を見つけたので、そこで昼食を摂った。少し食休みをしたあと、駅に戻った。
駅舎の写真を撮ってから、改札を入って、ホームに上がった。このあとは、走行音を録るのはいったんやめ、駅の放送を録ることにしようと思う。まあ、来週みんなで東横線に乗りに来るときも、きっと治也と一緒に駅の放送を録るとは思うが。
放送を録るのに都合のいいスピーカーを見つけ、MDプレーヤーにディスクを入れた。一脚にマイクを付けて、一脚を伸ばす。ここでは、接近放送と到着放送を録ろうと思う。
「まもなく、五番線に、急行、渋谷行きが、まいります。途中停車駅は、横浜、菊名、綱島……」
男性の声で接近放送が流れる。放送の内容のうち、「途中停車駅は横浜」という文言は、みなとみらい線で別のタイプの放送が採用された場合、聞けなくなってしまう。
「桜木町、桜木町、終点でございます。ご乗車ありがとうございました」
電車が入ってきて、到着放送が流れた。放送とともに、車内からは一斉に乗客が降りてくる。この放送は、百パーセント聞けなくなってしまうものだ。
同じように、女声の放送も録っておいた。次は、横浜に行こうと思う。
やってきた9000系の電車に乗り、横浜に移動した。せっかくなので、桜木町を発車したときの車内放送も録っておいた。
横浜に着いた。横浜では、両ホームの到着放送、そして、桜木町方面の各種別の接近放送を録ろうと思う。まずは、上りの接近放送からだ。
「二番線に、特急、渋谷行きがまいります。電車が到着しましたら、押し合わず、ご順に、お乗りください。この電車は……」
放送が流れる。この放送はこれからも聞けると思うが、少なくともこのホームで流れるのは、あと二週間だ。
到着放送を録ってから、下りホームに移動した。さて、ここからが本題だ。
「横浜、横浜で、ございます。JR線、京急線、相鉄線、横浜市営地下鉄、根岸線連絡乗車券、お持ちの方は、当駅で、乗り換えです。当駅は左側通行です。ご協力を、お願いいたします」
桜木町方面の電車が到着すると、長々と案内放送が流れる。まさに、ターミナル駅という感じだ。上りでは、押し合わず、順番に乗車すること、下りでは、左側通行で歩くことを注意喚起するのは、乗降客がとても多いことを物語っていると思う。
「お待たせしました。一番線から、急行、桜木町行きが、発車いたします」
この放送に少し遅れて、発車ベルが鳴り出した。
「ご注意ください! 電車に触れないよう、黄色い線より下がって、お歩きください」
発車する直前には、こんな注意喚起の放送も流れた。いまは日中なので、人が多いといってもごった返すほどではないが、帰宅ラッシュの時間帯なんかは、本当に危ない状態になるのだろう。そんなことを考えながら、駅構内に響き渡る日立GTOの音を耳に、電車の発車を見送った。
そのあとは、各駅停車と特急の接近放送を、それぞれ収録した。それが終わると、僕は桜木町に戻った。
桜木町に着いて電車を降りると、向かい側の六番線に、各駅停車の渋谷行きが停まっていた。
(あれ? さっき渋谷で見た8090系じゃん!)
僕はその車両の車番を見て少し驚いた。どうやら、僕がいろいろと録っている間に、渋谷から桜木町の間を一往復半していたらしい。
なんだか、8090系が「俺の走行音も録ってくれよ~……」と、僕に言っている気がする。なんだか放っておけなくなったので、僕はこの電車に渋谷まで乗って、走行音を録ることにした。
「はは~ん。この友軌様にかかれば、貴様の走行音などいとも簡単に高音質で録ることができるのだぞ。私に走行音を録ってもらえることを、感謝するのだな」
そんなモノローグを繰り広げながら、適当な座席に座る。MDプレーヤーに新しいディスクを入れて、感度を調整して、これで録音の準備は万端だ。
そして電車は桜木町を発車した。8090系は、8000系と同じく界磁チョッパ制御を採用している。先ほどは説明し損ねたが、界磁チョッパ制御は、抵抗制御よりは一世代後、VVVFインバータよりは一世代前の制御方式だ。低速域から、低音のモータ音と一緒に、少し音程の高いモーター音も聞こえてくるのが特徴で、JRではあまり聞けない音なので、乗っていて面白い。迫力があるのもまたいいと思う。
菊名で急行と待ち合わせをした。時刻は十四時近くで、急行の車内を見ると、車内には立ち客も多くいた。さっき急行で走行音を録った時より、混んでいる。
東横線の三往復目を終え、渋谷駅にまた戻ってきた。朝来た時には新鮮さを感じたホームも、今ではだんだんと見慣れてきた。ここまで、9000系、8000系、8090系と一通り乗れたし、種別も通勤特急以外全部制覇できたので、今日の収録はもうこれで十分な気がする。だが、今日は「一日耐久」だ。時間的に、あと二往復くらいしなければいけないだろう。なかなか大変なことになってきたな、と思いながら、僕はホームをうろついて、次はどの電車の走行音を録ろうか考えた。
結局、最後は8000系の急行と、9000系の特急をそれぞれ一往復ずつ録った。一日中走行音を録ったので、いったい何枚MDを使ったんだろうと少し心配になったが、京浜東北線の走行音を録りに行った時に、半端に録音時間の余ったMDを有効活用したこともあって、数えてみたら、使ったのは五枚だった。
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