#38 わさび三昧

 豊科から二駅で、列車は穂高に着いた。

「おお~、ホームからも北アルプスが!」

 列車がホームからいなくなると、視界の奥には北アルプスの山々が広がった。空気が澄んでいて、遮るものもあまりないので、雪の被り方などが細やかに見える。

「これはシャッターチャンスだな」

 佑ノ介がカメラを用意し始めた。便乗して、僕や隼人たちも写真を撮り始めた。標準レンズで周りの景色を入れるのもいいが、ここは、望遠レンズで峰を大きく撮ることにしよう。

「どう?」

 佑ノ介が出来栄えを聞いてきた。

「まさに天然水のラベルみたいのが撮れたと思う」

 僕達は駅名標なども撮ったあと、駅舎を出た。


「すごい、木でできてる。お寺みたいだ」

 駅舎は木造で、屋根は瓦葺きだった。木造で瓦葺きの駅舎なら、探せば割とあると思うが、穂高駅のはひと味違っていた。出入り口のある棟の一番大きな屋根は、お寺の本堂の瓦屋根のように急な角度で葺かれていて、端のほうにある瓦には装飾も施されている。

 軒先には「穂高駅」と木の板に墨で書かれていて、「和」を演出している。そばに松の木が植えられているのもまたいい。

「かっこいいな……」

 隼人が感心した様子でそう言った。

「この旅で見た駅舎の中で一番好きかもしれない」

 佑ノ介もそう言って駅舎を眺めている。駅舎の背後には、北アルプスの山々が悠々とそびえている。その山と一緒に、駅舎の写真を撮っておいた。


 さあ、次に行くのは「大王わさび農場」だ。一応歩いて三十五分ほどでも行けるらしいが、昨日野辺山であんなことになったので、もう歩くのはごめんだ。ならバスで行こうと思ったが、あいにくバスは無かったので、僕達はタクシーで行くことにした。五人でタクシー代を割れば安く済むというのは、前の北茨城の旅の時に分かっている。だがタクシーも出払っていたので、隼人にタクシーを呼んでもらい、二人と三人で分かれて乗った。


 十分ほどで大王わさび農場に着いた。

「ええと、今の時刻が十時二十五分。おれたちが次乗るのは十一時五十一分発の松本行きだから、十一時半にはここを出たいよね」

 四人に確認する。

「そうだね。とすると、いられるのは一時間ちょいか」

「だな。じゃあ、ちょっと早いけど、とりあえずもうお昼食べちゃう?」

「そうしよう。時間が余れば、園内を色々見て回るってことで」

 意外とハードスケジュールになりそうだが、とりあえず僕達は、総合受付の横を通って中に入った。入場は無料だ。


「なるほど。ご飯が食べられるところは奥のほうにあるのか」

 佑ノ介が案内図を見ながら言う。

「その途中の『幸いのかけ橋』ってところが、人気スポットらしいな」

 食事スポットに向かって歩いていくと、早速目の前にわさび田が広がった。

「へぇ~、わさびってこうやって育ててるんだ」

 隼人が興味津々に眺めている。水が張っている中に、石の畝のようなものがあり、そこにわさびが整然と植えられている。わさびはどれも小さな葉をつけていて、ぱっと見てそれがわさびだとはわからない。

「おれたちがいつも寿司とかに乗せて食べてるのは、根っこの部分なんだってさ」

 パンフレットの説明書きを見ながら、僕は言った。

「てことは大根とかと同じか」

 確かに、大根も根の部分を主に食べている。

「そういえば、大根もおろして食べることあるもんね」

 わさびと大根、意外なところに共通点があった。

「このわさび農場では、北アルプスの雪解け水を使っています。水の温度は年間を通して十三度ほど。そのため、一年中わさびを栽培することができます」

 僕はパンフレットに書かれた説明文を読み上げた。

「北アルプスの雪解け水か。確かに、めちゃくちゃ透明だよな」

 快志がそう言う。耳を澄ますと、チョロチョロと水の流れる音がする。まるでオアシスに来たかのような感じだ。

「でも一年中同じ温度ってすごいよなぁ……」

 佑ノ介はわさび田を見下ろしながらそう言った。


 その後もわさび田を眺めながらしばらく歩き、そのうち「幸いのかけ橋」に着いた。左右には相変わらずわさび田が広がっている。

「おお、これは絶景!」

 真冬だが、辺りはわさびの葉の緑で埋め尽くされていた。水もキラキラと陽の光を反射していて、とてもきれいだ。ここに来てから、なぜか一枚も写真を撮っていなかったので、ここで何枚か撮っておいた。


 そして食事スポットに着いた。入り口には「お食事処」と書いてある。まだ時間が早かったので、待ち時間はなく、すぐに席に案内された。

「何にしようか」

「おれはわさび丼かな」

 わさび丼は利府くんが前にお勧めしてくれていた。せっかくここに来たのだから、食べるしかないだろう。

「あのさあ……、お楽しみのところ申し訳ないんだけど……」

 すると、隼人が小さな声で言った。

「ん?」

 なんだろう。

「おれ、わさび無理っす……」

 隼人はがくんとうなだれて言う。おっと、ここに来てそうなるか……。

「ええ……、それは損してるって……」

 利府くんが言う。

「どのくらい苦手なの?」

 場合によっては救いようがある。

「寿司屋行くじゃん? もしさび抜きなかったら、自分で全部きれいに取る」

 隼人はそう言いながら、腕を水平にスッと動かしてみせた。これは完全に無理なやつだ……。

「どうしようか……」などとみんなで言い合っていると、幸いなことに、メニューには普通のうどんもあったので、隼人はそれを頼むことにした。彼以外は全員わさび丼だ。

「いや~、わさびダメな人用の救済措置あってよかったあ~」

 隼人は命拾いをしたような顔で言った。


 空いていたので、料理はすぐに運ばれてきた。

「ほうほうこれか~」

 お盆の上には、ご飯、味噌汁、薬味、そして生のわさびがおろし金の上に乗っている。

「なるほど。自分ですりおろしてくださいってシステムか」

「わさび自分ですりおろすの、初めてだな~」

 佑ノ介はそう言いながら、早速わさびをすりおろし始めた。どこかで見たことあるような光景だなと思ったら、習字の時に墨をすりおろすのに似ているような気がする。ご飯に直でわさび、なかなか好奇心をそそられる。まずはわさび少なめで頂いてみた。


 口の中に入れた瞬間、わさびの香りがいっぱいに広がった。当たり前だが、チューブのわさびとはえらい違いだ。まあ、ここは中部だが。


 ―と、一瞬遅れてツンと来た。やはり乗せすぎには注意したほうがいいだろう。


「うわぁぁぁ! やっば!」

 そう思いながら食べ進めていると、快志の悲痛な叫び声が聞こえてきた。

「わさび乗せすぎたんでしょ」

 佑ノ介が言う。

「うん。ゲホッゲホッ……収まんねっ……!」

「息吸って息吸って……」

「スーッ……、ああ……、なんとかなったわ。ありがとう……」

 快志は額に汗をにじませながらそう言った。これだからわさびはちょっと怖い。


 快志のわさび騒動がひと段落してから、今度はかつお節と一緒に食べてみた。合うのかな……、と心配になったが、これがとても美味しかった。考えてみれば、かつお節は海の幸、わさびは山の幸。この対極にある二つの食材が、互いに絡み合うのだ。合わないわけがない。


 そうしてわさびを味わいつくしたあと、さっきとは別のルートで入り口まで戻った。ちょうど駐車場にタクシーが待機していたので、それに乗って穂高駅まで戻った。

「でもさ」

 駅に着いたところで、隼人が言った

「駐車場にタクシーがいて幸運だったな」

「なんで?」

「さっきちょっと考えたんだけど、もしタクシーがいなくて、行きの時みたいに呼んでたら、電車間に合わなかったと思うんだよ」

「あ……、確かに……。そこ盲点だった」

「やっぱり計画はちゃんと立てないと危険だな」

 快志がそう言う。鉄道好きの適当スケジューリングにはこういう穴がたくさんあるからよくない。


 大糸線に乗り、松本まで戻ってきた。

「まつもとぉ~、まつもとぉ~、まつもとぉ~。終着、松本です。お忘れ物の無いよう……」

 また、あの放送が流れてきた。今回の旅でこれを聞くのはこれが最後だろう。しっかり、僕のMDに残しておいた。


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