#37 早朝の松本観光

 二日目、目覚まし時計の音で目を覚ます。二つ同時にかけたので、寝過ごすことはなかった。時刻は六時半だ。

「おはよう」

「あん……」

 快志は小さく返事をしながら顔洗いとトイレに行き、出てくるとメガネをかけた。その後もほぼ黙ったまま、リュックに荷物を詰めたりしている。昨夜のハイテンションはいったいどこへ行ったのか。そういえば、快志はいつも、寝起きは異常なくらいテンションが低い。いったいどのようにしてテンションを取り戻していくのか、気になったので観察してみることにした。

 フロントでもらった朝食券を持って食堂に行き、朝食を済ませた。朝から温かいご飯や味噌汁を食べられたのはありがたかった。しかもそれが無料なのは素晴らしいと思う。


 荷物をまとめてチェックアウトを済ませ、外に出た。

「うう……、寒すぎるって……」

 隼人が体をブルブル震わせている。さっき食堂のテレビで天気予報をやっていたが、今朝の松本はマイナス八度まで下がったらしい。隼人はマフラーをして分厚いコートを着ているが、それでも足りないらしく、コートのポケットに使い捨てカイロを入れ、その中に手を入れて温めている。

「まあ、とりあえず……、歩こう……」

 快志が言った。まだいつものテンションとは程遠いが、自分から喋り出すようになったので、テンションは戻ってきているらしい。


 歩いて五分ほどで松本城公園に着いた。春や夏の時期は緑豊かな公園らしいが、今は真冬なので裸木が目立っていた。その中には、緑の葉をつけた松の木も立っていた。

「あれなんだっけ? 兼六園とかでよく見るやつ」

 僕はその松の木の先から地面にかけて、塔のようにワイヤーのようなものが張られているのを見つけた。

「なんだっけ……、前に兼六園に行った時に覚えたんだよね……。ええと……、そう! 雪吊りだ!」

「ああ、それそれ!」

 利府くんのおかげで思い出すことができた。

 

 お堀端までやってきた。辺りは冬の早朝の、ぴんと張ったような澄んだ空気で満たされている。その奥に見えるのが、立派な天守閣だ。

「おお、あれが国宝の、松本城の天守閣か……」

 佑ノ介が感慨深そうに言った。もちろん、すぐにカメラを構え、写真を撮りだしている。来た時間帯がよかったらしく、城の姿がくっきりとお堀の水面に反射している。

「国宝ってだけあって、他の城と比べて堂々としてる気がする。石垣の積んである感じもものすごくきれい」

 まず佑ノ介がそんなことを言った。

「側面が白と黒の二色っていうのも、飾らない感じでいいよな。なんだろう、武士らしいっていうか」

 そして隼人が言った。

「わかる。しかもかっこいい黒だよね」

 そんな隼人に、僕はそう反応をした。

「ねえ、五人で記念写真撮らない?」

 そう話していると、佑ノ介が提案してきた。そういえば今回の旅で、まだ五人全員が写っている写真を撮っていない。野辺山で五人順番に写真を撮ったが、あの写真はどれも、一人欠けていた。

「確かに、今が絶好のタイミングだね。それじゃあ佑ノ介、カメラマンお願い」

 僕はそう言った。「カメラマン」と言われて嬉しかったのか、佑ノ介は上機嫌で三脚を取り出し、カメラをセットした。


「じゃ、いつもどおりセルフタイマーで」

 そう言って、佑ノ介はファインダーを覗いてシャッターボタンを押し、僕達の列の中に入った。


「よし、撮れた!」

 シャッターが切れたのを確認すると、佑ノ介はカメラと三脚をしまった。今回は松本城の中に入ることは叶わなかったが、もし今度時間とお金があれば、ぜひ中も見てみたい。

 

さて、次に向かうのは、旧開智学校だ。

「開智学校って、日本史の教科書にも写真が載ってたりするよな。明治維新のところに」

 隼人が言った。

「そうだよね。だから、松本に来たら一回見てみたいと思ってたんだよ」


 旧開智学校は、松本城公園から歩いて五分ほどの場所にあった。

「おお~、これか~!」

 隼人が興奮した様子で言った。

「教科書で何回も見たやつ!」

「おれは小学生の時に歴史博物館で模型を見た記憶がある」

 そんなことをみんなで言う。やっぱり、教科書に載っているものを実際に目の前にすると、テンションが上がる。

「本当に繊細な造りをしてるね」

 利府くんはそう言いながら、校舎をしげしげと観察している。二階の真ん中にあるバルコニーの柵などは、彫刻のようなもので装飾されているし、さらに、白を基調にした外壁の塗装や、石レンガが重厚感を生み出している。ここまで来ると、この建物自体が一つの芸術品みたいに見えてくる。

「パっと見学校ってわかんないよな。お金持ちの人の豪邸みたい」

「確かに、貴族が住んでそうな洋館だよね」

 佑ノ介が「洋館」と言っているが、よく見てみると、屋根は瓦でできている。これは完全な「洋」ではなく、いわば和洋折衷だ。

「『擬洋風建築』だってさ」

 利府くんが、松本駅かどこかでもらってきたのであろうパンフレットを見ながら、そう説明した。

「文明開化の後も、今までの伝統を忘れない日本人の精神を感じるね」

「お、友軌、いいこと言うな~」

 快志が僕のことを褒めてくれた。思わず嬉しくなる。どうやら、この辺でテンションが戻ってきたらしい。


 駅までは歩いて二十分ほどだが、寒くて歩く気力がなかったので、近くにあったバス停からバスに乗って松本駅に戻った。バスでも十五分少々かかったので時間はそれほど変わらないが、寒い中歩かされないのには助かった。松本駅には九時前に着いた。

「ここから大糸線か~」

 僕は期待を胸にそう言った。初めて乗る路線は、たとえどんな路線でも楽しみだ。

「みんな大糸線は初めて?」

 利府くんが聞く。

「「うん」」

 どうやら利府くん以外初めてらしい。

「なんだ、乗ったことあるの僕だけか。今日は穂高までだけだけど、機会があったら糸魚川(いといがわ)まで乗りとおしてみるといいよ。景色最高だから」

「そうだな」

 大糸線はその車窓の美しさゆえ、テレビで取り上げられたりもする。


 ホームに下りるとE127系100番台が停まっていた。

「うーん……、やっぱりこの顔はいいイメージ無いなあ……」

 快志が言う。E127系100番台は、東北などで走っている701系と顔が瓜二つだ。701系は、「ロングシート地獄」や「走るプレハブ」などと呼ばれて乗り鉄から毛嫌いされているので、E127系もそういうイメージになりがちなのだろう。

 ドアは半自動扱いになっていたので、ドア横のボタンを押して車内に入った。見た目は701系にそっくりだが、座席は片側だけボックスシートになっている。

「ったく、701もこうしてくれりゃあいいのに……」

「確かに、これが一番バランス取れてるかもな」

 ボックスシートは埋まっていたので、ロングシートに五人並んで座った。穂高までは三十分ほどなので、まあこれで十分だろう。


『JR‐SH1‐1』が流れ、列車は松本を発車した。加速時には東洋GTO‐VVVFの音を響かせる。京成や京急などでもよく聞く音だが、この車両は加速が遅めなので、非同期モードのときの独特な響きがよく聞こえる。音鉄にはたまらないものだ。穂高までの三十分だけとはいえ、せっかくなので走行音を録ることにした。

 松本を出た列車は、北松本を過ぎると篠ノ井線と分かれ、奈良井川を渡る。その後は島内、島高松ととまり、梓川あずさがわを渡ると、梓橋、一日ひと市場いちばと小刻みに停車していく。大糸線は、JRの地方路線にしてはだいぶ駅間が短い。なんだか私鉄みたいだなと思ったので、この旅に出かける前に大糸線について調べてみたのだが、その結果、大糸線の前身は信濃鉄道という地方私鉄だったことを知った。他にも、同じく中部地方を走る飯田線や身延線なども同じような経緯で開業していて、この二路線も駅間が短い。


 列車は左手に穂高岳や槍ヶ岳などの、北アルプスの山々を望みながら、ゆったりと北上している。

「天気もいいし、どの山もよく見えるね~」

 僕は車窓を眺めながら言った。

「やっぱり大迫力だよ。三千メートル超えてるんだもんな」

「うん。てか、天然水のラベル思い出すの、おれだけ?」

 快志が言った。

「確かに、言われてみれば。この辺の山がモデルになってるんだもんね」

「でもさ」

 すると、佑ノ介が話し始めた。

「大糸線って、北アルプスと大自然ってイメージがあるけど、結構平坦で、田んぼとか建物がいっぱいあるところを走るんだね」

「まあ、信濃大町まではね。そこから先は、湖があったりして、白石くんのイメージ通りの大糸線になると思うよ」

「そう言われると糸魚川まで乗り通したくなっちゃう」

「じゃあ乗り通してみる?」

 利府くんがニヤッと笑って言った。みんな誘惑されかけたが、姨捨駅にも行きたいので、さすがにそれはやめておいた。


 列車は豊科とよしなに到着した。そういえば、篠ノ井線にも明科あかしなという駅がある。「〇科」は長野県に多い地名なのだろうか。

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