#36 松本名物といえば……

 十五時五十三分発の小海線で野辺山に戻り、二十分の接続で中央本線に乗り換えた。車内は空いていて、二つのボックスシートに三人と二人で分かれて座ることができた。午前中の撮影地までの往復、そして午後の最高地点までの往復と、ひたすら歩きまくった疲れが出たのか、車内では全員爆睡してしまった。佑ノ介なんか、靴を脱いで長い脚をボックスシートのもう片方に乗せて、寝てしまっていた。


「プルルルルルル……」

 発車ベルの音で目を覚ますと、もう塩尻まで来ていた。茅野ちのの『長野4番』と上諏訪の『長野1番』を聞き逃してしまったのは惜しかったが、疲れていたので仕方がない。まだ眠かったので、松本に着くまでもうひと眠りすることにした。


「次松本だよ」

 南松本を発車したところで、利府くんが起こしてくれた。

「OK。あ、そうだそうだ、マイク」

 僕はリュックからMDプレーヤーを取り出して、マイクにつないだ。松本駅のとある放送を録るためだ。

 列車は松本駅が近づくと速度を落とし始め、ポイントを通過してゆっくりとホームに進入した。録音ボタンを押しておく。


 ドアが開いた。

「まつもとぉ~、まつもとぉ~、松本です。お忘れ物のないよう、もう一度、お手回り品を、お確かめください……」

 女性の声の、少し独特な言い回しの放送が流れてきた。これこそ、僕の撮りたかったものだ。この放送は、音鉄の間で『松本おばさん』と呼ばれて長く愛されていて、同じ声優の放送は、上野駅でも使われている。そちらの通称は、『上野おばさん』だ。

「いいね~、松本に着いた感があって~」

 僕が録音し終えたことを確認してから、佑ノ介が言った。

「これ一度生で聴いてみたかったんだよな~」

 隼人も言う。やっぱりこの放送は、音鉄以外からも注目されているらしい。

「ちゃんと密着録音したいんだけど、いい?」

 せっかく松本まで来たのに、この放送を非密着だけで録るというのはもったいない。四人がOKしてくれれば、ぜひとも密着録音したいのだ。

「どれくらいかかる?」

 快志に聞かれて、僕は時刻表を見た。『松本おばさん』の放送は、この駅止まりの列車とそれ以外の列車で、少し言い回しが違う。できれば一本ずつ収録したい。

 時刻表によると、このあと、中央西線からの十七時四十九分着の当駅止まりの列車があり、そのあと、特急『しなの』長野行きが来ることになっている。これで録れば、効率よく収録できそうだ。

「今からだと……、三十分くらいかな」

「まあ、それなら大丈夫か。いいよね?」

 快志が三人に確認をとると、三人は了承してくれた。

 そうと決まればあとは行動するのみだ。僕は早速一脚にマイクを取り付けた。


 接近放送も録りたいので、列車到着の三分前に録音を始めた。接近放送が流れ終わると、一度録音をやめ、列車がやってきて速度を落としたところで、もう一度録音を始める。

「まつもとぉ~、まつもとぉ~、まつもとぉ~、終着、松本です。お忘れ物のないよう、もう一度、お手回り品を、お確かめください……」

『松本おばさん』の声が駅構内に響き渡る。列車からは、帰宅客が一斉に吐き出される。これぞ、松本駅の光景だ。

「なるほど、終点の電車は『まつもとぉ~』が三回流れるんだ」

 佑ノ介が言った。なかなか目の付け所がいい。

「こっちのほうが、『着いたぞ!』って感じがしていいね」

 来たのは115系だった。次の列車が来るまでには時間があったので、何枚か写真を撮っておいた。


 ホームを移動し、今度は特急『しなの』の到着に備える。十分ほどしてから接近放送が流れ、383系が東芝GTOの音を響かせながらやってきた。いい音だ。

「まつもとぉ~、まつもとぉ~、松本です。お忘れ物の無いよう……」

 また駅構内に、『松本おばさん』の放送が響き渡る。この放送と特急型車両は、とてつもなく似合う。でも、国鉄型の特急型車両だったらもっと良かったのかもしれない。

 発車メロディーが流れ終わると、僕は一脚を急いで畳み、マイクの感度を上げ、今度は383系の加速音を録った。なんて欲張りなことをしてしまったのだろう。

「どう? うまく録れた?」

「うん。大丈夫」

「そりゃあ良かったじゃん」

 快志はそう言って笑った。僕達は改札で18きっぷを見せ、駅を出た。


「夕飯どうする?」

 四人に聞く。

「やっぱり、信州そばがいいよな」

 隼人が言った。

「確かに、長野といったらそばでしょ」

 快志も言う。

「じゃあ、それなりに安くてうまい店探すか」

「だな」

 僕達は夕暮れ時の松本の街に繰り出した。

「混んでるか、行列のできてる店は、いい店だと思うんだけど」

 佑ノ介が言った。

「確かに、その判断基準で良さそう」

 とりあえず、繁華街を歩いてみる。


 十五分ほどうろついていると、店先にあるメニューがとても美味しそうで、たくさんの人で賑わっている店があった。見てみると、「そば処 あづみや」という店らしい。

「あそこ、良さそうじゃない?」

「うん、うまそう!」

 快志がテンション高めで言った。

「快志がそう言うんだったら、大丈夫そうだな」

 隼人が言う。

「いや、よく食うからっておれを過信しないでよ。これであんまりだったらおれに全責任負わせるつもりでしょ」

「そんなことないって」

 僕は笑いながら言った。

 今晩は、この店で食べることに決めた。店内に入ると、二組ほどの人が案内されるのを待っていた。店員に促され、案内待ちの名簿に隼人が名前を書いた。


 十五分ほどで座席に案内された。

「何食べる?」

 利府くんがメニューを開きながら言った。

「どうしようかね」

 メニューを見てみると、冷たいそばはざるそば、温かいそばはかけそば、かき揚げそば、山菜そば、きのこそばなどがあった。値段は900円から1300円ほどと、チェーン店に比べると高いが、それでも松本市内のそば専門店の中では安いほうだ。やはり、味はいいのだろう。

 少し悩んだ挙句、僕はきのこそば、佑ノ介と利府くんは山菜そば、隼人は鴨そば、快志はかき揚げそばを食べることに決めた。


「あのさ、今のうちに決めたいことがあるんだけど」

 そばが来るのを待っていると、利府くんが話しだした。

「ホテルの部屋、二人部屋が二つと、一人部屋が一つとれてるんだよね」

「誰が一人部屋に泊まるかってことか」

「そう」

 さすが隼人、勘が鋭い。

「電話で、『友達が泊まってる部屋と行き来してもいいですか?』って聞いたら、『ダメです』って言われちゃったから、一人部屋だと寂しいことになっちゃうんだよね……」

「なるほどね……。まあここは、公平にじゃんけんで決めるか」

「そうだね」

「じゃあ、負けた人が一人部屋。恨みっこなしね」

 そう言って、五人でじゃんけんをした。


「ああ、おれか……」

 負けたのは隼人だった。

「よし! じゃあおれ友軌と一緒がいい!」

 快志はそう言って僕の肩をつかんだ。

「いや触んなよ! まあ、一緒でいいけど……」

 僕がそう言うと、隼人は苦笑いしながら、「快志をよろしくな……」と言った。いつもは隼人が快志によくも悪くも迷惑をかけられているが、どうやら今夜は僕の番らしい。やれやれだ。

「じゃあ、僕は白石くんと一緒か」

 利府くんは佑ノ介のほうを見ていった。

「ってことはおれら二日連続で一緒だね」

 佑ノ介はそう言う。そういえば、利府くんは昨夜から、佑ノ介の家に前泊してたんだっけ。

 そうやって話す僕達のことを、隼人は少し寂しそうに見ていた。


 そして、そばが運ばれてきた。

「おお、うまそうじゃん」

 隼人が言った。見た目は駅そばなどとそんなに変わらないように感じるが、味はどうだろう。

「お、やっぱり、ちゃんとそばの味がする!」

 快志が一口すすって言った。

「ほんとだ! そばの風味が強い!」

「食感もいいね。さすがだわ」

「やっぱり、信州のそばは違うんだな」

 お金を出した甲斐があった。まあ、ここは信濃だが。

 きのこそばのきのこは、かき揚げにしてあった。舞茸があったので、一口食べてみる。

「おお、キノコも美味しい!」

 舞茸は全般そんな気もするが、風味が豊かだった。

「これって野沢菜だよね?」

 佑ノ介がそばに入っていた野菜を見て、利府くんに聞いた。

「そうだねえ、野沢菜」

「さっすが長野~」

 感心した様子でそばを口にした。


「いや~、美味しかったね~」

 大満足で店を出た。あとはホテルに向かうだけだ。

「うん。良かった」

 旅先ではその土地々々とちどちで美味しいものに出会えるから楽しい。


「あ、ちょっと、フィルム買ってくる」

 コンビニの横を通りかかった時、佑ノ介が言った。

「他にフィルム欲しい人いない? おれにお金預けてくれれば買ってくるけど」

「じゃあ、一本お願い」

 そう言って、僕はとりあえず千円札を渡した。

「おれも」

 快志も千円を渡す。

「OK。じゃあ、買ってくるね」


 佑ノ介が三人分のフィルムを買い込んだあと、僕達はホテルに向かった。松本駅から十分ほどのところにあるホテルだ。ここなら、明日の朝松本城に行くのにも便利だ。

「予約していた利府です」

 利府くんがフロントでそう告げた。部屋の鍵と明日の朝食券をもらって、エレベーターで五階の部屋に向かった。


「じゃ、おれらここだから」

「みんな同じフロアだからね」

 お互いの部屋の場所を確認したあと、僕達は部屋に入った。明日は九時二十二分発の大糸線から旅を始める。その前に松本市内を観光したいので、六時半くらいに起きればいいだろう。

 部屋に入ってからは、携帯やMDプレーヤーを充電して、順番に風呂に入り、備え付けのテレビを見たり、快志が持ってきたゲーム機で遊んだりして過ごした。布団に入ったのは十一時を過ぎてからだった。

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