#39 姨捨駅で

 五分の接続で篠ノ井線の普通長野行きに乗り換える。車両はおなじみ長野色の115系だった。佑ノ介が昨日、「スカ色の115系のほうが好き」と言っていたが、今回の旅でスカ色の115系に乗ることができたのは、結局一回のみだった。

 『JR‐SH1‐1』の発車メロディーを聞き、松本を発車する。大糸線に乗った時も思ったが、東京から特急列車で二時間半も離れた松本で、東京都心で流れている発車メロディーが使われているのは面白い。

 列車は松本を出ると速度を上げ、さっき停車した大糸線の北松本駅の横をかすめた。篠ノ井線は大糸線とは真逆で駅間が長い。車両も近郊型の115系で、座席がしっかりとした造りのボックスシートになったので、あたかも特急列車に乗り換えたかのような錯覚を覚える。


列車は八分ほど走り、最初の停車駅である田沢に停車した。松本~田沢間の駅間距離は八・二キロだ。梓川の向こう側を走る大糸線は、ほぼ同じ距離に六つもの駅があるから、いかに駅間距離が違うかがよくわかる。


 田沢の次の明科あかしなまでは、列車は安曇野の山際を走るが、明科を過ぎると、列車は長いトンネルが連続する区間に入る。僕達は今まで、MT54のモーター音を堪能するために少し窓を開けていたが、トンネルに入るとさすがにうるさく、それに加えて風も入ってきたので、窓を閉めた。

 

長いトンネルを抜けると、列車は西条に着いた。愛媛県に伊予いよ西条さいじょうという駅があるので、この駅も「さいじょう」と読みたくなってしまうが、正しくは「にしじょう」と読むらしい。駅名標を見てから、初めて知った。

その二つ先の駅が、ひじり高原こうげんだ。駅名に「聖」と入るので、神様でも降りてきそうな感じがするが、見た目はごく普通の駅だった。

近くにスキー場があるらしく、スキー客らしき人が何人か降りていった。

「篠ノ井線って、珍しい読み方の駅名が多いよね」

 僕はそう言った。

「確かに、明科、聖高原、かむりき。これから行く姨捨も、変わった名前だな」

「何か由来があるのかね」

 佑ノ介がそう言った。明科、冠着は単なる難読駅名な気がするが、聖高原と姨捨に関しては、なにか特別な由来がありそうだ。


 聖高原から二駅で、姨捨に着いた。

「こっちは……、駅舎側のホームか」

 ホームに降りるなり、隼人が言った。

「景色がいいのは、向こう側のホームだね」

 そう言って、僕達は跨線橋を渡ろうとする。

「あ、行き止まりになってる!」

 すると、快志がそう叫んだ。

「そうか、ここスイッチバック駅だ!」

 忘れかけていたが、ここ姨捨駅は、スイッチバック駅だ。とは言っても、スイッチバックをするのはこの駅に停車する普通列車のみで、特急列車などは、脇の通過線を通っていく。


 喋っているうちに乗ってきた列車が発車したので、スイッチバックの様子を見てみることにした。

 まず、列車は進行方向を逆にして駅を後にし、ポイントを渡って折り返し線に入っていく。折り返し線に入ると、今度は長野方面に進行方向を変える。今まではテールランプが点いていたが、それが消え、パッとヘッドライトが点いた。

 しばらくすると、列車は再び動き出し、駅の横の通過線を走り抜けて、長野方面に消えていった。一連の様子は、しっかりと写真に収めておいた。

「おお~、これは鉄道マニアとしていいもの見られたなあ~」

 快志が嬉しそうに言う。

「前に、箱根登山鉄道のスイッチバックに乗ったことはあるけど、それを外から見るのは初めてだよ」

 佑ノ介が言った。

「でも、こんなに行ったり来たり、山の中に鉄道を敷くのは大変だったんだろうなぁ……」

 先人たちへの、感謝と尊敬の念が湧き上がる。


 スイッチバックを見終わり、今度こそ跨線橋を渡って、景色が見えるほうの、反対側のホームへ行った。

「すげえ~、圧巻だよこれは……!」

 まずは快志が声をあげた。

「これがあの姨捨か……。眺めがすごすぎる……」

 僕も、大パノラマに圧倒されてしまっている。空気が澄んでいるので、遠くのほうまでくっきりと見通すことができた。眼下に広がる善光寺平。千曲川や長野市街も見えた。

「あれが長野の街か~」

 ふいに佑ノ介の声がしたので横を向くと、さっきまで標準レンズで写真を撮っていた彼は、今度は望遠レンズを望遠鏡代わりにして、遠くを観察していた。賢い使い方だと思ったので、僕も真似してみた。

「ねえ、須坂ってどの辺?」

 ファインダーを覗きながら、利府くんに聞いた。

「うーん、あの辺じゃないかなー」

 利府くんの指さしたほうを見てみると、住宅地が広がっていた。須坂はどんなところかと気になっていたが、割と栄えていそうだ。


 一通り景色を見終えたところで、駅舎に向かった。無人駅なので、そのまま改札を出る。駅舎は洋風で、野辺山と同じような雰囲気を感じた。長野県には、なんとなく「ヨーロピアンな高原」というコンセプトがあるような気がするのは、僕だけだろうか。

 このあとは、利府くんが教えてくれた棚田に行く。彼が持ってきてくれた地図帳を頼りに、線路沿いの道を進む。しばらく歩いて踏切を渡り、細い坂を下った。


「おお……」

 少し行くと、ふいに視界が開けた。駅からの眺めに負けず劣らず、ここからも善光寺平がよく見渡せる。

「こんなところに住めるなんて、羨ましいな」

 僕は言った。

「そうだなあ。おれもこんな感じで、絶景に囲まれて生活したいよ」

 すると、隼人はそう返した。

「だって、おれの家の周りなんて、なんもないよ……?」

「まあさ、おれらには手賀沼があるじゃん!」

 隼人が落ち込み気味なので、僕は励ましてやった。

「いやこの景色と手賀沼じゃ比べ物にならないだろ……」

 すかさずツッコまれた。まあ、そうなるだろうな……。


 五分ほど坂を下って、棚田が一番きれいに見えるという場所に着いた。

「うわあ……、見渡す限り段々だ……」

 左右を見ても前後を見ても、そこに広がっているのは棚田。横から見ると、地面が段をなしているのがきれいに見えるし、下のほうを見れば、田んぼが連なって見え、さらにその向こうには善光寺平も見える。自然と人の力が合わさってできた、このコラボレーション。しかもここでお米が育つのだ。もう、素晴らしいの一言に尽きるだろう。そんな景色に見とれ、恒例の写真撮影タイムが始まった。

「これ、今は冬の時期だから茶色くてパッとしないけど、田植えの時期は田んぼの水面に光が反射して、鏡みたいにきれいなんだよ。収穫の時期は、稲が黄金色になってそれもきれいだし」

 そう言って、利府くんは前来た時の写真を見せてくれた。どうやら、あと二回はここに来ることになりそうだ。

 

 来た道を引き返して、駅に戻った。坂を上る途中で振り向いてみると、やはり善光寺平がきれいに見えた。何度見ても飽きない景色だ。

 駅の前まで来ても列車が来るまでまだ少し時間があったので、佑ノ介の提案で、近くにあった姨捨公園に行った。ここも高台にあり、絶景を楽しむことができた。


「いや~、大満足! 姨捨駅降りてから行ったところ、全部絶景だったな。すごすぎるよ」

 ホームで列車を待ちながら、快志が言った。

「また来たいな。今度は夜に」

「そうそう、ここ夜景もすごいからね」

 利府くんが言う。

「じゃ、機会があったら、今度はみんなで夜景を見に来るか」

「だな!」


 そして長野行きの列車がやってきた。それに乗り込み、今度は車内からスイッチバックを体験した。

「今こうやって、珍しそうにスイッチバックの区間を乗ってるけどさ、気づいちゃったよおれ。実はめちゃくちゃ身近なところにスイッチバックがあることに」

 すると、隼人がそんなことを言った。

「え? どこだ……?」

 スイッチバック……、千葉とか東京にあったっけ……?

「東武の柏駅」

「あ、確かに! あの駅行き止まりだもんな~」

 隼人が正解を言うと、快志は納得した様子でそう言った。

「一日数本、大宮から船橋を直通するやつがあるじゃん、あれ、スイッチバックしてるんだよね」

「考えてみればそうか。てか快志、昨日の朝、柏行くときにそれ乗ったんじゃない?」

「そうだ! うわっ、マジで身近だった……」

 灯台下暗しとは、まさにこのことだろう。


 姨捨を出ると、列車は善光寺平に向けて下りだす。次の稲荷山に着くころには、平地を走るようになった。

「こうやって、盆地に向かって一気に下りていく走り方って、気持ちいいよね」

 僕はそう呟いた。


 篠ノ井で、元信越本線であるしなの鉄道が合流してきた。

「この辺から懐かしいんだよな~」

 利府くんが言う。

「長野新幹線がない頃は、特急『あさま』かなんかで帰省してたんだっけ?」

「そうそう。だから、篠ノ井から長野の景色はよく覚えてるんだよ。ちょうど、『もうすぐ着くぞ……!』ってとこだしね」

 信越本線はもともと、高崎~新潟間を結ぶ三二七・一キロの路線だった。しかし、長野新幹線の開業により、急勾配があり、機関車を連結する必要のある横川~軽井沢間は廃止され、軽井沢~篠ノ井間は第三セクターであるしなの鉄道に転換された。そのため、今では信越本線は、高崎~横川間と、篠ノ井~新潟間に二分されてしまっている。

「特急あさま、懐かしいな……」

 利府くんはしばし、幼少期の思い出に浸っていた。

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