#32 極寒の発メロ収録
新松戸駅の発車メロディー変更という、衝撃的な知らせで幕を開けた期末テストだったが、思いのほか平和に四日間を終えることができた。
「武蔵野線ホームの発メロ、まだ変わってないよね?」
テストが終わるや否や、利府くんに聞いた。
「うん。まだ終わってない」
「よし、じゃあ、家帰ってぱぱっとお昼食べたら、速攻新松戸行くわ」
「頑張れ」
利府くんが言った。テスト初日の時とは違い、本気で応援してくれているような様子だった。
家に帰るとすぐに私服に着替え、朝のうちに用意してあった収録機材を持って、我孫子駅に急いだ。緩行線ホームの弥生軒で唐揚げそばを食べ、ちょうど停まっていた唐木田行きの電車に乗り込み、新松戸に向かった。
新松戸といえば佑ノ介だ。というわけで、今回の発車メロディーの収録には、佑ノ介を付き合わせた。この前の数学の特訓の仕返しも兼ねてだ。
「よし、行くよ」
改札を入ったところにいた佑ノ介と合流すると、すぐに三番線に向かった。
「今日、友軌が収録終わるまでずっといなきゃいけないの? おれ」
ホームへのエスカレーターに乗りながら、佑ノ介が聞いてきた。
「当たり前じゃん」
あえて上から目線で言ってみた。佑ノ介は僕のほうを軽くにらんでから、前を向いて「はぁ……」とため息をついた。
ホームに着いてすぐ、接近放送が流れて電車がやってきた。急いで収録の準備をする。
発車メロディーが流れ始めた。一本目から期待はしにくいが、毎回、鳴ってくれ……、と念を送る。鳴るわけないよな……、と思いながら録っていると、0.6コーラスほど流れた。これはいけるか……? と思い始めていると、結局0.8コーラスほどで切られてしまった。そこまで鳴らすのなら、最後まで流してほしい。
四番線は、一本目は0.5コーラスで切られた。新松戸は、常磐線ホームはすぐに二コーラス鳴ることも多いが、逆に武蔵野線ホームは鳴りにくい。今日も長くなりそうだ……。
最初の一時間は、雑談をしながら割と平和な時間を過ごせていたが、時間が経つにつれて、僕も佑ノ介も疲れてきてしまった。特に佑ノ介は、だんだんと無表情になってきている。僕も数学の特訓の時、こんな顔をしていたのだろうか。
「寒い」
佑ノ介がベンチに座りながら呟いた。
「おれも」
「帰りたい」
「だめ」
「喉渇いた」
「おれの分も買ってきて。あったかいの」
そう言って、佑ノ介に財布を預けた。受け取ると、「OK」とも言わずに、佑ノ介は自動販売機のほうにゆっくりと歩いていった。その後ろ姿を眺めていると、接近放送が流れてきたので、僕は収録の準備をした。『清流』は0.5コーラスで切られた。
「鳴んないな」
僕は佑ノ介が買ってきてくれたミルクティーを飲みながら、言った。
「鳴んないねえ……」
佑ノ介もコーヒーを飲みながら言う。
「向こうのホーム、行こっか」
「そうだね……」
三番線に移動した。五分ほどで接近放送が流れ、電車がやってきた。
発車メロディーが流れだした。五秒、十秒、十五秒と流れていく。
ついに、来るのか、その瞬間が……。
佑ノ介が「鳴れ、鳴れ」と小声で言っている。
果たして、結果はいかに……!
「おお~! 流れたね~!」
曲は余韻までしっかり流れ、なんと二コーラス目にも少しだけ入った。佑ノ介は戸閉め放送が流れ終わるとすぐに、僕にそう言った。その顔は、とても嬉しそうだ。
「いや~、鳴ったよ! まさか鳴るとは思わなかった!」
僕も完全に興奮した状態で言う。当たり前だ、もう新松戸に来てから、三時間が経とうとしているのだから……。
「でも、あと四番線があるんだよな……」
興奮がおさまって、そのことを思い出す。
「まあ、鳴るよ。流れってものがあるじゃん?」
佑ノ介が珍しくポジティブなことを言う。
「そうだね。期待しよう」
佑ノ介と僕は、互いに支え合う関係だと思う。僕が落ち込んでいるときは佑ノ介が助けてくれるし、佑ノ介が落ち込んでいるときは、僕が元気づけている。新松戸の発車メロディーの収録ほどのことでそんなことを言うのは大げさかもしれないが、実際そうだなと強く思った。
夕方になって、乗降が増えてきた。人の波ができてくるので、収録はしづらくなってくる。だがそれと同時に、乗り降りに時間がかかることで、発車メロディーは鳴りやすくなってくる。実際、さっきまではせいぜい0.8コーラスほどが限界だったが、だんだんとそれ以上鳴ることが増えてきた。ここからが踏ん張りどころだ。
そして、三番線の『雲を友として』が鳴ってから五十分、五本目の列車……。ついにその時は訪れた。
発車メロディーが流れ始め、曲が終わりに差し掛かってくると、一脚を持つ手に力が入る。
―余韻は……、流れた……!
その後、二コーラス目に入るのを聴くのとともに、嬉しさが込み上げてきた。佑ノ介が、「よしっ……!」と呟く。最終的に、1.3コーラスほど流れた。
「よし! 清流も二コーラス目録れたぞ……!」
一脚を片付けながら、嬉しさを爆発させて言った。
「やっと解放されるっ! 良かった……、このままあと二時間とか駅にいさせられることになったら、どうしようかと思ったよ……」
笑顔で言う。その表情からは、嬉しさのほかに、安堵の気持ちと達成感も感じられた。
「ほんとだよ……。普段、マジで鳴らなそうな駅には行かないようにしてるんだけど、今日は例外。いや~、気が遠くなる収録だった……」
夕飯の時間までに帰ることができそうで本当に良かったと思う。
「なんか、臨時とかのレアな列車を、いい出来で撮れたときの達成感に似てる気がする」
「確かに、同じようなもんだもんね」
こういう点で、撮り鉄と音鉄は共通点があると思う。
「じゃあね」
改札の前で佑ノ介と別れる。
「じゃあまた来週。今日はゆっくり休んで」
「お前もな」
そう言われて、佑ノ介はクッと笑って頷いた。
「無理やり付き合わせて、悪かったね」
「ほんとだよ……、覚えとけよ……?」
佑ノ介は意地悪そうに笑って言うと、改札を出て行った。誤解しないでほしい。原因を作ったのは、君なんだから……。
そして週が明け、二日かけてテストが返された。帰り道でも、テストの結果についての話題になる。
「どうだった? テスト」
隼人が聞いてきた。
「まあまあかな。最近は内容も難しいし、勉強してもなかなかいい点とれないよ」
苦笑して言った。
「でも、数学はそこそこ良かったんでしょ?」
「そう。今回は数Ⅰで61点、数Aでも65点とれたんだよ。高校入ってから、初めての数学の六十点台」
「おお、良かったじゃん! 佑ノ介の特訓のおかげじゃん?」
正直すごく迷惑だったが、身にはなったらしい。
「じゃあ、三学期もまた特訓な」
佑ノ介が、また意地悪そうな笑顔で言った。
「嫌だ。断る」
僕が無愛想に返すと、四人に笑われてしまった。おいおい……、笑うほどじゃないだろ……。
「みんなは、どうなの?」
「ああ、おれは生物と数Aがよくできてた。日本史はボロボロだったけどな……」
隼人が言う。
「僕は全体的に良かったよ。ただ……、生物でやらかして48点だった」
利府くんが言った。
「あらら……」
「まあ、いいじゃん。赤はいないんだよな? 赤は」
快志が四人に聞いた。僕を含めて、全員こくりと頷く。まあこれで、平和に冬旅に行けそうだ。
「あ、そうだ。武蔵野線も曲変わったよ」
翌日の帰り道、雑談をしながらスクールバスに乗っていると、利府くんが言った。
「お、ついにか……!」
「そうなんだ」
珍しく佑ノ介も反応した。最寄りの駅で、しかもこの前収録に付き合わされたからだろう。
「じゃあ、まだ常磐線のほうの変わったあとの曲も録ってないし、今から新松戸行くか」
「え? 今からって、マイクとか持ってるの?」
利府くんが驚いた様子で聞く。
「うん。近々メロ変するだろうなーって思って。早帰りで荷物も少ないし、鞄の中に入れといた」
「さっすが友軌……」
隼人がそう言った。引いているのか感心しているのかよく分からない表情だった。
バスを降りると、僕は佑ノ介と利府くんの二人と一緒に、新松戸に向かった。十日で三回も新松戸に来るとは、異常だと思う。二人は、曲の情報を知りたいということで、少しだけ僕に同行してくれた。
まずは三番線に行く。電車が入ってきたので、一脚を伸ばして、マイクをスピーカーに付けた。
発車メロディーが流れだした。明るく軽快で、リズムもよくて爽やかな印象の曲だ。聞いた瞬間好きになった。余韻切りだったが、この曲の大体の姿が分かったので良しとしよう。
「これ、聞いたことある?」
録り終わると、佑ノ介が聞いてきた。
「うーん……、分かんないな……。曲の雰囲気的に多分テイチクの曲だとは思うけど……。新曲かもしれないし、そうじゃないかもしれないから、家帰ったら調べてみる」
続いて、四番線に向かった。ホームで喋っていると、しばらくして接近放送が流れ、南船橋行きの電車がやってきた。車両は205系だ。
「最近205系も、よく見かけるようになってきたね」
利府くんが言う。
「確かに各駅待ってるとき、よく205系の音が聞こえるようになった気がする」
収録の準備をしながら、二人のそんな会話を聞いた。車両の世代交代が着々と進んでいることを、しみじみと感じた。
発車メロディーが流れだした。その一瞬あと、あっ……、と思う。
流れてきたのは、我孫子駅でも使われている、『すすきの高原』じゃないか!
「ねえ、これって、我孫子駅でも流れてるよね」
佑ノ介が聞く。
「まあ、その通り」
「ああやっぱり……!」
利府くんも気づいていたようだ。
「厳密には、我孫子で使われてるのはこれの音色違い。今流れたのがV1で、我孫子のはV2。V1のほうは新宿とかでも使われてるよ」
「へぇ~。確かに、中央線でも聞き覚えあるなあ」
僕の、三、四番線の発車メロディーについての説明が終わると、二人はそれぞれ帰っていった。曲がそれほど長くないので、四番線は一発でフルコーラスが録れたが、三番線は録れなかったので、その後も三十分ほど収録をして、フルコーラスの音声を手に入れた。
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