三.二人の霊術師

  とても奇妙な光景に見えていただろう。

 霊術師のアイドル的存在として知られる少女が――虚な目をして目の前に居るのだから。

 そう、史上最年少でS級霊術師として認定された少女、水無月詩音だ。

 

「何でお前がここにいる……水無月詩音。」


 水無月詩音を見ると、ローシェはすぐに食ってかかる様な態度を取った。

 しかし返ってきたのは口答えでも、恨みの一言、二言でもなく、ただ冷淡なラベンダーの宝石の様な視線だけ。

 ローシェと水無月にとっては、久しぶりの再会だったのだ。


「今回こそは一緒に来てもらうわ。ローシェ。」

 

 どこか儚げな表情を見せる水無月は、大股でローシェに近づくと、途端に腕を掴んだ。

 無表情、という訳ではないが、異質な程感情が読み取れない様な――。

 とにかく、ローシェの知っている明るい美しさを持つ水無月詩音ではなかった。その瞳の奥底に感じられる、諦念の嘆息。

 九条をはじめとするローシェ班は言葉を失った。

 

「(知り合い?それとも……)」

 

 入路は水無月の姿に、どこか底知れない不安を見出した。

 状況が整理できない。いや、あまりに急すぎる。九条は息を呑み、ただ水無月とローシェの様子をジッと眺めていた。ただ、あの不真面目なローシェが先へ進み、帰って来られない場所まで進んで行く様子を頭に浮かべては否定する。

 水無月は一息おくと、手を差し伸べてくる。


「五十七回目の提案だが、断る。俺はもう七年の任期を満了してるんだ。」


 が、ローシェは差し伸べられた手を振り払い水無月を睨みつけた。

 どうせまた、軍に来て、無駄な作戦で馬鹿正直に戦い続けろとでも言うのだろう。

 そんな奴らの言いなりになるなんてもうごめんだ。


「今回は断れないわ。」

「言うね、ごときが!どうせ未だに機械みたいに従い続けてるんだろ?フンッ、偉いこった。」


 組織の犬、という言葉に水無月が一歩後ずさりし、手をぎゅっと握りしめた。

 そして耳元に近づくと、一言、誰も聞こえない声量で、囁いた。

 

「M46で、御城ハルカが殉職した――。」

「…………っ⁈」


 聞くや否や、顔が真っ青になり、思考が止まる。九条が顔を覗き込むと、その顔は恐怖に満ち溢れていた。冷や汗が溢れ出し、ローシェはその場で固まった。

 

「あなたは断れない。違う?」


 水無月がローシェの耳元で囁くと、

 ローシェは息を呑み、チッ――と舌打ちをして、立ち上がった。

 

「ああ、そりゃ確かに無視できねぇ話だな。」


 出発の支度をすると、ローシェは九条達を一度振り返り、苦笑いをした。

 

「俺はしばらく戻れない。そう先輩に伝えといてくれ。頼むよ。」

 

 ――もう、会えないかも知れないこいつらに、幸多からんことを。

 

「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ‼︎」


 七蔵がローシェの袖を掴む。微かに震えた手を、水無月は優しく包み込んだ。

 

「上の命令でね、ローシェは少し不在になるの。ごめんね。」

「べ、別に私は……!」


 七蔵に続け、九条も逃すまいと尋ねる。

 

「あの、説明して頂いても……今は学園の研修中でして……。」


 九条の言葉に、水無月は少し振り返ると、少し間を置いて返した。

 

 七蔵は掴んでいた手を離し、顔を背けると、九条のいる方へと歩み寄った。


「ねえ、ローシェ、どういうことなの?」

「悪い九条……聞くな。俺にだって、言えないことくらいあんだよ。じゃあ、元気でね。」


 一度立ち止まり、再びチッ――と舌打ちをすると、ローシェは振り返らずに水無月の後をついて行った。


    †


 セントアッカード学園学生寮前の空き地に到着した時には、もう夜だった。

 周りは既に消灯時間を迎えている様で、どこも静まっている。

 

 ここは百年前の第三次世界大戦で生き残った数少ない老舗が立ち並ぶ異様な商店街の一角で、観光名所の穴場スポットとしてよく番組が取材に来る旧日本国道の近く、高速道路を目の前に走らせた近代都市、リリアザード学園都市のはずれだ。

 普段は賑わっている夜の商店街も、いつになく人が少なく、遥か先まで見通せた。

 

「なあ、ミナ。」

 

 ローシェは空き地のベンチに座り、昔の呼び方で水無月に呼びかける。

 が、その声は木々がゆっくりと靡き、部隊接続通信機トランシーバーのガガッ――という雑音に紛れて消えて行った。


「通信、実行班より本部。」

《接続開始……認証結果、一致。水無月詩音。》


 あ、無視か――。

 小刻みに発せられる機械音と共に、通信機が作動する。気が付けば一面の星が見える夜、鳴り響くのは全て眠りについて、水無月の秘密通信を邪魔するものは、何もない。

 

『こちら本部、ヴィザー・ガーデンだ。今日もご苦労であった、水無月詩音。報告を。』

「実行班より本部。ローシェルドを連れてきました。」

『よし、では指示通り本部へ案内せよ。』

「承知しました。」


 耳に付けた通信機に手を翳し、通信を切る。

 定時連絡か、逐一報告しろと言われただけなのか、とても短い通信だった。

 

 もう夜がふける。風が靡き、辺りの木々は徐々に暗闇に沈んでいった。

 気まずいというわけでは決してないが、先程無視されてからか水無月に話しかけるのには少し勇気が必要だった。


「なんですか?」

「え?ん?」

「さっきから話しかけるのか、かけないのかはっきりしてください。」


 さすがに鋭い。

 ローシェは水無月に視線を向けたわけでも口をパクりと動かした訳でもない。かつて一緒に戦場にいた仲だ。それくらい分かるか。

 

「いや、本当に何でもないんだ。」


 ベンチを立ち上がり、顔を俯ける。


「自分の記憶喪失のことでも考えいたのですか、あなたが、まだ――」

「黙れッ――!」


 怒り混じりのローシェの声に、水無月は慌ててローシェと目を合わせる。

 視線は水無月にはなく、虚空を眺めている様だった。


「口走ってしまって……ごめんなさい、ローシェ。傷つけるつもりじゃ無かったの。」

「いや、俺こそごめん。もう……関係のないことだから。」


 記憶喪失、そんなもの今は関係ない。

 もう何年も前の話だ。

 今の自分こそがローシェル・ド・ザクセンで、他の誰でもないのだから。


「その、お前こそ最近どうなんだよ。」


 どうしようもなく気まずい空気を変えようと、ローシェは手で頭を掻き上げながら水無月に話を振る。ハッとした様子で目を見開くと、水無月は眉を顰め、どことなく切なげな目を向けて、顔を俯けた。どうやら、逆効果だった様である。その顔は、薄らと全体に赤みを帯び始め、やがて涙で濡れていた。


「ど、どうしたんだよミナ。うーんと、悪い、俺が悪かったから!泣くなって。」


 嗚咽をあげる水無月の肩を摩り、宥めるローシェに水無月は宝石の様な瞳をローシェに向ける。それから水無月は口を微かに開き、何かを言おうとして唇を再び結んだ。

 ローシェは目を細めて、手を引いて、一等星さえ見えない真っ黒な夜空を向く。


「きっと怒ってるんだろ、俺に。任期満了でも残ったお前と違って俺は一時期自由になった。暇さえあればまた軍に戻そうとしてくる上の連中に刃向かってさえいりゃ、俺は何でもできた。許せないよな、憎いよな……ごめん。」

「違う、怒ってる、なんて、そんなわけない……」


 水無月は声を詰まらせながら、ローシェの手を握って首を横に振る。彼女の肩は小刻みに揺れ、その唇も細かく揺れていた。

 体を少し委ねて、両手で包み込む水無月に、ローシェは気恥ずかしそうに少し顔を赤らめて深呼吸をした。

 ――なに気恥ずかしくなってんだよ、俺。そんな感情、とうの昔に捨てたろ。


「えっと、その……何があったか、聞かせてくれないか。ゆっくりでいいからさ。」


 水無月は何かを決めたように拳を握ると、ゆっくりと顛末を語り始めた。

 そう、御城ハルカの訃報を。


 ※ ※ ※ ※

 

 

 セントアッカード普通科高等学校。

 学園都市リリアザードのさらに奥、見渡す限りの山奥の薄暗い森の中にその学校はあった。

 リリアザード学園とは違い、その学生の大半は戦いとは無縁。「亡霊ヨミツカイ」と戦う能力を持たない少年少女達の学校、通称「劣勢適性者インコンピーター」だ。


    †


 その日の図書館は、とりわけ静かだった。

 彼女にとって数少ない憩いの場。

 いや、図書館が静かなのは当たり前なのだが、まあとにかくそこの景色は異様で――一種、色を失った絵画の様な――ぽっかりと空いた様な窓側の席だけが視界に入った。

 「空席」、いや、「空白」。

 水無月にとってそれが意味することはたった一つである。

 永遠の消滅。つまりは死別。

 ――先輩……

 水無月詩音は目を瞑り、零れ落ちんとする涙を堪えていた。

 たわいもない話をした日々。何気ない風景は、その一刻一刻を噛み締める様に想起させる。


 ※ ※ ※ ※

 

 

 水無月詩音はセントアッカード学園の学生である。

 整った薄紅色の髪を流しながら本を立ち読みしていると、突然、耳元で声がした。

 

「やっ、しーおりん!」

 

 慌てて、尻餅をつく。

 

「うわぁぁぁ!」

 

 素で出てしまった声にクスッと笑ったのは、一つ上の先輩、御城ハルカ。

 

「あんまのめり込みすぎてると、危ないよ!ほら、隙あり!」

「あっ、えっとハルカ先輩……。」

「どうした?つまらなそうな顔して。ほら、笑った笑った。可愛い顔が勿体無いよ!」

 

 御城ハルカが背中を叩き、慰めるような口調で微笑みかける。セントアッカードに入学して最初に仲良くなった同級生。先輩であり、たった一人の親友。

 厳しくて無愛想に見える反面、根は本当に優しくて、悩みがあったら相談に乗ってくれて、誰よりも頼りがいがある。

 

「お、お世辞言わないでください。」

「お世辞なんかじゃないよ、しおりん。泣きたくなったら泣いて、笑いたい時に笑えばいい。でも私がいればもう大丈夫、悩みだって、悲しみだって、溶かしてあげるから。」


 水無月は思わず溢れた涙を手で隠し、顔を背ける。途端に後ろから包み込まれる感覚を覚えて、隠していたその手を下ろした。大粒の涙が、頬を伝ってゆき、包み込んだ御城ハルカの制服の袖を湿らせる。


「ふふっ、しおりん可愛い。これじゃ私が居なくなった時心配だよ。」


 嫌だ。嫌だ。

 置いていかないで……。ずっと、先輩と一緒に……


「でも実際、しおりんすごーく強いから心配しなくてもいいのかもしれないけど……ね。」

「ハルカ先輩……今度の作戦は……」


 思わず語尾が小さくなる。M26の死神ヨミツカイ掃討作戦。背負う責任とリスクは果てしなく大きく、ハルカ先輩はそのことを誰よりも深く理解していた。その上でハルカ先輩は、水無月を安心させるために、明るく振る舞っていたのだ。

 

「心配しないでしおりん。この時のために私は運をたっぷり残しておいたんだよ!」

「死んだら……許しませんよ。」

「死なないよ。約束する。っていうか、しおりん縁起でも無いこと言わないの!」


 ハルカは頰を膨らませ、水無月をつつく。

 水無月の中に潜む漠然とした不安。それは既に、この頃から既に、彼女の胸の内あったのだ。触れることすら憚られる程恐ろしい予感、そして胸騒ぎが。


 そしてその日、作戦は行われた。

 御城ハルカは、帰らぬ人となった。



 ※ ※ ※ ※


 ローシェは言葉を失った。

 事情を飲み込むまでに、時間が必要だった。


 A級術師の死、それはこの国のメディアにとって、この上なく不都合な事実、上層部が報道を許可しないのは仕方のないこと。

 だが、水無月がローシェに再入隊を希望する理由。

 それは既に察しがついていた。


「だからお前は俺にまた……」


 ローシェの言葉に被せるように、水無月が目を合わせる。

 藁にもすがる思いだった。この学園都市最強の一人、ローシェの協力を仰げば、この不況が覆されると。けれど、何年も上の連中を否定し続ける彼に、そんなことは――

 

「協力、してくれないですよね。分かってます、分かってますけど……」

「協力するに決まってんだろ。バカか。」


 弱気な水無月の声を断ち切るが如く、声高々と言い放つ。

 予想外のローシェの反応に、水無月は思わず顔を上げた。

 

「でも、ローシェせんぱ……いえ、ローシェさんは……」

「しなかったら俺がわざわざお前についていく訳ないだろうが。」


 水無月の肩に手をつき、顔を近づけて「馬鹿ミナ。」と付け加える。


「五年間、俺はお前たちがヤツヨミツカイと戦い始める前に、その全てを片付け続けて来た。なのに……俺がお前たちを拒んできたのは、この時の為じゃねえんだよ!」


 御城ハルカは死んだ――。

 ローシェは今まで、関わった誰もを拒んで、たった一人で戦場に立ち、一人で抱えて来た。

 その事実を一番嘆いていたのは、水無月だけじゃなかったのだ。


「もう、誰一人として犠牲にたくねえんだよ。」

「ローシェ……」

「いつか、お前はで言ってたよな。死神ヨミツカイのいない世界はきっと美しいって。そしてきっと作ってみせるってさ。」

「じゃ、じゃあ!」

「でも、条件がある。」

「それは――。」

「上の連中の命令は聞かない。それだけだ。」

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