第29話 シニア(3)
シニアは、街の一等地にファルムと共に住んでいるということだった。立派な家々が立ち並ぶ早朝の道は、鳥のさえずりしか聞こえないほどに静かである。
「リリーシア様、寒くはございませんか?」
朝の冷え込む時間帯だからとロータスが心配するが、これぐらいの寒さなど俺にはなんてことはない。
なにせ、俺はずっと旅をしていたのだ。これぐらいの寒暖差で体調を崩すような軟な作りはしていなかった。
「心配するなって。俺は、邪竜を退治した男だぞ」
昨日の劇を思い出したらしく、ロータスとスズリはくすくす笑っていた。
俺は、少しばかり恥ずかしくなる。
姫とのロマンチックな恋愛話を加えられた英雄譚は、本人が見るには恥ずかしすぎた。こんなことになるならば、事前にファルムがどのような演目に登場するかを調べるべきであった。
「いやぁぁー!!」
閑静な住宅地に、女の悲鳴が響き渡る。
聞いたことがある声であった。
シニアの声である。
「こちらです。リリーシア様」
スズリの案内してくれるのは、シニアの家である。
シニアの家は、住宅街のなかでも立派なものであった。美しい外壁にはツタ植物はっており、庭には丁寧に手入れされた花々が植えられている。
俺は、家のドアを蹴破る。
家の中では、ファルムが腰を抜かしていた。
何となく察していたことだが、この男は頭が良くないらしい。復讐のために薬を盛ってくれと頼んだのだから、とんでもないことになることは分かっていただろうに。
「ファルム、ありがとうな」
俺の声に気がついたファルムは、「ひっ」と悲鳴を上げて、俺の足に縋ってきた。気弱な犬のようで、情けない姿だ。
「な……なんなんだよ。あの薬は。俺は化粧水に混ぜただけなのに……」
ファルムが指さす方向を見れば、顔を焼かれたシニアが床で転がり周っていた。ユイの喉を焼いた薬を顔に塗ったのだから、こうなるのは当然であった。
ロータスは、ファルムに化粧水のなかに薬を入れるように指示していた。その薬は、ユイにも使われた劇薬だ。飲めば喉を焼き、顔に塗れば皮膚を焼く。
この毒のせいで、ユイは喋る事ができなくなってしまった。だから、俺は同じ薬を使ってシニアの顔を焼いたのである。
「こ……こんなことして、本当に大丈夫だったんですか。わ……私は、つかまりませんよね!」
腰は抜けてしまっているファルムは、俺の足にしがみついているままだ。
ロータスは、ファルムを引き離す。そして、さらに札束を握らせた。
ファルムには、俺たちが悪魔に見えたのだろう。生まれたての小鹿のように立ち上がって、頼りない足取りで逃げていった。
世話になったパトロンとの別れだろいうのに、実に呆気ないものだ。
「いだい!なに、これ!!いたいぃぃ!!」
シニアは顔を抑えて、床を転げまわっていた。
傷みのせいもあって、化粧水に毒が入れられたなど理解できていないようだ。
大人であっても痛みで転がり周るほどの毒をユイに飲ませたのだと思えば、さらに怒りが沸いてくる。
それと同時に、その痛みをシニアが味わっていると思えば非常に気分が良くなった。
「おはよう、シニア」
床にのたうち回るシニアに、俺は笑いかけた。
村では珍しかった長い銀髪が、今は乱れていてみっともない。なによりも、劇薬で爛れてしまった顔は見られたものではなかった。まるで顔全体に火傷を負ったかのようである。
「ひぃっ、リリっ!これが、あなたがぁ!あなたの仕業ね!!」
イチカと比べて、シニアは頭の回転が早い。痛がりながら、しっかりと俺の復讐心を分かっている。
「お前らが、ユイに酷いことをしてくれたからな。復讐するのは、当然だろ」
俺は、にやにやと笑う。
「どうやって……どうやって、化粧水に毒を入れたのぉ」
わめきたてるシニアの身体を俺は蹴った。
シニアの身体は簡単に転がって、壁にぶつかってしまう。シニアの身体は形を保っているのに、ぐちゃりと潰れるような音が聞こえた。
「ファルムだよ。あいつを買収して、化粧水に毒を入れさせたんだ。すごく簡単だったよ」
俺は、いかにファルムを簡単に買収できたかをシニアに語って聞かせた。せせら笑いたいほどの快感である。シニアを陥れることが出来たからだ。
「ファル……厶!!裏切ったのぉ!!あなた、裏切っていたのぉ!!」
鬼のような形相でシニアは、俺を睨みつけていた。
しかし、怨みを込めた声は肝心のファルムに聞こえないであろう。彼はすでに逃げてしまっている。
「痛いよな、シニア。お前がすごく痛そうで、俺は嬉しいよ」
のたうち回るシニアは、俺の足首を掴んだ。強い力だが、所詮は女だ。俺は、すぐに振り払った。
「お前を治してくれそうな優しい魔法使いのユイは、お前たち自身の手で目茶苦茶にしてくれたんだもんな。残念だったな」
この場にユイがいたら、シニアを助けてくれと懇願しただろう。そして、自分が万全であったら迷いなく、魔法でシニアを救ったはずだ
「お前を助けてやれるのは、弟のために悪魔のなった兄だけだよ」
ユイならば、シニアを助ける。
でも、俺は助けない。
「その大怪我を治すには大金がいるだろ。よかったら、その金は俺が肩代わりしてやろうか?」
ファルムに貢いでいたシニアだって、金の残りはたかが知れている。だからこそ、ファルムには最近では金回りがしぶくなったと言われていたのだ。
そんな可哀そうなシニアに、俺は手を貸してやることにしていた。魔法使いの治療さえ受ければ、火傷などすぐに治ってしまうのだ。
けれども、この治療には一つだけ問題がある。
シニアは、魔法使いの幼い同胞であるユイを傷つけている。
ユイの怪我を治してくれた悪趣味な老婆がそうであったように、魔法使いは同胞を大切にする。そして、まともな魔法使いならば、同胞を傷つけたりする者は許したりはしない。
まともな魔法使いを頼れないのならば、まともではない裏稼業を引き受ける魔法使いを探すべきだ。
しかし、間違いなく吹っ掛けられるだろう。
その大金を返済する能力は、シニアにはないはずだ。
「たすけでぇ……。たすけでぇ……」
これで、シニアも奴隷に落ちることが決まった。
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