第24話 イチカ(1)


「実に素晴らしいルビーだ。一体どこでお求めになりましたか?」


 それから、何人かの宝石の好事家たちに話しかけられた。だが、生憎と俺は会話を膨らませられるような話術は持っていない。


 代わりに対応してくれたのがスズリで、好事家たちは宝石好きの恋人に貢ぐ男だと俺を認識したようである。


 商人には俺はカモだとも思われたらしく、新しい宝石を彼女にプレゼントしたらどうかとも持ち掛けられた。


 宝石に全く興味がないと思われても怪しまれると思って商人やら好事家たちのコレクションを見せてもらうことが何度かあったが、どれも素晴らしいとしか言えないような品々だらけだ。


 もっとも俺の感想としては、キラキラしていて綺麗という子供のそれである。そして、宝石のなかに舐めかけの飴玉が混ざっていても気がつかないであろう。


「素晴らしいコレクションですね」


 俺は決まり文句と社交的な笑みで、話しかけられてもやり過ごすという手を覚えた。出来る限り楽しそうには振舞っているが、笑顔を作るのにも疲れてきてしまっている。


 一方で、スズリは疲れ一つも見せてはいなかった。ロータスの部下というのは、やはりすごい。


 そんなスズリであるから、宝石ではなくて彼女目当てに近付いてくるナンパ男の影はいくらかはあった。


 しかし、どれも屈強な俺が恋人役をやっていると分かった途端に去って行く。


 俺は虫よけとしては、中々優秀らしい。


「素敵なルビーね」


 聞き覚えのある明るい声に、俺の心臓は高鳴った。深呼吸を一つして感情を落ち着かせて、声がしたほうに視線を移す。


 そこには、記憶よりも大人びたイチカの姿があった。


 イチカは美しく着飾り、産まれてからずっと富裕層だったとばかりの顔でバーの店内に馴染んでいる。


 首飾りにはサファイヤ。


 イヤリングにはルビー。


 指にはダイアモンドと言った宝石を身に着ける彼女の姿は、宝石のなる木になってしまったかのようだ。


 品がないというか。ありったけの宝石を身に着けて、これから夜逃げでもするように思える。もっとも、夜逃げするような人間はバーにはこないだろうが。


 俺は、息を呑む。


 首飾りのサファイアやイヤリングのルビーは、作り直されているが俺の親の形見だったのだ。


 モダンな形に作り直された宝石にはアンテークの面影はないが、宝石の形はそのままであった。


 俺達の親の形見はイチカの手で、別物にされてしまっていたのである。そのことに、俺は怒りが湧いた。


 けれども、こんなところで怒鳴ったりしたら全てが台無しになってしまう。俺は腸が煮え返るのを我慢して、笑顔を作った。


 イチカは、俺が幼馴染のリリーシアだとは気がついていないようだ。


 無理のない。


 二年の旅の間に、俺もだいぶ変わってしまっている。まして、今は着飾っているのだ。


 田舎で泥だらけになって遊んだ幼馴染が、こざっぱりとして着飾る姿など誰にも想像ができないであろう。


「私の名前はイチカっていうの。良かったら、そのルビーを誰から買ったのかを教えてくれない?」


 私はルビーも好きなの、とイチカは言った。昔の彼女とのギャップに、俺は目眩がする。彼女が好きなのは、焼き魚だったはずなのに。


「どうしますか、リリーシア」


 スズリが、俺に水を向ける。


 今は恋人同士という設定なので、スズリは俺を呼び捨てにしていた。そして、仲睦まじそうに微笑むことも忘れない。


 リリーシア。


 俺の名前で、イチカは俺の正体にようやく気がついたようであった。


「うそ……。リリなの?」


 イチカの目は驚きで大きく見開かれて、次いで彷徨う。


 イチカが何をやったのか知っている俺には、まるで言い訳を探しているように思えてしまった。


 復讐を心に決めたせいなのだろうか。


 俺の心は、随分とひねくれてしまったようである。


「邪竜を倒したんだよね。話しには聞いているよ。おめでとう」


 イチカは、人ごとのように邪竜を倒したことを祝った。そして、片手を俺に差し出す。しばらく意味が分からなかったが、悪手ということらしい。


「ありがとう」


 俺は、イチカの手を握り返す。


 大人の会話というよりは、他人行事な会話であった。俺と親しかったという関係を隠したがっている様子だ。


 それとも、俺から早く離れたくて、こんな態度を取っているのだろうか。


「村には……村には帰ったの?」


 イチカは、開口一番に村のことを聞いてきた。


 ストレートの物言いには、特には驚かない。イチカには腹芸が無理なのだ。だからこそ、彼女を一番最初の標的に選んだ。


 俺が村に帰っていれば、ユーナさんが死んだことやユイが行方不明であることを知ったということになる。


 それはつまり、イチカたちは俺に連絡を怠ったという意味にもなる。普通ならば、これだけでも絶交物の裏切りだ。


 ハラハラしている様子のイチズに向かって、俺は何も知りませんという表情を作った。


「いいや、まだ帰っていない。邪竜を倒した報奨金がたんまりとあるから、帰る前に恋人に宝石をいくつか買おうと思ってな」


 俺は、スズリの腰を抱き寄せる。


 スズリはわざとらしく胸をはり、ルビーの首飾りをここぞとばかりに見せびらかした。


 化粧によるスズリの美貌とドレスの品の良さ。そこにルビーの輝きが加わって、スズリはイチカよりも何倍も良い女に見える。


 宝石の木のようになってしまっているイチカにだって、それは分かっているらしい。むっとした顔をしながらも、わざとらしくダイアモンドを付けた手で顔を仰いで見せた。


 女のマウントの取り合いは怖い。


「……そうなんだ。恋人ができたのね」


 イチカは、スズリの隅々までを舐めるように見つめる。


「彼女は、とある貴族の娘でな。王都で知り合ったんだよ。近い内に結婚して、王都に移り住む予定だ」


 俺がスズリの実家がたとえようもない金持ちだと嘯けば、分かりやすいほどイチカは悔しそうな顔をした。


 このような場に出入りしていれば己の田舎の産まれを恥じるようになっているだろうと思っていた。そして、怖いぐらいに予想通りだった。


 イチカにとって宝石は美しいだけではなく、一種のステータスだ。そして、そのステータスに見合った自分ではないことにコンプレックスを抱いているようである。


 ありのままの自分こそが、イチカにとっては恥なのだ。


「……まぁ、私もお金持ちの旦那を捕まえたから、リリに恋人が出来てもおかしくはないわよね」


 そういってイチカは、今までドレスの袖で見えなかったブレスレットを髪をかき上げる仕草で見せつける。


 真珠のブレスレットの玉は大きいのだが、どうにも輝きが不自然に思える。薄暗いバーのせいなのかもしれないが、偽物のように見える真珠がイチカの真否眼のなさを証明しているような気がした。


「……イチカは、結婚をしたのか」


 これは、間違いなく嘘であろう。


 もしもそうであったら、スズリの調査で明らかになっているはずだ。


 結婚したという嘘は、俺の金を使い込んだ故の言い訳であろう。田舎娘が宝石を買い込むほどの大金を手に入れた理由としては、結婚は便利な方便であった。


「なら、結婚祝いを渡さないとな」


 結婚祝いという言葉に、イチカの顔が一瞬だけ輝いた。


 ユイの残した財産を食いつぶしたイチカならば、結婚祝いという言葉に喰いつくのは分かっていた。


 それに、俺は王から邪竜を倒した報奨金も貰っている。上手くいけば、金をふんだくれるとイチカならば考えるであろう。


 それに、スズリによればイチカには借金があるらしい。しかも、悪い筋からの借金で、その返済のためにもイチカは金を欲するはずであると俺は考えていたのである。


「幼馴染の結婚だ。こっちも報奨金で懐が温かいし、奮発させてくれよ」


 手始めに、といってから俺は酒を注文した。


 先ほどのような弱いカクテルではなくて、とても強い酒だ。その酒の銘柄は知っていたらしく、イチカはしり込みをしていた。


 しかし、俺が一気に飲み干せば。負けず嫌いに火がついたらしいイチカはぐっと酒を飲む。


「おい、無茶な飲むかたをするなよ」


 顔を赤くしたイチカは「平気よ」と言った。


 全く平気そうではないし、普通の状況だったら店から連れ出して家まで送っていっただろう。だが、今回の使命はイチカを酔い潰させることだった。


「水を出してやってくれ」


 俺がバーテンダーに水を頼んでいるのに、イチカは割って入って「酒よ!」と叫んだ。


 その姿は田舎の居酒屋にいる人間そのもので、バーの高級感には似合わない。けれども、イチズには似合っていた。彼女は、やはり田舎の人間なのだ。


 田舎者の行動でイチカは、店中の注目を浴びていた。本人だけはそれに気がつかなくて、出てきた酒をぐっと煽る。俺も同じようにして酒を飲むが、酔いは全くない。


 当たり前だ。


 俺は事前にバーテンダーに伝えて、酒ではなく色味が似ているジュースを出してもらうようにしている。飲めないくせに見栄を張りたい男は多いらしく、俺のような注文は珍しいものではないようだった。おかげで、俺は冷静な頭でイチカを観察する。


「私ね……。ずっと自分に自信がなかったのよ。ずっと無価値だと思ってた」


 イチカは、ぼそりと呟いた。


 酒故に軽くなった口から出てきた言葉は、きっと真実であるのだろう


「弱い子を助けていたのも、そうすれば自分の価値が上がると信じていたから。でも、そんなことをしても……私は無価値のまんま」


 イチカの言葉に、俺は思わず「そんなことはない」と言いそうになった。


 イチカは、村では小さな子をいじめっ子から守ったりしていた。彼女のおかげで救われた子が、何人もいたのだ。あの頃のイチカが無価値なわけがない。むしろ、なによりも特別だった。


 宝石よりも輝いていた。


「特別な私にはなれなかったけど……この街にやってきて気がついたわ」


 イチカは、指についたダイアモンドに向かって微笑む。


「特別な宝石を身につければ、私だって自信を持って歩けるんだって。特別な自分になれるって。こんなに綺麗になって、宝石をいっぱい手に入れて、私はようやく自慢の私になれたような気がするの」


 高価な石に綺麗なドレス。


 田舎にはいなかった特別な自分。


 俺の金でイチカが手に入れたのは、そういうものだった。


「……俺は、村にいた時のイチカが好きだったよ」


 真っ直ぐで融通が利かない女の子。


 けれども、正義感に溢れた勇敢な子。


 自慢の幼馴染だった。


 でも、イチカ自身は、そんな自分には満足できなかったのだ。


 酔っ払ったイチカは、無防備な笑顔を見せる。


 一緒に遊んでいた頃を思い起こさせる笑顔に、俺は拳を握りしめる。


「私の結婚祝いは、とびきりの宝石にしてね」


 どうして、いつまでも昔のままでいてくれなかったのだろうか。



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