第17話 もう戻れない


「ほら、茶だ。少しは落ち着け」


 俺は隣の爺さんの家で、茶を飲ませてもらっていた。ぶっきらぼうに出された欠けたカップには奇妙に可愛げがあって、なんだか見ているだけでほっこりしてしまう。


「なんだか、懐かしい。爺さんの家の茶って、いつもこういうカップで出されていたよな」


 子供の悪戯には容赦がない爺さんではあったが、ごくまれに茶を飲ませてくれることもあった。


 その時も手入れがされていないカップで茶が出されていたことを思い出す。なんだか、昔に戻ったような気分だった。


 この辺りではよく飲まれる茶は独特の風味があるので、飲み慣れない人間には違和感がある。けれども、それすらも俺には懐かしい。


 それはユイにとっても同じらしくて、大きなカップに注いでもらった茶を美味しそうに飲んでいた。アクセサリーがなくなってしまった傷の痛みが、少しばかり和らいでいるようで良かった。


 故郷の味は、俺たちを癒してくれる。


 おかげで、だいぶ落ち着くことができた。


「ほら、パンだけで悪いが昼飯も食え。人間は腹が減っているとまともなことを考えなくなるぞ」


 爺さんは、そう言ってジャムをたっぷりと塗ったパンを差し出す。


 野いちごで作った酸味の強いジャムも懐かしい味だ。これもユーナさんが、よく作ってくれたっけ。


「ありがとうな……。取り乱して悪かった」


 いいってもんよ、と爺さんは言う。


 みっともないところを見せたというのに、年寄の入った器の大きさで爺さんは落ち着いて俺たちを迎え入れてくれた。それだけで、だいぶ救われている自分がいる。


 この村に帰ってきてすぐに爺さんと再会できてよかった。そうでなければ、俺とユイはもっと駄目になってだろう。


「セリアスたちにも何かがあったのか?」


 爺さんの疑問に、俺はパンを食べていた手を止めた。


 爺さんは、悪いことを聞いたとばかりに顔を伏せる。


「最初に言っておくが、この村にセリアスたちはいない。ユイが姿を消した日に『人さらいにあったかもしれないから、ユイを探しに行ってくる』と言って、帰ってきてはいないんだ」


 いつまでたっても帰ってこないセリアスたちには、村では死んだものだと思われているようだ。


 親たちは子供たちの生存を信じているようだが、事件に巻き込まれて亡くなったと考えるのが普通であろう。それでも生存を信じるのが親心というものだ。


「……会話の端々から、お前らの親の形見をセリアスたちに話していたのは分かった。お前らは、セリアスたちの行方を知っているのか……。」


 爺さんは、セリアスたちの悪事に勘づきはじめているようだった。だが、それでも遺品を盗んだ程度のことしか考えていないだろう。


 ユイの喉を焼いて、奴隷として売り払ったなど思ってもいないはずだ。そんな酷いことは、村の人間は出来るはずがないと思い込みたいのである。


 俺は、ユイを見た。


 ユイは、困ったように微笑みながらも頷く。爺さんに事の次第を喋っても良いと言うことであろう。


「俺がユイと再会したとき、ユイは奴隷にされていた。しかも、喉を焼かれて声を失っていたんだ。それらをやったのはセリアスたちだ」


 爺さんは、信じられないという顔をして目を丸くする。


 俺だって、最初は信じられなかった。


 いや、信じたくはなかった。


 ユイが教えてくれた事でなければ、俺は信じることなどなかったであろう。それぐらいに衝撃的なことだったのだ。


 爺さんは、長いこと考えて声を荒げる。


「アイツらが、そんなことをするもんか!だって、お前の——親友の弟の喉を焼いて売るだなんて……」


 爺さんは、言葉を失ってしまった。


 茶を一口だけ飲んで、爺さんは深く息を吐く。


「お前がいなくなったあと……セリアスたちはユイとユーナさんの面倒をよく見ていたんだ。ユーナさんの最後を看取ったのだって、あいつらなんだ」


 信じられない、と爺さんは言葉なく言った。


 俺の一言――真実で、爺さんはひどく疲れてしまったように見える。


「ユイに何かがあったことは、薄々勘づいていた。ここに来てから、喋ろうとしないからな……」


 爺さんは、ユイの頭を撫でた。


 ユイは複雑な表情で、その手を受け入れる。なんだか両者それぞれが、可哀想になってしまった。二人とも善人なのだ。


 ユイは言うまでもなく良い子だし、爺さんだって厳しいが良い人だ。この二人が疲れ切るまで傷ついていれば、とても可哀そうに思えてしまうのである。


「ユイはてっきり人さらいにあって酷い目にあったんだと思っていた。あの日に消えたときだって……」


 子供が人さらいにあうのは、特別に珍しいというわけではない。その子供が二度と帰ってこないことも……悲しいがよくあることだ。


 そのような子供たちは奴隷として売られて、一生を労働のなかで生きる。


 ユイも俺が助け出さなければ、今頃は無理やり働かされていた事だろう。ユイは類まれなる容姿の持ち主だから、男だが専用の娼館あたりに売られる可能性すらあった。そう思うといたたまれない。


「ユイの容姿ならば、誘拐にあってもおかしくはない。俺たちもそれとなく注意していたんだが……」


 ユーナさん譲りの美貌のユイは、男子とは思えないほど秀麗な顔立ちをしている。


 さらに普段はユーナさんに魔法の稽古をつけてもらっていたことから、同世代の子供の友達が少なかった。孤独とまでは言わないが、やや遠巻きにされていたのである。


 一人でいることも珍しくはなく、人攫いにあいやすい子供であった。無論、魔法を使えていたから、ユイがさらわれるという可能性は低かったのだけども。


 ユーナさんが早々にユイに魔法を教えたのは、才能云々の前にユイが自分の身を守れるようにするためだったのかもしれない。


 ユイの容姿は幼い頃から抜きんでていたから、悪い大人から身を守る術は早い段階から必要だと考えていたのだろう。


 俺の剣技だって、父親は最初こそ護身用と思って教えたに違いない。この世は、弱い子供には生きづらいのである。


「セリアスたちには、ユーナさんが死んだら俺が王から貰った金の管理を任せることにしていたんだ。あいつらが、一番信頼できたからだ。でも……」


 セリアスたちは、母さんたちの形見すらも盗んでいった。あいつらは、そこに込められた思い出も知らずに売り払ったに違いない。なくしてはいけない形見だったというのに。


「セリアスたちは、金に目を眩んだか……。金は人を狂わせるからな」


 爺さんは、俺とユイの方を見た。


 そして、ユイに笑いかける。


「お前たち、ここまでは馬で来たんだろ?」


 爺さんは、部屋の奥から汚れたバケツを持ってくる。そして、そのバケツをユイに持たせた。いきなりの爺さんの行動に、ユイは戸惑っている。


「ユイは、馬に水をやって来てくれ。兄さんには、別の用事を頼むから」


 ユイを外に追い出した爺さんは、真っ直ぐに俺を見つめた。ここからの話は、ユイには聞かせたくないということだろう。


 ユイは、まだ子供だ。


 爺さんが汚い話をユイに聞かせたくない、という気持ちが俺にはよく分かった。


 もしも、爺さんがユイを追い出さなかったら、俺が理由をつけて追い出していたであろう。たとえ、それが不自然になったとしてもだ。


「それで、これからお前たちはどうする気だ?」


 爺さんの質問は、俺には予想されたものだった。


 俺は、なるべく落ち着いた声色で答える。


 これからやることは、すでに決まっていた。だが、それはユイにだって知らせていない。


「俺は、復讐する気だ。ユイにやったことを考えれば、俺はあいつらの何もかもを許せない……」


 俺は、拳を怒りで握りしめていた。


 その怒りは静かで、決して燃え尽きないもので出来ていた。たとえ復讐を果たしたとしても、俺はこの怒りの熱さを生涯忘れることはないであろう。それぐらいに、俺はセリアスたちを怨んでいたのである。


「爺さんは俺を止める気なのか?悪いけど、それは無駄だからな」


 たとえ爺さんに止められたとしても、俺はセリアスたちへの復讐を止める気はなかった。あいつらを地獄に叩き落して、俺も地獄に落ちるつもりであったのだ。


 ユーナさんたちの形見が盗まれたことで、俺の堪忍袋の尾は完全に切れていたのである。幼馴染だとしても許せないという気持ちが、胸の中でごうごうと燃えていたのだ。


 爺さんは、俺を止めるような言葉は吐かなかった。


 けれども、肯定もしない。


 俺の判断と行動力に全てをゆだねると無言で言っていた。


「……復讐をするなら、どこまでやる気だ?」


 爺さんの言葉に、俺は酷薄な笑みを浮かべる。


 爺さんの顔色が、瞬く間に青くなった。俺は竜を倒した時より、他人に理解されない表情をしていたのだろう。


 あの時は、命を賭けて戦っていたというのに笑っていた。


 今は、怒りに燃えていたというのに笑っていた。


「ユイと同じ目に……。いや、それ以上の目に合わせてやる。母さんたちの形見も売り飛ばされてしまったと思うし」


 知らない人間が見たら、ユーナさんと俺の実母のアクセサリーはアンティークのアクセサリーにしか見えないだろう。


 見る目の在る商人が見れば、きっと良い値段になったはずだ。その金銭は、セリアスたちの懐に入ったと思うと余計に怒りがわいてくるのである。。


 その分の復讐もしなければならない。


 俺にはナイトという地位もあり、幸いにして財産も得ていた。


 その財産も地位も普通の人生では、決して得ることができないものだ。俺はセリアスたちに復讐するために、邪竜と戦ったのではないかというほどに。


 今の俺ならば、平民の三人を握りつぶすなど簡単だ。


 そして、どうせ潰すというのならば極限の苦しみを与えなければならない。


「そうか……。そうだな。あの三人は、それだけのことをした」


 爺さんは頷いて、茶を一口飲んだ。


 そして、顔を上げる。


「ただし、俺からの願いがある」


 爺さんは、俺を睨んだ。


 その顔は、村を守る男の顔であった。


「もしも……。もしも、あいつらに何かがあっても村には知らせないでくれ」


 俺は、爺さんの言葉に目を見開いた。


 その言葉は、完全に予想外であったからだ。というより、村のことだなんて全く考えていなかった。


「ここには、あいつらの両親が住んでいる。子供が帰ってこないってだけで、親はまいっているのに。その上で……なんてことがあったら、見ていられない事になる」


 爺さんは、どこか悲しげな顔をした。


 村の様子をずっと見続けていた爺さんだからこその言葉なのだろう。俺は、セリアスたちの親のことなど全く考えていなかった。


 小さな村で育ったから、セリアスたちの親兄弟も俺とは顔見知りだ。よく遊んでもらった人もいるし、おやつなどをもらった記憶だってある。


「……分かった」


 爺さんの提案に、俺は頷いた。


 俺だって、セリアスたちの親には怨みはない。セリアスたちはとっくに消息を絶っているようだが、どこかで元気でやっていると親たちには考えてもらうことにした。それが、一番幸せなのであろう。


 息子や娘は、どこかで元気にやっているという親の夢を壊す気は俺にはなかった。そして、セリアスたちに復讐を企てる俺に村での居場所がないことも分かった。


「俺も復讐がすんだら、ここには戻らない。元友人に復讐するんだ……。それぐらいの覚悟ではいる」


 何食わぬ顔で、村に戻る事は許されない。


 それが、俺が復讐をやるに当たっての罰であろう。それに、復讐を果たした後で、あいつらの両親の顔を見る事など出来そうにはなれない。それぐらいの罪を俺は犯すのである。


「……爺さん、色々とありがとうな。あの家はユイのものになるようにするから、取り壊しは待っていてくれ。その内に取り壊すのか、人に譲るのかをユイに決めさせる」


 ユーナさんの思い出が残る家であったが、俺が村に戻ってこられない以上はユイも長居はさせられない。何らかの方法で処分するなり、他人に売る必要があるだろう。もっとも、それは後々のことになりそうだが。


「そうしてくれ。出来れば、新しい魔法使いを手配して欲しいが……それを頼むのは、さすがに贅沢か」


 爺さんの言葉に、俺は待ったをかけた。


「俺は、この辺りの領主になったんだ。領主となったからには、ちゃんと要望や希望は聞くって。もっとも魔法使いはどこでも欲しがる人材だから、すぐに確保するとは言えないけどな」


 魔法使いを育てる教育機関でも領内で作れないものだろうかと考えてしまう。それぐらいに、有能な魔法使いは広く望まれているのである。


「それに、領内に学校があれば……ユイを外に出さなくてすむ」


 魔法使いの学校は離れているので、ユイとは離れ離れになってしまうと思っていた。けれども、領内に学校を作れたら離れることはない。


 こうなったら、いち早く魔法使いの学校を領内に作らなければならない。


 俺には、復讐後の目的が出来た。


 これは邪竜退治のときと同じだ。俺は、領内に魔法使いの学校を建設するのだ。


「そうか……。そうだったな。お前は、領主になるんだったな」


 爺さんは、膝をつく。


 それは、領主と領民の距離だった。


 その光景に、俺は言葉を失う。


 そして、喪失感に包まれた。


 復讐を決意した俺は、この村には戻ってこられない。それはつまり、領主としてとしか村には関わらないということになる。ここに住まう人々の距離感だって、領主と領民との寂しくて遠い距離になるのだ。


「お元気で、領主様」


 爺さんの言葉に、俺は何も言い返さなかった。


 領主は、静かに去る事しか出来ないからである。


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