第16話 三人の形見


 俺が実家の玄関を開ければ、懐かしい光景が広がる。そして、予想外なことだが埃の匂いは少なかった。まるで、掃除されたばかりのようなよどみのない空気だ。


「ユイが消えてから、村の人間が交代で家の掃除していたんだ。綺麗には保たれているはずだ。無論、なかの気味の悪いもの……貴重品には触ってないぞ」


 爺さんの言葉に、俺は苦笑いする。


 魔法使いのユーナさんが経営していた店舗兼住宅には、彼女の趣味の小物が沢山ある。そして、それは大体が悪趣味だ。


 親切な魔法使いの店はやりすぎだが、ユーナさんの店も系統としてならば同じ方向性の悪趣味さである。普通の人間ならば、たとえ貴重品であっても呪われそうで触りたくはないだろう。だからなのか、天井からぶら下がる小物の動物の剥製には埃が積もっていたりする。


 それを見た俺とユイは、そろって忍び笑った。


「なつかしい……」


 俺は、大きく息を吸った。


 二年ぶりの帰還だ。


「ただいま」


 誰もいないのに、そう言ってから家に入った。


 それこそが、俺のけじめであった。


 掃除してもらっているせいで、家の中にはさほど埃臭さはない。


 家の天井からぶら下がっているカラスの剥製や蝙蝠の剥製のおかげで、不気味さはあっても寂しさはなかった。


 しいていえば、閉店したお化け屋敷のようだ。小物でにぎやかだが、その小物のせいで不気味になっているのである。


「よく近所の子供が遊び場にしなかったもんだな」


 俺が小さく言うと、爺さんは「していたぞ」とむっとした様子で答えた。


「その度に、俺が追い払ってやったがな」


 まだ持っている箒の柄で、爺さんは床を叩く。爺さんは今も変わらず、悪戯坊主に甘い顔をしないらしい。


「最近の子供はすぐに泣いてつまらないな。リリ達の世代なんて『覚えてろよ、糞爺』と去り際に言ってきたもんだっていうのに」


 そんなことをしただろうか。


 自覚がないので、俺は笑っておいた。


 ユイが視線だけで「そんなことをしていたの?」と尋ねている。ユイは小さな頃からユーナさんと魔法使いの修行をしていたから、子供の悪戯に参加する暇などなかったのだ。


「ユイは良い子だったもんな。たまに、鳥の死骸を持ってきていたけど……」


 爺さんが遠い目をする。


 それはおそらく、ユーナさんに鳥の剥製をプレゼントしようとしていたのだろう。ユーナさんは、鳥を食べるのも見るのも好きだったから。


「大量にオタマジャクシをすくってきたときには、本当にどうしようかとも思った……」


 子供特有の宝物を見て欲しい、という心理であろう。


 ユイも魔法使いとしての修行をしたせいなのかどうかは分からないが、趣味がかなり偏りがちだ。カエルやカラスを可愛いと思っている。


 ユイは、思い出したとばかりにポケットに手を入れた。


 爺さんは、身構える。


 いくら何でも今のユイはオタマジャクシを持ってこないと言おうしたら、出てきたのは優しい魔法使いにもらった飴だった。微妙な味だったから、まだ食べきれていなかったらしい。


「それは薬だから、食べろよ」


 ユイは、頬を膨らませる。


 この微妙な味は、ユイも嫌だったらしい。


「それにしても、懐かしいな。キー君もリツ君もそのままだ」


 吊り下げられた動物の剥製との再会を喜ぶ俺とユイに、爺さんは引きつった笑い浮かべていた。


 魔法使いのユーナさんに育てられてしまった俺のセンスは、だいぶ悪趣味の方向性に引きずられている。本職のユイたちよりはマシだとは思いたいが。


 無論、剥製に名前を付けるのは自分でも悪趣味だと分かっている。しかし、小さい時からの付き合いの剥製なのだ。もはや、人形のような認識に名前を呼んでしまうのである。


「……おい、知っているかと思うがユーナさんは」


 俺は、爺さんの言葉を遮った。


 哀しい想いを抱いたまま、俺は首をふる。


 そして、少し息を吐いた。


「ユイから聞いた。ユーナ母さんは、亡くなったんだろ。その……最後は安らかだったか?」


 俺の質問に、爺さんは無言で頷く。


 俺は、ほっとした。


 ユーナさんは、苦しまずに逝った。それだけが、今の俺にとっては幸いだ。


「最後は、ユイとセリアスたちが看取った。眠るような最後だったらしい。葬式には出席させてもらったが、綺麗な顔だったよ。まるで、眠っているようだった」


 俺の目から、ぽたりと涙が零れる。


 ユーナさんの死に目に会えないことは覚悟していたことだが、知人から話を聞けばやはりこたえた。今だったら思う存分に親孝行ができると思えば、なおさらに。


「ユーナさんは、生前の彼女が望んだとおりに夫の隣に埋葬した。村中の人が、ユーナさんを惜しんでいたよ。あの人は、優秀で善良な魔女だったからな」


 本来ならば喪主を務めるべきユイは幼いという理由で、セリアスが代わりを務めたらしい。セリアスも若かったが、俺の代わりとなれば彼ほどに相応しい人間はいなかった。


「ユーナさんが好きだったピンク色の花を敷き詰めて……。ユーナさんの好きだった歌を皆で歌ったよ。長く臥せっていたから覚悟はしていたけれども、若い人間が亡くなるっていうのはやっぱり……」


 爺さんは、言葉を失くした。


 俺が鼻を啜っていたからである。


「俺は、少し席を外すな。ユイ、こっちに来い」


 爺さんが気を利かせて、俺を一人にしてくれる。


 その気遣いが、今はありがたい。


 出来る限り、ユイには涙を見せたくはなかった。ユイの前では、常に強い兄でいたかったのである。



「ユーナさん……。俺、帰って来たよ」


 ここには、ユーナさんの思い出が沢山ある。


 少しの時間でいいから、思い出に浸りたい。爺さんがユイを連れて行ってくれて本当に良かった。


 俺は、ユーナさんの部屋に足を向けていた。


 整えられたベッドと趣味の悪い小物がここぞとばかりに置かれた部屋は、正直落ち着かない。なにせ、昔飼っていた猫の剥製まであるのだ。


「さすがに、ニャーが剥製にされたときは泣いたっけ」


 泣いたどころか家出したような記憶がある。


 それでも、そんな俺を迎えに来てくれたのもユーナさんだった。


 少しずれていた所もあったけれどもユーナさんは優しくて、父さんと結婚した時も「私なんかがお母さんになってもいいのかな?」と尋ねてきたほどだった。あのときの俺は、ユーナさんに何て答えたのかは覚えていない。


 ユーナさんは笑っていたから、俺はきっと「いいよ」と言ったのだろう。


 それから、ユーナさんは俺の家族になったのだ。


 俺と父さん、ユーナさんの三人家族であったときから家は賑やかであった。ユイが生まれてからは、より一層賑やかになった。


「ユーナさん……」


 俺は、失ってしまった人の名前を呟く。


 この部屋が、ここが一番ユーナさんを感じられる場所だった。


 俺が旅立つ直後には、ユーナさんは立ち上がることすら出来なくなっていたのである。俺にとっての最後のユーナさんの記憶は、この部屋なのである。


「……懐かしいな」


 優しいユーナさん。


 シチューが得意料理で、掃除がちょっと不得意。魔法使いとしての腕前は一級で、俺とユイを分け隔てなく育ててくれた人。


 俺に、俺の実母のことを忘れないでと言った人。


 笑顔が、とっても素敵だった人。


「あっちで、俺の母さんと父さんに会えているのかな」


 ユーナさんと俺の母さんは、元々友人だったという。二人の女に挟まれている父親を想像すると笑えてしまって、同時に寂しくなった。


 俺とユイの親は、今はもう誰もいないのだ。


 誰か一人ぐらいは、百歳まで長生きしてくれても良いだろうと胸のなかだけで弱音を吐く。いつまでも親がいるということはないと分かっているけれど、俺たちの親は誰もが短命過ぎた。


 もっと長生きして、俺たちの世話になってほしかったのに。


「お祝いのシチューぐらい作ってくれよ」


 王から貰った褒美の数々より、ユーナさんの一杯のシチューが欲しい。


 ユーナさんが最後まで隠し味を教えてくれなかったから、シチューを再現することすら出来なくなってしまった。また、食べたいのに。


「そうだ……あの三人の形見が」


 俺の実母と父親。それとユーナさん。


 その三人が遺した形見が、我が家にはあるはずだった。両親が遺した思い出が詰まった品物は、息子の俺としては開けるのもこそばゆい。なにせ、父親が二人の妻にプロポーズのときに贈った品物なのだ。


「父さんって、どんな顔をして母さんたちにプロポーズしたのかな?」


 聞かずに親たちを見送ってしまったことが悔しい。


 もっと話をして、もっと沢山のことを共にすればよかった。


 どんなに共にいたとしても、俺は足りないと思って泣くのだろうけれども。


「ユーナさん」


 俺は、ベッドに向かって語り掛ける。


「ユイの事は任せてくれ。俺が学校にいれて、立派な魔法使いにする。絶対に幸せにする。だから……安心して父さんたちと一緒に見守っていてくれ」


 俺は膝をついて、祈りの言葉を呟く。


 ユーナさんの死後の安念を祈り、同時に自分を見守って欲しいと心の中で呟く。


 ユーナさんに見守られてもらっていけば、この先もユイと共に頑張ることが出来る。そんな気がしたのだ。


 俺は、はっとする。


 そして、急いで爺さんと共にいるユイに声をかけた。ユイは飛び出してきた俺にびっくりしていたが、今はそれどころではない。


「ユイ!俺の母さんとユーナ母さんの遺品のことは、セリアスたちに話したのか!!」


 俺の言葉に、ユイの顔色がさっと青くなる。


 悪い予感が当たってしまった。


 思ったとおりだ。


 ユイは、セリアスたちに遺品のことを話してしまったらしい。ユイは、セリアスたちを信じていたのだ。話すのは何らおかしくない。


 これは、責められることではないなかった。


 それでも、今ばかりはユイの行いを怨んでしまった。俺とユイは爺さんが止めるのも聞かずに、家中だけではなく店のなかの全ての棚をひっくり返した。


 店は、あっという間に泥棒に漁られたようになってしまった。爺さんは呆然としながら、俺とユイの暴挙を見つめている。


 俺とユイは家中を探し回ったが、目当てのものはどこにもない。いつの間にかユイは、床に座り込んで涙を流していた。自分が信頼していた人々に、最も酷い裏切りを受けたせいである。


 俺は、そんなユイを慰められなかった。


 俺自身も打ひしがられていたからである。


「やられた……くそ!!」


 俺は怒りに任せて乱暴に床を叩く。


 爺さんは、何が起こったのか分からないでいる。あたりまえだろう。この家にある宝物は、本来ならば家族しか知らないものだった。


 けれども、セリアスたちに宝物の存在を知られてしまっていたのだ。


「なくなっていたものがあったのか?」


 爺さんの言葉に、俺は頷いた。


 無力感に苛まれた俺の声は、力ないものだ。こんな男が邪竜を倒したなど信じてはもらえないであろう。


「……すごく大切なものがなくなっていた」


 俺は泣き止まないユイをようやく抱きしめることができた。ユイのことを最優先に出来ないぐらいに、俺も追い詰められていたのだ。


 なくなったものがどんなに大切なものであるかは、声が出ないながらにぐすぐすと鼻を啜るユイの姿から分かるだろう。


「父さんが、母さんたちにプロポーズしたときに渡したアクサセリーがないんだよ!俺の母さんにはブローチ。ユーナ母さんにはネックレスを渡したんだ」


 父さんは、世界中の遺跡を巡っていた。


 そこで見つけたお宝を売ったり、モンスターを倒して礼金をもらったりして生活していたのだ。


 冒険を繰り返す生活のなかでは父は二人の女性と人生を共にすることを選び、自分が発見したなかで価値あるお宝を彼女たちに捧げたのだ。


 父さんは、俺の実母サファイヤがついた古いブローチをプレゼントした。何度か見せてもらったことはあるが、古びた金属の真ん中にブルーの石が栄える美しいブローチだった。


 このブローチを付けている実母の姿は見たことがないが、いつでもきらめいているブローチの姿からは大切にされていたのだということを察することができた。このブローチが実母にとっては、宝物であったことが間違いない。


 父はどこかの遺跡で見つけたブローチは、俺の実母に一番似合うと思ってプレゼントしたに違いない。


 そして、ユーナさんを妻に迎える時はルビーの首飾りをプレゼントした。


 やはり遺跡で見つけたもので、公私ともにパートナーになって欲しいといって父はユーナさんを口説いたらしい。


 このルビーの首飾りも素晴らしいもので、繊細な金細工に小さなルビーがいくつも飾られた可愛らしいデザインだった。


 田舎で身に着けるには豪華すぎる首飾りだったので、ユーナさんが首飾りを付けたのは結婚式のときだけだ。白いドレスにルビーの赤が栄えていて、俺は御姫様みたいだなという感想を抱いたものだ。


 ユーナさんは、この二つのアクセサリーをとても大切にしていた。


 二つのアクセサリーは、自分と父。そして俺の実母の形見になる。


 ユーナさんは、生前はそう言って二つのアクセサリーをよくなでていた。その横顔が、どこか優しいものだったことをよく覚えている。


「これは、私たちの形見になるから大切にしてね」


 俺の実母の形見。


 ユーナさんの形見。


 そして、二人にアクセサリーをプレゼントした父の形見。


 二つのアクセサリーは、たしかに三人分の形見であった。


 そう語って、ユーナさんは二つのアクセサリーを大切にしていたというのに。


 俺はユーナさんの形見を……ユーナさんの大切な人の形見すらも守ることは出来なかった。


「セリアスたちは、そのアクセサリーも取っていきやがった!!ちくしょう!!」


 今となっては、本当に三人の形見になってしまったアクササリーだ。俺たちは、それを守らなければならなかったのに。



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