第15話 箒を振り回す爺



 チサトの頑健な足のおかげで、二人乗りだというのに村まで数時間で着くことができた。


 普通の馬では、こうはいかなかっただろう。だからといって、チサトが疲れていないわけではない。村で少し長めの休息を取らせてから、屋敷には帰るべきだろう。


「なんにも変わってないんだな」


 俺は、ぼそりと呟いた。


 俺が育った村は、二年前に旅立ったときと変わっていない。


 牧歌的で、静かな村だ。


 畑を育て、牛を育てる。


 そうやって人々は生きていて、小さな村だからこそ助け合いは当たり前。住民は、ほとんどが顔見知り。


 どこにでもあるありふれた村でありながら、ここにしかないものか沢山ある村だった。


 俺とユイは、ここで育ったのだ。


 全ての物が懐かしかったが、今の俺は故郷にすら警戒をしていた。


 セリアスたちがユイを売ったと言う話だが、それが村ぐるみの犯行ではないという確証がなかったからだ。


 もしかしたら、村の人間全員が敵かもしれない。


 そう考えるだけで、俺は怖かった。


 村の人々には、小さな頃からお世話になった。よくお裾分けをしてくれた叔母さんもいたし、初恋のお姉さんだってかつてはいた場所だ。


 悪さをしては大いに叱ってくれた爺さんだっているし、兄貴分のように遊んでくれた兄さんだっているような場所なのだ。


 この村の人々が、徒党を組んでユイを傷つけたとは思いたくはなかった。


「……」


 暖かなユイの手が、俺の手の甲に触れた。


 俺の手は、いつもより固く手綱を握りしめていた。俺らしくもない緊張だ。


 ユイは俺の手を包み込み、まるで自分の力を分け与えるかのように目を閉じていた。その姿が聖女が祈りを捧げているかのように見えるのは、俺だけではないはずだ。


 ユイの健気な体温が、俺の緊張を解きほぐす。


「ありがとうな」


 俺は、レイに礼を言った。


 ユイは、優しく微笑む。


 その微笑みは、俺を励ましているようだった。


「そうだな。恐がっているより、行動した方が良いよな。まずは、俺たちの家に言ってみるか」


 俺たちの家には、馬小屋がない。


 しかたがないので、俺は村の入口にチサトを結んでおくことにした。ここら辺には草が生い茂っているので、チサトエサにも困ることがない。


「あとで、水をもらって来てやるからな」


 愛馬に一言いってから、俺とユイは村に入った。


 改めて、何にもない村だと俺は思う。広い世界を見たからこそ、俺の故郷が田舎だったということが改めて分かった。


 嫌いではない。


 むしろ、ゆったりと時間が流れているような空気は好きだ。王都の喧騒は、それなりに長く滞在したというのにどうにも慣れなかったのだ。


 俺は根っからの田舎者だから、ゆったりとした田舎の生活の方が向いているのであろう。

 

 それに、俺の領地には、こういった村々が多いであろう。領民の生活を愛せることは、きっと大切なことだ。


「少し眠くなってきてしまうな」


 あまりにのんびりと時間が過ぎるものだから、欠伸が出てくる。それを見たユイが、忍び笑った。


 ユイの安心しきった態度から言って、村にはトラウマを抱いていないようだった。


 よかった。


 故郷にトラウマなどあったら、可哀そうすぎる。


「ユイ!ユイじゃないか!!」


 俺達が振り向けば、実家の隣に住んでいた爺さんが箒を振り上げて襲ってきた。


 この爺さんは、幼い頃から少しでも悪戯をすれば箒を振り上げてどこまでも追いかけてくるのである。ちなみに血の繋がりはない。


 他人の子供にも手加減しないのが、この爺さんなのである。


 鬼の形相の爺さんに、俺は何も出来ずに呆然としていた。


 邪竜と戦った人間が老人の気迫を押されているというのもおかしな話だが、こればかりは幼い頃から刷り込まれたものだ。


 俺と同じような育ちかたをしたユイも足が動かなくなってしまっている。


「この変態が!お前が、ユイを誘拐したんだな!!」


 爺さんが、俺に向かって箒を振り上げる。


 そして、バンバンと音を立てて俺を叩き始めた。箒の先っぽが俺の顔面に当たって、思わず涙目になる。邪竜を倒した英雄だというのに、俺は悪ガキみたいな扱いをされていた。


「爺さん痛いって!俺だ。俺だって、リリだって!!」


 俺は必死に弁明するが、頭に血が登った爺さんには聞こえていない。もしかしたら年齢を重ねすぎて耳が遠くなっているのではないだろうか。


 ばしん、と一際強く俺は箒で叩かれる。この爺さんは、人の心を読む訓練でも受けているのではないだろうか。


「ユイ、離れろ!世の中には、小さな男の子に手を出す変態だっているんだぞ!!」


 それは、同感だ。


 変態は、死ねばいいのにと思う。


 けれども、俺は変態ではない。


 弟を愛する兄である。


 決して、変態ではない。


「あいたぁ!」


 耄碌しているのではないかと思うほどに、爺さんは人の話を聞いてくれなかった。その割に力は強いのだから、もう嫌になる。


「ユイは、リリの弟だ。あいつの代わりに、儂がユイを取りもど……。おや?」


 隣の爺さんは、箒で叩いていた相手が誰であるかに気がついたようだ。出来れば、もう少し先に気がついて欲しかった。おかげで、せっかく整えてもらった俺の髪はぐしゃぐしゃだ。


 顔面だって箒で叩かれたので、猫に引っかかれたようになってしまっている。ロータスに聞かれたら、何と答えればいいのだろうか。


「立派な格好をして気がつかなかったが、お前はリリじゃないか!邪竜を倒した英雄が、追剥なんかしたのか!!」


 手柄を立てて出世したとは、爺さんは考えてくれないらしい。俺は、思わず脱力した。


 邪竜を倒した英雄だと各所で持ち上げられても、俺を幼い頃から知っている爺さんにとっては悪童のままらしい。それにしても、追剥をしたなん疑いは心外であったが。


「邪竜退治に功績を認められて、出世したんだよ。今は、なんとナイトの爵位をもらったんだぜ」


 俺が上着を見せびらかすような仕草をすれば、爺さんは驚いたように目を見開いた。信じられないと言う顔だ。


 幼い頃からの知り合いが、いきなり貴族になったというのは信じがたいことだろう。爺さんは俺のオムツ姿まで知っているから尚更に。


「じゃあ、新しい領主というのも……」


 そちらの話は届いていたらしい。


 話の全貌が村に届いていたら良かったが、正しく話が伝わっていないのは田舎の村にはよくあることだ。今回だって領主が新しくなることは伝わったが、領主が誰になるかまでは伝わらなかったのだろう。


「普通は、ナイトは領地をもらえないんだけどな。特別処置ということで、領地もらったんだ」


 いいだろう、と言った俺は宝物を見せつける子供のような顔をしていたであろう。懐かしい爺さんの顔に、俺はすっかり童心に戻っていたのだ。


 ユイも同じようで、にこにこと楽しそうだ。


 そういえば、爺さんにはいろんなものを自慢しにきたっけ。


 カマキリの卵とか川で拾った綺麗な石とか蝉の抜け殻とか。


 子供特有の宝物を見せていた思い出が、俺の中で蘇ってくる。


 もうちょっとまともなものを拾え、と小さな頃の自分に言いたくなった。この爺さんも子供の遊びによく付き合ってくれたものだ。


「それにしても、ユイ。今までどこにいたんだ?お前が消えてから、村の皆でずっと探し回っていたんだぞ」


 爺さんの言葉に、俺は現実に戻る。


 ユイの奴隷として売ったのが、村全体の相違であったかどうかを見極めるため。


 そのために、ここまで俺はやってきたのである。


 もしも、村総出でユイを売ったとしたら――この村は俺の敵になるからだ。


「爺さんは、大丈夫だよな……」


 爺さんは、自分より大きな体格の俺に向かってきた。それは、行方不明になっていたユイを助けるための行動であった。そんな爺さんならば、ユイの事件に関わっているわけはないと俺は思った。


 爺さんならば、信用が出来る。


 なにより、ユイが警戒していない。事件に関わっているならば、ユイは爺さんにだって警戒しているはずである。


「ユイ、爺さんは大丈夫だよな?」


 弟に最後の確認を取ってみる。


 ユイは、頷いた。


 やはり、爺さんは無関係らしい。


「ここでは話辛いから、ちょっと俺の家に行こう」


 爺さんは、俺の言葉をいぶかしんだ。


「その前に、ユイが戻って来たことを皆に知らせておいた方がいいだろう。皆、心配していたんだぞ」


 ユイの手を取ろうとした爺さんは、何かに気がついたようなにはっとする。


「無論、お前のことも心配していたからな」


 おざなりにされたからと言って、俺は別に怒っていない。だというのに、爺さんは俺の頭を幼子のようになでた。


 かさかさした大きな手が俺の頭を包む感触は気持ち良くて優しくて、俺は少し涙ぐんでしまった。


「お前は、誰にもできないことをやったんだ。ほら、沢山褒めてやるからな」


「もう、いいよ。子供じゃないんだ」


 こんなところは他人に見られたくない。


 そう思った俺は、爺さんから離れた。


「いつの間に一人前の男になったな。いいや、邪竜を倒したんだ。世界一の男になった!」


 爺さんは、俺の背中を叩く。


「ほら、さっそくお祝いだ。酒だの肉だので、二人の帰還を祝うぞ!」


 俺は、爺さんを止めた。


 今はまだ、町中の人間には会いたくない。


「爺さん、ちょっと話したいことがあるんだ。俺の家にまで来てくれ。そこでゆっくりと話すから」


 爺さんはいぶかしんだが、俺の言葉に従って付いてきてくれた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る