第14話 犬のように洗われた
もしかしてだが、この屋敷は風呂が二箇所もあるのだろうか。信じられない贅沢だ。無駄とも言える。風呂など川で十分だろうに。
「わー、すっごい匂いぃ!」
「こんなのが、御主人様なんて信じられない!」
メイドたちは騒ぎながら、見事な手際で俺の服を強奪した。そして、それを取り戻す前に風呂場に押し込められる。本当に、そこら辺の追い剥ぎよりも手際が良い。
「石鹸が泡立たないぃ!!」
「タオルが真っ黒になったわ!!」
普通の年頃の少女ならば男の裸に「キャーキャー」と言うはずなのに、メイドたちは汚れの方に悲鳴をあげていた。なんだか、酷く恥ずかしい。
「前は自分で洗う!自分で洗うから!!」
俺の方が、乙女のような悲鳴を上げてしまう。
何度も石鹸でこすられて、石鹸の匂いが体に移った頃に俺は頭から湯をかけられた。さっきから俺の扱いが、汚れた犬並みなのだが……。
「さぁ、御主人様。こちらをお召くださいね」
体をふわふわのタオルで拭かれた俺に差し出されたのは、貴族が着るような立派な服である。そんな服を着て良いのだろうかと迷うが、今は俺も貴族だったと思い出す。
シャツのボタンがやたらとキレイだなと眺めていたら、なんと貝細工だった。普通のボタンが木製だということを考えれば、とんでもない贅沢品である。
「ちょっとこれはやりすぎだろ」
繊細なボタンを壊しそうでオロオロしていたら、メイドが手際よく身支度を整えてくれる。
緑色の上着も上着も生地がしっかりしていて、こっちのボタンは金色だった。これは、さすがに本物の金ではないと思いたい。きっと塗料か何かで塗った代物だろう。
「ヒゲも剃って、髪も整えますからね」
もはや、メイドたちにされるはままだ。
外見にこだわりがあったわけでもないので、大人しくしておくことにする。それに、無精髭なんかは俺も気になっていたところだ。旅をしていれば、最低限の身だしなみさえも疎かにしがちだ。
鏡なんて持っていないので、怪我をしない程度に髭剃り用の小刀を当てることしかしないのだ。そうすると剃り残しは当然出てくる。
そのせいもあって、むさい男が嫌う女性ならば裸足で逃げ出すような格好に俺はなっていた。こればかりは仕方がないことなのだが。
「ほら、どうですか?ご主人さま」
鏡を見せられて、俺は唖然とする。
目の前には、自分とは思えないような男がいたからである。黒髪と黒い瞳は間違いなく自分のものだが、自分という実感がない。
無精髭はなくなって、髪がすっきりと整えられていたせいだ。しかも、何故かいい匂いがする。髪につけられた整髪料のためだろうと思う。
今までの俺は体格のせいもあって、熊のような外見 だった。だが、今の俺は名家の坊っちゃんと言われても信じられそうだった。服と髪型の力は偉大である。
「えっと……やりすぎじゃないのか?」
こんなに立派な服を着せてもらっても汚すだけである。もっと安いの服でいい。なんだったら、少し汚れていたって文句は言わない。
旅で着ていた服など、今着ているものに比べたらボロ雑巾だ。しかし、長年の生活で培われた感性は、あちらの服の方を好んでいる。
「御主人様は、領主になられたんですよ。それなのに見苦しい格好をしてもらっていては困ります」
メイドの一人は、すました顔で言った。
そのように言われてしまえば、俺はとても弱い。たしかに、おんぼろを着ている領主などいないであろう。
「領主が襤褸を着ていたら、場合によっては民すらも侮られるのですよ。しっかりした衣装を着てもらわないと困ります」
土地の代表者として自覚を持った格好をしろ、といメイドは言いたいらしい。そこまで言われたら、我儘を言うわけにもいかない。
そして、俺が着ていた服は見事にゴミ袋に入れられた。そして、汚物のように扱われて捨てられる。
俺は着慣れない服のままに、背筋を伸ばしてみた。そうすれば、少しだけ服を着こなしているように思えるから不思議だ。
「さぁ、綺麗になりましたね」
執事は着替えた俺を見るなり、なぜか涙を流した。滂沱の涙は、まるで誰かの葬式に出た後のようである。
「あんなにもみすぼらしい格好で……。まさか私どもの主が、あんな恥ずかしい格好で歩いていたとは」
まるで浮浪者のような扱いだ。そんなに恥ずかしい格好ではなかったと思うのだが。
俺は、少なくとも普通の旅人の格好をしていた。ヨルゼだって、変だとは一言も言わなかったし。
「泣くほどじゃないだろ。俺は、単なる旅の剣士なんだ。自分の格好なんて気にしてられるか」
服なんて、動きやすくて寒くなければいいのだ。洒落た刺繍も立派な装飾品だっていらない。服とは、そういうものだ。
「今度からは、服の選考基準を直していただきます。ご主人様には領主としての自覚を持って、それらしい格好をしていただかないと困るのです」
領主って、面倒だ。
今までは単純に喜んでいたのだが、王から賜ったものが面倒なものであったのだと薄々わかってきた。だからって、返上するつもりはないのだが。
「お仕事の方は代行をしている者がいますが、追々覚えていただきます。領民の生活を守るのが、領主の仕事ですからね。今後は、しっかり勉強していただきますから」
この執事の役割が分かった。
俺の教師役兼お目付け役だ。
領主となったからには仕事をサボる気はないので、生徒としてバシバシと鍛えてもらうことにしよう。
俺はやるからには、やる男だ。
それに、いつまでもユイの理想の兄でありたい。これは『お兄ちゃん』という生物の共通する願いであろう。妹や弟がいる兄弟ならば、俺の気持ちも分かるというものであろう。
「お連れ様のお着替えも終わったようですね」
執事の言葉が終わるやいなやユイが俺の元まで走ってきた。さすがにユイのサイズの服までは用意できなかったらしい。装いは、青いワンピースのままだ。こちらは汚物扱いされなかったらしい。
それでも、体からは俺と同じ石鹸の匂いがした。ユイもゴシゴシと洗われたらしい。
「すごい。髪がより一層サラサラになってる」
ユイの髪はいつも以上に、美しく手入れされていた。指通りが良くなっていて、まるで乙女のようだ。これでは、益々かわいくなってしまうではないか。
「お連れ様のサイズの服も急いで用意させていただきます」
かしこまる執事の後ろで、ユイを連れて行ったメイドが何かを揉むような手つきを見せる。ユイの何が揉まれたのだろうか。すごく気になる。
「ご安心を。サイズは計測済みです」
ユイは、ガタガタと震えていた。
風呂場で何があったのだろうか。想像できないので、すごく気になる。
「色々とありがとうな。知っていると思うけど、俺は領主になるリリーシアだ。長いから、リリでいい。こっちは、弟のユイだ」
俺の挨拶に、三人にメイドは戸惑うように顔を見合わせた。こほんと咳払いをするのは、お硬い執事だ。主をあだ名で呼ぶなと言いたいらしい。
「随分とフランクな人が来たもんだねぇ。気楽で良いんじゃないのぉ。イソねぇ」
どこかの地域の訛なのだろうか。俺を風呂に放り込んでくれたメイドの片方は、語尾がどこか不自然だ。茶色の髪の毛のツインテールとソバカスが、幼く見えて可愛らしい。
イソと呼ばれたメイドは生真面目な顔で、ツインテールのメイドを叱る。
イソというメイドは、男のように黒髪を短くしていた。メイド服からズボンに着替えたら、男装の麗人にも見えるだろう。俺から見ても女性にモテそうは雰囲気をかもしだしている。
それぐらいに、凛々しい顔立ちをしているだ。王都には女だけの歌劇団があったが、そこの団員になれそうである。
「また、ロータス様に叱られるわよ。ヘキナは静かにしていなさい」
一見して真面目なイソだが、俺を風呂に入れたときに、俺を「こんなの」扱いしていたのは彼女である。結構、毒舌なのだろう。
「こっちは弟のユイ。わけ合って喋れないが、気にしないでくれ」
ユイの世話をしてくれたメイドはお指を立てて、グッジョブと無言で返事をしてくれた。
分厚い眼鏡に、赤髪を一本に結んだだけの洒落っ気のない髪型。彼女も喋れないのか……それとも無口なだけなのか。
とても気になるが初対面で聞くわけにもいかない。一緒に暮らすのだから、追々知ることができるであろう。
「では、リリーシア様。今日はゆっくりとお休みください。今後のことは、明日になったら説明いたします」
執事は、最後に頭を下げる。
「私は、ロータスと申します。何かあれば、なんなりとお申し付けください」
ロータス執事が、そう言ってくれたので俺は早速出かける準備をする。といっても、没収されていた剣を手に取っただけだが。
「よっと」
俺は、剣に刃こぼれがないことを確認する。剣に不慣れな人間が多そうだったので心配だったが、ちゃんと丁寧に扱ってくれたらしい。
「剣、ありがとうな」
俺が礼を言ったら、ロータスは驚いた。どうやら、俺の行動は予想外であったらしい。
「剣の扱いごときで、礼などもったいない。屋敷の人間は、剣を扱い方や手入れの方法を全員学びましたので、ご安心ください」
それは、剣扱う俺のためだろう。
ならば、なおのこと礼を言うべきだと思った。
「剣の扱いを覚えるのもそれなりに手間だったよな。ありがとう」
俺が微笑むとロータスは、もったいないと首をふる。
「主が気持ちよくなれるように準備をするのが、使用人の仕事ですから」
ロータスの言葉に、メイドたちも頷く。ここの使用人は努力家のようで、頭が下がる思いだった。
「さて、明後日までとはいかないが、しばらく休んでいてくれ。ここには顔を出すだけの予定だったし、ちょっと出身の村の方に行ってくる。あっちに実家があるんだよ」
この屋敷こそが俺の家なのだが、実家は村の方だ。あそこにいかなければ帰ってきた気がしない。
なにより、セリアスたちと話がしたかった。
ユイの喉を焼いたことは許せなかったが、それでも幼馴染だ。なにか特異な事情があったのかもしれない、という一類の望みを俺はこの期に及んで持っていたのだ。
「では、せめて明日にしてください。長旅でお疲れでしょうし……」
俺を止めようとするロータスにはありがたいが、俺はまったく疲れていない。
こんなことで疲れていたら、邪竜になんて挑なかったであろう。俺の体力は、底なしなのである。
「悪いけど、ちょっと確かめたいことがあるんだ。ユイだけ置いて置くから、世話を頼む」
俺はともかく、ユイは疲れているだろうと思った。いくらチサトに乗っていたとはいえ、一日中の移動を繰り返していたのだ。慣れていない人間は馬での移動だけでも疲れてしまうものだ。
しかし、ユイは俺の服の袖を掴んで首をふる。一緒に行きたいということだろう。
俺は心配になった。
故郷に帰ることで、ユイが苦しむかもしれないと思ったからだ。けれども、ユイは譲らないという表情をしていた。
「大丈夫なのか?休んでいていいんだぞ」
ユイは、力強く頷いた。
絶対について行くという気概が感じられる。さすがは、俺の弟だ。諦めが悪くて、負けん気がある。
「よし。じゃあ、一緒に行くか」
俺は、ユイの頭をなでた。
ユイは微笑んで、俺を見つめる。
心臓を破壊されそうな可愛さに、俺の方が赤面してしまう。俺の弟は、相変わらず可愛すぎる。
俺とユイは、愛馬のチサトの元へと歩き出す。メイドたちも唖然としていたが、俺たち兄弟は止まらない。
「じゃあ、行ってくるな。夕飯までには帰ってくるから」
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