最終話 恋に落ちる音

 憂鬱なことに、明奉めいほうでも雨は降っていた。どころか電車で見た降りよりも強くなっている。

 見慣れた駅の北口には、傘を持っていない人が鈴なりだった。その列に加わろうとして、ふと軒下まで足を進める。

 右足を引いて、雨の中に踏み出した。


 背中を打つ雨の音に、顎を引いて鞄を胸に抱えてひた走る。

 ぱらぱら、ぱら。

 視界が曇って揺れる。


 公園の入り口についた。泥を撥ねかしながらさらに進む。雨がだんだん強くなっている気がする。

 東屋の下に、虚空を見上げる人影。

 やや細い肩に、長い脚。手元には光る長方形。

 どうやら誰かを心配して電話をかけているよう——


まつり!」


 三メートルほど離れたところから声をかけると、その人は驚いたようにこちらを向いた。

 その一瞬で屋根の下に滑り込む。


「ずぶ濡れじゃないか」


 珍しく、本気で困惑した声がかかる。


「こんなの平気」


 申し訳程度に水気を払って、抱えていた荷物を東屋のテーブルに置いた。


「何かあったのか」

「君のせいでね」


 濡れて重たくなった髪を払って、高い位置にある瞳をまっすぐに見つめる。こんなにしっかりと目を合わせたのはいつぶりだろう。


「アメリカになんて行くなよ」


 静寂の瞬間。少しだけ居心地が悪くなりつつも目をずらさずにいた。


「行ったら淋しいだろう」


 答えないので言葉を継ぐ。

 雨は止まない。


「じゃあ、断ろう」


 にこり、と祭が微笑んだ。


「良いの?」


 あんまりにもあっさりと言われたので思わず訊き返した。


「教授から少し話を持ちかけられただけだから、全然」


 まだ話は濁してあるし、とか言う。

 何だよ、それ。走ってきたボクが馬鹿みたいじゃないか。


「どうして急いで来たんだ? 電話で言えばよかったろうに」

「……聞こえたんだよ」

「? 何が?」


 さっき、スマホを手から落とした時、確かに聞こえた。


 恋に、落ちる音が。


 人はこうやって人を好きになるんだな、とわかった。悲しいくらいにどうしようもないくらいの衝動を感じた。


 そして、気がついたら走り出していた。来月には祭がいなくなってしまう、なんて言われたって信じられなくて、それを自ら否定したくて、家を飛び出していた。


「何か聞こえたのか?」

「うん。何か、ね」

「濁すなよ」

「とにかく、そういうことなんだよ。ボクは今、初めて君を好きだと思った。もしかしたらずっとそうだったのかもしれないけれど、それは別に探ったところで何にもなりゃしないだろ?」

「そうだな」


 頭が冷えてきて、濡れた体が寒くなってきた。

 少し身を震わせると、祭が何やら身動きしている。


「はい」

「なんで脱いだの」


 いつも着ている白のトレンチコートを脱いで差し出すのだ。


「脱げ」

「コートを?」

「そう。そして着ろ」

「え? 脱いだ後に着るの?」

「違う、俺のを」

「そしたら祭が寒いんじゃないの?」

「別に。それから、これ」


 いつも祭が通学に使っているリュックの中から傘を取り出す。


「え? 持ってたの?」

「待ってたら迎えに来てくれるかと思った。後、相合傘もできるかな、と」

「ボク、君には一生勝てそうにないよ」


 一気にそこまで考えて実行できる頭脳を尊敬する。やっぱり、祭とボクの間には大きな溝があるんだな、と目を閉じる。


「そんなことはないだろ」


 存外強い口調での否定を食らう。


つばさはさっき、俺の全くの想定外なことをした。俺は翼の行動力に負けたよ」


 そんなセリフを聞くのは初めてだった。

 確かに、祭はさっき戸惑った表情をしていたかもしれない。優越感を唇の端に乗せた。


「じゃあ、帰ろうよ。君がしたい、相合傘とやらをしながらさ」


 祭の貸してくれたコートに袖を通す。かなりの体格差のせいでぶかぶかだ。


「うん。帰ろう」


 コートの中に着ていたセーターだけの姿になった祭が、折り畳み傘を広げる。


「ほら」


 差し出された手を握った。

 雨の中に、足を揃える。


「二人だと傘が差しにくいな」


 駅まで半分くらい歩いて、祭がぼそりとそう言った。


「言い出したのは君だろ」


 下を向いたままにそう答える。実は、さっきから心臓がうるさくて仕方ないのだ。繋いだ右手から伝わってくる温もりと、羽織ったコートから香る祭の家の匂いが思考を邪魔して、上手く会話ができない。


「具合でも悪いのか?」


 覗き込まれて思わず目を逸らした。

 跳ね上がった心臓が信じられない音を立てる。


「そんなことはないよ」

「……」


 こういうときだけ気が利かないやつだ。


 隣の祭を視界に入れないようにしながら、ふと思ったことを口に出す。


「ボクらって違う人間なんだよね」

「そうだな」

「全然違うよね、やっぱり」

「だから俺は翼のことが好きだよ」


 いつも言われ続けている言葉も、ここまで頭の芯を揺さぶったのは初めてかもしれなかった。


「そっか」

「違うから好きなんだよ。わからないことだらけだろ、お互い違うんだから。全部わかってしまったらつまらない。違う人間だからこそ、好きになれるんだ」


 天才だとか、秀才だとか。

 ボクらはそういう言葉を使ってとかくお互いを分類したがるものだ。

 だけれど、そんなのは些末なことだと言って構わないだろう。

 二人の間には違いがあるから愛が生まれるだとか、違いがあるからこそお互いに愛し合えるとか、そういうありきたりな結論を出してしまって構わないだろう。

 人は、自分と違う誰かを好きになる。

 祭は自分と違うボクのことが好きだった。

 ボクは今日、自分と違う祭を好きになった。

 そんなよくある恋のお話だ。

 それじゃあ、このありふれた話を、よくある言葉で締めくくろう。

 べた過ぎて使われ過ぎて、もう食傷気味な言葉で締めくくろう。


「大好きだよ、祭」

「俺もだよ、翼」





The boy's unrequited love is over. The girl fell in love.

This story is just another love story.

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あいつとボクの違い フルリ @FLapis

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