第19話 (2029)

 小野寺翼おのでらつばさ、十九歳。

 ボクはこの春、大学生になった。

 つまり、禊禧祭けいきまつりも大学生になったのである。

 二人仲良く、国立明禽あきとり大学の一年生。最も学部は違うけれど。

 まつりの方は法学部首席合格。高校の校長に、進学先をもっとよく考えてくれと再三言われていたらしいけど、奴は取り合わなかったみたいだ。

 ボクは文学部。別に首席ではない。学校の先生は明禽が出たというだけで喜んでいたけど、祭に勉強を教えてもらっていたボクとしては、自分の手柄のような顔をする先生にいい気はしなかった。


 そうそう、祭の話だ。

 さっきも『勉強を教えてもらっていた』と言ったけれど、あいつは結局ボクの彼氏気取りを今まで辞めていない。辞めようとしてもいない。中学生の時の気持ちなんてとっくに変わっていて当然なのに、未だに祭の中でボクらは恋人だ。

 ……祭の中では、そうだ。

 なぜそんな言い方をするのかって、ボクは未だに恋とか愛とかがわからないんだ。夢見る乙女みたいな言い分だけれど、こればかりは譲れない。

 こういうのって誰に訊けばいいんだろう。お兄ちゃんに相談するのもおかしな話だし、祭っていうのももっとおかしな話だ。

 ふと、耳慣れた着信音。スマホがぶるぶる身を震わせている。


 ん。そういえば、祭が今日あたり電話をするなんて言っていたっけ。彼は、法学部なんだから別に実験とかがあったりするわけでもないのに、最近大学にこもりきりだった。声を聞くのも久しぶりだ、なんて思いながら電話に出る。


「久しぶり」


 どうやら話しているのは外らしい。足音が混ざる。ややうるさめの喧騒も耳に飛び込んできた。


 ――久しぶり。

「どうした? 悩んでいる雰囲気がする」

 ――当てずっぽでしょ。

「そうだが、当たったから確信だ」


 ばれちゃあしょうがないよなあ。ストレートに訊いてみることにする。


 ――祭ってさ、どうしてボクのこと好きなの?

「ん? ああ。そういうこと。一緒にいたい、離したくないって気持ちがあれば好きってことなんじゃないか?」


 一言言っただけなのに、すべてを見透かしたような言い分が気にくわない。


 ――ボクが何を相談しようと思ったかわかる?

「俺に乙女の恋心はわからない」

 ――ボク、自分が君のことを好きなのかわからないんだよ。

「俺は翼のことが好きだよ」

 ――そろそろさ、呪いなんて言って誤魔化してる場合じゃない気がしてきちゃったんだ。

決着けりをつけたいってか?」

 ――そんな感じだよ。

「それはよかった。俺の方でもそんな気がしてたんだ」



「俺、来月からアメリカに行く」



 語尾の辺りが聞こえないうちに、目を大きく瞠った。数瞬の間、音が止む。思わず手で口を覆いながら椅子の背もたれに勢いよく着地した。その過程で腕から力が抜けて、手からスマホを取り落とす。床に落ちたままの端末からノイズ交じりの小さな声が聞こえる。


「翼? 大丈夫か?」

 ――今、どこにいるの。

「まだ大学だけど」

 ――明奉めいほうで、駅で待ってて。



 着替えて、定期とスマホを持って家を出る。お兄ちゃんは今日はいない日。父親とは家を出る時にすれ違ったけれど、知らん顔をされた。まあ、そんなもんか。

 駅へと続く道を、怪しまれながらも全速力で駆け抜けて(イメージはオリンピック選手)、横断歩道で足踏みをする。青になった瞬間に白線へ足を踏み出した。

 ようやく地下鉄の駅の標識が見えた。何となく人の流れが向かっている中、それを突き破るように駅の入口へと駆けた。

 地下鉄の駅へ、階段を駆け下りる。足音がリズムを奏でて耳に心地よい。

 大急ぎで改札を抜けた。

 間に合った電車で火照った頬をクールダウン。秋だから、エアコンの調子が微妙であまり冷えない。

 明奉――ボクらの大学の最寄り駅と、ボクの家の最寄り駅の中間くらいで、列車の硝子に雨粒がつき出した。この調子では明奉でも降っているんだろう。傘は持って来ていない。


[雨が降ってきたから近くの公園にいる]


 予想通りあちらでも雨が降っているらしい。通知を見て画面をオフにした。座れなかったので、ドアの窓から世界を眺める。

 この世界に恋人は何組ぐらいいるのだろう、なんて乙女なことを考えながら。

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