第2話(自分語り)
ボクの名前は、
それから、あのいけ好かない男の名前は、
ボクのことを語るのならば、たとえどんな語り口を使ったとしても、祭について触れずに語ることは不可能だろう。
――ボクらはいわゆる、幼馴染というやつだから。
初めて会ったのがいつだったかは覚えていない。おそらく、近所に住んでいることがきっかけで、母親同士が話すようになり、それから対面に至ったのだろう。――それから、ずっと。中学に上がって学校が離れてから(あいつは私立の男子校に入った)はさすがに話していないけれど、それまではかなりべったりだった。主に話しかけてくるのはあっちで、ボクはむしろあいつのことをうざったがっていた。それが小学校時代。 ――ボクとしては、恋しいどころか中学になってから離れて、せいせいしているつもりだったけれど、やっぱりずっと近くにあったものがなくなると、喪失感のようなものが襲うらしい。この学校に入ってからは、どこか落ち着かない感じがずっとしている。
全体としてみれば、あいつのことを『嫌い』という言葉で表すのは適していないし、『嫌い』よりは『好き』に近いベクトルで眺めているつもりだけれど、それでもたった一つだけ、針を『好き』の方向に振り切るには許容しきれないことがある。
そんなたった一つは、祭が持つ特異性について。
それは多くの場合『天才性』と呼ばれるものだ。
多くの人が、新しい問題にぶつかったとき、それまでの経験や知識を結びつけて対応するだろう。およそ連想ゲームのような形で、答えには何度か工程を経てたどり着く、もしくはたどり着けずに終わるはずだ。
そのプロセスを、『点と点を線で結ぶ作業』と仮定したとき、ボクと祭との間には埋めきることのできない絶対の格差が生まれる。
早さ、だ。
例えば会話をしているとき。ボクが一つか二つのことの間に関連性を見つけ出している間に、祭はボクが話したい事の結論にまでたどり着いている。自身が所持する情報とそれをもとにした推測を行っているだけだ、と彼は言うけれど、ボクにはとても自分にそんな事が出来るとは思えない。
ボクも割と考えるスピードは早い方だけれど、祭ほど早いわけじゃない。それなのに、自分が二人のどちらよりも遅いというだけで、相手が自分よりも早いというだけでボクと祭をひとまとめにして、『天才』なんていう言葉で語ってくるやつがいる。そんな事が、ボクは許せない。
ボクはあくまで、祭のような『天才』に追いつくために努力を重ねている『秀才』にすぎない。
いくら追いつこうとしたって追いつけないことは解っているから、その事を指摘されると腹が立つ。それ故に、ボクは彼と並ぶ事が、ほんの少しだけ苦手だ。
これくらいで良いだろう。もともと話すのはあまり好きじゃないし、祭の事ばかり考えていると気が滅入る。自分語りが、半分以上どころか、ほとんど自分じゃない人間に埋め尽くされているというのもどうかと思うが、所詮ボクなんて言うのは、天才に振り回される秀才に過ぎないっていう事を解ってもらえたんじゃないかと思う。
それじゃあ、ボクの話はこれで終わるけど。もし少しか脳の容量を使ってくれようという優しい方がいるのなら。
天才と秀才の違い。ただそれだけを覚えておいてほしい。
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