第30話 走馬灯

 *


 がむしゃらに雑木林を駆け抜ける。一瞬、背後へ振り返ると、そいつは私を追って来ていた。

 よし、蓮くんから離すことには成功したみたい。あとは──あのバケモノをどうにかするだけ。その時、私の脳裏に、思い出したくない顔が浮かび上がった。


 ……普通の人間が、人生でもっとも憎いと思える相手は一体誰だろうか。肉親か赤の他人か、かつての友達か、それとも親友だった人物か。対象は十人十色だと思うけど、ある共通点が存在すると私は思う。その共通点とは自分にとって〝敵〟ということではないだろうか。


 私の場合は──それが、自分の母親だった。


 私の母は若い頃から占いを生業にして生活している人間だったと聞いている。どうやら、多少の〝力〟は持っていたようで、当たると評判だったそうだ。だが、人間の欲というものは奥深い。現状の地位に満足するほど、母の収入は多いとは言えなかった。

 母が私を産んだのは二十九歳の頃だ。父の顔は──知らない。物心が付いた頃から父がいないのは当たり前だったし、母はそのことを何も語ろうとはしなかった。だから、私もそれを自然のことなのだと受け入れ、一度も聞くことはなかった。


 生まれてすぐに、母は私も力を持っていることに気付いた。それも、かなり強力な力。赤子でありながら、そこら辺にいる霊程度なら簡単に祓えるほどの。私の母は──それを、自分の商売に利用しようと考えた。

 占い稼業の傍ら、母はお祓いの仕事を始めた。料金は確か、一回五万から二十万円程度だったはず。悪霊を祓い、幸運を呼び込むという触れ込みで始めた仕事だったけど、次第に占いからお祓いが本業へと移り変わっていった。


 当然だ。そのお祓いをしていたのは母より力を持つ、御子わたしだったんだから。

 だが、いくら力を持っていると言っても、まだ物書きもできない子供が霊を祓うのは不可能な話だ。では、母は一体どうやって私を使っていたのか。簡単な話だ。


 その方法とは――私の身に霊を宿すように、肩代わりさせていたのだ。

 まず、依頼者に清めた水を飲ませ、その身に憑いている悪霊を吐き出させる。しかし、これだけでは一時的に引き剥がしただけ。時間が経てば、また元に戻ってしまう。

 そこで、母はその水をまた私に飲ませればいいのではないのか、と考えた。そうすれば、私の肉体の中で霊が清められ、依頼者が再び霊に憑かれることはない。結果的に言えば、その理論は正しい。ただ、その媒体である私の事情を無視すれば、の話だが。


 いくら力があると言っても、そんなことをしていたら、私の肉体が持つわけがない。悪霊から、守護霊まで。様々な霊を取り込んだ私の身体はその中で蟲毒を起こしていた。

 要するに、祓われまいと霊同士が私の中で殺し合いをして、より強い力を持つようになってしまったのだ。まあ、そんなことをしても、そいつらに肉体の所有権を引き渡すほど、私の力は劣っているというわけではない。最終的にその蟲毒で生き残ったのは私だった。


 十歳の頃だっただろうか。母に連れられて、霊能力者が集まる会合に参加した時の話だ。私の姿を見た瞬間、その場にいる母以外の全員が嘔吐し、泣き叫びながら、発狂した。

 私は既に、人間ではなくなっていたのだ。様々な霊を取り込んだ結果、その力は反転し、死者に近くなってしまった。

 私は人間の皮を被っているだけの〝バケモノ〟と何ら変わりない力を持っていた。母が異変に気付かなかったのは──それだけ、力が弱かったということだろう。


 それから一週間後、母は自宅で首を吊って自殺した。自殺の原因は──直接的には分からないが、多分、会合の参加者に真実を告げられたんだと思う。

 遺書には「ごめんね」とだけ書かれていた。呆れた話だ。私をバケモノにしたくせに、自分は勝手に死んでしまったのだから。

 ただ、これは今思えば、というだけの話で、当時の私はそれなりに悲しんだ。唯一の肉親を失ってしまったせいで、私は天涯孤独になってしまった。

 その頃にはもう普通の人間ではないということは自覚していたし、学校では気味悪がられていたこともあり、人生で一番辛かった時期でもあった。


 そこで私は──吹っ切れることにした。


 もう私は人間ではないのだから、周りの目など気にすることはない。一人で好きに生きて、飽きたら母のように一人で死のうと。

 そこからの人生は比較的に楽に過ごせた。人間関係を放棄するというのはこれほどまでに楽になるのかと、自分でも驚いたくらいだ。いじめにも何回か遭遇したが、少し脅せば誰も近付いて来なくなった。

 そして、中学、高校を平凡に過ごし、近場の大学に進学することに決めた。動機は──まあ、ただの暇潰し、だろうか。勉強は嫌いじゃなかったし、金銭的な面は母が生前に稼いでいたおかげで余裕はあった。


 でも、ここで予定外の事態が起きた。


 忘れもしない。去年の四月十四日、月曜日、午前十時三十二分──私は〝蓮くん〟に出会った。

 一目惚れ、ってやつだと思う。彼を見て、声を聞いた瞬間、私の心臓は飛び上がった。呼吸が乱れ、動悸が激しくなるあの胸の高まりを忘れることはない。あんな経験は初めてだった。


 最初は気分が悪くなったのかと思ったけど、違う。むしろ、心地良かった。授業が終わり、彼が教室に出たのを確認し、数分ほど放心状態で天井を眺めたその時に──初めて、これが「恋」という感情だということに気が付いた。

 最初はあり得ないと、自分でその可能性を否定した。私が人を愛することなんて決してない。そんなことは今までに一度もなかった。でも、彼と何度か授業で会話するうちに──信じざるを得なくなった。


 彼と話していると、とても楽しい。こんな気持ちになったのは初めてだった。蓮くんのことをもっと知りたい。そのためなら何でもやった。近付く女を軽く呪ったことも幾度かある。やがて、私を避けるようになったことになっても、思いを止めることができなかった。

 彼が私を拒むと言うなら、それでもいい。でも、誰かに渡すのだけは絶対に許さない。だから──あの日の夜、蓮くんが私を頼ってくれたことが、とても嬉しかった。

 彼を守るためなら、死んでもいい。本気で何度もそう思った。


 ……あれ、どうして私はこんなことを思い出しているんだろ。蓮くんとの思い出ならともかく、昔のことはもう忘れていたはずなのに。

 あぁ──そうか。これ、走馬灯ってやつなのかな。私、これから死ぬかも。

 まあ、どうでもいいか。蓮くんが無事なら、私の命なんて。それより、今はこいつをどうにかすることを考えないと。

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