第26話 旅路の時間

 鮫島と名乗った男は立ち上がり、俺たちに向かって満面の笑みを向けて挨拶をして来た。

 身長は──百六十センチくらいだろうか。やや痩せ気味で、服装は食堂で見た信者と同じく、白のローブのようなものを着ている。こいつが──すべての元凶。


「お二人とも、どうぞ、お掛けになってください」


 中央にテーブルを挟む形で、司祭の鮫島は俺たちに着席するように勧める。

 御子はどうするのだろうか。この天国の扉での最高責任者は間違いなく、この男だろう。そして、誰の介入もなく、当初の目的通り二対一で対面することができた。

 いつ──切り出す。唾を飲み込み、俺は横目で御子の顔を伺う。彼女は大人しく、着席しようとしていた。

 まだ、ってことか。俺もそれに従い、席に着く。


「ここでの食事はどうでしたか。外と比べたら、味気ない物だったでしょう」

「えぇ、そうですね。正直……少し味が薄いなとはちょっと思いました」

「ははは。いえ、結構ですよ。事実ですから。ここで生活していけば、食事関連はすぐ慣れていただけますよ。何せ、人間が食事に化学調味料を入れるようになったのはここ百年の出来事ですからね」

「は、はぁ」

「今では我々の舌はすっかりその味に慣れてしまいましたが、歴史的に見れば素材本来の味を楽しんでいた時期の方がよっぽど長いんですよ。時間が経てば、本来の味覚に戻ります」


 御子は鮫島と他愛のない会話を続けていた。

 俺は──どうすればいいのだろうか。すっかり会話に混じるタイミングを失ってしまった。いや、そもそも俺は身を隠している身なのだから、あまり目立つのは良くないか。


「高山さん……少し、いいですか?」

「は、はい。何ですか」


 そんなことを考えていると、鮫島が声を掛けてきた。


「いえ、失礼ですが……その帽子をお取りいただいてもよろしいですか。これから共に生活する仲なのですから、顔を覚えておきたいのです。事情があるというなら、無理強いはしませんが」


 顔を見せろ、か。ここまでだな。もう隠し通すのは無理だろう。

 御子の方を確認すると、無言で頷いていた。彼女も潮時だと判断したようだ。ゆっくりと、俺は帽子を取って、その素顔を鮫島の前に晒した。


 俺の顔を見た鮫島の反応は──何か、見覚えがある、といった顔をしている。当たり前だ。あの老婆に呪いの指示書を出して、俺を殺そうとした張本人はお前だろ。

 様子を見ると、本当に俺の顔を忘れているようであった。こいつ、顔すら覚えてない相手を殺そうとしたのか。その姿を見て、腹の奥底から怒りが湧いてきた。これは俺の怒りだけではない。今までこの教団の犠牲になった、すべての人の怒りだ。


「高山さん、どこかでお会いしましたか? あなたの顔に見覚えがある」

「……呆れた。まさか、本当に顔すら覚えていない相手を呪い殺してたなんて」


 俺の怒りが頂天に達しようとしていた時、御子は立ち上がり、懐から取り出した包丁を鮫島に向けた。

 刃物を急に突き付けられた鮫島は目を点にして、俺たちを見つめている。


「……これは一体、どういうことですかな」

「まだ気付かないわけ? じゃあこれでどう」


 バサッと、御子はテーブルの上に紙を投げ捨てる。

 その紙の正体は老婆の家に隠されていた呪いの指令書だった。


「天国の扉、アンタらがやって来たことは全部分かってる。ここにいる蓮くんを呪い殺そうとしたことも、今までに何人も呪いで殺人を行ってきたことも。金輪際、私たちに手を出さないで、この街から消えて。そうすれば、命だけは助けてあげる」

「……あぁ、そういうことですか」


 鮫島は軽く鼻で笑うような動作を取った。

 こいつ、自分の立場が分かっているのか。追い詰められているのはお前だぞ。


「いえ、報告には聞いていましたよ。〝神の使者〟を送る儀式に手こずっていると。しかし、ここまでやるとは──驚きました。お二人が初めてですよ。乗り込んでくるなんて。一体、あなたたちは何者です?」


 な、なんなんだ──こいつは。鮫島は俺たちに向かって、拍手をして、称賛をするような仕草を取る。

 なぜ、包丁を向けられているこの状況で、ここまで余裕のある態度を取っているんだ。それに、神の使者とは何のことだ。


「……なんで、あの老婆を使って、俺を呪い殺そうとしたんだ。お前がさっき言った、神の使者ってやつは……俺のことなのか?」


 耐え切れなくなった俺は怒りを抑えながら、鮫島に質問する。


「えぇ、そうですよ。ですが、一つ訂正させてもらいます。あなた方は勘違いをしている。我々は呪いなどという野蛮な力は一切使っていない。この力は──神から賜った〝奇跡〟です」

「……は?」

「この奇跡の力を使って、我々は天の国へ使者を送っていたのですよ。使者は資格を持っている者ではないといけない。高山……いえ、白川さん。あなたはその名誉ある使者に選ばれたのです。もっと誇りなさい。使者という〝鍵〟を使うことによって、天の国の扉をこちらから開けることができるようになったのです。我々は次のレベルへと辿り着ける」


 本当に──何を──言っているんだ。こいつは。

 俺の頭ではついていけない。つまり、俺や他の人たちが呪われたのはこいつらのイカれた気まぐれってことなのか。


「……ふっ、馬鹿じゃないの。天の国なんて、あるわけない。あんたらが使ったのはただの下衆な呪い。それ以上でもそれ以下でもない。何なら、その身で味わってみる?」


 御子はバッグの中を漁り、ある物を取り出す。

 それは彁混神の像だった。


「蓮くんにかけた呪い、全部返してあげる」


 御子は像を強く握る。すると、像から──あの影が伸びてきた。この場でまたあの呪い返しをするつもりなのか。


「おぉ、それは御神体ではないですか。返しにきてくれたのですね。ありがとうございます。探しても見つからなくて、困っていたんですよ」

「……っ⁉」


 その光景に、俺と御子は言葉を失う。

 鮫島に伸びた触手のような影は彼に触れることなく、像に戻って行った。驚く御子の手から鮫島は彁混神の像を取り、我が子を接するように愛撫した。


「……あぁ、そうなのですね。分かりました。今日、この日……あなた方がここに来たのも、すべて運命なのですね。が必要、ということですか。ようやく……ようやく、この時が来た。すべての条件は整いました」


 鮫島は立ち上がり、デスクの前に移動した。


「時間だ」


 一言、呟く。そして、何かを取り出した。あれは──マイクだ。


『……親愛なる我が家族達よ。時が来た』


 マイクに向かって鮫島は何かを語り掛け始めた。

 その音は室内だけではなく、上部に設置されているスピーカーから反響している。まさか、助けを呼ぼうと、この校舎中に放送しているのか。


「おいっ!」


 俺はその放送を止めようと、鮫島に手を伸ばそうとするが──動かなかった。

 金縛りだ。最初、影に襲われた時のように、金縛りで全身が動かなかった。


「……っ」


 横目で御子を確認すると、彼女も全身を僅かに震わせながら、その場を動けずにいた。

 嘘、だろ。御子にも、金縛りが効いているのか。身動きが取れない俺たちを差し置いて、鮫島はマイクに向けて語り続ける。


『……とうとう、この日が来たのだ。我々が天の国に渡る日が。不安、恐怖、苦悩。様々な想いがあると思うが……我々は一つだ。何も恐れる必要はない。共に旅立とう。今……再び扉は開かれる。慈悲深き父や母の元に……約束の地へ。きっと、我々の旅路は成功する。先人達の骸を道標に。世界への別れの言葉と共に、この祈りを父と母に捧げる。アーメン』


 カチリと、鮫島はマイクの電源を落とした。

 今の放送はなんだ。助けを求めるというにはあまり不自然だ。むしろ──その逆のように聴こえた。


「別れの時だ。あなた方は見届けなくてはならない。これが……我々の旅路だ」


 そう言うと、鮫島はデスクの中から黒い物体を取り出す。ちょうど握り拳程度あり、先端は細く、筒のような形をしている。彼はそれを自分の頭に突き付けた。

 その一連の動作を見て、俺はこれから目の前で起きる光景を予知してしまった。こいつ、まさか――っ。


 バンッ!


 爆竹が破裂するような甲高い音が聴こえた。

瞬間、鮫島の頭からピンクの綿のような物が飛び出す。そして──デスクにうつ伏せになり、動かなくなった。

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