第25話 司祭

 *


「……そして、天の国に渡り、真なる父と母に迎えられるのが、我々の目的というわけです。ここまでで、何かご不明な点はありますか?」


 や、やっと──終わったか。

 部屋の置時計を見ると、説明をし始めてから九十分近くが経過していた。大学の授業一回分と考えると、そこまで長くないはずだったが、俺の人生の中で一番長い九十分だった。

 退屈、虚無としか言いようがない。よく分からない単語を並べ、目を輝かせながら、いかにこの宗教が素晴らしいか力説する様は防衛本能が働き、脳が理解するのを止めたような手ごたえを感じた。


「いえ、特にはありません。とても、興味深いお話でした。まさか、水から食事まですべてを自給自足で補っているなんて……驚きました」

「ははっ。そう言っていただけるとこちらも嬉しいですね。ですが、本当にすべての物資がここで完結しているわけではないんですよ。現在は八割と言ったところで、度々、街の方へ出向いて日用品などを補充しています。表にも、車が何台か止まっていたでしょう? あれを使っているんです。将来的には本当に、俗世間に頼らない生活を目指しているのですが……これが中々、難儀なもので」


 まさか、御子、あの話をすべてちゃんと聞いていたのか。す、すごいな。俺なんて、後半は完全に聞き流していたのに。


「高山さんの方は何かありますか?」

「……い、いえっ。特には何も」

 危ない。一瞬〝高山〟という言葉が誰に向けられているのか、分からなかった。

 偽名を使い慣れていない弊害がこんなところで出るとは。


「あぁ、いつの間にか、もうこんな時間ですね。お昼ご飯にしましょうか。こちらへどうぞ。食堂へと案内します」


 昼食──ここで食事を取るのか。正直、あまり食べたくないが、そんなことを言える状況ではない。

 比津地に連れられて、今度は食堂と呼ばれる場所へと案内された。


「どうぞ。ここで、いつもはお祈りを捧げて、皆で食事を取っているのですが……今日はもう時間が過ぎてしまったので、あまり人は残っていないですね。ご着席していてください。担当に、まだ残っているかどうか確認してきます」


 時計の時刻はもう午後一時を過ぎており、食堂には数人しか人は残っていなかったが、どこからか視線を感じる。

 軽く、横目で周囲を見回してみると──ジロジロと、他の信者らしき者たちに見られていた。外部から来た俺たちの服装は目立つのだろうか。他の信者は皆、白い作業着のような服を着ている。


「お待たせしました。どうぞ、召し上がってください」


 数分間、居心地の悪い空間で過ごしていたところに、配膳のトレーが運ばれてきた。

 メニューは──パンと、これは何かのシチューだろうか。それと付け合わせのサラダというシンプルな料理だった。


「では、ごゆっくりどうぞ。失礼ですが、私はもう少し席を外させてもらいますね」

「はい、ありがとうございます」


 比津地はそそくさと、再びどこかへ姿を消した。まあそっちの方が落ち着けるから助かるが、やっぱり、この料理も食べないとダメだよな。

 御子の方を見ると、もう既に食事に手を付けていた。毒見をさせているようで悪いが、この料理にも、何か変な物が入っているというわけではないみたいだ。意を決し、俺も木製のスプーンを使い、シチューを一杯、口に含む。


 ──まずい。


 案の定、お茶と同じく、美味しいと言えるような味ではなかった。俺と御子は無言で三十分近くをかけて、食事を完食し終えた。人数が少ないとはいえ、周囲に信者の目がある以上は余計なことを言えない。

 しかし、このシチューの味はまずい。自給自足で暮らしていると言っていたが、調味料等もできるだけ自然由来の物を使っているせいだろうか。どうも、味気ない。しかし、中途半端に残すと不審に思われてしまうかもしれない。必死に水で舌を洗浄しながら、何とか食べ切ることができた。


「いやいや、すみません。席を離してしまって」


 ちょうどその時、比津地が戻ってきた。


「最近、こちらもちょっと慌ただしくしておりまして……お食事も済んだようですし、行きましょうか。ではこちらへどうぞ。司祭様の元にご案内致します」


 司祭──その言葉を聞いて、心臓の鼓動が高鳴った。


 *


 比津地に連れられ、俺たちは校舎の三階へと上がった。

 どうやら、教室に当たる部分の部屋は寝室や事務室に改造されているようであり、学校の面影は残されていない。


「……ん?」


 あれ──なんだ。自然と、俺の足はある教室の前で止まった。


「どうかしましたか? 高山さん」

「い、いえ……あれ……」


 俺はそれを指差す。

 そこの教室の中には──子供がいた。一人や二人ではない。数十人単位の子供が机を前にして、授業を受けている風景がそこにあった。


「あぁ、子供たちのことですか。あの子らも、ここで生活している者の一部ですよ。今は学びの時間の最中ですね」

「……そうですか」


 ここで集団生活をしているのは確か三百人近くだったか。確かに、それだけの人数がいるなら、子供がいてもおかしくはない。

 だが、何も知らない無垢な子供が、呪いで殺人を繰り返しているこの教団で勉学を学んでいるというのは──どうしても、何か引っ掛かってしまう。

 この子たちはどのように育ち、生きて行くのか。ここで暮らすことを、許していいのか。


「……高山さん」


 御子が軽く袖を引っ張って来た。

 あぁ──そうだな。分かっている。今はこんなことをしている場合ではないってことには。


「すみません。行きましょうか」


 酷な話かもしれないが、今の俺にはどうすることもできない。今日、ここに来た目的は俺にかけた呪いを解除させるため、それだけを考えないと。

 教室内では教卓に立っている先生のような人物が笑顔で語り掛けており、子供たちも笑みを浮かべながら、それに応えている。その光景を横目で見送りながら、俺たちは“司祭”と呼ばれる人物の元へと歩みを進めた。


 *


「ここです。ここで、我らが司祭様は普段、聖なる父と母に祈りを捧げています」


 三階の一番奥の部屋に──司祭の部屋はあった。他の場所と比べると、何か不自然に空気が違うような感触がする。


「では、私の役目はここまで。後は……司祭様が直々にお話をしてくれます。お二人の未来に幸が訪れることを願っております」


 そう言うと比津地は一礼し、階段を降りて、どこかに行ってしまった。

 まさか──もう来るとは。覚悟はしていたが、ここまで早くその時が訪れるとは思わなかった。今、この場には俺と御子。そして、壁を一枚隔てた向こうにいる天国の扉の代表者のみだ。


 つまり──これが、本当に最後の対峙。ここを乗り越えたら、俺の元の平穏な日常が訪れる。

 急に、全身から汗が噴き出して来た。焦燥、恐怖、不安。様々な感情が、心の中で渦巻いている。もう少しだ。ここまで来たら本当に、もう少しですべてが終わる。


「……蓮くん。ついに来たね」

「……あぁ。本当に、これで最後なんだよな」

「うん、間違いない。準備はいい?」

「……大丈夫だ。行こう」


 これまでの二週間、色々なことがあった。

 影に殺されそうになり、ストーカーだった御子に命を救われて、一緒に過ごしているうちに、彼女のことが気になり始めて──目の前で人が死ぬのを初めて見た。そして御子がひと時の間、行方不明になり、この天国の扉と呼ばれる宗教団体を突き止めて、現在に至る。

 本当に、俺の人生の中で一番波乱だった二週間だった。これ以上に濃い期間は訪れないだろう。こんなの、そうそうあってたまるか。


 だが、果てしないと思われていたこの恐怖も、やっと終わりが見えた。決着を──付けてやる。いつの間にか、今は恐怖よりも、この理不尽な目に遭ったことに対しての怒りの炎が揺らめいていた。司祭とかいうやつに向かって、一発ぶん殴りたいくらいだ……やっぱり、御子の性格にちょっと影響されているな、これ。


「じゃあ、開けるよ」

「……頼む」


 御子はノックもせずに、司祭の部屋を勢い良く開けた。


「やあ、お待ちしておりましたよ。ようこそ、天国の扉へ。私が一応、ここの代表をしている〝鮫島〟と申します」

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