第19話 反撃開始
いきなり本筋を語るよりも、先に幽霊を信じているかどうか、それを確認した方がいいと、判断した。
これなら、反応を見て、相談内容を変えることができる。先生は顎に手を当て、少し考えるような動作を取った後、口を開いた。
「……職業柄、とでも言うべきか。よくその手のことは学生から聞かれることは多いよ。先に結論を述べようか。私はいてもおかしくないと考えている」
真っ直ぐに俺の瞳を見て、先生は答えた。その目は──とても嘘を言っているようには見えなかった。
「本来、存在が曖昧な物を肯定するようなのは良くないと思っているがね。それでも……この日本には科学では説明できない事象が過去数多く記録されているというのは否定できない事実だ。神……幽霊……妖怪……そのような逸話は全国各地に残されている。それらのすべてを偶然とか、妄想、勘違いで片付けるのは浪漫に欠けると思っているよ」
「浪漫……ですか」
「それに、そういうことを生業にしている知人もいないことはないからね」
「……そういうことって言うと?」
「分かりやすく言うなら、霊能者ってやつかな、うん。私自身は依頼したことないから、どんな力を持っているかは知らないけどね」
霊能者の知り合い──その言葉を聞いて、少し安心した。
大丈夫だ。この人なら、信じてくれるだろう。だが、御子の事は──話さない方がいいかもしれない。あまり、そういう力を持っているとは言いふらされたくないだろうし、ゼミの担当教授と来たら尚更だ。
「……実は、自分……どうやらその幽霊に……憑かれているんです」
御子の名と彁混神に関する情報は出さずに、俺は田中先生に話した。
部屋に幽霊が現れるようになって、その対処法に困っている、何か有効になる手はないだろうか。このような内容にまとめた。嘘は──言っていない。
ただ、これ以上踏み込んだ話をしてしまうと、この人まで巻き込んでしまう、そう感じたのだ。俺の話を先生は遮ることなく、最後まで黙って聞いてくれた。
「……ふーっ。いやはや、予想以上だね。教職生活も長い事やっているが、こんな相談を受けたのは初めてだよ」
天井を眺めて、少し呆れたようなニュアンスを含むように先生は言った。
そ、そうだよな。いきなり、幽霊に襲われているので助けてくださいなんて言われたら、俺だって困る。
「……まあ、嘘じゃないんだろうね。もし、そうなら大した役者だ。さて、幽霊──亡霊への対処法か。どうしたものか……」
喉を鳴らしながら、神妙な顔で先生は悩んでいる。それから一分程、彼は無言で何か考えているような仕草を取っていた。
「……〝守り刀〟というのを知っているかい?」
聞いたことがない単語だった。
何となく、言葉通りに受け取るなら、護身用の刀という意味だろうか。
「いいえ、ありません」
「そうか。ではそこから説明しようか。幽霊、人ならざる者への対処法というと、全国各地に様々な逸話が残っている。ただ──こういうのは風土によって多種多様で、一貫性があるとはとても言いづらいのが現状だ。ある地方だと効くと言われているものが、別の地方では逆に引き寄せると言った風にね」
田中先生は俺に向けて、解説を始めた。
「そういうのは大体、民間信仰の面が強い。例えば、夜中に口笛を吹くと蛇や悪魔がやってくるという話は聞いたことがあるかい」
「え、えぇ……それは知っています」
「この話にも様々な意味が込められている。昔、口笛は神や精霊という存在に繋がる音で、夜中に吹くと
ものすごく──分かりやすい説明だ。さすが、大学で教鞭を執っているだけある。思わず、この人の授業を受けたくなってしまった。
「でも、その中でも──共通して悪霊や怪物に効くと言われている物はある。それが刃物だ。お札とか聖水とか、そういう専門的なのを除けば、魔除けとしての道具としては一番有名だね」
「刃物……ですか」
その言葉を聞いて──御子のことを思い出してしまった。実際、包丁で彼女が悪霊を切り刻む姿を見てしまっては──説得力は十分にある。
「さっき言った守り刀というのは現代でも残っている慣習の一つだ。故人の近くに置いておく刃物のことで、魔物や猫から守る役割があったと言われている。世界的に見ても、似たような話がいくつもある。ただ、この話はどこの宗教の要素が関係しているというものではなく、もっと本能的な思想が残されているんじゃないかってのが通説だね」
「つ、つまり……どういうことですか」
「まあ、簡単な話だ。〝鉄〟というのは人類が生み出した叡智の一つだが、古来より、もっとも身近で手軽な〝凶器〟にもなり得る。要するに、人間が恐れるモノは元人間やそれに近い存在も恐れているんじゃないかってことだよ。一種の願望とも呼べるかもしれない」
「…………願望、ですか」
確かに、昔の人間にとって、刃物は幽霊と同様に、恐怖の対象でもあったはずだ。
戦場で日本刀を持って駆け回っていた時代にまで遡ると、死者よりも恐ろしい存在だろう。その根源的恐怖が、元生者である幽霊にも通じているんじゃないか、ってことか。
筋は──通っている。
「もっとも、私は民俗学を専攻というだけで、幽霊の専門家じゃないから……本当に合っているかどうかは分からんがね」
「いえ、とても……興味深い話でした。ありがとうございます」
本心から出た言葉だった。試してみる価値はある。
「あぁ、そうだ。一応、これを渡しておこうか」
先生は胸ポケットからメモを取ると、それに何かを書き写し、俺に渡した。
「さっき言った、知り合いの霊能力者の電話番号だ。学生にはちときつい値段設定だと思うが……本当に命の危険を感じた時はそこに頼ってみるといい」
「あっ、ありがとうございます」
田中先生にお礼を伝えて、俺は大学を後にした。とても有益な話だった。会って良かったと心から思う。
こっちもただ黙って呪われるだけじゃない。反撃──開始だ。
*
家に戻る前に、俺は駅前のデパートへと向かった。
目的は刃物の購入だ。本音を言えば、御子のように、悪霊を一刀両断するような力を持った妖刀が欲しいところだが、そんな物が手に入らないのは分かり切っている。なら少しでも、切れ味がいい上等な得物が欲しかった。
調理器具のコーナーへ行き、包丁売り場を眺める。材質は──セラミックやステンレスより、刀に近い鋼の方がいいだろうな。
一番高いのは三万円、か。さすがに、上等な物というのはそれなりの値段がするな。俺の家の包丁は確か──セラミック製で、二千円か三千円くらいだったはずだ。大体十倍もするのか。
普段なら、包丁程度にここまで金をかけるのは馬鹿らしいと思っていたところだが、事情が事情だからな。命より大事な物はない。
「すみません、これとこれが欲しいんですけど」
三万円の包丁と、予備として二万円の包丁を購入して、デパートを後にした。
*
家に帰宅し、購入した包丁を眺める。
鋼で制作された包丁は鈍い銀の光を放っており、日頃使っている包丁とは別格の輝きを放っている。まるで本物の刀のようだ。確かに、値段分の差はある。うちには勿体ないくらいだ。
包丁の横に御子から貰った塩を並べる。これで。準備は整った。
桶を用意し、その中に水を汲む。そして、塩をすべて入れ、完成した塩水に、包丁を浸ける。
これで──塩の力が包丁にも移った、はずだ。塩水から包丁を取り出す。濡れた水が反射して、より切れ味が増しているように見えた。もっとも、本当にこれで効果があるかどうかは賭けだ。御子がいない以上、専門的な知識は何もない。
だが、何となくだが、やり方は合っていると思う。今は俺自身の勘を信じるしかない。
時計を見ると、午後五時に差し掛かろうとしていた。もうじき陽が落ちる。ここから先は影の時間だ。
「来るなら……来い」
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