第18話 田中先生

 *


 小鳥の囀る音が聞こえる。気が付くと、外が明るくなっていた。結局、あれから一睡もできなかった。

 終わって──いなかった。

 あの老婆の死で決着した、はずだった。だが、実際はそうではなかった。再び、あの影が俺の部屋に現れた。一体、何が、どうなっている。呪いの本体は老婆じゃなかったのか。


「まさか、また別の誰かが……操っている?」


 すぐにノートパソコンを立ち上げて、防犯カメラの映像を確認する。

 あれ以来、カメラはずっと起動しているはずだ。あの老婆と同じなら──犯人の映像が映っているはず。時間を調整し、影が現れた大体の時刻に合わせる。


「……な、なんだこれ」


 そこには──何も映っていなかった。いや、正確に言うと、映ってはいた。

 が、一面に。

 あの影が現れた時刻、その数分間だけ──カメラの映像はノイズが混じり、黒に覆われていた。明らかに、夜の闇ではない。何も見えない、深淵のような闇だ。


「……クソッ!」


 怒りの余り、キーボードを激しく叩いてしまった。

 ダメだ。カメラは使い物にならない。まさか、対策されているのか。この影は明らかに、学習しているように見える。

 もしかして……御子と連絡が取れなくなったのも、これと関係があるのだろうか。あ、あり得るぞ。俺だけじゃなく、御子も、昨日と同じように影に襲われて、連絡が付かない状況になってしまったのか。

 だが、仮に、それが事実だとしたら──まだ、希望が持てる。俺でも、あの影を撃退することができたんだ。きっと、御子は生きている。


 とにかく、今の事態は非常にまずい。絶体絶命というやつだ。俺を守ってくれる存在は誰もいない。最初に逆戻り、御子と出会う前の状態に戻ってしまった。

 今日か明日にも、必ず、あの影は俺を襲って来る。偶然、昨日はこの塩で撃退できたが──この手が次も有効だとは限らない。カメラと同じように、何らかの対策を講じてくるかもしれない。


「ど、どうすればいいんだ……どこに行けば……だ、誰に頼ればいい……」


 警察に保護してもらう──ダメだ。

 恐らく、この影が見えるのは俺だけじゃない。他人にも見えるはずだ。四年前に起きた一家惨殺事件を思い出す。あれも呪いの影響で、無関係の人を巻き込んで起きてしまったものだ。下手をすれば、あの事件の二の舞。俺だけじゃなく、犠牲者がもっと増えてしまう可能性がある。


 逃亡も無駄だということは過去の事例で判明している。立ち向かうしか、ない。

 しかし、どうすればいいんだ。日が落ちるまで、残り十四時間と言ったところか、できればそれまでに、何か対抗策を見つける必要がある。これで日中も襲って来るなら、もうお手上げだ。


「……あっ」


 その時、ある閃きが脳内に浮かんだ。

 一人だけ──御子以外に、頼れそうな人物がいた。カメラのアプリを閉じて、あるサイトをパソコンで検索する。


「……これだ。多分、この人がそうだ」


 *


 昼過ぎ、俺は大学に訪れていた。今日は授業の予定はない。かと言って、何か図書館で調べ物をするために訪れたわけでもない。

 ある人物に、会いに来たのだ。講義室の前に立ち、時計を確認する。もうじき──終わるはずだ。

 数分後、物音が騒がしくなり、扉を開けて大勢の人間が出てきた。どうやら、終わったようだ。全員が講義室から退室したのを確認した後、片付けをしているその人物に話し掛ける。


「あ、あの……! 、ちょっといいですか?」

「ん? 何か質問でも?」


 クルリと、田中先生は振り向いた。白髪交じりの長髪を髪で束ねて、眼鏡をかけているその姿は男性としてはとても特徴的であり、その風貌は──ネットで調べて出てきた顔と同じだった。

 そう、俺が頼ろうとしているのは民俗学を専門としており、御子が所属するゼミを担当している「田中仁たなかじん」という教授だった。


 御子のように、特別な力を持っているというわけではないが、民俗学に関する知識は彼女以上だということは間違いない。もしかしたら、役に立つ情報を得られるかもしれない。大学の情報サービスを駆使して、今日、彼が行う授業の予定を確認し、直接コンタクトを取ることにした。

 話を聞くだけなら──安全セーフのはずだ。


「いや、あの……授業とは関係がないんですけど……ちょっと、お時間いいですか?」

「……あぁ、構わないよ。次の授業までは少し時間が空いてるからね。ここではなんだ。少し、話しやすい場所に移動しようか」


 深刻な顔をしている俺を見て、何かを察したのか、田中先生は気前よく俺の話を聞いてくれるようであった。

 先生に案内され、キャンパス内の休憩スペースに移動する。授業が終わった直後ということもあり、他にも何人かの学生が談笑している姿が見える。


「何か飲むかね。奢るよ」

「いえ……結構です」

「授業では教えてもらえないと思うが、あまり年上の人間からの施しは断るべきじゃないと私は思っているよ」

「……じゃあ、お茶でお願いします」


 ゴトンと、田中先生はテーブル席にお茶を置く。


「これで良かったかな」

「ありがとうございます」


 先生の方は──缶コーラを買っていた。少し、意外なチョイスだ。見た目と年齢の割に。


「……珍しいかい。コーラを飲む教員は」

「あっ、い、いえっ! そんなことは!」


 表情に──出てしまっていたのだろうか。

 俺の心の中を見透かすように、先生は問いかけてきた。


「私は酒が飲めなくてね。その代わりというわけはないが、ジュースをよく飲んでいるんだ。妻からは子供っぽいとよく馬鹿にされるが、まあ、これも自分の個性だと思っているよ」


 プシュッと、缶の蓋を開け、先生はコーラを飲み始める。俺もそれに合わせるように、一口だけ、お茶に口を付けた。


「そういえば、まだ君の名前を聞いていなかったね。もし、顔を覚えていないだけだったら、失礼。君の名前は?」

「白川、白川蓮です。田中先生とはこれが初対面なので、知らなくて当然だと思います。すみません、急に呼び止めてしまって」

「私は全然構わないよ。では白川君。肝心の用を聞こうか」


 腕を組み、先生は真剣な眼差しで俺を見る。

 だが、その時──俺は言葉に詰まってしまった。どこまで、話すべきだろうか。

 この一週間近く、色々あり過ぎた。悪霊の影に襲われかけたところに、御子が現れて──二人で協力して、老婆の居場所を突き止めた。そこで、犯人であるはずの老婆が俺たちの目の前で自殺し、すべてが終わったかのように思われたが、再び影が出現し、同時に御子が消えてしまった。


 さすがに──長すぎるな。

 無関係の人間に話す内容ではない。そもそも、最初の悪霊に襲われかけたという下りの時点で、とても荒唐無稽な話だ。実際に目にしないと、あの恐ろしさは伝わらない。


「どうかしたのかね」


 事情を言い出せずに、狼狽えている俺に田中先生は優しく声を掛ける。このまま黙っているわけにもいかない。一か八か──試してみるか。


「……先生は、幽霊って信じていますか」

「ほう、面白い質問だね」

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