第17話 消失

 *


「じゃあ今日はここまで。各自、出席カードを提出するように」


 四限目の授業が終わり、俺は適当に概要を書き出し、講師に提出する。これで今日の授業は終わり。

 たった一週間近くしか休んでいなかったが、長期休み明けのように感じた。ふと、教室の出口を確認する。

 そこに、御子の姿はなかった。

 今日、大学で会う予定だったが、どうやら御子は来ていないようであった。一応、携帯から連絡を入れてみたが、現在も未読──何か、あったのだろうか。


「これじゃ……どっちがストーカーだか分からんな」


 自分に情けなくなり、思わず独り言が口から漏れてしまった。たった一日、会えなかっただけで、彼女のことが気になって仕方ない。まるで、互いの立場が逆転してしまったようだ。

 散々、毒虫だの、異常者扱いだのしていたが、一日会えない程度で心配している俺も、御子と何ら変わりない。きっと、何か理由があって、来なかっただけだ。明日にはきっと、会えるはず。

 だが、翌日になっても──御子からの返信は来なかった。


 *


「……まだ、未読か」


 メッセージアプリを起動し、既読になっていないか確認する。画面は変わっておらず、彼女からの返信は一昨日で止まっていた。

 現在の時刻は日が変わり深夜の一時、就寝前に携帯をチェックしていてもおかしくない時間帯だ。

 少し──ほんの少しだけだが、不安になる。あり得るのだろうか。現代の大学生が、二日以上スマホを開かないという状況が。いや、普通の大学生という言葉を彼女に当て嵌めるのは少し無理があるとは思うが、それでもおかしな話だ。


「ま、まさかな……」


 一瞬、嫌な考えが過ってしまった。実を言うと──昨日からずっと頭の片隅にはあった。

 俺はそれに気付かない振りをしていた。あり得ないと、可能性を切り捨てていた。しかし、時間が経つにつれ、徐々に疑惑の灰色が確信の黒へと変わって行くような気分になる。


 彼女の身に──何かあったのだろうか。連絡も取れないような事態に陥ってしまったのではないだろうか。俺の悪霊騒ぎはあの老婆の死によって、終わったはずだ。それは力を持っている御子が断言していた。

 しかし、今の状況ははっきり言って異常だ。御子が俺からの連絡を二日も無視するというのは普段の行動からは考えられない。同棲中に何度かメッセージを送ったことがあったが、平均して数十秒以内には返信が来ていた。正直、あまりの速さに引いていたくらいだ。

 その御子が──二日間、連絡を絶っている。


「やっぱり……普通じゃない」


 もっと早く気付くべきだった。異常事態だ。

 御子に何かあったのは間違いない。ど、どうすればいいんだ。この状況。連絡が付かないとなると、彼女が住んでいる実家の方に出向くしかないが──俺はその住所を知らない。向こうからの連絡が来ない以上、俺は御子と繋がる手段は持っていなかった。


 け、警察に行くか? 捜索願を出せば、見つかるかもしれない。しかし、身内ならともかく、第三者の俺が通報しても、果たして警察は動いてくれるのだろうか。数日連絡が取れないからと言って、まともに対応してくれるとは──考えにくい。

 思考を巡らせているうちに、俺は前提が間違っているのはないかと、考えてしまった。


 そもそも──まだ、御子は生きているのだろうか。


 あの悪霊の影を一発で撃退できる彼女のことだ。生半可な事態では動じないはず。つまり、現在彼女はそれだけ危機的に状況に陥っているのか、それとも……既にこの世にいないか。


「……っ! な、何考えてるんだ! そんなこと……そんなことが、あるわけがない!」


 必死に首を振り、最悪の可能性を否定する。あの御子が──死ぬなんて、ありえない。くそっ、もたもたしている暇はない。今は一秒でも惜しい。

 明日、捜索届を出そうと思っていたが、今すぐ警察に連絡するべきだ。深夜だが、話ぐらいは聞いてくれるはず。とりあえず、電話をかけてみよう。

 『110』と携帯の画面に打ち込み、発信ボタンを押す。コールが一瞬鳴ったが、すぐに繋がった。


『はい、110番です。事件ですか? 事故ですか?』

「あっ、はい。実は……」


 その時、部屋の照明が突然、プツンと消えた。


「……っ⁉」


 突然の暗闇に、俺は周囲を見渡す。

 ブレーカーが落ちた、というのはあり得ない。今はそんな電力を食う機器は使っていない。となると、停電──このタイミングで?


『どうしましたか?』


 その声で、警察に連絡している真っ最中だということを思い出す。慌てて、電話の向こうの相手に御子の件について伝えようとする。


「い、いえっ。すみません。あの……」


 ザザッ


 ノイズが鳴った。


「も、もしもし……?」


 ザザッ──ザザ───

 プツッ

 ツーツーツー


 切れた。いくつかノイズのような音が混じった後に、電話が切れてしまった。

 全身に寒気を感じる。この寒気の正体は御子が割った窓ガラスから吹いている風のせいではない。ゆっくりと、俺は視線を玄関先へと向ける。


 ──

 ──あの影が、また現れていた。


「あ、あぁっ……」


 俺はその場にしゃがみ込み、声にならない声を上げる。見間違えるわけがない。間違いなく、あの影が、玄関先に現れていた。

 影は俺を視認したのか、その距離を詰めようとする。一歩、一歩、鈍い動きで、近付いてくる。


「……………………」

「く、るな……来るな……」


 腕を使い、後退することしかできなかった。すぐに壁に当たり、逃げ道を失う。

 もう既に、俺と影との距離は二メートルを切っていた。

 ど、どうする……窓から逃げるか? 無理だ、立てない。脚が完全に硬直し、その場から動けない。


 た、助けてくれ。御子──っ。

 情けなく、俺は彼女の名前を心の中で呼び続けることしかできなかった。恐怖のあまり、目を瞑る。俺は──このまま死ぬのか。

 い、嫌だっ。死にたくないっ。


「蓮くんっ」


 その時──近くから、御子の声が聞こえた気がした。目を開け、瞬時にその声が聞こえてきた方向を確認する。

 そこに御子の姿は──なかった。

 幻聴、なのか。こんな時に。は、はは。最後に聞けたのが、彼女の声なら、悪くないかもな。

 その時、何か白い物が、テーブルに乗ってあるのが見えた。あれは……なんだ。あんな物、いつ置いたっけ。


『だから、そういう時はその中に入ってる塩を振りかけてみて。ちょっとはマシになるかもしれないから』


「……ッ!」


 唐突に、その言葉を思い出し、上半身に力が入る。身体を起こし、テーブルに飛び込んだ。あの白いのは──封筒。一昨日、別れ際に御子から貰った封筒だった。

 飛び込んだ衝撃でテーブルはひっくり返り、激しく肩と衝突する。今はこんな痛みなど気にしている暇はない。手には封筒が握られていた。


「こ、このっ……!」


 封を切り、中に入っている塩をひとつまみ握る。そして、それを目の前の影に向けて、放り投げた。


「……………………」


 塩をかけられた影は全身をビクンと大きく震わせるような動作を取り──消えた。

 その瞬間、部屋の照明が付き、視界が白に覆われる。


「はぁっ……はぁっ……や、やった……のか?」


 部屋を見回してみるが、影はどこにもいなかった。終わった──のか。いや、違う。

 のだ。

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