第16話 初めてのデート
「そ、それでさ……蓮くん、約束、覚えてる?」
御子は急に態度を変え、俯きながら、俺に質問する。
そうだ、まだ大事な要件が残っていた。
「……覚えてるよ。約束、だからな。つ、付き合うって」
俺も恥ずかしくなり、窓の外に視線を向ける。こちらから改めて告白してしまったとはいえ、やはり、真正面から言うのはむず痒さを感じる。
実際、この一週間近くを彼女と過ごしたことで、御子のことを気になり始めてしまったというのは事実だ。最初はあれだけ警戒していたはずなのに、今では何の抵抗も持たなくなってしまっていることは自分でも驚く。
吊り橋効果、というやつなのかもしれないな。危険な状況に立っているほど、傍にいる異性のことが好きになってしまうって。まあ、それも──悪くないか。
「じゃ、じゃあさ……これから……デ、デッ、デートに……いいかな」
普段の御子の様子からは考えられない程、顔を赤くしている。よく見ると、耳まで真っ赤だ。
「んっ……うん。ど、どこに、行くんだ?」
それに釣られるように、俺も言葉を詰まらせてしまった。まるで、初恋の中学生同士だな。いや──あながち、間違いでもないか。
「じ、実は……偶然、ここに水族館のチケットが二枚あって……い、行ってもいい?」
鞄の中から御子は水族館のチケットを差し出す。
ここから電車で数十分程の距離にある、そこそこ大型で有名な水族館だった。今年の春先にリニューアルしたとか何とかって、聞いたことがあったな。
それにしても……偶然、水族館のチケットを手に入れたってのは少し、無理がある設定の気がするが、指摘するのはやめておく。
「……いいよ。今から、行くか」
「う、うんっ!」
*
水族館に訪れるのはいつ以来だろうか。
記憶を遡ってみると、最後に来たのは小学生の頃、十年近く行っていないことになる。そう考えると、何だか、すごく懐かしい気分になった。俺もいつの間にか、大人になってしまったのか。
入場すると、まず目の前に巨大な水槽が現れた。全長は数十メートルにも及び、ライトに照らされ、大小様々な魚が泳いでいる。
あれ──何か──いいな。これ。
小学生の頃に見た光景より、目の前の水槽はより立体的で、幻想的な空間に見えた。薄暗い空間の中でゆらゆらと動く魚は水の中を泳いでいるというより、宙を舞っているようであり、実に芸術的だ。
大海原に比べたら、この水槽は鳥籠のように密閉された窮屈な空間のはず。しかし、不可解な話だが、魚たちはどこか、自由に見えた。こんなに水族館って綺麗だったのか。知らなかったな。
「どう? 蓮くん」
水槽を眺めていると、御子は感想を求めてきた。
「……いや、正直、予想以上だな。久しぶりに来たってのもあるかもしれないけど、ちょっと感動するくらい綺麗だ」
「フフッ、良かった。私ね、よくここに来るんだ。綺麗でしょ? 水と魚って。まるでこっちも海の中を泳いでるみたいな気持ちになれるし」
「……あぁ、そうだな」
唐突に、まだ小学校低学年くらいの記憶だろうか。母に、水族館に連れて行ったもらった時の出来事を思い出す。この水族館に比べたらもっと小さな規模だったが、あの頃は目に映る物がすべて巨大に見えて、テーマパークと同じくらいの広さに思えた。
あの時は──まだ母が生きていた。
俺の母は中学校に上がった直後に、交通事故で亡くなってしまった。なんていうことはない事故だ。呪いとか、不審死とは関係ない。ただの相手の車の前方不注意で、事故を起こした相手も母と一緒に亡くなった。それからは父と共に不自由なく暮らし、進学のために家を出た。
決して、相手を恨んでいるってことはない。お互い、不幸な事故だったと、今でも思っている。
それからだっただろうか。少し、女性に対して──消極的になるようになったのは。何の関係性があるのかは自分でも分からないが、母が亡くなってから、俺は女性を避けるようになった。
今まで御子のように、告白された女性も数人だが、いないこともなかった。だが、断ってしまった。別にそういう性に目覚めたというわけではく、人並みには異性に興味があるのは変わらない。
……あぁ、そうか。俺は──恐れていたのかもしれない。また、母のように、身近な女性が亡くなることを。だから、あまり関わらないようにしていたのか。
そう考えると──御子のことを気になり始めた理由も納得が行く。変な話だが、俺は彼女の「強さ」に惚れてしまったのかもな。
「どうしたの?」
「……昔、母親と水族館に来たことを思い出してた」
「へぇ~……蓮くんもか。私も、今ちょうど同じこと思ってたんだ」
俺と同じ。御子も母親に連れられて、水族館に来た思い出があるのだろうか。
そういえば、彼女の家族について、俺はまったく知らない。実家から大学に通っているということだけは知っていたが、ここ最近は家に帰っていないはずだ。聞いても──いいのだろうか。
「……御子のお母さんは今何してるんだ?」
「死んだよ。もうとっくに」
「……っ。そ、そうか。俺と……同じだな」
彼女は即答した。
やっぱり、聞くんじゃなかったな。微妙な空気になってしまった。
「あぁ、気にしなくていいよ。正直、私……あの人のこと、嫌いだったから。良い思い出と悪い思い出。どっちが多いかって言ったら、圧倒的に悪い方が多いってくらいにね。っていうか、私が――っと」
ここで、御子は言葉を遮る。
「あ、もうすぐショーの時間だね。見に行こうか」
御子は時計を確認すると、俺の袖を引っ張り、小走りで移動する。
彼女の母親がどのような人物だったのか、少し、気になってしまった。悪い思い出の方が多いと言っていたが、どのような幼少期を過ごしていたのだろうか。
いや、よそう。今は余計なことは考えない方がいい。これはデートなんだ。なら、少しでも楽しいことを考えて、遊ぶべきだ。その後、俺たちは思う存分、水族館を満喫した。
*
「じゃあ、蓮くん。私はここで」
現在の時刻は午後八時を回っており、外はすっかり暗くなっていた。
事件が解決した以上、御子との同居生活も終わり、身支度もあるということで、彼女はまた実家の方に戻るという話になった。
「あっ、そうそう……蓮くん。一応、これ渡しとくね」
御子は鞄から何やら白い封筒のような物を取り出し、俺に差し出す。
「……なんだ? これ」
「魔除け、みたいな物かな。ほら、蓮くんって私と同じでちょっとだけど、霊能力を持ってるでしょ? そういう人って、悪霊とまでは行かないけど、霊障を起こしやすいんだよね。よく体調を崩しちゃったり」
「そう……なのか」
心当たりがある。確かに、俺は季節の変わり目に風邪をひきやすい体質だった。
「だから、そういう時はその中に入ってる塩を振りかけてみて。ちょっとはマシになるかもしれないから。じゃあ、また明日、大学でね」
「おう、ありがとな」
御子は手を振りながら、反対線のホームへと向かっていった。
今日は久しぶりに、楽しく遊んだな。最近はバイト漬けだったこともあり、こんなに遊んだのは高校以来だったかもしれない。御子に貰った封筒をポケットにしまい、ベンチに座り、電車が到着するのを待つ。
今日の出来事を振り返り、改めて、確信したが――やはり御子は歳相応の女の子だった。
確かに、少し非常識な部分もあるが、ショーを見て笑ったり、水槽のクラゲを眺めるその目からはとても優しい印象を感じられた。思えば、まさかここまで関係性が変わるとは思わなかった。最初は気味の悪い、ストーカーだと思っていたのに。
だが、今ではそのイメージも覆された。彼女は命の恩人だ。正式に付き合い始めたということもあり、明日からはもっと知らない魅力に気付けるはず。
早く、明日が来ればいいのに。まるでクリスマスを控えた子供のように、大学で御子と出会うのが待ち遠しい。
しかし、翌日──大学で彼女の姿を見かけることはなかった。
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