第10話 呪いの本体

 図書館を後にした俺たちは適当なファミレスで食事を済ませた後、アパートに帰宅した。

 特に身体を動かしたわけではないが、今日は凄く疲れた気がする。家に帰るなり、御子はノートパソコンを起動し、何やら見ているようであった。


「何をしているんだ?」

「見て。留守中の様子が映ってる」


 彼女が見ていたのは防犯カメラによって映された、今日の昼間のアパートの映像だった。何倍速かしているようで、室内は異常がなかったが、外のカメラには人が高速で行き交いながら、雲が流れている映像が映し出されている。


「……ん?」


 その時、俺はある違和感を覚えた。

 ちょ、ちょっと待て。今──何かいなかったか。


「気付いた? 蓮くんも」

「あ、あぁ……今、変なのが映ってたよな」


 御子はカメラの映像を少し巻き戻す。

 時刻は午後三時過ぎ辺り。俺たちが図書館で調べ物をしている最中の時だ。その時、無人のはずのこの部屋に──何かいた。


「ここら辺かな」


 時間を調整し、等速へと切り替わる。カメラには……天井付近に、黒い靄のようなものが映りこんでいた。

 パソコンの画面から、そいつがいたと思われる場所へと視線を移す。ちょうど、あの辺だ。台所の周辺に、何かがいた。

 それは一分程でどこかに消えてしまったが、絶対に、虫ではない。それにしては明らかにサイズが大きすぎるし、バスケットボールサイズの円形だった。


「御子……なんだ、これ」

、だねぇ。私たちがいるかどうか、確認しに来たんだよ。で、いなかったら、すぐに消えたと」


 て、偵察、だと。

 まさか、この部屋はあの陰に四六時中、常に監視されていたのか。気味が悪い。カメラを付けなかったら──気付かなかった。


「これ、今日は絶対に攻め込んでくるね。覚悟した方がいいよ。蓮くん」

「……マジか」

「うん、何かそんな予感がするんだ。でも、好都合だよ。反撃カウンターを喰らわせてやる」


 御子はバッグから包丁を取り出し、顔の前で構える。

 普通ならその姿に畏怖していたが、今は──とても頼れてしまった。


 *


「……二時か」


 俺は時計を確認して、ため息を吐く。

 御子の予想だと、確実に今日、またあの影が襲って来るらしい。まるで死刑執行を待つ死刑囚のようだ。一分一分が、とても長く感じる。いっそのこと、襲うならさっさとしてほしいくらいだ。


『ハハハハハッ! なんでやねん!』


 少しでも気を紛らわすために、テレビは点けていた。

 何かのバラエティの再放送をやっているようだが、全然内容が入ってこない。むしろ、その陽気な声や音楽が、今の状況だと返って不気味に感じてしまった。

 御子の方を見ると──包丁を研いでいた。これで三度目だろうか。あれから一時間に一回は包丁を研いで、切れ味を確認している。


「……どうしたの? 蓮くん」


 俺の視線に気付いた御子は優しく問い掛けた。


「……いや、普通はさ。御子みたいに不思議な力を持ってる人の武器って、お札とか、数珠とかじゃないか。そういうのは……使わないのか」


 以前から気になっていたことではあった。

 なぜ、御子の武器は包丁なのだろうか。霊能力者ってやつは──皆、そうなのか。


「……あぁ、これね。そうだね。私もあんまり他所の事情は知らないけど、珍しいと思うよ。大抵の人は蓮くんがさっき言ったみたいな武器を使ってるんじゃないかな。ただ……私の場合は……ちょっと、起源イメージが違うんだよね」

「……イメージ?」

「うん、大事なのは想いの力。他の人たちがそういう武器を使ってるのはそれが悪霊共に一番効くって、伝えられているから。先祖代々、親から子へ、師匠から弟子に……とかね。だから、型が決まっているんだ。その人は子供の頃に、潜在意識にその起源を植え付けられている」

「……へぇ」

「でも私は……昨日も言ったけど、独学でこの力を身に付けたから、それがちょっと他の人とは違うんだ」

「じゃあ、御子のイメージって──」


 バチンッ


 彼女に尋ねようとしたその時、部屋の電気が一斉に消えた。突然の暗闇に、俺は混乱する。


「……っ⁉」

「お出ましか。蓮くん、私の傍から離れないでね」


 御子の指示に従い、俺は彼女の背中に隠れた。

 そして──見てしまった。玄関の近くで、あの〝影〟が出現しているのを。

 無数の黒い塊が床で蠢いている。子供の頃──大きな石を持ち上げた時に、その石の下に大量の虫がいて、驚いて転んでしまった出来事を思い出す。

 今、目の前の光景は非常にあの時の感覚と似ていた。それを見ていると、生理的に、気分が悪くなる。まるで、互いを捕食し合うように、そいつらは身を寄せ合っていたが、次第にその群れは山のように積み上げられ人の姿を象ったモノへと変化した。


「…………っ」


 間違いない。一昨日見たのと同じヤツだ。夜の闇に包まれているのに、なぜか、姿ははっきりと見える。闇の中でも一層黒い、漆黒色が浮かび上がる。


「……み、御子」

「大丈夫だよ。私が何とかする」


 怯えながら、彼女の後ろに隠れることしかできなかった。そんな俺を見かねて、御子は手を握り、安心させようとする。我ながら──情けない。俺はこの場で一番無力な存在だった。

 俺たちの存在を捉えたのか、ノソノソと、影は鈍い動きでこちらに移動していた。その歩みは亀の鈍足より遅い動きだったが、こいつからは逃げられないというのは直感で分かる。

 距離は関係ない。俺はこの影の標的ターゲットにされてしまった。こいつはどこまでも追跡して、呪い殺す。


 だが、御子も力では負けていないはずだ。現に、包丁で影を一回刺して、撃退している……いや、待て。あの時は確か、不意打ちのような形だったはずだ。

 窓を割り、乱入した御子が横から攻撃しただけで、正面からやり合うのはこれが初めてだ。本当に、大丈夫なのだろうか。

 少し、ほんの少しだけ、不安を覚えてしまった。決して御子の実力を疑っているわけではないが、あの影は今までに最低でも四人の命を奪っている。間接的殺人を含めるなら、それ以上だ。そんな相手に──彼女の通用するのだろうか。


「──フッ」


 御子は姿勢を低くし、腰を落とす。

 どこかのハリウッド映画で見た軍人のように、包丁を逆手で構えながら、影を睨んでいた。


「──ッ!」


 俺の手を離し、御子は──影に突撃する。

 そして、その胸元を、包丁で斬り付けた。


 パリッ


 発泡スチロールが割れたような、妙な音が響いた。斬り付けられた跡を見ると、一文字模様が綺麗に浮かんでいる。


 シュンッ


 すかさず、御子は包丁を振り上げ、第二撃、第三撃の攻撃に移る。シュンシュンと、刃が宙を舞う音が反響しており、心なしか、その包丁の刃は──発光しているように見えた。

 数秒で御子は動きを止める。そして、クルリとこちらに振り返った。


「終わったよ。蓮くん」


 その一声と共に、影はバラバラになって──空中に散った。


「……え?」


 俺は口をあんぐりと開け、その光景を眺めていた。終わった……本当に、終わったのか。あの一瞬で、御子は影を斬り殺してしまったのか。

 ど、どうやら、俺は彼女を過小評価していた。御子は俺が想定しているより何倍も強いのだ。何人も殺したあの影でも相手にならない程に。


「ほっ……本当に……終わったのか?」

「うん、大したことないよ。あんなやつ。それより、カメラの方をチェックして。きっと外のカメラに本体が映っているから」

「あ、あぁ! 分かった!」


 急いでパソコンを立ち上げる。いつの間にか、停電していた俺の部屋の電力が戻り、照明が付いた。

 カメラのアプリを起動し、映像を確認する。今は何も映っていないが、時刻を数分前に合わせる。


「……ッ!? み、御子……こ、これが……本体なのか?」

「やっぱりね。そうだとは思ってたけど」


 今から二分前、影が部屋に出現した時のアパートの映像に、それは映っていた。

 そこにいたのは──アパートに向かって、手招きをしている〝老婆〟の姿だった。


「こ、これ……人間じゃないか。じゃあ……呪いの本体って……」

「そう。蓮くんを殺そうとしたのも、今まで何人も殺してたのも、あの影を操ってたのも、全部こいつの仕業。一連の事件の黒幕は幽霊の呪いじゃなくて、生きてる人間ってこと」


 ……正直、俺もそんな予感はしていた。行動範囲が狭いというのも、人間が行っていたなら説明が付く。だが、考えたくなかった。悪霊の呪いではなく、人の悪意によって、この数々の死がもたらされているというのは──あまりに、不快な気分になる。

 御子が影をバラバラにしたのと同時刻、逃げるように、アパートから離れて行く老婆の姿をカメラは記録していた。

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