第11話 捜索開始

 *


「んっ……朝、か……」


 時計を確認すると、午前九時を過ぎていた。

 普段と比べると、少々寝過ごしてしまったが、床についたのが深夜三時頃、正直、まだ若干の眠気を感じる。

 だが、なぜか不思議と妙な爽快感のようなものも感じる。昨日のような悪夢を見ることがなかったのもあるが、一番の要因は──呪いの正体を突き止めたことだろう。

 御子の方を見ると、寝息を立てながらまだ眠っていた。昨日は彼女も疲れていたのだろうか。まあ……そりゃそうか。あっさりと影を撃退してしまったが、ここ数日は色々あり過ぎた。


「……飯でも、食うか」


 昨日に引き続き、御子の分の朝食を用意するために、キッチンへと向かう。

 その時、ふとテーブルの上に置いてある一枚のプリントと目が合った。それは――昨晩、監視カメラに映されていた老婆の姿を印刷したものだった。


「……こいつが、すべての元凶なのか」


 何十年も着ているような古着を身に付けたその老婆は何かに取り憑かれているような、禍々しい形相をしており、家の前で手招きのような動作を取っていた。この動きで、影を操っていたのだろうか。不気味としか言いようがない。

 そもそも、こいつの目的はなんなんだ? なぜ俺を含めて、数々の人間を呪い殺そうとしていたんだ?


 考えても、仕方ないか。とにかく、顔を特定することには成功した。後はその居場所を突き止めるだけだ。

 こいつは間違いなく、この近くに住んでいる。そして、住所を突き止めた後は──ど、どうするだろうか。御子のことだから、殴り込みでもしそうだな。


「……っと!」


 調理の最中、ベーコンが焦げていることに気付き、火を弱火にする。とにかく、少しずつにだが、元の生活に戻っている。もう一息だ。

 御子はその後、二時間程で目を覚ました。昼近くまで眠ってしまったのは彼女にとっても予想外のようで、時計を見て驚いた姿は少し──可愛かった。


「で、今日はどうするんだ? あの老婆の捜索か?」

「そうだね。今日はちょっと別行動で探してみようか」

「別行動、か」


 その提案は意外なものだった。

 今までずっと、寝食を共にするほど行動していたのに、今日は別々に分かれるという。


「昨日のアレで、向こうもだいぶこっちを警戒してるはず。つまり、私が一緒に居なくても、蓮くんは襲われない可能性が高い。この機会を逃す他ないよ。二人なら、行動範囲は倍だし、効率的に探せるでしょ?」

「……なるほど」


 こうして、俺たちはそれぞれ担当区域を決めて、あの老婆の捜索をすることにした。

 唯一の証拠はこの顔写真だ。これを手掛かりに、ただひたすら聞き込みをするしかない。


「何かあったら携帯に連絡してね。すぐに駆け付けるから」

「了解」


 *


 御子と別れた後、俺は老婆の捜索を開始した。だが、案の定とでも言うべきだろうか。そんな簡単に見つかるわけもなく、ただ無意味に時間が過ぎて行った。

 考えてみると、無作為に呪いを振り撒いている老婆が人付き合いなどしているわけもなく──その存在を知る者はこの周辺でもかなり限られるはずだ。

 一応、認知症でどこかへ徘徊してしまった祖母を探しているという設定で聞き込みを行ったが、不審と思われたのか、危うく警察に通報されかけたこともあった。

 時計を見ると、もう午後四時を指している。御子と別れてから、数時間、何も成果を得られなかった。


「……暑いな」


 今日は最高気温を更新しているようで、日差しが特に強い。もう既に自販機で三本も飲料水を買っていたが、また喉が渇いてきた。

 その時、携帯の着信が鳴る。番号は──御子からだった。


『もしもし?』

『あっ、蓮くん。どう? 見つかった?』

『……いや、手掛かりなしだ。御子の方はどうだ』

『こっちも同じかな。さすがに、二人だけだと無理があったかも。ごめんね』

『いや、これまでがとんとん拍子過ぎたってのもあるし、気長に……とは行かないが焦らずに探して行こう』

『そうだね。ところで、一応作戦があるんだけど、蓮くん、その近くにスーパーってある?』

『……スーパー? 多分、探せばあると思うが』

『じゃあ今からそこに行ってくれない? ほら、この時間って買い物に出かける人が多いでしょ? だから、そこで見つけられる可能性もあるんじゃないかなって』


 なるほど。一理ある。


『分かった。確認してみる』

『うん、よろしくね』


 電話を切り、近場の商店を検索し、そこに向かうことにした。


 *


 徒歩十分の距離に、大型のスーパーマーケットがあった。

 さすがに時間帯の関係で、買い物に来ている家族連れや主婦の姿が非常に多い。大勢の客に混ざり、その顔を確認しながら、適当に周囲を散策する。


「……んっ?」


 三十分程、スーパーに滞在し、さすがにそう簡単に見つかるわけないか、と考えていた時、鼻孔を何か妙な香りが通り抜けた。

 ……なんだこの臭いは。何か腐っているのか。

 どうやら、臭いを感じ取ったのは俺だけではなく、他の客も周囲を見回したり、鼻を摘まんだりしている。生肉が腐ったかのような腐乱臭が、スーパー内に漂っていた。


「……まさか、な」


 一応、臭いの発信源を探す。

 大型のスーパーということもあり、内装はかなり広いが、念のためにその元を押さえておきたかった。可能性は低い。だが、関係していないとも言い切れない。畜産のコーナーへと通りかかった際に、やっとその正体を発見した。


 ──間違いない、あの人だ。


 他の客と比べ、浮浪者のように薄汚れた古着を身に纏っており、その人物に近付くにつれて、臭いは強烈になっている。鶏肉の棚で何かを物色しているらしく、背後からではその顔を確認することができなかった。


「……っ」


 意を決し、鼻からの呼吸を止めて、接近することにした。

 大体、十メートル程の距離が離れているだろうか。同じ列の棚に俺も立つ。まだ正面の棚を見つめているようで、顔は見えない。それから数分が経ち、いくつかの商品を籠に入れ、その人物は──振り返った。


「──ッ⁉」


 一瞬だが、その顔を確認することができた。

 薄々、そんな予感はしていたが、予想が当たってしまった。間違いない。あの異臭をまき散らしているのは──昨日、アパートの前に姿を現した老婆だった。

 は、はは。まさか、こんなところで見つけてしまうとは。しかも、よりによって俺の方か。まだ、御子の方で見つけたならいいが、今は俺一人しかいないんだぞ。

 とりあえず、連絡を入れないと。老婆を視界から外さないように、尾行を続けながら、携帯を操作する。


『も、もしもし。御子か』

『蓮くん? どうしたの?』

『見つけたぞ。間違いなく、あの老婆だ。場所は──』


 スーパーマーケットの店舗名と住所を伝える。


「……っ。本当? よく似た別人じゃない?」

「あの顔を見間違うわけない。本物だ」

「……そっか。蓮くんが見つけちゃったか。今、その婆さんは何してる?」

「えーっと、ちょっと待て」


 老婆の方を確認する。どうやらまだ会計をしている最中……いや、もう終わったか。レジから袋詰め用のサッカー台へと移動していた。


「もうすぐ店から出そうだな。どうする?」

「……時間がない。多分、私が向かっても間に合わない。蓮くん、危険だけど、その婆さん尾行してくれない?」

「……そうなるよな。やっぱ」

「うん、いい? 対象との距離を二十メートルは離しておいて。この距離なら、よっぽどのことがないと気付かれないし、見失うことはないから」

「お、おう」


「基本的に目線は下。絶対に対象の目線と合わないようにすること。一度でも目が合えば、意識されちゃって尾行自体に勘付かれる可能性がある。姿も全体像が映らないように、なるべく電柱とかと重なるようにして。目的地は家まででいい。そこさえ特定できれば──後はこっちの勝ちだから。できる?」


「……あ、あぁ。任せろ」


 急に御子が饒舌になる。尾行の手ほどきが具体的過ぎないか。まるでプロだ。

 こんなテクニックを使われたら、そりゃ気付かない、か。そうこうしているうちに、向こうも袋詰めが終わったようで、店から出る準備をしていた。


「すまん、どうやら、もうスーパーから出るみたいだ。一旦切るぞ」

「うん……! 頑張ってね、蓮くん。もし、危険だと判断したら、すぐに離脱していいから」


 通話を切り、俺は老婆の後を追う。ま、まさか──俺がストーカーの真似事をすることになるとはな。一週間前まで、尾行ストーキングされる側だったんだが。

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