第7話 通じ合う心

「──って、夢を見ていたんだ」

「……………………」

「……御子?」


 御子の様子が少しおかしいことに気付く。顔は俯いたままで、僅かに全身が震えているようであった。


「お、おい……御子……?」

「許せない……! 舐めやがって……‼」


 御子の顔を見た瞬間、俺の心臓は大きく跳ね上がる。彼女の顔は──まるで窯神のお面のように、鬼のような形相に変化していた。

 その怒りの形相に、俺は息を呑む。こんな顔の御子は見たことがない。彼女に恐怖を感じることは何度かあったが、それらはすべて紛い物だったということを俺は察した。

 本気で怒った彼女は──その比じゃない。敵意の対象が俺ではないということが分かっているにもかかわらず、この場から逃げ去りたい程の重圧感が部屋を包み込んでいた。


「……っ。ごめん、蓮くん。私、許せなくて……」


 俺が委縮していることに気付き、御子は怒りを面に出すのを止める。正直、あの夢で見たバケモノと同じくらい、迫力があった。


「あ、あぁ。大丈夫か?」

「……ちょっと、外の風に当たってくるね」


 そう言うと、御子は一人で部屋の外に出て行ってしまった。

 彼女が言った「許せない」という言葉が少し引っかかる。その対象は一体、誰なのだろうか。あの夢を見せた影に対して言っているのか、それとも──自分に言っているのか。


 ……御子の性格を考慮すると、多分、両方なんだろうな。


 これは完全に推測だが、彼女の使命感というのは常軌を逸していると思う。

 目的を遂行するためなら、どんな手段も厭わない。俺を守るために、命を賭けると言っていたが、それは比喩でも誇大表現でもない。間違いなく、彼女は本気で言っているし、実行するつもりだ

 だが、夢で襲われるというのは彼女にとっても、予想外の出来事だったんだろう。あの「許せない」という言葉の中には──自惚れかもしれないが、俺を守ることができなかったことに対する自戒の意味も入っているんじゃないかと、受け取ってしまった。

 御子は──優し過ぎるのかもしれない。結果的に過激な行動になってしまうだけで、その根本にあるのは俺への愛情だ。


「…………御子」


 時計を見ると、午前八時を過ぎていた。俺は汗だらけの服を着替え、軽くシャワーを浴びる。

 夢というのは不思議なものだ。あんな目に遭ったのに、もう既に夢の中の出来事がぼんやりと曖昧になっている。

 気分は最悪だが、恐らく昼になればもう元通りに戻っているだろう。シャワーの水滴が身体に当たるのが心地いい。擦り減っていた生命力が元に戻って行くような感じがする。

 ──本当に、何だったんだ。あの夢は。


「……ごめん。蓮くん」


 シャワーを浴び終わり、十分程が経ったところで、御子が部屋に戻って来た。その顔は見るからに意気消沈しており、目が少し赤くなっている。


「あぁ、おかえり。朝飯、一緒に作ったけど食べるか?」


 御子を労わりたいと思って、俺が取った行動は一緒に朝食を食べる事だった。メニューはトーストとベーコンエッグというシンプルな料理だが、生憎、俺はこの程度しか作れない。

 正直、あんなグロテスクな夢を見た直後で食欲はあまり湧いていなかったが、そんなことを言っている場合ではない。


「えっ……? う、うん。食べる」


 俺が朝食を作ったことに対して、御子は驚いていたが、口角が僅かに上がったのを俺は見逃さなかった。良かった──少しは喜んでくれたみたいだ。


 *


 朝食を食べ終わり、平穏な時間が訪れる。だが、呑気に過ごしている余裕はない。あの夢は──何か、予兆のような気がしてならない。

 まるで、制限時間タイムリミットのような──俺に残された時間はあまりないのではないだろうか。


「……御子。どう思う? あの夢は」


 単刀直入に、俺は夢についての見解を尋ねる。俺には専門的な考察はできないが、彼女ならきっと何か手掛かりを見つけてくれるはずだ。


「蓮くんが見た夢は〝念写〟ってやつだと思う」

「念写……?」


 念写。聞いたことはあるが、具体的にはどのような能力なのかはあまり知らない。確か、自分の思考を紙に写すみたいな能力だったと思うが。


「普通の念写はイメージを紙とか映像に写すんだけど、今回は蓮くんの夢に対して、そのイメージを見せたんじゃないかな。でも……一番気になるのはその内容だよね。赤ん坊の声と、妊婦と、バケモノの腕か。部屋の内装はどんな感じだった?」

「内装か? 特に何もない感じだったな。広さはこのアパートの一室よりちょっと広くて、壁がコンクリートのままで、扉が一つあって、どこか廃墟みたいな……」

「窓はなかった?」

「……あっ、そうだな。窓はなかった」


 御子の指摘で、初めて俺はその部屋が異様な空間であったことに気づく。コンクリートが打ちっぱなしだったのはまだ分かる。しかし、窓が何もないというのは──普通の部屋ではない。

 換気もできないし、何より、一人暮らしをする際に調べて初めて知ったのだが、日本の建築基準法では採光だの何だので、一定の広さがある場合には必ず窓を作らなくてはならないのだ。しかし、部屋にそのようなものは何も見つからなかった。


「おかしいな。あんだけ広かったのに、窓が何もないなんて」

「そう。おかしいんだよね。考えられる可能性としては……窓が作れない場所にある部屋、だったとか」

「……どういう場所だ? それ」

「例えば、地下とか」


 御子の答えに、俺は妙に納得してしまった。

 言われてみると、あの部屋はどこか地下室のような雰囲気がある。


「まあ肝心なのは妊婦の腹から出てきた腕の持ち主だよ。蓮くんの想像通り、そいつが呪いの本体ってことで間違いない」

「や、やっぱり……そうなのか」


 当たってほしくなかったが、間違いないようだ。あのバケモノが呪いの根源──ただの幽霊なら、どれだけマシだったか。


「なぁ、御子。何だったんだ……あいつは……幽霊……なんて生易しいモノじゃないことは素人の俺にも分かる。どちらかと言うと、妖怪って言った方がまだ近いと思うんだが」

「私も直接見たわけじゃないから確証は持てないけど、何らかの集合意識かもしれないね。蓮くんが見た腕はあくまでそれを司った抽象的な存在。簡単に言うと……悪霊共が合わさった姿ってやつかな」

「……マジか」


 既に俺の語彙力は崩壊していた。もう頭が付いていけなくなってきた。俺が想定しているスケールを優に超えている。


「でも、あいつらも一つ、ヘマをやらかしたね。蓮くん、もしかしたら……明日には正体を突き止めることができるかもしれないよ」


 御子はニヤリと、嘲笑うような笑みを浮かべた。


「ヘマ……? どういうことだ?」

「いくらあの影が力を持っているって言っても、夢に念写するなんて荒業は相当距離が近くないと不可能なんだよ。私の予想だと……数十メートル、もっと短いか。昨日の夜、このアパートから十メートルも満たない距離に、本体がいた」

「……本体」


 御子が言ったという単語が少し気になった。

 俺の考え過ぎかもしれないが、それではまるで──いや、そんなはずはない。一瞬、頭に過ったあり得ない仮説を追い出そうとする。もし、それが事実だとしたら──恐ろしく、忌まわしい事件が、この街で進行していたということになってしまう。


「蓮くん、今日も授業あるよね?」

「分かってるよ。もう単位とかそんなこと言ってる場合じゃないな。この件が解決するまで、大学に行ってる暇なんてない。大学もバイトも、しばらく休むことにする」

「……! な、何か、今……〝心〟が通じ合ったみたいで、ちょっと感動しちゃった」


 御子は顔を赤くしながら頬に手を当てる。

 ──今の発言のどこが彼女の琴線に触れたのか、俺には理解できなかった。

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