第6話 悪夢
*
御子に宿泊してもらうことなり、普段使っているベッドは彼女に譲ることにした。本人は遠慮していたが、やはり自分だけがベッドを使うというのはあまり気が進まない。俺はベッドからテーブルを挟み、クッションの上で眠る形になる。
「ねぇ、蓮くん。私は……ベッドで一緒に寝てもいいよ?」
「い、いや……それはさすがにダメだ」
人の温もりが欲しいとは言ったが、どうしても超えてはいけない一線というのは存在する。御子とは──そういう関係になってはいけないと、本能が言っているのだ。
恐らく、これは欲という概念を超越した、生物としての生存本能だと思う。その原因は語るまでもないが、御子の性格にあるのだろう。
彼女は非常に独占欲が強い。自分以外の異性が俺と会話をするのさえ許せないはずだ。考え過ぎかもしれないが、俺を独占する為なら彼女は──殺人さえも厭わないと感じる。無論、その対象は俺も含まれているのだ。正直、何をやらかすかまったく分からない。
だが、この境界線も破られる日が来るかもしれない。そう、俺は御子と約束してしまったのだ。この悪霊を何とかすることができたら──付き合うことを。
犬飼聡の話を聞いて、悟ってしまった。恐らく、御子が悪霊退治を失敗してしまったら、待ち受ける結果は「死」だ。俺も彼と同じように、自ら命を絶ってしまうのだろう。それを回避するためには成功が絶対条件となる。しかし、そうなると──御子と付き合うことが確定事項になってしまうのだ。
「……もしかして、どっちにしろ詰んでるのか?」
「どうしたの? 蓮くん」
「な、何でもない。 独り言だ」
危ない。まさか、無意識に言葉に出してしまうとは。
いや、一つだけ、どちらの未来も回避する可能性があった。御子が悪霊と相打ちになり、どちらも死ぬ──いや、さすがにこれは酷いな。
我ながら、最低な発想をしてしまったことを後悔する。御子は自分の危険に晒してまで、俺を助けようとしてくれているのだ。そんな彼女の死を願うなんて──人間のすることじゃない。今は協力手して、悪霊を何とかするのが先決だ。その後のことは考えないようにしよう。
未来の俺、任せたぞ。
時計を見ると、既に零時を回っていた。そろそろ、昨日、あの影が初めて現れた時間帯になる。
……そうか。まだ一晩しか経っていないのか。あまりに長い一日で、数日近く経っているように感じてしまう。
「今日も、あの影が出てくると思うか?」
俺は率直に、御子に尋ねた。
「どうだろうね。昨日、初めて、あんな風に襲われたんでしょ?」
「あ、あぁ……」
「うーん、ちょっと私にも読めないな。何か条件が重なって、姿を現したのか。それとも既に条件を満たしたから、襲ってきたのか。向こうも私の存在を感知したから、警戒してると思うんだよね。ってなると……今日は様子見して、襲ってこない可能性の方が高いかも。でも、安心して。出てきたらすぐに私が気づくから」
「……そうか」
個人的には出てこない方が助かるが、様子見されているというのも観察対象のようで気分が悪い。御子はいつでも迎撃できるように、ベッドの上に昨晩使用した包丁を置いていた。
「じゃあ、そろそろ寝ようか。明日も色々寄るところがあるしね。しっかり休まないと」
「そうだな。睡眠は一番重要だ」
御子はテレビと部屋の電気を消した。部屋から光源が消え、闇が訪れる。
その時、俺は妙な点に気付く。昨晩、まったく同じシチュエーションで襲われ、数時間前にはあんな恐ろしい話を聞いたのに、今では自然と恐怖をあまり感じなかった。
普通なら、もっと怯えるんじゃないか。死の危険が身近に迫って、その相手が幽霊なら猶更だ。なんでこんなに──心が安らいでいるんだろうか。何気なく、俺は寝返りを打つ。背を向けて、ベッドに横たわっている御子の姿が見えた。
あぁ、そうか。御子がいるから──安心しているのか。
「蓮くん、大丈夫? 眠れる?」
寝返りの音を聞いたのか、御子が振り返り、目が合った。彼女は心配そうな顔をして、俺を見つめている。
「……正直、まだちょっと怖い。でも……御子がいるから、今日はゆっくり眠れそうだよ」
「え、えっ、うんっ⁉」
御子は顔を赤くして、明らかに動揺しながら、言葉に詰まる。
その様子は普段の彼女の性格を忘れさせるほど、年相応の女子のような反応だった。俺も恥ずかしくなってしまって、反対方向にまた寝返りを打つ。
「……おやすみ」
「お、おやすみ。蓮くん」
目を瞑り、就寝の挨拶を御子に告げる。そして、五分も経たないうちに──昨日はあまり寝てないということもあり、俺は夢の世界に旅立ってしまった。
*
「…………あれ。ここ……どこだ……」
突然、見知らぬ部屋で俺は目を覚ました。どこだ、ここは。俺は──なぜここにいる。
周囲を見回すと、コンクリートが剥き出しで、壁しかない、殺風景で薄暗い光景が広がっていた。部屋の中は俺のアパートより少し広い、1LDKほどの面積だ。
後ろに振り返ると、扉のようなものがあり、ドアノブを回してみるが──開かない。記憶の断片から、最後に覚えている出来事を探し出す。
「確か……自殺の話を聞いて、御子が家に泊まって……い、意味分からん。どうなってるんだ」
間違いなく、俺は御子と共に、自室で眠りに付いたはずだ。それなのに、目が覚めたらこんな部屋で一人ぼっち。御子はどこに行ったんだ。
まさか、誰かに誘拐されたのか。いや──あり得ない。いくら何でも、起こさずにそのまま連れ去るなんて不可能だ。それに、そんなことは御子が許さないはず。では一体、何が起きた?
「……まさか。夢か? これ」
一つの結論に俺は辿り着く。
現実的に、物理的にあり得ないこの状況。可能性があるとすれば、夢しかあり得ない。だが、意識は確実にはっきりしている。明晰夢ってやつだろうか。
『──ャ』
ビクリと、俺は身体を大きく震わせる。今──何か聴こえたぞ。
『──ギャ』
『オンギャ──オンギャ──』
その声の持ち主は──赤ん坊だった。どこからか、赤ん坊の声が鳴り響く。
ここで俺はようやく現状を把握する。これはただの夢ではない。怪奇現象の一つであり、あの影が俺に見せているものだ。そ、そんなのありか。夢の中じゃ、助けも逃げ道もないじゃないか。
「ク、クソッ!」
唯一の出口である扉を叩く。しかし、開く気配は一向にない。それでも、俺はがむしゃらに扉を叩き続ける。
現実なら、肉が剥けるくらい強く殴るが、痛みは一切なかった。
『オンギャア──オンギャア──』
赤ん坊の声は段々と大きくなり、耳を塞ぎたくなるほどの音量になる。
どうすればいいんだ。クソッ──どうすれば。
ガタンッ
その時、背後で何か大きな音が響いた。咄嗟に俺は振り返る。
「……ッ⁉」
そこにいたのは──妊婦だった。
顔は見えないが、腹が大きく肥大化しており、脈打つように動いている。
「な、なんだよ……これ……」
突然の事態に、俺の思考回路は止まる。妊婦──赤ん坊の声──まさか、この声の持ち主は……あの中にいるのではないか。
妊婦の腹はモゾモゾと、まるで何百匹もの虫が蠢いているんじゃないかってくらいに、鼓動していた。その動きはゴム鞠を中で弾ませているようで、気味が悪い。
出産間近の妊婦の腹を間近で見たことはないが、現実でこのように動くことはないとまず間違いなく断言できる。こいつが──呪いの正体なのか。
ピシャッ
「……っ」
嘘、だろ。妊婦の腹が……裂けた。
鮮血が床に散り、赤い絵の具をこぼしたような光景が広がる。そして、その裂けた腹の中から──何か黒いモノ出てきた。
「う、うわああああああああああああああああああ‼‼‼‼‼」
それを目撃してしまった俺は耐えられなくなり、絶叫する。
妊婦の腹から出てきたのは──腕だった。赤ん坊の腕なんかじゃない。屈強な大人の腕のように見えるが、持ち主は人間じゃない。これは〝バケモノ〟だ。
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。目の前で起きている異常事態に、頭がおかしくなりそうだった。もし、目の前にナイフがあったら、俺は自ら首を刺しているかもしれない。それ程までに、耐え切れない恐怖が襲ってくる。
ズキンッ
「──ッ⁉」
な、なんだ。今、一瞬、顔に痛みを感じた。
ズキンッ
まただ。頬の辺りにヒリヒリと、痛みを感じる。一体、何が起こって──っ。
その瞬間、目の前の視界が白に覆われた。
「うわぁっ⁉ はぁっ……! はぁ……っ!」
「蓮くん!? 大丈夫⁉」
御子の──声だ。首を振ると、御子が泣きそうな顔になりながら、俺の腕を握っていた。
現実に、戻って来られたのか。気が付くと、全身がまるでサウナにでも入っていたかのようにびっちょりと汗で濡れていた。
「急に、眠ってる蓮くんが苦しみだして……! 私、私……!」
「……そ、そうか。やっぱり、夢だったのか」
「何があったの……?」
俺は御子に夢の内容をすべて話す。彼女は俯きながら、その話を無言で聞いていた。
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