第4話 カマカミ
やはり、御子に頼ったのは正解だった。閲覧用のデスクに移動すると、彼女は本を広げ、解説を始める。
「カマカミ……正確な漢字が分からないと、特定はできないけど、一応はそれと同じようなものは存在するんだよね」
その開かれたページには──不気味なお面のような写真が掲載されていた。
「これは……鬼か?」
断定はできないが、俺はそのお面を見て、直感的にそう捉えた。牙のような歯を見せ、怒りの表情をしているその形相は節分の行事に見かける鬼のお面と非常に類似している。
「そう見えるよね。でもちょっと違う。これは
窯神に竈神──聞き覚えのない単語だ。
「この竈神ってのはまあ簡単に言うと、文字通りに竈、火を扱う場所で祀られている神。窯神と呼ばれているこのお面も、今でも台所とか炉に置かれているらしいよ」
火の神、か。確かに、火という存在は人類にとっては恐怖と信仰の対象として、世界中にその逸話が残っている。歴史の授業でもそんなことを勉強したことがあったな。日本神話でも「カグツチ」の逸話は俺でも知っている。
「この写真は一例で鬼のような顔をしているけど、中には笑顔や穏やかな顔をしているお面もあって、その種類は多種多様──でも、分かるのはここまで。この窯神は……発祥が不明なことでも、有名なんだ」
その瞬間、全身に悪寒のようなものを感じた。発祥が不明──ということはどのような経緯でこの神が信仰されたのか、分からないということか。
「分かっているのはその名前を竈神から取っている、ってことだけ。なんでこのお面を神と見立てて祀るようになったのかも、そもそも東北地方の一部でしか信仰されていないのも、文献が残されていない」
「……こういうことを言うのも何だが、不気味だな」
あまり神として祀られている存在にこのような言葉を使いたくはないが、本心だった。何より、あの影が唯一発した単語がそれと類似したものだったという事実が一番恐ろしい。「釜神」と「カマカミ」……果たして、この両者に関連性はあるのだろうか。
「まあ、そうだね。でも、民俗学だとこういう発祥が分からないって事例は珍しいことじゃないんだよ。この手の風習って言うのは口伝で伝えられるってパターンが多いから、文献が残されていないのも多い。言葉っていうのはそれだけ忘れられやすいものってこと」
「そうなのか?」
「うん、私たちの文化でもそうでしょ? 数十年前に流行語になっても、今じゃ死語になっていて、多くの人間が意味を忘れ去ってしまった言葉だって、いくつもあるよ。今じゃネットで検索すればすぐにどういうものなのかが分かるけど、それが百年、千年経っても……残っているとは限らないでしょ?」
「……そうだな。その通りだ」
死語とはよく言ったものだ。命が宿っていない文字や言葉にも、寿命というものは確かに存在する。本来の意味を誰も知らない。これが、その概念にとっての「死」なのだろう。現在では悠久的と思われている言葉も、いずれは失われ、誰もその意味を知らなくなる――どこか、悲しい話だ。
「これが私の知ってるカマカミ。でも、蓮くんが聞いたカマカミと同一の存在なのかって言われると……微妙だね。カマは農具の鎌とも解釈できるし、他にも「カ」と「マ」が独立とした意味を持っているかもしれないし、地名とか、それこそ解釈は無限にあるって言えちゃう」
「たとえば……どんな感じだ?」
御子自身の考察を知りたいと思い、俺は尋ねる。
「うーん……それっぽい当て字を考えるなら、「カ」は災いの『禍』かな。そうなると「マ」も同じ不吉な物を表す『魔』で……こうなるかな」
『禍魔神』という文字をスマホに打ち込み、彼女はそれを俺に見せた。
何というか、凄く禍々しい感じがする文字列だ。だが、不思議とその文字はどこか、説得力があるように見えてしまった。あの影が喋った唯一の言葉だ。このぐらいの意味が込められていてもおかしくない。
「カマカミに関しては私も色々調べてみるよ。気になるしね」
「あぁ……頼む。俺も、分かる範囲で調べてみる」
その後、俺たちは陽が沈むまで図書館やネットを使ってカマカミについて調べてみたが、有益な情報は何も得られなかった。
*
「……もうこんな時間か」
窓の外が暗くなっていることに気付き、ため息を吐く。
こちらもネットで一通り調べてみたが、カマカミについての情報は何も得らなった。一応、同じ名前の場所や苗字はいくつか見つかり、リストアップしてみたのだが──関連性がなく、無関係ないんじゃないかというのが本音だ。
「蓮くん、そっちはどうだった? こっちは特に手掛かりなかったよ」
離れて作業をしていた御子が戻ってくる。彼女には民俗学の観点から、似たような単語がないか確認してもらっており、関連書籍が山のように積まれていた。
「カマカミって呼ばれてる名前は一通り調べてみたが……どうだ?」
俺はノートにまとめた概要を彼女に見せる。
一番有力だと感じた候補は岡山県赤磐市にある可真上と呼ばれている町だ。読みが完全に合っているし、探した限りではこの名が付けられている地名はこれだけしかない。
「どれも県外、だね。私の勘だと、多分、これ全部関係ないと思うな」
――やはり、そうか。一応、理由だけは聞いておく。
「どうしてそう思うんだ?」
「んー……ちょっと説明しにくいんだけど、あの影ってそんな遠くからやって来たとは思えないんだよね。最低でも県内、もっと言えば……蓮くんが住んでいる区内から飛んできた物だと思う」
「つまり、原因は……あのアパートの近くにあるってことか?」
「そうなるね。確証はないけど」
御子はノートを俺に返す。恐らく、彼女の言っていることは正しいのだろう。
呪いをかけてくるということは……何ならかの近しい関係の者の可能性が非常に高い。当然だ。わざわざ、無関係で県外の人間を呪おうとするやつなんていないだろう。
その張本人が人間なのか、人ならざる者なのかは分からないが、何らかのきっかけがあったはずだ。その時、俺はアパートで起こった自殺事件を思い出す。
「あっ……そ、そういえば……俺が住んでいるあのアパート、過去に誰か自殺してたな」
「それ、本当?」
御子が目の色を変えた。
「あぁ、すまん……すっかり忘れてた」
なぜ、こんな重要なことを忘れていたんだろうか。自分の馬鹿さ加減に呆れる。そうだ、原因らしきものはこんな身近にあったじゃないか。
「そう。じゃあ調べ物はここまでにして、次はそっちの方面から攻めようか。蓮くん。今日も家にお邪魔していい?」
「……あぁ、大丈夫だ」
あまり気は進まないが、背に腹は代えられない。それに、正直なところ──あの部屋に一人で帰るのは怖かった。
*
陽が完全に沈み、最終的に自宅へと戻ったのは午後八時を過ぎていた。
俺は御子を招き入れ、お茶を淹れる。
「ほら、お茶」
「ありがとう」
御子はお茶を飲み干した後、昨晩、自分が侵入した窓の穴を見つめていた。応急措置としてガムテープで塞いだ穴はカーテン越しでもかなり目立ち、非常に見栄えが悪い。
「……ごめんね。窓割っちゃって」
申し訳なさそうに、御子は謝罪した。
「いや……別に気にしなくていい。緊急事態だったしな」
それよりどうやってこの二階建ての壁を登り、窓から侵入できたのか、その方法が気になったのだが、あまり詮索しない方がよいと感じ、口には出さなかった。
「で、どうだ? このアパートは……何か感じるか?」
「……やっぱり、何も感じないかな。ごめん。でも、一応調べてみた方がいいかもね。その自殺の件って蓮くんは何か知ってる?」
「あまり詳しいことは俺も……数年前、首を吊ったってことは聞いたが」
「じゃあ大家に直接聞くしかないか。部屋、どこ?」
御子は立ち上がる。まさか、この時間に聞きに行くつもりか。あまり常識的な時間ではないと思うが。
「……今から行かなくても、また明日にすればいいんじゃないか?」
「蓮くんの緊急事態なんだよ? 待ってる暇なんてないよ。部屋、どこ?」
「……分かった。案内する」
これは言っても聞かないか。仕方なく、俺は御子を連れて、大家さんが住んでいる一階の隅の部屋へと向かった。
ピンポーン
部屋のインターホンを鳴らす。
このアパートを管理しているのは大石という老人だ。年齢は確か──今年で七十だったかな。いつか雑談をした時に、そんな感じのことを言っていた気がする。気さくな人で、すれ違うたびに笑顔で挨拶をしてくれる、とても優しい人だった。
「……出ないな」
インターホンを鳴らして一分程が経ったが、大石さんは出てこなかった。年齢的に、もう寝ているんじゃないかという考えが頭を過る。
「御子、もう寝てるかも──」
ドンッ
その時、御子が部屋の扉を殴った。
あまりの突拍子もない行動に、俺の思考は一瞬停止する。
ドンッ
ドンッ
御子はその後も扉を殴るように叩く。金属の板を鈍い叩く音がアパートに響いていた。
「ちょっ……や、やめろ!」
意識を取り戻した俺は慌てて御子を止める。
ふ、普通……出てこないからって言ってそんな乱暴に扉を叩くか? これじゃあ借金取りのヤクザだ。
「どうして止めるの? 出てこないのに」
御子は不思議そうに、俺の顔を見つめる。
「い、いや……常識的に考えて、おかしいだろ。留守かもしれないんだし」
「でも、明かりは付いてるよ? 中に絶対誰かいる」
御子は窓から漏れている光を指差す。確かに、大石さんは部屋の中にいるみたいだ。
「そ、それでもトイレとか、風呂に入ってる最中かもしれないだろ。出てこないなら、また時間を改めて来ればいいじゃないか」
「……蓮くんがこんなに危険な目に遭ってるのに、そんな呑気に待てないよ。無理矢理にでも、引き摺り出して、話を聞かせてもらう」
御子は再び拳を振り上げる。
ダ、ダメだ。こ、こいつは──何を言っても聞かない。その時、ガチャリと、扉が開かれる音がした。
「あぁ……何かあったのかね」
──大石さんだった。老眼鏡が少しズレており、眠そうに瞼を擦っている。きっと、今まで寝ていたに違いない。無理矢理起こすような形になってしまって、申し訳ないことをしてしまった。
「あれ? 白川君、どうしたんだい、こんな時間に」
「あぁ、すみません。大石さん。実は……」
「聞きたいことがあるの。数年前に起きた自殺の件について」
敬語も使わずに、御子は大石さんに単刀直入に尋ねる。こ、このバカ──そんな聞き方をするやつがあるか。
「自殺……? 白川君、この女の子は?」
「そ、それが……」
言葉に詰まる。一体、どこから話せばいいのだろうか。
「……まあ、なんだ。とりあえず、立ち話もなんだし、二人とも、入りなさい」
何かを察したのか、大石さんは俺と御子を部屋に招き入れた。
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