第3話 調査開始
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翌日、朝の九時に目が覚めた。結局、あの後に眠りについたのは六時近くであり、実質睡眠時間は三時間ほどしかない。普通なら、大学に行くのすら億劫になっていたところだが──不思議と、眠気は感じなかった。
そりゃ、そうか。あんなことがあったんだから、むしろ、眠れたのが奇跡というくらいだ。それに、御子との約束もある。大学には行くしかないだろう。
そして現在、駅から大学へと向かうバスに乗車中である。
ボーっと、窓の外の景色を眺めながら、昨日、いや厳密に言えば今日の悪夢を思い出す。未だに本当に夢なんじゃないかと思いたいが、間違いなく、現実に起きたということはアパートの割れた窓を見て痛感させられてしまった。
……窓も修理しないとなぁ。これから夏だって言うのに、あれじゃエアコンの冷気が全部逃げてしまう。
*
「じゃあ今日はここまで。いつも通り、出席カードを提出するように」
二限の授業が終わり、俺は当たり障りのないことを書いて講師に提出する。これから一時間の昼休みだが、呑気に昼飯を食ってる場合ではないということを講義室の出口を見て察してしまった。
そこには──御子が小さく手を振りながら、俺を待ち構えている姿があった。同じ授業は取っていないし、この授業を受けていることも一言も言ってないはずなのに。
「……よく、ここにいるって分かったな」
「何となく、ね。じゃあさっそくお昼を食べながら今後について話そうか。蓮くん」
これ以上、追及しても両者の得にならないと考えた俺は大人しく御子に連れられて、学食へと向かった。
*
「……で、どうするんだ。あの影を祓うってのは」
「んーそうだね。実は今のところ、私からできることは何もないんだよね」
「……は?」
彼女の返答に、間抜けな声が漏れる。できることは何もない──だと。大人しく死ねということなのか。
「あぁ、勘違いしないでね。私は蓮くんの身の安全が一番大事だし、あいつを何とかするってのは最優先事項だよ。でもね。昨日も言った通り、あいつはちょっと特殊なタイプなんだよ」
御子は淡々と、とあの影について語り始めた。
「普通の幽霊とか呪いってやつなら、その場から完全に消えるってことは絶対にない。幽霊でも、瞬間移動なんてできないからね。でも、あいつは刺した途端に、煙のようにどこかに消えた。つまり、今のままだと手掛かりが何もないから、こっちから手出しができない状態、てワケ」
「……そうなのか」
つまり……彼女の言うことが本当なら、あの影が現さないと、対処ができないということか。
「ん? 待てよ。ってことはつまり……もう一度、あいつが俺の部屋に現れて、襲われなきゃいけないってことか……?」
「まあ、そうなるね」
──最悪だ。また、あいつと対面しなくちゃいけないのか。全身に鳥肌が立ち、妙な寒気が襲ってきた。
「でも、安心していいよ。私が居る限り、蓮くんがまたあんな目に遭うことは二度とないからね! でも、私の力ってさ……独学で身に付けたようなものだから、どうしても探知とかそういうのに応用が効かないんだよね……ごめん」
独学、という言葉がなぜか引っ掛かった。
そういえば、まだ御子の〝霊感〟といった力のことについて聞いていない。冷静に考えるとおかしいことだらけだ。なぜ、あの何の変哲もない包丁で、なぜ影を切ることができたんだ。
「御子。お前のその力って、なんなんだ?」
「……………………」
その時──御子の顔が僅かに険しくなったのを俺は見逃さなかった。これはまずい。聞いちゃいけない地雷だ。
「い、いや……ほら、あの包丁、影を刺したじゃないか。何か特別な力があるんじゃないかって」
咄嗟に話題を包丁へ移す。
御子の顔は元に戻る。良かった、これなら問題ないようだ。
「あぁ……この包丁?」
すると、御子は手提げバッグから昨日の包丁を取り出した。
「お、おまっ──しまえっ!」
平然と、包丁を見せびらかす御子に対して、制止する。
ここは大学の食堂だぞ。そんなところで刃物を取り出すやつがあるか! そもそも、なんでこんなところにまで包丁を持っているんだ。職質でもされたら一発で警察署行きだぞ。
「ごめん、ごめん。こんなところで出す物じゃなかったね。この包丁は……そうだね、うん。私の力の一部みたいな物かな。原理は分からないだけど、私が手にする刃物ってなぜかそういうモノまで断ち切れるんだよね」
彼女が持つ刃物は霊体を斬ることが可能──ということだろうか。口振りから察するに、恐らく今まで何度か同じように幽霊やら呪いやらを切ったことがあるに違いない。一体、彼女の過去には……何があるんだ。
いや、これ以上の詮索は止そう。
またどこで地雷を踏みかねるか分からない。今はこの関係を維持するべきだ。何か他の話題を──そうだ。まだあのことについて聞いていなかった。
「……そういえば、まだ一つ聞いていないことがあったんだ。〝カマカミ〟って聞いたことないか?」
昨日、あの影が呟いた『カマカミ』という謎の単語を御子に尋ねる。
〝カミ〟という神秘的な単語が付いている以上、この件とは無関係の言葉とは思えない。むしろ、一番重要なキーワードまであるのではないかと、俺は疑っていた。
「……カマカミ?」
「あぁ、赤ん坊の鳴き声がして、あの影が……俺を襲う直前に言ってたんだ。何か関係があるのかも」
「…………」
その言葉を聞いて、御子はしばらく何か考え込むように、沈黙していた。そして一分後──ようやく口を開いた。
「蓮くん、三限目って授業入ってるよね?」
「三限目か? 一応、西洋美術の授業を取ってるが」
「じゃあ、申し訳ないけど、それサボってくれない? 今から、ちょっと図書館に行こうか」
*
半ば強引に、俺は御子と共に大学の図書館に訪れた。これまでの授業はすべて出ているから単位を取る分には困らないと思うが、まさか、こんな形で授業をサボる羽目になるとは思わなかった。
まあ、命にかかわることだ。単位なんて二の次だということは重々承知している。図書館に到着するなり、御子は蔵書検索用のPCで何かの単語を打ち込んでいた。
「……あった。これだ」
そう呟くと、御子はそそくさと、移動を始めた。何か、手掛かりを見つけたのだろうか。何も分からない俺はただ彼女の背を追うことしかできなかった。
「蓮くん、私の専攻って何か知ってる?」
「……いや」
彼女と距離を取るようになったのは二年の後期からであり、ゼミが始まる三年になってからの動向は存じていない。
「そう。私ね、今、民俗学関連のゼミに籍を置いてるんだよね」
そう言うと、彼女はある本棚の前で足を止めた。
民俗学、というと地方の文化やその成り立ちについてのことだろうか。なるほど。俺よりずっと専門知識があるはずだ。御子は何か本を探している様子で、話を続ける。
「一応、スマホで検索しても良かったんだけど、こっちの方が詳しく載ってるから……あった。これだ」
そう言うと、彼女は棚から一冊の本を取り出した。
「その本は?」
「カマカミに関する本かな」
──いきなり、当たりか。
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