第13話 擬鳳蝶蛾

「…俺は仕事で来ただけだ。」


「――私もこれがお仕事ですから。」


白が手を引き個室に通される。簡素なベッドとシャワールームが容易された部屋。

ベッドに腰を下ろすと上着を脱がされ、龍眼鏡サングラスを外される。

翡翠色の蠱惑的な瞳が直に俺を惑わす。

白は俺の手に指を絡め口づけを迫るが、俺は顔を反らす。


「なぁ…手が冷えてる、寒いのか?」


指を徐々に振りほどき、白の膝に置くと顔の距離はその吐息が聞こえる程近くなる。

四畳も無いような部屋では室内はすぐに冷たい空気で満たされる。

部屋は空調が効いており寒いほどだった。


「…優しいですね、でもこれから温めてくれるんでしょう?」


白は服を脱ぎ捨てシャワーで身体を清める。

背中に刻まれたのは蝶のタトゥ。最近刻まれたものだろう。

まだ施術痕が痛々しく、黒い蝶は血気を纏っているかのようだった。


華奢な身体の割に膨らんだ胸、スラリと伸びた手脚。

抜群のプロポーションが半透明のシャワーカーテンの向こうから覗く。

バスタオルを身に着け、白は隣に腰かける。

熱いシャワーで上気した顔、濡れた癖毛は煽情的だった。


「…一緒に洗ってあげたのに、それとも洗わないのがお好み?」


白は部屋に通された時よりくだけた口調で、悪戯っぽい上目遣いで俺をみる。


「…俺は、そういうことをしに来たわけじゃない!」


白は諦めたように笑いながらゆっくりと俺をベッドに押し倒す。


「そうなんだ…じゃあ私に任せて。」


俺に覆いかぶさる姿勢になると

白はシャツのボタンを片手で一つ一つ外してゆく。


「…胸板、厚いね。鍛えてるのかな?」


爪先で軽く引っ掻くように身体を触り、首筋から耳に触れる。


「…お兄さん、道士タオイストでしょう?」


その言葉に俺は白を跳ねのけようとする。

俺の腕を掴み白は黙り、震える声で話す。


「――芙蓉を、狙いにきたのならやめた方がいい。」


俺は応えない。ブラフの可能性もある。

だが、こちらを堅気だと思っていないなら情報の引き出しようはある。


「芙蓉さんを?まさか?彼はただの仕事相手だ。」


今現在はそういう体になっている。

この返答に問題はないはずだ、白は続ける。


「――芙蓉を本気で倒せると思っているの?」


こわばる声で尚続ける。相手も退かないようだ。

こちらがブラフをかけるだけだ。


「仮にやり合うなら、別に勝てるだろうさ。彼は道士タオイストじゃない――」


「道士じゃない?それ以前に彼は人間じゃない!」


成程、やはり屍改――間違いなく人間じゃない。

それが解っていても彼女たちはここを離れる術を知らない。

その上で女たちを恐怖で支配している。


「女衒なんて皆そうだろ?俺も黒社会、ただの外道だ。」


「そういう意味じゃない…!」


解ってるさ。

声を荒げると白のバスタオルがはだけ落ちる。


「もう、逃げられないの。だったら、せめて今だけ優しく抱いて…」


白は俺に身体を預け泣きつく。柔らかな身体の感触と髪の匂い。

白の涙が俺の胸に零れ泣きじゃくる。

泣いてる女を犯して楽しむ程イカレちゃいない。

それにこの体温、白は気が付いていないだけできっともう、死んでいる。


「…俺が逃がしてやる。アンタを抱くのはその後だ。」


白を強く抱きしめてやる。俺の復讐が誰か一人の魂を救えるなら。

この復讐にも意味がある――


「…ありがとう。でも…」


「…俺がするのは個人的な復讐だ。アンタの為じゃない。」


泣きたいだけ泣けばいい。

胸元で白は嗚咽のなか、途切れ途切れに声を漏らす。


「子供のころ、私は天使って呼ばれてた。」

白程の美女は幼い頃もさぞ美しかったことだろう。


「子役だったんだ。将来は大女優、ずっとそう言われて育った。」

親のエゴに過ぎないそれを、信条としてずっと生きてきたのだろう。


「いつの間にか大人になって、もう呼ばれないと思ってた。」

大人になっても娘を天使とか女神とか呼ぶ親は気味が悪い。


「最後に両親が私を天使と呼んだのは、借金のカタに娘を売った時だけ。」

同情はしない。きっと彼女もそれは望んでいない。

ただ吐き出したいだけだ。自分の物語を、生きてきた足跡を。

嗚咽が止み、白は俺の腕の中で静かに眠りに落ちていた。


理想に生きる事は時に残酷だ。叶わない夢なら初めから見ない方がずっといい。

それが、誰かにあたえられたものなら猶更だ。


――耳障りな音がする。水が流れる音じゃない。空調や部屋の外でもない。

それは白の身体から聞こえてきた。軋む音。骨が逆に曲がる音。

内側から肉が破れる音。臓物が潰れる音。白の身体が宙に浮く。


「…何?どういうこと?」


白も自分の身体が俺から離れていくことが理解できない。

手を伸ばしても、離れてゆく。白は自身の痛みすら自覚できていない。

軋む音と共に白の腰から生えるのは巨大な蜘蛛の脚。

白の口から血と体液と余分な臓物が吐き出され、俺の顔を濡らす。


「――助けて。」


歪んだ仙気が、叫びのように溢れ出て身体がが白い柔毛に覆われてゆく。

流美しかった翡翠の眼は、砕けた柘榴石(ガーネット)を思わせる複眼に変貌する。

床を穿つ八本の脚で立ち上がり頭を垂れる。鈍い音と、粘液の音。


「!!――ッ!?$%@#!…ァ…あ”ッ…!?ぐぅ゛…――ッ!くるしィ…!」


肋骨を破り白い翼が生えてくる。憐れな翡翠の目玉模様。

異形の堕天使が、恐怖の震えを歓喜の痙攣に変換する。


「――解ったの。天使の前では人は虫以下だって。」

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