第9話 遊惰放蕩

「この印が出ると、約一か月で人間は死に至る。」


 紫苑は呪印に触れながら憂いを帯びた表情で目を伏せる。

 呪印はかなり濃い、写真で見た濃さと寸分たがわない。

 生き物のように微かに脈動し、露骨に陰気が充満している。

 死体やメイメイの痣とも異なり術式は現在進行中であることが視て取れる。


「アンタ、死体を見たのか?」


 行方不明者は藍英が所持する写真より多いのだろう。

 青蛾内で移民が数人消えても当局は感知のしようがない。

 藍英が手に入れたのは一部の情報に過ぎないようだ。


「見ていない、死んだと聞いてる。わざわざ見たくないさ。」


「ひどい有様だったぜ。白目引ン剝いて、あらゆる穴から血が出てた」

 

 誇張ではない、事実を告げただけだ。

 紫苑は頭を抱えその場でしゃがみこむ、凄い汗だ。

 証拠写真も見せれるがそれは今の彼には酷だろう。


「―――やっぱり死ぬのか…だったらこの短い余生!最後は可愛い女の子と過ごしたい!」


 紫苑は急に立ち上がりその場を駆け足で離れようとする。メイメイが咄嗟にサスペンダーを引っ張るとムーンウォークでもするかのように紫苑は戻ってくる。


「まてよ!可愛い女の子はここにいるだろっ!」


 ランニングマシンにでも乗っているかのように紫苑はその場で走り続ける。


「…死体はちょっと。それにもう育たないんだろう。」


 残念そうな顔で、メイメイの胸元や尻を舐めまわすように視る。

 生命の危機に瀕した雄の性欲。同性ながら、やや引く。

 メイメイは普段より更に青ざめた顔で蟲を見るかのような目つきで睨む。


「…キョンシーだって、失礼なことを言われてる事位わかるんだからな!」


 汚いものに触れたかのように掴んだサスペンダーを離すと、背中に鞭うつように戻 り、情けない悲鳴を上げる。何なんだよコイツ、実力はあるはずだ。 相対した時の仙力は燕飛以上だった。痺れを切らして胸ぐらを掴む。


「…地獄の沙汰も金次第だ。テメー今幾ら持ってる?」


「死に際の人間にカツアゲ?…鬼かよ君は。」


その通り、鬼とか悪魔とか。こっちは言われ慣れてんだよ。


「神も仏も此処にはいねえ、いるのは百戦練磨のヒットマンと――」


「ボクだ!」


「…殭屍キョンシーがいる。警察の手練れとやり合える位には強いぜ。」


 胸ぐらを押し放してやる。下からガンを付けながらだ。紫苑は立派な財布を出す。本革で出来た上等な代物――

 

 睨んだ通りだ。アクセサリーもシャツも飾り気の無いブランド物。本物の金持ち。

 財布を開いて中を見せると、いかがわしい店のポイントカードとレシートしか入っていない。


「…これ、幾らで売れるかな?」


 メイメイと俺は二人とも同じ角度で首を傾げ黙り込む。

 幾らブランド品でも使用済みなら二束三文だろう。


「…まさか、これが全財産ってこと?!」


 お前も無一文だろうが、心の中でメイメイに突っ込みを入れる。


「あはは、服でも売ればもう少しかな。もうどうせ死ぬんだし。」


 半裸の軟派野郎がいたらそれこそ警察沙汰だ、半裸で牢獄で死に至る。

 

「一体何に使えば無一文になるんだよ。」


 物価は観光客向けだが、たかが知れている。

 上等な服を身に着けられるだけの金持ちが一夜にして大金を失う。

 仙理ではよくあることだ、ビジネスの失敗か黒社会による強奪か。


「…ギャンブルと女の子。あとお酒。」


 しれっと言いのける紫苑に俺とメイメイは同時に肩を落とす。

 コイツ、やっぱり只の馬鹿なのか?


「…話をきいてくれ!僕は死ぬんだよ?…最後の最後に一度ハーレムという奴を経験してみたくてね。――それはもう、めくるめく夢のようなひと時だった。酒池肉林の饗宴だよ!何度、絶頂しただろう。夢のような時間が終わって、僕は一人家に戻る。狭い、鬱屈とした棺のような住居だ!感傷に浸りながら安酒をがぶ飲みする。身体を巡る鼓動、ああ!まだ僕は生きている。まだ終わっていない、だが金は殆どない!どうせ死ぬなら、あと一度だけでいい!娼館のある上層にはカジノもある、ここで僕は人生最初で最後の大勝負に出る!そして―――」


「…大敗を喫したと。」


 こいつは確かに「ホンモノ」、筋金入りのカモだ。


「…助けてくれ。頼む。一生のお願いだ」


 呆れを通り越して、憐憫に変わってくる。愚かすぎる。

 一生のお願いは今日知り合った他人にするもんじゃない。

 

「金にならない事はしねえ主義だが線香くらいは立ててやるよ。」


 まぁ、多分墓も立てれないだろうが。 

 ふてくされてベンチに腰を下ろす紫苑、水槽を眺め魚を目で追っている。

 焦点が合っていない、挙動が不審すぎる。


 横に携えられたアタッシュケース。あれには何が入っているのだろう。

 微かに震える手でも、固く掴んで離さない。


「その箱の中には何が入ってんだ?」


 紫苑は箱を抱きしめるように持ち、こちらを警戒する。


「…これは駄目だ!」


 道士の要である宝器を手放す程落ちぶれてはいないようだ。

 ケース自体も仙気を帯びていたが、本体はその中身だろう。

 俺と同じく銃器系か、より精密な宝器。

 保護するにはそれだけの理由があるはずだ。


「…まだ誇りがあるなら、自分の未来は自分で掴んだらどうなんだよ?」


 紫苑は本当は強いはずだ。学院アカデミーで養成された者とは違う。異質な気。当人曰く、陰陽師。例えば、藍英の道術は黒社会で身に着けた、より実践的な生きる為の技術だ。紫苑にもそれに近い物を感じていた。


「わかったよ、仕方ない…これを売って、最後のハーレムを!」


 紫苑の頭の中には、迫りくる死の恐怖と、恐怖から逃れようとする荒唐無稽な逃避願望が入り混じっているのだろう。ベルトを掴んで質屋に向かおうとする紫苑を引き留める。


「お前、死にてえのか?」


「死にたくないってさっきから言ってるだろ!」


 紫苑は激昂する。ふざけた態度の裏には、本当の恐怖が見え隠れしていた。浮ついた態度も、妙なテンションも自分がいつ死ぬともわからない状況への対抗策なのかもしれない。金をせしめればとは思ったが、重要な情報を握る人物であることは間違いない、紫苑はこの青蛾の下層から上層までを把握しきっている。


 青蛾に住まい、日常的に下層階で女漁り。

 中層の狭い住居に住み住民の状況も知っている。

 上層の娼館や賭博場の利用者でもある。


 紫苑の更生までには手は貸せないが、こちらが折れてやる他ないだろう。

 方向性は真逆だが、死の気配を感じた時の節操無さは共感できなくもない。

 紫苑の隣に腰かけ、展開した画面を見せる。


「この、芙蓉って奴を知ってるか?」


「…知らないね。」


 紫苑は写真を見つめて考え込み。何かに気が付く。


「ん?芙蓉サンじゃん。娼館の主人だ!ふーん、ノーメイクだとこんな感じなんだ。」


 写真に写るのは気弱そうな青年だ。眼に影を落とす、末端の黒社会。

 最近じゃ分かりやすい黒社会はそう多くない。陰で悪事に加担する小市民だ。


「男に言うのも変な感じだけど、今の彼はもっと艶っぽい。無一文の僕に男娼にならないかと聞いてきた。流石にそれはゴメンだけど、芙蓉サン相手なら死ぬ前に一回ぐらい試してみてもいいくらいにはね――」


死ぬ前に新たな扉を開けようとするな。マジでどうかしてる。


「――まずは家で話を聞こうか。僕のネストに案内するよ。」

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