第8話 陰陽師

 椅子に腰かけ、八卦銃に呪弾を一弾ずつ込めていく。

 人の多い場所では瀑布弾は使えない。

 火龍弾も仇敵と相対するまでは温存した方がいい。


 通常弾プリセットは敵次第では陽動にもならないだろう。


 燕飛の陰影礼賛いんえいらいさん、藍英の金剛縛鎖こんごうばくさ

 連綿と紡がれた狼家の宝器と禍陰の首領の得物とはわけが違う。

 五行を扱えるのは強みだがそれなりに準備が必要だ。


 それと同じく、青蛾の中層階に入るにも手続きが必要――


 唯一の入口から入る為に入手しなくていけないのは高度な呪式で暗号化されたカードキー。半日歩き回っても敵の核心に迫る物は何一つ見つからなかった。商人達、移民達に聞いても自分たちの住居への侵入方法など口を割るはずもない。むしろ警戒されてしまうだろう。仮にカードだけ手に入れても生体認証も必要だ。


 最も簡単な方法は、自身が住民として住所を取得することだ。

 そこまで大胆な手段は取れない。あくまで秘密裏に潜入する必要がある。


 時間を潰すために訪れたのは、広く空間が開けられた休憩スペース。簡単な作りのテーブルと椅子が配置されており、館内で食事や飲み物を買って休憩するには丁度いい場所だ。周囲には屋台が店を構えており食欲をそそるが、原価と衛生状態について想いを巡らせるととても食べる気にはなれなかった。


 中央には円柱状の水槽が階を跨いで伸びている。

 此処の造りだけが妙に豪華だった、絶対に金の使い所を間違っている。

 メイメイは席を外し、水槽の中のヤドカリを興味深そうに見つめていた。

 美しい熱帯魚より、どうやらヤドカリがお気に入りのようだ。


「…貝なのか、カニなのか。家なのか、身体なのか…」


 メイメイはヤドカリを見ながら考えている。

 貝でもカニでもない。ヤドカリはヤドカリだ。


「見目麗しい君は、蝶なのか華なのか教えてもらえるかな?」


 水槽に夢中なメイメイの横に長身の男が現れ話かける。

 メイメイが他人と話をしているのは視るのは新鮮だ。

 ベンチに腰を降ろし、様子見をすることにする。

 有効な情報源になる可能性も無くはない。


――眼を閉じて耳を澄ます。諜報活動に必要な身体強化式。

余計な雑音ノイズを排除し対象の会話だけを聞き取る。


「…蝶は蝶だろ花は花。ボクはボクだよ。」


 メイメイは男の気障きざな台詞を理解していない。


「――君は蕾かもね。将来はきっと美人になる。」


「今も美人だ!それに、これ以上成長はしない!」


 人によってはセクハラと取られてもおかしくない。

 絶対に自分が口にしない言葉を飄々と吐く男に心がざわつく。

 男は水槽にもたれかかり、メイメイをじっと見つめている。

 16歳程の見かけで水槽に夢中な少女は少々足りない子だと思われても仕方がない。

 軟派の相手には手頃だと思われたのだろう。


「…冷たいんだね。」


「当たり前だろ、死んでるだから。」


 会話が全く噛み合っていない。

 メイメイは指で水槽をなぞりながら指を追いかけてくる魚に目を凝らしている。


 白いボタンダウンシャツに、金髪碧眼。

 長髪を緩く束ね、サスペンダーでズボンを留めた優男。

 黒い皮手袋を嵌めアタッシュケースを手に持っている。

 恐らく東欧系の移民の男だろう。仙理こっちの顔じゃない。

 俺も半分は東欧の血が混じっている。色素の薄い瞳はそのせいだ。

 

 男はめげずにメイメイに接近し、耳元で囁く。


「――君は生きてるよ。」


 その言葉にメイメイは振りむき、男に視線を返す。


「…僕は死んでる。ヤドカリが生きてても、貝殻は死んでるから。」


 男がメイメイの手を引き、ダンスのステップのように

 軽やかに腰を寄せ、そのままメイメイを抱きしめる。


「――もし生きた心地がしないなら、僕が君を生き返らせてあげようか?」


 突然の行動にメイメイが男を突き飛ばす、攻撃より防衛行動に近い。

 驚いたことにメイメイの反撃に全く動じていなかった。

 不意を突いたとはいえメイメイの力に負けていない。

 

 見ため16の少女を軟派する男も、いきなり抱きしめる男も危険人物だ。

 禍陰も任務も関係ねえ、身内に手出しする奴は誰であろうと敵だ。

 人目に付かないように、八卦88式を男の腰に突きつける。


「…テメー、人のモンに何してんだ?」


「――無粋だね。彼女は誰のものでもない。」


 男が傍らに持ったアタッシュケースが仙気を帯びる。ただのプレイボーイじゃない、宝器持ちの道士タオイスト。抑制していた状態の仙気から、一瞬で宝器を展開する技量から見て手練れであることは間違いない。


 身に纏う気配が変わった――


 メイメイに話しかけている時のスキもわざと作っていたものだろう。引き金を引いてもこちらが不利になる可能性がある。ここでくだらない争いをしている猶予はない。敵の正体が掴めないまま戦うのは得策ではない。先に銃を降ろし男に言ってやる。


「…妙な真似はやめてくれ、俺の大切な家族だ。」


 ここではこう言うのが正解だ。わざわざキョンシーだなんて言わなくていい。横で嬉しそうに微笑むメイメイがやや癪だが、大事であることには違いない。これで退かないのなら安全装置セーフティを外す。


「…これは失礼、彼女から心音が聞こえなかったからまさかと思ってね。」


 やはり、只者じゃない。メイメイがキョンシーであることを一瞬で見抜いている。

その上でメイメイに近づいて確認する為には、抱擁ほうようが最も非暴力的な手段だろう。只の軟派じゃないようだ。慎重に言葉を選んで男に話かける。


「…アンタ一体、どこまで解ってる。」


「――どこまでだろうね、君がこの屍改シカイを使役しているのか?」


 冷たい眼差しが俺を刺す。軽蔑にと疑いの眼差し、この男は屍改を知っている。


「…主人は俺だが、俺がやったわけじゃない。」


 男はしばし考え込む。俺たちが疑う以上にこちらに疑念を感じている様子だ。


「…成程、一旦ステイだ。此処に何しに来たんだい?ただの観光ではないだろう。」


 それはお互い様だ。この男もまた目的があって青蛾大廈を訪れている―――


 ビジネスか、観光か? 黒社会と通じている可能性もある。


「”芙蓉”って奴を探しに来たんだよ、アンタは何か知ってるのか―――」


 黒い手袋で口を塞がれ、男は耳元で囁く。


「――大廈でその名前は軽率に口にしない方がいい。」


距離が近い。噎せ返るような香水と煙草の匂いがした。


「僕の名は、 土御門紫苑つちみかど しおん。陰陽師、君達で言うところの道士タオイストだ。」


移民なのに道術が使える。学院アカデミーでもなければ藍英のような我流でもない。


「何代も血が混じってるけどね、僕の代を最後にするわけにはいかないんだよ。」


 狼家が家系を繋ぐように、大きな家系図を持つ家庭では血を絶やさないことが重要視されるらしい。孤児だった俺には無縁の価値観だ。紫苑は俺に近づいたまま、ネクタイを緩めシャツのボタンを一つ一つ外してゆく。


「…僕の身体を、見てくれ――」


――ダメだ。時間の無駄。やっぱり只の色ボケ野郎だった、男も女も関係ないのか。

それとも只の脱ぎたがりの露出狂か?手で目を塞ぎ、紫苑と目線を合わせないようにする。


「…何を勘違いしてるんだ…?」


 紫苑は怪訝な顔で俺を見る、胸元には瞑と同じく百足の呪印が刻まれていた。はだけたシャツのまま、紫苑は俺の肩に両手をかけて懇願する。


「…僕はまだ死にたくない!まだ抱いてない女の子が沢山いる!」


 やっぱり只の色ボケ野郎じゃない、死に際の色ボケ野郎だ。百足の呪印は只の痣のようにも見えるが確かに呪力を帯びていた――



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