第6話 伝幡

燕飛はメイメイに問う。


魂魄こんぱくとは何か分かっているか?」


魂魄こんぱく、精神を司るこん、肉体を司るはくこの二つの要素によって構成される命の核。学院アカデミーで二年の時に習う事だ。


「普通、殭屍キョンシーは魄だけの存在だ。心が無いから道士が容易に操ることが出来る」


「誰の心が無いって?君の方がよっぽど冷血に見えるけど!」


メイメイは怒って拳を握りしめる。

それが普通のキョンシーじゃない何よりの証拠だった。


「…血も涙も通ってる。旧友二人の変わりように我を失う程にはね。」


燕飛は、一つだけ残った椅子に逆向きに座りこみ。背もたれに項垂れる。

俺が黒社会に堕ちて、死んだはずの瞑がメイメイとして動いている。

燕飛が抱えているものの本質は怒りでも悲しみでもないだろう。

後悔だ。大方俺の前に現れた理由も過去を清算する為だ。

黒社会の抗争程度ではこの街の警察は動かない。


俺が抱く瞑を救えなかった後悔と、自身は抱けない「来夏錬」を救えなかった後悔。

だがそれはもう取り戻せない。


「――燕飛、お前にはもう関係ないことだ。」


燕飛は声を荒げる。


「関係ないだと!金が必要なら言えばいい。」


代々実力者を輩出する狼家は仙理でも指折りの名家だ。

金の無心をすれば確かに貸してくれる可能性はあった。

情けないことに、何度も頭をよぎったさ。だが――


「いくら金を積んでも瞑は救えなかった。」


「…結果論だ。方法はあったはずだ、禍陰なんかに堕ちることはなかった!」


一縷の望みがあったとしてもそこで時間を浪費できなかった。


「時間が無かった。瞑がいつ死ぬかもわからない。それに――」


瞑が苦しんでいるのに、自分は成功を収めて人生を謳歌するなんて自分を赦せない。

救えなかった今は後悔もある。自家中毒で腐っていただけなのかもしれない。

自分に選択が間違っていたとも、正しいとも思えない。一本の道しかなかった。

後ろと内から這いよる焦燥と恐怖に追われて、走り続けるしかなかった。

それが出口のない迷宮だとしても、突然途切れる行き止まりだとしても。


固いヒールの音と共に湿っぽい室内に紫煙が燻る。


「あーあー。ド派手にやってくれちゃって」


濡れた絨毯を踏みつけて現れた藍英は露骨に迷惑そうな顔をしていた――


「高藍英ッ!貴様どこから――」


燕飛は僅かな墨を掌に集め黒いナイフを生成する。藍英相手にそれでは遅い。

この空間に流れる煙そのものが金剛縛鎖と置き換えられる《・・・・・・・》。

煙草の香りを感じた時点で、燕飛の目前に鎖はあるも同然。

煙自体を微細な仙気によるコントロールで先に絡みつかせていた。

以前は気が付かなかったがリムジンで俺にやった方法と同じ。


相変わらずこの女、底が知れない――


「ここは私の物件だ、家のトラブルには駆けつけるさ。」


藍英が腕を軽く動かすと燕飛の身体は壁に叩きつけられる。


「堕ちるとは言ってくれるね、君如きの狭い定規で私達を測るなよ?」


藍英は鎖を縛りあげ、燕飛は苦悶の声をあげる。

金剛縛鎖はその質量を連なる鎖ごとに自在に操る。

蝶のように舞い、大蛇の如く縛殺する古の宝器だ。


「藍英、燕飛に手を出すな!」


「私はお前の殭屍キョンシーじゃない。全ては私の気分次第」


燕飛は拘束状態のまま藍英を睨みつける。

藍英は冷淡な言葉で返す。


「狼家の坊ちゃんが此処に何の用だ?」


「…来夏錬の殺人容疑と屍改の生成容疑だ!お前が関与しているのか?」


「警察の前で「はい。」って言う馬鹿が何処にいる?」


「禍陰相手に「それは失礼。」とでも言うと思うか?」


両者の間に火花が散っている。どうにも初見というわけでは無さそうだ。

売り言葉に買い言葉。殺し以外は藍英は関与していない。

藍英がわざわざ喧嘩腰になるのは珍しい。

命の恩人と旧友、どちらの味方に付いても角が立つ。


「何だよ…お前ら知り合いなのか?」


「私の父の行方について、三日三晩語った仲だな。時間を無駄にしてくれた。」


「ふざけるなっ!貴様が吐かないからだろう!」


「ああっ…私の家族探しに付き合ってくれるなんて、余計なお世話!」


わざとらしく胸に手を当てて目を閉じる。三秒間の沈黙。


「気持ちはわかる。私のような美女を軟禁したくなるのは君も男なら仕方がない。」


メイメイはジトっとした眼差しを藍英に向ける。

俺は舌打ちだ。燕飛も舌打ち、気が合うね。

こんな妖怪じみた女と密室にいる方が疲れるだろう。


「…藍英、アンタ一体どこまで知ってる?」


「まずは燕飛無礼者の耳をゆっくり削いでからじゃない?」


相変わらすいう事がえげつない。藍英に耳打ちする。


「…燕飛も情報を掴んでる。危険は承知で味方につけた方がいい。」


口元に手を当て考えるそぶりをする。藍英は悩まない


「ふむ、修繕費しゅうぜんひロウ家にツケとこう。」


藍英はあっさり拘束を解くと顎で燕飛を指す。

情報を吐けと言葉ではなく態度で伝える


屍改シカイは文字通り、屍を改変する技術。魂魄の魂の部分に別の魂、人為的に作った呪式や乱神の依代とし思うがままに使役する。不完全な技術だ。」


「…ボクがそれだって言いたいの?」


確かにその方が合点がいく。この人格も雷気の力もただの屍術では説明がつかない。


「――あくまで屍改は方法だ。君が何かまではわからないさ。」


「…適当なこと言うな!ボクは只のキョンシーなの!」


「嘘だと思うなら――聞いてもらえばいい、お前の主人にね。」


俺相手にメイメイは嘘をつくことは出来ない。

メイメイが自身を偽っている可能性も完全には捨てきれないだろう。


「メイメイ、本当のことを言ってくれ…」


額の護符が淡く光る、効果は切れていない。

札は数秒間明滅を繰り返し、メイメイの記憶にアクセスを試みるが静止する。

メイメイは、体育座りで身体を震わせる。


「…わからない。ボクがボクをいちばんわからないっ」


その目からは涙がとめどなく流れ、濡れた床に滴り落ちる。


「なくな、なくな。」


メイメイの札が呼応する。

メイメイは袖で涙を拭うと俺を睨みつけ下唇を噛む。


「――ボクには泣くこともゆるされないの?」


「違う。これは命令じゃなくて――。」


メイメイは肩を震わせ立ち上がり怒りを露わにする。


「ボクを置いてく気だっただろ、主。」


「関係ないお前を巻き込むわけには――」


「違う!何も知らないからだ!ボクはボクを知りたいだけっ――だ」


 メイメイは燃料切れで倒れ俺に身体を預ける。この小一時間の戦闘で力を大分消費したようだ。血は俺のだけしか与えてやれない。何日かかるか分からない抗争で置いていくのはやはり危険だ。メイメイの自身の為にも連れて行くほかない。


 藍英は燕飛に写真を一枚見せる。


「この痣について君が握っていることを吐いてもらおう。」


 百足の痣。瞑にも表れた呪式だ。燕飛が目を見開く。


「何故貴様がそれを持っている!」


 燕飛が手を出そうとすると藍英は即座にそれを仕舞い込む。


「それは秘密だ。汚職で君の部下が一人減ってもいいかな?。」


「…芙蓉だ。減るのはお前の部下だよ、高藍英。」


「芙蓉?ああ、芙蓉か…?…禍陰傘下の凡百のチンピラだろ?」


 藍英は意外な人物の名前に驚いているようだ。

 俺も覚えていない。芙蓉って誰だっけ?


「痣を辿った仙気は、芙蓉のものと酷似している。過去の傷害事件のデータと照合した。」


 俺はその男を知らない。会ったとしても覚えていないレベルの男なのだろう。藍英が見せる写真を見ても思いだせない。痩せぎすの、生気の無い目をした気弱そうな青年だ。せいぜい詐欺や窃盗程度の小悪党にしか見えない。或いは客引きか薬中だ。


「芙蓉は道士くずれ、宝器も持たない。碌な術式も仕えないはず――」


藍英はサングラスを外し眼を細め燕飛を見る。


「――なるほど。」


俺は何が腑に落ちたのかわからなかった。燕飛は生乾きの上着を羽織ると言う。


「君たちへの注意喚起だ。青蛾には近づかない方がいい」


「はい、そうですか」っていうと思うか?」


「まさか、警察が黒社会に健闘を祈るはずがないだろう」


燕飛は首を振り、その場を去る。


「せいぜい死なないでくれ、”昔の友達”であることは変わらない。」


そう言い残して――


藍英が煙草に火を点ける。


「…一本、寄越せよ」


「…珍しいな。」


差し出された煙草は漢方入りの「中南海」。

死に急いでいるのか生き急いでいるのか分からない。


「――屍改は伝幡している。」


何の力も持たない者が、呪力によって無理矢理に力を引き出されている。

ベランダに吐き出す白い煙は夜の闇と混じり合い。胡乱な色を浮かべていた。

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