第4話 邯鄲の夢

天から伸びる蜘蛛の糸。暗闇の中それを手繰り寄せ、罪人は一筋の光を得る。

明滅する大小二つの光輪。不安定な壊れかけの蛍光灯は寝起きの眼に優しくない。

2LDKのマンションは最近まで少し広すぎた。そう、メイメイが現れるまでは。


瞑が回復したら一緒に住めるようにと、結社に手配してもらった部屋。

内装の品質は高かったがインテリアは簡素だった。

狭いリビングにある傷んだ合皮のソファは加水分解が進み。

ダイニングにはゴミとインスタント食品の山と栄養剤。

拾ったテレビは接触不良で何も映さない。

メイメイの居室には瞑の私物の段ボールが積み重ねられたまま。


これからのこと――


俺の個人的な復讐にメイメイを巻き込むことについて話さなくてはいけない。

藍英は単純にメイメイを戦力として見ている。

依頼を着実にこなす殺し屋と、人間離れした力を持つキョンシー。

それが一人分の依頼料で手配できるなら単純にコスパがいいのだろう。


静かに部屋を開けるとメイメイは寝息も立てず、静かに目を閉じていた。

棺に納められた瞑と同じかおをして眠りに落ちている。

慣れない外出に疲れたのだろう。


「…起きろ、メイメイ。」


呼びかけに応じない。不安になりメイメイの肩を揺らすが眉ひとつ動かない。


「おい、どうしたってんだ…?」


メイメイの眼が蒼く光り開眼する。出会った日と同じく淡い仙気を帯びた瞳。

スプリング式のマットレスから飛び置き、俺をベッドに叩きつけ馬乗りになる。

少女一人分の重さとは思えない、その体は鉄のように重く冷たかった。

一瞬で組み伏せられ、俺は呼吸することすら忘れていた。


恍惚とした表情の口元に牙が、額には呪符が顕現する。


正気を失ったメイメイの顔が迫り首筋に噛みつく。

鈍い痛みと、貧血により輪郭を失う意識。

メイメイが奪っているのは血液そのものではない。

血液を媒介して仙気を取り込んでいる。

血を拭うメイメイの顔がぼやけ、遠い記憶の中に溶けてゆく。


閉じ込めた時の記憶、遠い昔の青写真。

幾重にも鍵をかけて、忘却しようとした思い出。


幸せだった一日の記憶――


――血を分けた妹との思い出。


学院の空中庭園には花が咲き乱れ、春風がそれを運び百花繚乱ひゃっかりょうらんの様相を表す。

凛とした顔の百名余の卒業生たちを祝福するかのようだった。


――「 卒業生代表・来夏瞑ライカ メイ。」


「…起きろ。瞑。」


俺は前の席で居眠りをしている妹の肩を揺らす。

瞑は半開きの眼を開くと、また閉じた。


確かに学長の話は長い。その上、この春の陽気では眠くなるのも頷けるが

学院アカデミーの卒業式で居眠りする奴なんて将来は大物になるに違いない。

ましてや首席。実際に当校きっての出世頭だから本当にタチが悪い。


頬を引っ張ってやると目を覚まし、瞑も俺の頬をつねる。

力が弱いのか、まるで痛くなかった。


「何すんのよ兄さん!寝ぼけてるわけ?」


瞑と互いに頬をつねり合う。俺はかなり不本意だ。


「寝てんのはお前だろ、いいから早く行って来いよ。」


「... 兄さんだって、眠っているじゃない。」


まったく、何言ってんだか。

俺は暝が何を言っているのか分からなかった。


頬の感触が消える間もなく視界から消え、瞑は壇上に赴く。

正装である黄巾の道衣を翻し、鮮やかな空色の髪が靡く。


瞑はこちらに向けてはにかむ。大体何が言いたいかわかる。

「やっちゃった、てへへ。ごめんごめん。」だな。


「すみませんでしたっ!」深々と礼をして謝意を示す。

来賓たちがざわめく中。瞑がたどたどしく台本を開き、咳払いをする。


庭園の視線が瞑一点に注がれる。


「—― キャベツは二番市場の方が安い。卵1パックはおひとり様おひとつ限り!

俺と瞑で二回並ぶ。ひき肉二つ。小麦粉。玉葱... つまり今日はハンバーグ?」


俺は頭を抱える。何でウチの晩御飯事情をここで公表してんだよ。


「―――どういうこと!」


それはこっちの台詞だ。けちがバレて恥ずかしい。

突然の大声にマイクがハウリングし、キンとした音が響き渡る。

式典は沈黙に包まれ、強風が我が家の買い物リストを奪う。


周囲は笑っていいのか、笑っちゃダメなのか。

なんなら怒った方がいいのか戸惑っているようだ。


「... ていうのは、冗談で!まさか私が本当に間違えたとでも?」


隣の席の同期、燕飛が耳打ちする。


「今夜はハンバーグか?悪くないな。」


「燕飛も、食うか?どうせいっぱい作り置きするし。」


「残念ながら、この直後に入所式だよ。夜は食事会だ、…全く気が重い。」


「まぁ、いつでも気軽に遊びに来いよ。俺はしばらく暇だし」


瞑と違ってやりたいことがあるわけじゃなかった。

元々最下層のスラム育ち、学歴と衣食住に困らなければ。

…瞑さえ元気でいてくれればそれでいい。


「卒業したって、縁が切れるわけじゃない。また会おう。」


燕飛は警察への配属が決まっていた。

進路がフリーのままの自分に漠然とした危機感を覚える。

これでも瞑の次には優秀な方。

少なくとも食うのに困らない仕事にありつけるハズだ。


瞑は懐から台本をやっと取り出し、開く。

深呼吸をして、やっと平静を保つ。

その一挙手一投足から緊張が手に取るようにわかる。


――お前なら、大丈夫だよ。


「... 私たち二十八期・道学院生一同は先生方のご指導。学院を支えて下さる皆様方によって。本日をもって一人前の道士として巣立ちます。」


普通ならここで両親への感謝も伝えるが、俺たちに親はいない。

顔も知らない親に感謝を述べようはずもなかった。


「私たちが新たな将来への一歩を踏み出せるのは、生徒それぞれの適性を見抜き、道を示してくださった先生方のご指導・ご鞭撻のお陰です。」


瞑は先生方に恭しく一礼し、先生方も一礼を返す。その表情は様々だ。

怒っている人、笑いかける人。毎年泣いてる人。


そして師達すら努力では及ばない仙力への羨望の眼差し。


瞑は在校生に向き直る。


「まだ、修練の日々が続く、在校生の皆さん。私は医療仙術の頂、鳳凰院で働くこととなりました。修練が続くことは変わりません。私は、これからが本当の修練の始まりだと思っています!」


鳳凰院に人材を排出するのは10年に一度あるかないか。

周囲はざわつくが、やがて瞑なら妥当だろうと落ち着き。

再び卒業生代表の言葉に耳を傾ける。


「力を世の為に発揮できるようこれからも修練を欠かさず、研鑽を重ねましょう。

大丈夫、貴方たちが修行でボロボロになっても私がいるから!」


瞑はその掌に陽気を集めると、在校生へ放つ。在校生達は光に包まれ。

希望に満ちた眼差しになる。在校生400名を宝器なし、無詠唱の回復術で癒しきる。


「――― そしていつも私の側で成長を見守ってくれた家族に感謝を述べ、祝辞の結びとさせて頂きます。―――ありがとう、兄さん。」


瞑は俺を見て微笑む。俺も卒業生なので妙にこそばゆい。

瞑はスッキリとした顔で降壇する。その顔は将来への希望に満ちていた。


「感謝してるんだ。兄さんが居なかったら私ね、二年飛び級なんてしてないもの。」


どうだろうか、俺の役目なんて遅刻しないように起こしてやる位しかしていない。


「…俺も瞑が居なかったらストレートじゃなかったかもな。」


「たはは、それはちょっと気まずいかも?」


そう言って瞑は笑うが、冗談では決してなかった。

その膨大な仙気だけでなく、技術においても上に立つ者のいない妹に必死で食らいついた結果だ。


「良かったよ、気まずい感じにならなくてさ。」


道学院は六年間のカリキュラムだが基本的にストレートで卒業するのは稀だ。。

同じく卒業する生徒の中にも錬より数歳年上の者や成人も混じっている。

道士になる事を諦めて一般企業に勤める者もいる。

本来ストレートで卒業するだけでも相当優秀なのだ。


だが、瞑はその常識さえ破り四年で道士資格を得た。妹に負けたくない。

兄としての意地で研鑽を重ねた結果、俺はストレートで卒業することが出来たのだと思う。同級生たちと思い出話に花を咲かせ、恩師に挨拶を済ますとふたりで学び舎を後にする。


黄昏時の湾岸を当て所もなく歩く、この時間が終わってしまうのが惜しい気がして潮風に吹かれながら、本来しないはずの遠回りをする。


この後どうするか俺は知ってる。


二番通りで卵と挽肉を買って、ハンバーグを作る。


へたくそな瞑のハンバーグを俺が食べて、まんまるのを瞑が食べる。


卒業アルバムをめくりながら、思い出話に花を咲かせる。


燕飛にイタズラ電話をかけてやると酔っぱらっていて、今日はさすがに来なそうだ。


新しく買ったソファで映画を見ながら、瞑は眠りに落ちて俺は毛布を掛けてやる。


それが終わると、幸せな今日は二度と訪れない。


瞑が立ち止まり、俺は振り返る。


「――駄目だよ、兄さんそろそろ帰らないと。待ってる人がいるでしょう?」


沈む夕日が空を真紅に染めあげる。ハリボテで出来たビルが崩れ去る。


真っ赤な世界が闇に呑まれて、瞑が消えてゆく。


「―――待て瞑。」


縋るように手を伸ばした先には、虚が広がっていた。

寝汗と頭痛がひどい。メイメイが心配そうに覗きこんでいる。


「…いきなり襲ってごめん、――ボクは瞑じゃない。

人の血を啜らないと生きていけない化物だ。」


「…俺以外の血は口にしない。自分で言ったことだ――。」


「…違う!ボクは瞑じゃないから、身体を奪っただけの贋物だから…!」


「―――お前が謝ることじゃない!…静かにしてくれ。」


「…解った。」


メイメイは膝を抱えて、頭をうずめる。


待てと言えば待つ。殺れと言われれば殺る。

そうして世界に生かされてる。俺もメイメイも同じだ。

俺もまた人の血を流さないと生きていけない化物だ


望まない人生も。孤独も。

生きているだけで他者を傷つけることの悲哀も俺は知っている。


だからメイメイは連れて行けない。

生まれた理由なんてきっと碌なものじゃないはずだ。


青蛾へ行くか行かないか、その二択を迫ることすら酷だ。

それすら彼女に選択を迫ることになる。


「明日は俺一人で行く、メイメイは来なくていい。」


静まりかえった室内に執拗に呼鈴が鳴り響く。

藍英か、禍陰の使いだろうか?


音が止み、正確に一秒の静止。

グリッド状にドアが切り裂かれ。

0しか映さない黒い賽の目となる。


「警察庁特務部隊”サン”――狼燕飛ロウ エンヒ。」


掲げた手帳に映る顔をよく覚えている。

片目が隠れる長い前髪も、クソ真面目な優等生ズラも。

案外同じ映画が好きなことも。酒にめっぽう弱い事も。


「…結社禍陰構成員・来夏錬。殺人容疑及び屍改シカイの使役により連行する。」


燕飛が身に纏う墨は”特級宝器・陰影礼賛いんえいらいさん


狼家が代々受け継ぐ陰の気が凝縮された不定形な宝器だ。

墨が無数の黒刃を作り出し刃先は全て急所を捉えている。


―――卒業したって、縁が切れるわけじゃない。また会おう。


その約束は最悪の形で果たされる。

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