第76話 女子の激戦区かよ
「おかえりなさいませ、ご主人様」
ダンジョン第5層界小屋の……いやコテージの前、樹木の執事トレスチャンの枝には誰も吊るされていなかった。
「ただいま、トレスチャン。何事もなかったようだね。
今日は俺の仲間たちを連れてきたから、よろしく頼むよ」
「ご主人様、頭に包帯……お怪我されたのですか? どちらで」
「家の風呂場だ。自分で転んだんだ。大丈夫だから」
樹木の精霊トレントと会話している様子を見て、仲間はみんな驚いた様子だ。
探索者が魔物と会話する様子にきょとんとしている。
言葉も出てこないのか、誰にも何も言われなかった。
玄関に立って手をかざし枝葉の鍵を解除した。
「みんな、入っていいよ」
一番先に元気よく入って来たのは狩野だった。
「おじゃまんぼー! ユズリハさんも入っておいでよ。
桜庭もハヤブサさんも、遠慮せずに」
「お前が遠慮せずにと言うのは違うだろ。それは俺のセリフだ」
「僕はさ、あれだよ。ここのレギュラーだからさ。
勝手知ったる人のうちってね」
「じゃあ、わたしとあずさは準レギュラーだな」
「あら、お兄ちゃん。わたしはレギュラーだからね。
バイトが休み時にここへ来てるところを、
お兄ちゃんもスマホで見てたでしょ!」
「そうだね。あずさはレギュラーだった、ごめんよ」
ユズリハは何もかもが初めてで、まだ警戒心が解けない様子だ。
無理もない。
ダンジョンに畑や家があって、それを樹木の精霊が見張り番をしている。
こんな光景はめったに見られるものではないのだから。
「ハチ王子、あなたってほんとうに何者なの?」
「こないだの配信でさ、ブロッケンから取り戻したブラックダイヤモンド覚えてる?
あれを手にしたからトレントが転生してトレスチャンになった」
「意味不明だわ。
覚えているのは、あのダンジョンであなたが…
ずっとわたしをお姫様抱っこして走ってくれたこと」
「思い出すのはそこじゃない」
ハヤブサと桜庭がこちらに冷たい視線を送ってくるのがわかった。
「なんだね、最上君は。
君はあずさじゃない女性もお姫様抱っこしたのか」
「それは、ダンジョン内のトラップがあって、
しょうがなくそういう流れに……」
「最上君、妹はそれを見ていたのか?」
「さ、さあ……彼女はダンジョンに入らないで外で待っていたので」
「一緒に入らなかったのか。あずさ、いいのか?こんなことされて」
「お兄ちゃん、わたしはダンジョンの外で配信を見てたから知ってるわ。
いいんじゃないかしら、勇者なんですもの。
困っている人を助けるのは当たり前でしょ」
桜庭の言い方には棘があった。
敏感に感じ取ったユズリハは、桜庭に向かって近づく。
「困っている人? 失礼ね。
じゃあ、あなたはダンジョンのトラップを完璧に通り抜けられるの?」
「あら、わたし?
通り抜けられないかもしれないけど、困っている人にはならないわね。
だって、わたしには最上君とお兄ちゃんが味方についてるし」
「は? わたしだって全国に一万人のリスナー登録者がいるわ」
「リスナーさんは、現場に駆けつけてくれないじゃない。
結局おひとり様だわね」
バチバチバチバチ
なんだこの女子の戦いは……
ハヤブサも狩野もこの戦いはそのままにして、関係ないような顔をし、そーっと忍び足で小屋の外へ出て行った。
待って! 俺を置いていかないで。
「最上はそこで安静にしてろよ」
狩野が入り口から顔だけ出してニヤリと言う。
「おい、待て、狩野。
俺、なんだか頭が痛い。外の空気を吸いたい」
「しょうがねえなぁ。ほら肩を貸してやるよ。つかまれ」
狩野の肩につかまりながら、女子の戦場を後にした。
すると、トレスチャンがノコノコとこちらに付いて来る。
「恐れながら、ご主人様をお支えするのはわたくしの役目かと」
「トレスチャン、ありがとう。
でも本当は、支えてもらわなくても大丈夫なんだ」
「承知いたしました」
トレスチャンは定位置に戻ると、目を閉じて樹木のように佇んだ。
遠くから馬の蹄の音が聞こえてくる。
どうやら、その音はこっちに近づいて来るようだ。
おい、また客人が増えるのかよ。
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