第26話 ムーミン谷ダンジョン


 秋田駒ケ岳の見どころポイントの中でも、ムーミン谷は人気のエリアだ。


ときおり、ガスっている雲が途切れる。

途切れた先には青い空と周辺の山が見える。

その山に囲まれた谷には、白い高山植物の群生が広がっている。

これは写真に撮ったら映えるスポットだ。

白い花が一面に広がる風景を写真に収めようとする登山客は多い。

俺も、演習中であることを忘れて、携帯で撮影しまくる。


演習はここで野営することになっているが・・・

こんなに人が多いところで、木道から外れてテントを張ったら怒られそう。

いや、間違いなく怒られる。

どうしたものか。

そうだ、人影が少なくなってから行動するのがいいかもしれない。

それまでは、阿弥陀池の避難小屋へ行って休憩することにしよう。

避難小屋へ行けばトイレもあるし、おにぎりを食べるスペースぐらいあるだろう。


先生は確か野営とは言っても、「トイレを使うように」って言っていた。

ちゃんとこういう場所を選んでくれたんだな。

感謝、感謝。


だが、ここのトイレはチップ制100円と書いてある。

俺、お金なんか持ってきてないぞ。

どうしよう。

トイレ使えないじゃん。

さっきの感謝、撤回します。

チップ制だから強制ではないけれど、ただで使わせてもらうには気が引ける。

・・・どういう選択をすべきか。

ここで、考えられるありとあらゆる選択肢を考えた。


パターン1。

誰かから100円借りる。

一番無難かもしれないが、

俺には、見ず知らずの人に借金する勇気はない。



パターン2

トイレを我慢して失敗する。

最悪だ。

これだけは避けたい。


パターン3

藪の中に排泄したあと埋めてしまう。

野営訓練だし、本来ならこれか。

しかし、人が多いから見つかった場合、悲劇。


パターン4

「ごめんなさい、今手持ちがありません」と言って、使わせていただく。

終わった後に頭を下げて、謝罪する。



4だな。

パターン4、実践!

今後は、テントを張ったら自分で穴を掘るしかないな・・・



パターン4を実践した後は、誰かに見られているような気がして、その場から逃げるように立ち去った。

たぶん、誰も咎めないとは思うけれど、俺の中の自意識が過剰に反応している。


ムーミン谷に戻るには、普通は尾根をぐるっと回って、遠回りでもゆっくり安全な道を通る。

でも、今の俺はここからとにかく立ち去りたい。

ムーミン谷までの最短距離を行く。

阿弥陀池避難小屋とムーミン谷の間にそびえる横岳と男岳の尾根。

これを一気に超えるのだ。


横岳の尾根まで一直線に、急な勾配を全速力で登って行った。

ほぼ垂直に移動だ。

尾根までは草原のように見えるが、実は低木の高山植物。

尾根に近づくと藪は腰くらいの高さになる。

俺は、いきなり藪から尾根に飛び出した。


「おお、びっくりしたぁ。なんでこんなとこから人が・・・」


「すみません」


尾根を歩いていた登山客を驚かしてしまった。


尾根を越えたら今度は下りだ。

足元は細かい砂利道に似ている。


と、砂利に足を取られてバランスを崩した。


「ヤバっ!」



高山植物の群生地帯に倒れこんだ。


 倒れた場所には、穴が開いていた。

植物で隠れてそんな穴があるとは知らず、おもいっきり穴の中に落ちてしまった。


「痛っ!!」


こんなところに落とし穴かよ。

油断していて、顔面から着陸するのはさすがに痛い。


「こんな穴に落ちるなんて、我ながら情けない」


落ちた穴から、上空を見上げると雲が低く漂っていた。

周辺がガスっている状態では、誰もこの事故を見ていなかった可能性がある。

誰も助けには来ないだろう。


幸い、どこも怪我していないようだ。

ならば、ついでにここで休んじゃえ。

ここで休んでから自力で這い上がろう。

重かったリュックを降ろして、ため息をついた。


みんなはもうテントの設営が終わって、おにぎりでも食べているのかな。

そうだ、おにぎり、おにぎり。

思い出したようにリュックの中をゴソゴソと探し、おにぎりを出して頬張る。


「こんな暗い穴の中でおにぎりを食べるとは思わなかったな。

さっき、田沢湖を望む男岳で食べればよかった。

そしたら、美しい風景を楽しみながら食事できたのに」


誰に言うわけではなく、自分に言い聞かせるように大きな独り言を言う。


ここからなんとかしなくちゃな。





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