人から騎士へ

 聖都は沸いていた。

 それ自体は珍しいことではなく、聖都の騎士が凱旋すれば大体誰かしら騒ぐのが恒例だ。

 ただ今回は、聖都アロベーンの騎士でなく。大通りを整然と進む部隊もいない。

 ただ一人、付き人を連れただ一人。

 たった一人の騎士に、聖都の人間は熱のこもった視線を向ける。


「こりゃあ、どうした祭りだね?」


 来たばかりの商人が首を傾げると、隣にいた青年が胸を張って声をかける。


「出立だよ。聖都王さまが唯一名を預かり与えた騎士さまが、出立するんだ」

「なんと⁉︎ そんな話は知らなんだ。早く知れば、飾りでも仕入れたのに」

「はっはっは、それは仕方がない。私たちも彼女が何をしに行くのか知らないんだ。知らせもなく出ていくものだから、ついさっき騒ぎ始めたんだよ」


 商人は驚く。聖都からの出立は、いかなるものであっても知らされるのが通例なのだ。

 高潔にして清廉。民への奉仕を自らに課す聖都の王は、民への不義を許さない。


「ティムレイ……だったかな。四月前に捧名法刻を受けた知らせは、辺境まで酷く驚いたものだが」

「水晶のクリスタルさまが、史上最も厳格な儀をなさった。その後は表に出て来ず、〈剣〉の騎士になるとも言われていたんだが……さて、何を成し遂げに行くのか」


 商人と青年は、道を進む青年騎士を見る。

 赤の強い金髪を後ろで纏め、馬もなく従者一人と都市外へ歩く。軽鎧は革と灰鋼、コートは黒ずんだような色をしている。

 色味は貧相だと言えるが、その姿には強さがあった。くすんだ色味と正反対の、篝火の如き輝きが。

 

「うむ、良い瞳だ。若いが、なんとまっすぐな」

「当たり前だ。十二摂理の騎士が鍛えたんだから」

「むう?」


 商人は首を捻る。青年は何故、青年騎士を鍛えた者を知っているのか。


「はっはっは、私も騎士の端くれなんだよ」

「なんと、騎士さまであったか。これは失礼を」

「なーに、端くれだ。騎士道の講師をすることもあるが、仲間では11番手の赫点さ」

「はははっ、赤点とは頑張らねばですな」

「まったく」


 声は互いに、視線は騎士へ。

 多くの者が、大きく声をかけることなく熱を視線に込めていた。

 聖都だけのひっそりとした見送り。大陸の多くは小さな知らせに胸を躍らせ、小さいが故に早く忘れる。

 里知らずの騎士ティムレイ。希望の剣士ティムレイ。

 そんな歌が、少しだけ流行ったという。





「パジ・シアハーデ……」


 聖都の門を越えるとき、騎士ティムレイは小さく呟く。

 応える者なく平野の森まで着く騎士と従者。ピタリと立ち止まり、青年騎士が肩を振るわせる。


「うっくっ…………うやっほいっ!」

「ああ、立派な騎士の仮面が」

「今でも立派な騎士です! ししょー!」


 ティムレイ……もといタムリアは満面の笑顔で飛び跳ね続ける。騎士として得た体力を弾けさせ、ぴょんぴょんぴょーん。

 従者もとい青年は、背負っていた荷物を下ろしてやれやれ肩をすくめる。青年から一気に少女に逆戻りしたタムリアに、凄まじく生暖かい視線を送った。当然の如く気づかれなかった。


「さて、旅の前に予定の確認だよ」

「はいっ‼︎」


 律儀に正座をするタムリアの前に、青年は荷物椅子にして腰を下ろした。ちなみに青年は正座が苦手だ、一時間も座れない。というか大陸のほとんどの者は苦手だろう。体構造的な問題である。

 正座の別名が『拷問座り』と言えば、その辛さがわかろうというもの。実際に使われているとか。

 タムリアが一日中正座できるのは、なんでも実家でよくしていたかららしい。タムリアの実家も苦労しているのだなぁ、と青年は思った。


「今がここ、ジゼ大陸西南部サビア森林。ここから大陸中央のジゼの山嶺を目指す」

「でも一直線じゃなくて、ですよね」

「そう、ジゼの山嶺を登るのは北東から。理由は言ったね」

「冬の時期を待つ、北風を味方につける、です!」


「その通り」と、青年はタムリアの頭を撫でる。喉を鳴らす彼女に、青年は「犬かな? 狐かな?」なんて考えた。


「ジゼの山嶺最大の障害、それは瘴気。本質は熱だけど、それは万物に有害だ」


 タムリアは大聖堂で教えられたことを思い出す。

 瘴気、『怪物』が生む人類最大の脅威。熱を与え、留め、腐らせる。いかなる手段でさえ、完全に防ぐ手段にはならず。だからこそ生命は虐げる行為もなく、怪物を唯一の大敵と一丸となった。


「克服は無理でも、弱めることはできる。冬の寒さは瘴気を冷まし、強烈な北風は瘴気を半分は流してくれる」

「そして瘴気で死ぬ前に殺す。ですよね、ししょー」


 笑顔で、タムリアが言った。細い目から瞳は見えないが、満面の笑みで「殺す」と。

 青年は、ここにいるのが“騎士”であると再確認した。


「そうだね、うん。んー、まあ旅の初めだ、軽く体を動かそう」

「んんん?」

「森から魔獣、岩鶏かな? 肩慣らしついでの食糧、欲しいでしょ」


 ポカンとしていたタムリアは、次第に笑顔に。重心を崩すことなく立ち上がると、剣を抜き放つ。

 騎士として剣を構えれば、刃は潤むように滲んだ。それはタムリアが片時も離すことなく、ただ一つ生家から今まで身につけるもの。

 タムリア・アハトラナ・ハナカザの生家、聖律家門ハナカザにかつて仕えた亡後叙勲騎士。

 怪物なき人の時代の英雄、比類なきマーシャルの剣だ。


「パジッ! シアハーーーデッ‼︎」


 輝くような笑顔で、剣が掲げられる。

 

「悪・即・斬ぁあんッ!!」


 岩の皮を持つ魔獣は、地面をまな板にして二つに分かれた。

 青年は柔らかな笑みで、タムリアの実践値の低い戦い方を眺める。

 血と土が混ざった色の瞳の奥、揺れているものは何であろうか。


(タムリア。瘴気は溜まっていき取り除けない。君は知っていて、『死ぬ前に』と言えるようになったのかな)


 

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